- Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000295840
作品紹介・あらすじ
なぜタバコやピロリ菌が発がん物質と言えるのか。放射線被曝と、その後に発症したがんとの因果関係はどのように証明されるのか。公害事件で医学者の言動に潜む非科学性を問うてきた著者が、水俣病・タミフル・放射能など具体例を通して、「実験によるメカニズムの解明こそ科学」という一見すると妥当な考え方の問題点を示す。
感想・レビュー・書評
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科学とは、科学的とは何かという議論が日本では欠落している。僕はずっとそう考えてきた。特に医学部では(他の学部についてはコメントできません)、上位解脱式に事物を教える高校教育の延長で大学教育を行ってきたため、批判的吟味についてなかなか涵養できない。科学や「科学的」を考えるのは、「こうなっているんですよ」と教わるだけではダメで、自分の頭で一所懸命考えて吟味しなければ学べない。日本の医学教育で科学論を学ぶ機会が少ない理由は他にもあるが(例えば、目的ではなく、まず方法から入る性向にあるとかーーーこれは研究だけでなく、臨床面でもよく観察される性向だ)、いずれにしてもこういう吟味や議論はどんどん進んでいくべきだと思う。
そんなわけで「医学と仮説」のような本がどんどん読まれて吟味されるのが望ましいと思う。本書はイントロダクトリーな本として面白いし、医史学的にも興味深い事例を紹介している。例えば、森永ヒ素ミルク事件の顛末は僕にはとても面白かった。医学生や研修医には是非読んで欲しいし、頭が柔らかくなりたいと希求するベテランドクター(がいたとしたら)本書はゼヒゼヒ読んで欲しい。
それと、法曹界における「因果関係」という言葉の奇異な使われ方についても同感だ。一意的なAが原因でBがおきた、というステートメントは医療の世界にはそぐわないというのが僕の意見で(これは因果関係の有無とは無関係に「そぐわない」)、このステートメントにすべて換言する法曹界の方法論には賛同できない。ただし、僕の意見は本書の著者とも若干異なる。
疫学至上主義という言葉を著者が使われたように、本書には若干の「言いすぎ」を感じなくもない。実験医学に対する強いルサンチマンも感じる(そのいくぶんかは納得いくけど)。
要素を集めたところで生物では全く機能しない(44p)
医学領域では研究に実験が必要という状況ではなくなっている(46p)
みたいな。僕なんかは、いろいろな方法が多元的、多面的アプローチをした方が楽しい方だから、メソドロジーの優劣はあまり問わない方だ。ある事象にとっくむのによりふさわしいアプローチがあるだけで。てなわけで、僕は何とか原理主義とか至上主義は苦手なので、下は議論のためのコメントではない(よって続編はありません)。
インターベンションに対するアプローチも若干異なる。ピロリ菌が胃癌の原因である、、ここはよい。しかし、原因がそこにあるというのと、介入が有効であるというのは同義ではない。糖尿病患者の無症候性細菌尿は将来の尿路感染のリスクではあるが、抗菌薬治療をしてもそのリスクは減らせなかった。両者は厳密に区別しなければならない。「敢えて除菌しないほうを選択する必然性は何もない」とは思わない。抗菌薬には耐性菌のリスク、副作用のリスク、お金のリスクがつきまとう。そこにリスクがある、だから行うのは当然と決めつけてはならない(行わない、と決めつけてもならない)。
ゼンメルワイス、スノー、リンド、高木兼寛(p37)は疫学的研究が医学に貢献した例を顕著に示している。しかし、彼らはその疫学的データに続いてインターベンションを行い、その価値を指し示した。介入試験(実験と言い換えるかどうかは恣意が生じるかも。シングルアームでも臨床試験は一種の人体実験なのでそう呼ぶことも不可能ではないだろう)ももちろん大切なのである。要素還元主義や実験は医学において必ずしも重要ではない、、、という筆者の意見は半分正しく、半分そうともいえない。
僕の立場から言うと、オセルタミビルと副作用の関係についてノーコメントというわけにはいかないだろう(70pより)。まあ、前にも似たようなことどっかで書いているので繰り返しだが。
こういうもめてる問題は、臨床現場には多い。敗血症性ショックにステロイドは効くか、、、みたいな。
オセルタミビルが神経系の副作用を起こすか?そうかもしれない。そうではない、と反論する向きもあろう。例えばセレクションバイアスの可能性をとったりして(実際、Epidemiologyではレターがでている)。一番まっとうな言い方は、「現時点では真実はわからない」であろう。
ところで、多くの薬では副作用の「因果関係」は証明されていない。事象報告だけで添付文書に注意喚起されている。副作用の証明は難しいし、実験的に証明するのは倫理的に無理である。だから、因果関係の有無と副作用情報(まあ、有害事象情報でもよいですが)は必ずしも一意的な関係にあるのではない。
だが、僕ら現場の臨床医にとってはそこはあまり関係ない。
まず、副作用があること「そのもの」は問題ない。僕らが使う薬全てに副作用のリスクがある。中枢神経に異常を来し得る薬も多い。イミペネム、キノロン、アマンタジン、、、
インフルエンザウイルスそのものが中枢神経に作用するという説もある。タミフルが原因という説もある。どちらにしても、患者に対するアドバイスは同じである。
処方するかどうかは、副作用の有無「だけ」が決定するわけではない。その効能とのバランスがそれを決定する。ロタウイルスワクチン(新しいほう)は腸重積の副作用が生じるが、与える利益のほうが大きいために多くの国で使われている。
タミフルは微妙な薬である。その効果が微妙だからである。だから僕らは銀翹解毒散を用いた臨床試験を行った(しょぼかったけど)。それは「タミフルを使うな」という意味でもない。オセルタミビルを使うべき条件、を中腰で吟味するのだ、という話である。副作用もあるかどうかはわからないけど、あるかもねえ、と中腰で注意する。まあ、こういう物言いはタミフル賛成派にも反対派にも理解されないけどね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
科学や因果関係について日本の研究者がトレーニングを受けていないため、専門家が誤った認識をもっているのではないかという認識の元書かれた本。
科学、因果関係、疫学あたりに関して概観するのによいかもしれない。 -
◎こころ:数値より手法、手法よりデザイン、デザインより因果関係を理解しておかないと、とんでもない間違いを犯すことになる。
○ツボ:医学メカニズムモデルより疫学的因果推論を重視。統計処理の前提は正しい因果推論。数字の読み違えがないように因果関係の考え方を把握する。因果推論への無理解が多くの社会問題を生んだ。
☆問い:あなたの研究分野で起こった因果推論の誤りはどんなものがあるか。それを再発させないためにはどうすればいいか。 -
医学
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実験的にメカニズムを明らかにして内部妥当性を高めることは、現象を結論づけること自体には必要ない。
現象は現象のみで十分結論できる。
それにハクをつけているのがメカニズムの理解。もちろん、新たな現象を見つけるステップとして使えるときはあるにせよ。
ヒュームの問題
1.aに曝露してbが起きた
2.aに曝露してbが起きなかった
3.aに曝露せずbが起きた
4.aに曝露せずbが起きなかった
日常、ボタンを押して電気がつけば因果を推定する我々が、1を見て、関係があるとも言えないけど、ないと考えるのはおかしい。
とかなんとかだったけど、流し読みなので理解しきれてない。読みなおす。 -
因果関係について、考えることができる良書。
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