母の前で

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000244879

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  • 100歳を超える母の認知機能が衰えていく様子を、フランスの古典文学者である著者が近くで見つめ、思索した記録。

    言葉と言葉を連続させて意味のあるまとまりにすることができなくなってくる母に対し、彼は人間を人間たらしめているものとは何なのだろう、と考える。さらに、自分のことを息子と認識しなくなった母に自分はなぜ会いに行くのだろう、とも考える。

    彼の母は、リトアニアに住むユダヤ人家族に生まれた。化学者の道を目指していたが、結婚の際、夫の望みを受け入れて家庭に入った。子供たちが独立し、夫が亡くなった後も、自分で身の回りの世話ができなくなるまで一人で暮らすことを望んだ独立心の強い人であったという。

    著者の思索の中には、頭脳明晰だったかつての母を知っているからこそのいら立ちや痛み、母が自分を覚えていないという哀しみも含まれる。しかし、それらは文中でさらっと説明されるだけで、むしろ、できるだけ客観的に母を観察して記録にとどめ、その中から人間の真理を得ようとする意志が感じられる。その行為はもちろん、哀しみや痛みを中和する役目を果たしていることも本人は自認している。

    本書では、ユダヤ人としての母の人生についても触れられるが、それらの経験が特別に現状に影響を与えているという書き方はされず、数年前に亡くなった著者の姉(母の娘)の死の受け止め方と同様、過去の大きな痛みを現状ではどのように理解し言葉にするのか、という事例として説明される。
    むしろ、言葉をなくしていった要因としては、一人暮らしが長く、他人との対話がなくなったことが大きいのではないか、と著者は自責の念を込めて仮定する。

    著者の思索には明確な答えが導き出されるわけではなく、理解するのは難解だ。ただ、すべて理解できないまでも、読んでいくと母への想いや一人の女性の人生が浮かびあがってくるような気がする。

    自分の母のこと、母が迎えるであろう遠くない未来のことを考えてしまった。

  • 仏古典文学者である著者が、100歳を超え痴ほうが進んでいく母親を静かに見つめ記録していく。
    母親はウクライナ出身のユダヤ人で、息子であるパシェとの会話の中でもロシア語やイディッシュ語が混ざる。それは、たぶん老いてゆく中で、昔の古い記憶はのこるという現実なのだろう。施設にいる母親を訪ねるパシェを、息子とは認識できない。
    老いていく母親を書き残しながら、老いるという事・生と死・脳が死ぬという事など、さまざまに考察する。

    家族の老い、自分自身の老い、いろいろ考えるきっかけとなる。

  • コミュニケーションの道具としての言葉が失われるというのは、ひとりの人間の人格にとって、どのような意味を持つのだろうか。

    年老いた認知症の母親が変化していく様子を見つめながら、その人間としての人格をどのように理解したらよいのかを筆者が探り続けている姿が描かれている。

    認知症が進行して行く筆者の母親からは、徐々に言葉の脈略が失われていき、生活のなかでの身の回りの現実とも乖離していくが、それでも、とめどない「独り言」のようにこぼれ出てくる母親の言葉自体は、過去の記憶、現在の不安や悲しみといった心情、孤独や身近の人の死といった自身の置かれている環境との関係性とつながりを持っており、その言葉を丁寧に受け止めることで、僅かずつではあっても母親のことを理解することができる。

    筆者がそのような想いで、必死に母親と過ごしている様子に、心を打たれた。

    また、筆者自身が作家・評論家という言葉を専門にする職業人であるがゆえに、母親への向き合い方は、その言葉に向けられる比重が非常に高い。ただ、筆者が母親の行動や表情に、言葉がなくとも母親の人格が存在していることを感じ取っていることも、非常に大切な点だと思った。

    筆者自身は、これまで長い間、コミュニケーションのための道具としての言葉を通じて人々とのつながりを築いてきたのだろうが、それが失われたり変質していく中で、改めて人間の尊厳や他人との向き合い方を見つめ直しているということに、感動した。人が人と真摯に向き合うということがどういうことなのかを、感じることができる本だった。

  • 読売新聞2018114掲載
    毎日新聞20181125掲載

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