量子力学の反常識と素粒子の自由意志 (岩波科学ライブラリー)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000295796

作品紹介・あらすじ

二〇世紀に誕生した量子力学は、それまでの古典力学とはまったく異なる世界観に基づく。その違いは、常識的な「実在」概念の根本的転換にあった。しかし、それが深刻に認識されるようになったのは「量子もつれ」という概念の有用性が提起されてからである。アインシュタインのEPR論文をはじめ実在性と因果律、そして自由意志の根本を問う。

感想・レビュー・書評

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  • 量子力学選書の編者の筒井泉先生の著書。『量子論の基礎』でベルの定理まではやったが、本書ではさらにコッヘンースペッカーの定理(状況に依存する実在)と自由意志定理(粒子の非決定論)まで突き進む。量子力学が生まれ、世界の実在を巡って、科学はここまできているのか、まさに神秘という他ない。矛盾をめぐる議論なだけに理解が困難な部分を含んでいたが、じっくり取り組めば、強い刺激が得られること間違いなし。量子力学はまだまだ完結していないのだ。

  • アインシュタインがポドルスキーとローゼンと組んで量子力学におけるパラドックスを指摘したEPR論文(EPRはそれぞれの名前のイニシャルを取ったものである)。ボーアを中心としたコペンハーゲン解釈に対して納得せず、その不完全性を何度も指摘しようとしたアインシュタイン。その批判の代表でもあるEPR論文を実験で検証可能であることを示したベルの定理。物理量の非実在性や非局所性が問題とされたこれらの議論を取り上げて、実験による検証結果がどのような意味を持つのかを数式を使わずに読者に対して説明する、というのがこの本の目的である。

    EPRパラドックスを説明するにあたり、まずは電子のスピンとその状態の重ね合わせの説明から始める。そこで、電子二つからなる系の状態は重ね合わせにより確定しているが、系を構成する個々の粒子(電子)の状態は確定しないという状態があることを示す。これにより一つの系を構成する二つの粒子が遠く離れた後に片方の粒子の状態を観測によって確定すると、その瞬間にもう一方の粒子の状態が確定するといういわゆる量子もつれの状態を理論的に作り出すことを示した。このとき、もし観測以前に隠れた完全な物理量がないのであれば、片方の粒子を観測したという情報が瞬時に(光の速度を超えて)遠隔で働くことになる。これは相対性理論に矛盾するというのがEPR論文の主張だ。ここでは情報が光の速度を超えるというよりも物理的な影響の局所性が成立しないというように理解した方がよいのだろう。

    アインシュタインは、量子力学においては物理量の実在性と局所性が両立しないということをパラドックスとして示したのだが、量子力学ではどうやらその通り「両立しない」というのが正しいのだそうだ。現実の実験では、光子、陽子、原子イオンなどの複数の粒子において量子力学の予言が正しいことを示す結果が出ている。本書では、実験によってそのことを検証するベルの不等式の説明をわかりやすく(?)、とにかく何とかわかったのかなと思わせるくらいになるまでは説明してくれる。

    またベルの不等式にからめて出てくるコッヘン-スペッカーの定理は、実在性というものが状況に依存することを示すものである。マーミンの魔法陣による比較的丁寧な説明があるが、どうもわかったようでわからない。しかし、量子論の世界、つまりは我々の世界では、個々の測定値は他の物理量の測定の設定に依存するが、平均値にはそのような依存性がないという不思議なことが起こる。そして究極的になぜそうなるのかはまだわかっていない。

    本書の最後では、測定者の自由意志について議論される。量子論では観測者が重要な位置を占めるが、その場合、測定者の自由意志の存在を暗黙の前提としている。 測定者がいつどのような形で測定をするのかが自由意志によって行われることがその前提とされているのだが、果たしてそうなのであろうかというのがここでの問いである。タイトルにもある「素粒子の自由意志」は比較的新しい議論で、因果的決定論が現実には成立しないのではないかという議論である。量子論の結果にしたがうと、「局所性」と「実在性」と「自由意志」のどれかをあきらめないといけないらしい。

    ベルの定理が示された以降、EPR論文が非常に多くの論文から参照されたことを示すグラフが本書の中にある。そのことは、EPRパラドックスが単なる思考実験の問題ではなく、現実的に検証可能な問題であったということが分かったことは、量子世界の解釈に対して多大な影響があったということだろう。そしてその世界は、我々が通常思い描くものとは異なるものだということが、ほとんど疑問の余地なく示された。そういったことについて、本書は比較的わかりやすく、また簡潔にまとまっている。
    このテーマにそれほど興味がある人が多くいるとは思えないけれども、興味がある人は読んでみてもいいと思う。

    なぜこれほどわれわれの認識の常識と量子世界の振る舞いは違っているのだろう、と問うのは間違いなのかもしれない。逆になぜそれほどまでに違ったようにわれわれの常識ができあがってしまうのだろうと問うべきなのだろう。


    なお、ボーア-アインシュタイン論争でのEPR論文をめぐるやりとりについては、『そして世界に不確定性がもたらされた』にも詳しい。ヒューマンドラマとして見るのであれば、こちらを。



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    『そして世界に不確定性がもたらされた』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152088648

  • 量子力学における実在性の概念を巡って、平易に書かれた一冊。タイトルに「素粒子の自由意志」という怪しい文言が入っているが、まともな本だ。後述するがこの自由意志とは、決定論的でないということに過ぎない。本書はアインシュタインらの有名なEPR論文を中心として、量子力学における実在性の問題を扱う。EPR論文のポイントを紹介するところから始まり、ベルの不等式による再評価、その後の展開としてのコッヘン=スペッカーの定理における実在の状況依存性の概念を扱う。最後に、近年の野心的な解釈として、コンウェイ=コッヘンの自由意志定理を扱っている。後半の二つは類書にあまり見られないユニークな解説だろう。

    記述としては、最初のほうにいきなり電子のスピン方向を記述するケット記法が出てくるが、それ以外には量子力学の記法は出てこない。ケット記法についても内容を理解しないと進めないようなものではないので無害。EPR論文を解説するには電子のスピン状態のもつれ(entanglement; 物理系の全体の状態は確定しているが、その部分系は確定していない状態)を解説することになるが、これはマーミンの説明をほぼなぞっている。ただ、マーミンよりもうまく書けていると感じた。マーミンの解説は魔法陣などを用いたパズルに話を完全に置き換えてしまうので、電子のスピン状態のもつれというよく分からないものをよく分からないパズルにしてもよく分からない。著者の解説はきちんと量子の話に戻ってくるので、何の話をしているのか理解しやすくなる。

    さて解説自体はとても明快。いくつかのテーゼを立てて、EPR論文やベルの不等式に基づく実験はそれらが整合的でないことを意味していると見る。後は、それらの不整合なテーゼのどれをどう修正するかによって立場が分かれる、ということになる。これは自分にはちょうど、心の哲学や知識論での立場の分類のように読めた。テーゼA、B、Cが整合的でないので、テーゼAを捨てるのが○○説、テーゼBを捨てるのが××説、といった具合の整理の仕方だ。

    著者の見るところ、EPR論文が整合的でないとするのは、量子力学の完全性と、実在性の基準という二つのテーゼである。
    「物理理論の完全性 すべての物理的実在の要素に対応するものが、物理理論の中にあること。
    物理的実在 もし対象の状態をまったく乱さずに、ある物理量の値を確実に(100%の確率で)予言できるとき、その物理量に対応する物理的実在の要素がある。」(p.30)

    ERP論文の設定のように、もつれあった二つの量子を離して、片方を観察すれば、もう片方は何もしていないのにスピン方向が確定する。したがってもう片方の量子はその状態をまったく乱さずにスピンの値を予言できる。したがってもう片方の量子のスピン状態に対応する物理的実在の要素がある。ところが、量子力学の不確定性原理によりそんな要素は量子力学のなかにはない。したがって完全性の基準より量子力学は完全ではない、となる。ところでここにはもう一つのテーゼがある。それは片方の量子が測定された瞬間に、もう片方の量子にスピン方向を伝達するような作用が存在しないという局在性のテーゼである。つまり、「物理的な相互作用は遠隔作用ではなく近接的なものである」(p.39)という物理学の基本的概念である。

    結局は、EPR論文は実在性を保持したまま、完全性と局在性が整合しないことを示し、量子力学の完全性を捨てた。EPR論文ははじめはあくまで理論的問題だった。ベルの論文の功績は、それが実験によって決定可能だとしたことだという(p.41)。著者によればベルの定理が示すことは、「局在性と実在性を用いた説明が量子力学の予言を再現できないということ、つまり局在性を実在性に基づく自然観と、量子力学の(完全性ではなく)物理的な予言そのものが矛盾する」(p.57)ということである。つまり量子もつれにまつわる事象の中に、局在性と実在性を仮定したままではどうにも説明不可能な事象があって、一方で量子力学はその事象を正しく予言できるということだ。したがって、修正されるべきテーゼは完全性ではなく、実在性か局在性の方である。ここで実在性を修正するとはすなわち、測定前に電子のスピンが存在したという根拠は何もない、ということになる(p.61-64)。観測される前にも物理的に実在していたとは言えない、という実にバークリー的状況となる。

    とすると実在性の基準というテーゼはどう修正されるべきなのか。ここにコッヘン=スペッカーの定理が位置づけられる。この修正された基準は、実在の状況依存性として説明される。二つの電子のスピンにおいては、例えばZ軸方向のスピン状態で|+z>と|-z>が不確定なだけではなく、Z軸方向のスピン状態とX軸方向のスピン状態が不確定である(同じ方向か互いに逆向きでない限り)。X軸方向のスピンを観測すればX軸方向のスピンが確定し、このときZ軸方向のスピンは不確定である。つまり物理量の実在は同時に確定する共存的な他の物理量の選択に依存するのであり、これが実在の状況依存性と呼ばれている(p.71)。コッヘン=スペッカーの定理が示しているのは、実在の真の姿は状況依存的だということだ(p.76)。ただし、どのような仕組みで状況依存性が導かれるのかはまだ分かっていないし、また観測を多数回行って平均するとこの依存性が消失してしまう理由も謎のようだ(p.79)。

    この先が自由意志の話となるが、ここはやや思弁的に思考を広げることになる。EPR論文で取り出されたテーゼは完全性、実在性、局在性の三つだったが、このもつれ合った電子スピン状態の観測という物理系にはさらなる前提が含まれている。それは、ある粒子の状態はそれ以前の状態によって決定されるという決定性のテーゼと、観測者はどの方向のスピンを観測するか自由に決めることができるという自由意志のテーゼだ。この二つは、物理学さらには自然科学全体にとってあまりに基本的なテーゼのため、すぐには理解しがたい。決定性は因果律の一種として、科学の基本的事項である。また自由意志は、それなくしては実験ということが意味をなさない(p.82)。自然科学の方法論は、観測者が自由意志を用いて実験のパラメータを様々に変更して試行し、一般法則を導くものだ。自由意志により任意の事例を選ぶことができるからこそ、「すべての~について」という全称量化文を導くことができる。すなわち自然科学の方法論は、理論の内部は決定論的で、それを導く外的な手続きは非決定論的であることを要請している。

    というわけで、完全性、実在性、局在性、決定性、自由意志という5つのテーゼが並んだことになる。実在性の修正については前述。局在性の修正については、著者はなぜかこの局在の修正は光速を超えたテレパシーのようなものにはならないと述べているだけ(p.58f)で、こちらの方向はよく分からない。自由意志を修正することは難しい。それは、もつれ合った電子スピン状態の観測という物理系に観測者も含めた上で、観測者がどの方向のスピンを観測するかは物理系の初期条件から導けるということで、少なくとも理解しにくい(電子を発生させる装置が何らかの仕方で観測者の脳に作用して、観測するスピン方向を選ばせるのか)。残るのは決定性の修正である。こうして決定性を修正するのがコンウェイ=コッヘンの自由意志定理ということになるだろう(p.93f)。つまり、電子のスピン方向はそれ以前の状態からでは決まらず、それ自身によって非決定論的に決まる余地があるということだ。

    以上、本書はとてもすっきりした論理構成で量子力学の実在性の問題を扱っている。もちろん細部に立ち入らずに、量子力学の表面上をなぞっているので、説明上どうしても崩したようなところも多くあるだろう。だがこの問題について最近の展開まで追える本はなかなか貴重だ。

    最後に、「自由意志free will」という言葉の使い方について。これはコンウェイ=コッヘンの論文が自由意志定理となっているので著者の責任ではないが、このような問題に「自由意志」という概念を使うのは極めて抵抗を感じる。ここで言われている自由意志は結局、非決定性のことに他ならない(p.84)。しかもその非決定性も何でもありなのではなく、もつれの状態にある他の素粒子と相関しなければならないような、とても狭い範囲の非決定性である(p.94)。それに自由意志の名を冠するのはとてもナイーブではないか。自由意志の概念はすぐれて社会的なものであって、行為や責任の概念が緊密に連携している。それらを捨象してしまって自由意志の概念だけを遊離して用いるのは適切とは言えないのではないか。このような批判はすでに多く寄せられているようだ。かの『知の欺瞞』にまつわる言説では自然科学の概念について、他の概念との関連を理解せず捨象して社会科学で利用することへの罵言が語られたが、これはちょうどその逆の事例に当たるだろう。

  • 2011年5月13日購入

  • 10月新着

  • 2013.11.10-

  •  量子力学の分かりにくさをEPR論文を通じて解消しようという試み。数式を使わず簡単な思考実験で解説している。EPR論文についてはその言わんとすることがようやく分かってきたが、その後に続くベルの定理、コッヘン-スペッカーの定理はやはり難しい。やはり「常識」が邪魔をしているのだろう。

  • 最新の物理学では、素粒子に自由意志が「ある」とか「ない」とかって議論になっているらしい。個人的な感覚では、意志を持つのは人間だけじゃね?って気がするが、学術的には、そう説明した方が都合がいいらしい。そんな最先端の物理学の理論を紹介している本。筆者は、自由意志の存在には否定的。「特に家庭内では」っていう筆者紹介文に、最後の最後で萌死んだ。

  • 量子力学の“不思議”がコンパクトかつ分かり易く説明されていて、さくっと読めました。自分が物理をかじった身でありながら、改めてその不可思議さに楽しくなっちゃいましたよ。
    それにしても「自由意思定理」ってのは初めて知りました。なんか「人間原理」みたいに胡散臭いけど、“定理”と言うからには証明可能(反証可能)なのでしょうから、かなりまじめなものなんですね。ちょいと勉強したくなりました。

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著者プロフィール

1957年生まれ。高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所教授。専門は素粒子論・量子基礎論。著書に『量子力学の反常識と素粒子の自由意志』。

「2018年 『科学者と世界平和』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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