私の「貧乏物語」――これからの希望をみつけるために

制作 : 岩波書店編集部 
  • 岩波書店
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  • / ISBN・EAN: 9784000611534

感想・レビュー・書評

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  • 今「コロナ禍」真っ最中、
    「コロナ禍」の前と後では
    「もとどおり」ということは
    ありえない

    今の「コロナ禍」であるがゆえに
    「これは必ず要るモノ」
    「これはさほどいらぬモノ」
    「これは不要なモノ」
    その辺りが ますます見えてきている気がする

    そんなことを 思いながら
    それぞれの方の「貧乏物語」を
    読み進めながら
    上記のことを想い巡らせていた

  • ブレイディみかこ「貧乏を身にまとい、地べたから突き上げろ」

    佐高信「慶応で格差を実感」
    1945年生まれの佐高氏。酒田市で高校教師の父のもと慶応大学へ。60年代半ば、大学では当時自家用車で通う生徒のための駐車場がわずかではあるがあったという。付属からの者たちに目立ったという。仲良くなったのはいずれも大学から慶応に来た7人。でもその中で三菱系会社の重役の息子がいて遊びに行くと家にテニスコートがあったという。当時学費値上げストがあり加わったのは7人のうちでは佐高氏のみ。その間学校が休校状態となりその仲間たちが東北旅行をして氏の実家に寄ったというのだ。当時氏の家は借家で母が酒田市内などを案内し鰻をごちそうしたというが、氏は顔から火がでるほど恥ずかしかったという。しかし仲間は素直過ぎるほど素直で、お世話になったとばかり言っていたという。だが、スタートラインを引き直そう、という氏の考えに対し、彼らは親の財産の継続や世襲にはそれを当然のこととして疑問にもたなかったという。

    下ること1965年生まれのブレイデイ氏の高校時代は1980年から83年頃。家は貧乏で親はカネのことで喧嘩し、おまけに母はときどき蒸発し、何のミドルクラス感もなかった。地元の中学では感じなかった格差を市の中心部の進学高校で感じた。次第に家の経済状態は隠すようになった。あの頃の日本人は自分は貧乏だと高らかに言わせてもらえなかったと書く。

    高度成長期くらいまでの生活では、貧乏自慢でもなにか明るいものを感じる。が80年代も過ぎると、世の中も変わってきて、そのなかでの金の無さ、相対的な貧乏、というのは、皆が貧しい時代のそれとはちょっと様相が変わるのかという気がした。


    2016.9.27第1刷 図書館

  • 同世代の人とは経験がダブることも多く、懐かしくも読んだ。
    斎藤貴男さんの言うように自分自身までを奪わせはしない。

  •  「貧すればこそ鈍せず」、                         井上達氏のこの言葉と「生かされて生きてきた」、亀井静香氏の言葉が特に残った。

  • 「貧困とは比較から生じる」という言葉が記憶に残っている。

    「貧困は秘密にするもの」この感覚は自分にも身に覚えがあった。
    自分も貧乏=恥 がどこかで形成されてしまった。海外では環境のせいだと労働者が訴えている現状を知った時、こういうのも国民性があるなあと思った。


    フリーライターの回想で
    「自分と遠くない境遇にあった人が、今現在、さほどうまくいっていない状況」への需要がある
    とあり、胸につっかえている。

  • 私の「貧乏物語」
    ~これからの希望をみつけるために~

    岩波書店編集部 編
    2016年9月27日発行

    作家、政治家、漫画家、学者、お笑い芸人、フォトグラファーなど、各界から36人が参加して書いているエッセイ集。多くの人が「貧乏体験」をしていて、それを振り返りながら貧乏体験から何を得たかなどについて書いている。貧乏体験のない人の文章も、貧乏について考察している。

    スタートは漫画家の蛭子能収氏。彼の人柄が浮かぶため、読み始めとしてはいい感じ。タイトルは「ピザって食べたことある?」。初めて女の子とデートした時の思い出で、二人ともピザを食べたことがなかったが食べたという話が載っている。素朴でなかなかいい。

    一番凄まじい貧乏体験を綴っていたのが民進党の福山哲郎氏。彼は京都出身でなく、父親が事業失敗でドロンしたため高校の退学手続きもせずに東京から京都に出てきた。母と弟と3人で。駅でアルバイトニュースを買い、親子3人で住み込みできる所を必死で探し、彼は経営者の前で土下座した。母親と彼は面接当日から働く。朝、階下の工場へと仕事に。テレビも冷蔵庫もない6畳一間で6歳の弟は泣きもせずわがままも言わず、ぽつんと一人。昼には「お帰り!」と迎えてくれた。彼は決意し、二度目の高1生活へ。もちろん、新聞配達はじめいろんなアルバイトを掛け持ちして学費を捻出した。民進党支持者でもないし、松下政経塾出身だから嫌だけど、彼のことは少し見直した。
    政治家は亀井静香氏や古賀誠氏も貧乏体験を披露しているが、時代が違う。あの頃はみんな貧乏だった、という感覚で納得できる。

    浅井慎平氏や益川敏英氏は、私とおなじ名古屋のまちでの貧乏体験披露。浅井氏は、書き出し部分はなにか叙情的な机上の貧乏体験かと思わせたが、読み進むと面白かった。子供時代、お金がなかったから黄金バットの紙芝居を遠くからしか見られなかった。紙芝居のおじさんも事情を知っていて、手招きしてくれるが、「貧乏人の矜持」で決して近くへは行かなかった。

    -○--○--○--○--○--○--○--○--○--○--○--○--○--○-

    「紋切型社会」を書いた武田砂鉄氏は編集者時代、何度も書き手とお金のトラブルがあった。ある時期、彼のパソコンは、「は」を打つと、予測機能で「薄謝ですみませんが、」というフレーズが出てきていた。実際、そのままエンターキーを押して無理なお願いを続けてきた。

    東大教授、法哲学者の井上達夫氏は大阪市此花区出身。母親が出奔し、酒とギャンブルに走っていた父親の下、小学校5年の時に生活費工面のため新聞配達を始めた。小学生はだめと言われたが無理に頼みこんだ。借金返済のため家を売ることになり、引っ越すので辞めなければいけなくなったが言い出しにくく、直前に今日で辞めさせてくださいというと店主からビンタ。小遣いほしさでして辛いから辞めると思われ、性根を叩き直そうとしたのだろう。ところが翌日、店主は校門前で待っていた。どきっとしたが、自転車の荷台に座らせて送りつつ、「明日、引っ越すそうやないか」「がんばりや」と一言。

  • 貧困の問題とは、物質的な貧しさとは別に、周囲との比較において強く感じられるものだ。戦後、皆が貧しかった時。今とは比べ物にならないほど衣食住が手に入らなかったと思うが、ここに書いている人たちはほとんど周りも似たような感じだったので貧しいとは思わなかったと述べている。
    が、その戦後に家族が病気や怪我でお金が必要になり、貧困の悪循環に陥った経験を書いている人もいた。いつの時代だって、みんな息苦しさを感じているのだ。その中でも、自分自身は奪われてちゃいけない。周りから、世間から国から自分を守るんだ。斎藤貴男の言葉には強く胸を打たれた。

  • 吉田類1篇だけでも読んで良かった。
    動物嫌いな人には理解してもらえないだろうけど。

    図書館で借りて読んだけど、何度も読み返したい。奥深い。

    でも本当に貧乏じゃない人も混ざっていた。

  • 図書館の「わ」の書架で偶然見つけた本書。朝刊一面の広告を見た記憶がある。前に読んだ『私の定年後』と同じ岩波書店。即借りることにした。

    執筆者は36人。一人の紙幅は数ページでどんどん読める。蛭子さんのピザの話に続き、美容院で聞いた「クマはこわいが、タケノコ採りはやめられない」というおじいさんの話。おじいさんは強欲という美容師に対し、筆者の栗原康さんは「こんな感動的なことばがあるだろうか」と記す。30代で年収がわずか10万だった自身を社会からお荷扱いされる老人と重ね、「ひとにただしい生き方を強いる社会なんてぶちこわしてしまえとおもってきたのだが」「それを先駆的にやってきたのが、老人なんだと気づかされた。カネなし、さきなし、こわいものなし。オレたちに明日なんかない。だったら、いまやりたいとおもったことを、なりふりかまわずにやってしまえと。タケノコのおじいさんは、身をもってこう教えてくれる」。

    「銀行に成り下がるな」という城南信用金庫の吉原毅さんは「ものの豊かさと心の豊かさが反比例するという逆説をどう考えるか」と問い、安彦良和さんは「スポーツでも仕事でも金儲けでも、競争というのは本来したい人がすればいいので、『普通でいいよ』というような人はそういう修羅場の外に護られていればいい」と記す。しかし今自助を語る首相は、普通の人を護る気はあまりないように見える。

    星野博美さんは「貧乏」ではなく「選択的ミニマム生活」だという。バブル時は「ひとり不景気」だったが、バブル後は「時代がようやく自分に追いついてきたような気がする」。ともかく『謝謝! チャイニーズ』は滅法面白かった。そして『転がる香港に苔は生えない』は次の楽しみにとってある。

    「貧しさがぼくをつくった」という浅井慎平さんの「貧しさに耐えるこころ根が小学校の三年生の頃にすでに、生まれていたということに・・・こころが揺れる。『貧しさがぼくをつくった』」という「遥かなる紙芝居」は一編の物語のようだ。

    あの脱脂粉乳はおいしかったという出久根達郎さん。あの不味さが忘れられない自分のころはもうだいぶ豊かになっていたということか。

    貧しさは比較の中で感じるものだという説も有力だ。「貧困の問題は、物質的な貧しさとは別に、やはり周囲との比較において、より強く感じられるものなんじゃないかとも思う」(高田明さん)、「自分が<貧しい>と感じるのは、すぐ傍らに自分より裕福な人が居ることを知っているから」(永田和宏さん)。

    しかしその永田さんの歌の明るさはなんなんだろう。

      貧しさのいま霽ればれと炎天の積乱雲下をゆく乳母車

    永田さんは結論や処方箋はないとしながら、「『一億総活躍社会』といった掛け声の虚しさ」にふれ、平田オリザさんの「下り坂をそろそろと下る」しかないのが実感だという。

    引用すればきりがないが、本書はこのような心に残るフレーズに満ちている。これはもう借りるのではなく、手元に置きたくなってしまった。最後に強い意思の言葉をもう一つ。

    「人間は人間を救ってやれるほど偉くもなければ、力もない。でも、せめて、残酷で理不尽な現実とは、何があっても闘おうと思う」(井出英策さん「運・不運で人生が決まる理不尽と闘う」)

  • 各界の一門の人たちによる「貧乏」だった頃や貧乏そのものにまつわるエッセイ集。収録されているのは、蛭子能収、栗原康、松元ヒロ、湯浅誠、安彦良和、佐高信、内澤旬子、武田砂鉄、橋本治、星野博美、吉原毅、金原瑞人、最首悟、髙田明、佐伯一麦、浅井慎平、小関智弘、古賀誠、益川敏英、出久根達郎、永田和宏、森達也、沖藤典子、安田菜津紀、井上達夫、吉田類、小坂井敏晶、亀井静香、佐伯泰英、ブレディみかこ、水島宏明、福山哲郎、斎藤貴男、小出裕章、井手英策、鳥居といった方々。
    最初の蛭子さんのお話からしてホロッっときそうな、私の蛭子さん観が変わるような話で、その後も一編一編が短いせいもあってすいすい読めた。36人36様の「貧乏」のとらえ方ではあるんだけど、通底しているものがある気がする。数十年前のことが取り上げられていると、貧乏に負けずに頑張ったという、いまとなってはよい思い出とすらいえそうな話なんだけど、1980年代以降のことを取り上げていると、貧乏ではなく「貧困」というべきか、社会的につらい立場におかれながら救いがないような話になりがち。いまにも続く、豊かなようでいて金銭的にもその他の面でも貧しい日本の姿が浮き彫りにされている。

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