- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000260039
感想・レビュー・書評
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リンク先にもあるとおり"文章を磨きたいと考えている人は必読"な名著だろう。
<blockquote>言葉を書くというのは…考えていることを上手に表現する技法の問題だとは考えていない。むしろよりよく考えるための、つまり自分と向かいあうための一つの経験の場なのだと考えている。(P.1)
</blockquote>
何せ1ページ目からこれである。
てにをはだとか、一文を短めにだとか、接続詞の使い方のような実践的な作文術ではない。
<blockquote>
わかったことが大事なんじゃなく、わからないことが大事なのです。(P.202)
</blockquote>
何かについて書くということは、何かについて分かっていることを伝えるために書くのではなく、何かについて知らないことを自分で受け止めた上で考えていくという過程なのである。
"さらに考えて、つぎのわからなさまで到達して、そこから書くことが大事"という極意。それをカーリングにたとえ、突き抜けるだけではなく押し留めるという文章を紹介する。
<blockquote>
自分というのは他者なんです、こいつ何でこんなこと考えたんだろうな、と考えてみて欲しいんですよ。(P.118)
</blockquote>
村上春樹はこういう「書くことでしか考えられない。」。
<blockquote>
文章を書くというのは、変わったゲームなんです。相手を育て自分を負かすまでに強くし、その自分より強い相手に立ち向かい、自分も強くなる、そういうゲームです。相手を強くできないは人、自分も強くなれません。(P.179)
</blockquote>
書くことは考えることなのだから、言語表現法の話は単なる作文技術に留まらず考え方・思考方法にまで通じる
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誰でも、自分がこう感じる、ああ感じた、というところしか考えすすめることはできません。(P.133)
</blockquote>
感動から自由になる。
自由になるというのは非人間になるということ。
いわば"書き手"という他者の視点を得るのだ。
そのためにはフィクションという嘘が有用だと解く。
それは何故か。
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嘘を言うことでしか言えない「ほんとう」というものが、あるからだ、としか言いようがない。(P.232)
</blockquote>
からで、さらに
<blockquote>
フィクションというものがないと、「ほんとう」を笑い飛ばすものがなくなってしまう(P.232)
</blockquote>
まるで文章を書くということは生きていくということなのだ、とでも言わんばかりの強い視点だ。
<blockquote>
「ほんとう」のことは、大事だし、それをめがけてしかヒトは生きられないが、しかし、その「ほんとう」のことは、笑い飛ばされる必要があるのです。そうでないと、「ほんとう」のことは、何ものもこれを否定できない僭主のような存在になってしまうでしょう。それは、「ほんとう」のこと自身の望まないことではないでしょうか。その僭主化をふせぐもの、そこに風穴をあけるものが、僕の考えではフィクションなのです。
</blockquote>
『言語表現法講義』は文章作法のみならず、よりよく考えるための,自分と向かい合うための方法を説く。
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明治学院大学国際学部で一九八七年以降、第二学年と第三学年の学生を対象に専門共通科目として開講してきた『言語表現法』の授業での経験」(P.255)
</blockquote>
とのことだが、18〜19歳という時期にこういう講義に出会えったのならその後の人生の彩りが豊かなものになるだろう。
文章を書きたいという人だけではなく、日本語でモノを考える人(つまりはこの文章を読んだ人全員)に一読をお勧めしたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読了。
これを読んでいる間、私はほとんど泣いていた。
優しい本。言語表現に関する講義本であるにも関わらず、私の人生における大切な大切な一冊となった。
言語表現というものを通して、加藤先生が考えてきた事が、私の人生における長年の違和感や、迷いや葛藤を肯定してくれ、癒され、救われた。
そんなことを求めて読み始めたわけではないけれど、然るべき時に然るべき書に出会うという奇跡が私にはたまに起こる。感謝。30歳のこのタイミングで、出逢えたことにおそらく意味があった。
そしてなんと、この本は20年以上も前に書かれている。まだリーダブルということは、本当に真理なのだなぁと思う。
この世界に、加藤典洋という人がいてよかった。
生活ががらりと変わった10月。1日に2本映画を観て、1冊の本を2日で読み終わるペースで読み進めるということをするだけで、私の精神状態はとても健全な状態が保たれるということを知る。というか、それが続けられるのであれば、自分が今まで欲しがっていたものは何ひとついらないのではないかと思い始めるくらい、満たされている。これを働き始めてからもずっと続けていくにはどうすればいいのか。本は同じスピードで読んできたし読めるけれど、映画2本はなかなかきついなぁ。
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昭島市民
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日本語の使い方を丁寧に指導してくれる好著だ.このような講義を受けてみたいものだ.前半にためになると思われる指摘が多かったように感じた.例えば、p67 "終わりに美辞麗句.これは自分の文章を台無しにしようとしたら一番効き目のある特効薬です." 今はSNSに短い文を書くくらいしかないが、しっかりした文章を書くことを心掛けよう!
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mmsn01-
【要約】
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【ノート】
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【目次】
まえがき [v-vi]
目次 [vii-ix]
第一回 頭と手――この授業について 001
経験の場としての書くこと/「言語表現法」とは――頭と手が五分五分だということ/『文章読本』のイデオロギーから土方仕事へ――文章教室とは違う/何を書くか、いかに書くか、なぜ書くか1文の一生/書くことと考えること/美の問題――「うまく言える」に限りなく近づくこと/教材について(一)――『高校生のための文章読本』『高校生のための批評入門』/教材について(二)――『文章心得帖』『増補 学術論文の技法』/なぜ規則を守らなくてはならないか/用法と実例――「……」の問題/文章を書く心得
第二回 課題とタイトル 033
課題とは何だろうか/タイトルとは何だろうか/即問即答式の物足りなさ/ギフトと運動感/理由と欲望/まず水に飛び込め/私について、ということ
第三回 他者と大河――推敲・書き出し・終わり 051
不完全であること――推敲は何を殺すのか/宮城まり子「私は教育経験三十年」/美しい花と花の美しさ/理想の書き出し/なぜ踏み切り板は動かないか/書き終わりの可能性/終わりと美辞麗句/小川と大河/小川で大河を渡る
第四回 文と文の間――文間文法・スキマ・動き 077
スキマとは何か/文間文法/井上ひさしの文間文法論/文間問題の可能性/文間と言葉の不自由/浅い文間、深い文間/文間と歩行の速度
第五回 糸屑と再結晶――ヨソから来るもの 101
鶴見俊輔の三条件/多田道太郎の三つの‐duction/「感動を書く」と「感動のなかで書く」/糸屑と再結晶/気分のなかで気分を書く/セザンヌのモチーフ/書くことの事故現場/四つのヨソから来るものの契機
第六回 言葉はどこで考えることと出会うか 123
順序の転倒を戻すこと/「いい子ぶりっ子」の気分――石原吉郎「三つの集約」感想/沖縄の校外実習報告書/ひめゆりの塔の感想文と反論/本土の沖縄観、沖縄の本土観/スタートの正しさ、ゴールの正しさ/上からのロープと下からのロープ/○・七にとどまる
第七回 いまどきの文章 145
「ん~、まいったか~」――いま、言葉と書き手が一対一であること/モノからコトへ/半分の独り言――言葉と書き手の一対一対応がなくなること/吉本ばなな『キッチン』の冒頭の波紋/通勤電車のなかで叱る人/自分との距離感/フェミニンな文/伝わらないことに立つコミュニケーション/射撃とカーリング/マッチョな文からフェミニンな文へ/真理の言葉からの自由
第八回 遅れの問題 177
抵抗の力/水のたまる凹みの成分/自分の持ち札としての場面/自分を泳がせる/ワープの不思議/砂糖が溶けるまでには誰もが待たなければならない/遅れという問題/転んだ後の杖/自分との逆接の関係/苦しみと甘さ/わからなさにいたる/疑疑亦信也
第九回 フィクションの自由 207
朝日新聞の家庭欄の連載記事から/聞き書の可能性/自分からの自由/ボヴァリー夫人は私だ/『トパーズ』の語り/不自然な回路/自分を肯定する「お話」/窓口はなぜ必要か/不透明なもの/マキューシオのだじゃれ/フィクションは人を救う
最後に――方法の話 235
マクシム――デカルトの『方法の話』/一番遠い道で森から出ること/同和と異化/言葉の戦略的使用はなぜダメか/あわいと落差
基本文献案内 [247-253]
あとがき――「言語表現法講義」山頂編の弁(一九九六年八月 パリ 加藤典洋) [255-257] -
著者が明治学院大学でおこなった「言語表現法」の授業を再現した本です。
学生たちの文章に、著者の講評が加えられるとともに、文章を書くためのさまざまな工夫について考察が展開されています。著者の文章にはやや強めのクセがありますが、比喩の表現などには定評があり、本書の説明の中でも、なかなか言葉で説明しにくい文章表現のコツが、卓抜な比喩を通して解説されています。
評価に著者自身の主観が入ってくることを避けるのではなく、ストレートに著者自身の感受性にしたがって評価がおこなわれているところに、かえって信頼感を抱きます。 -
おもしろい読み物
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著者本人も言っているとおり、実践的文章教室でも文章読本でもない。文を書く人の感性そのものを刺激する本。
自分の出身大学でこんなすばらしい授業がなされていたとは、残念。大学時代に受けられていたら、今頃は、もっと澄んだ高見の景色が見れていたと思う。 -
インパクトのある出だし。あとはどれだけ裸になれるか。表現すべてに通じる気持ちのいいおはなし。