寺山修司からの手紙

著者 :
制作 : 山田 太一 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 71
感想 : 3
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000240482

感想・レビュー・書評

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  • 先日山田太一さんが亡くなりました。
    この本には山田さんから寺山さんへの弔辞が出てきます。
    本当に、あの世というものがあるなら、再会して、狭い片隅で、時間を気にしないで、本の話しを、心ゆくまでしたいものだと切望してしまいます。せめて、その時のくるのを、あてにして
    ご冥福をこころよりお祈りいたします。

  • 故人の手紙を盗み読む下劣で素晴らしい楽しみ

  • 大学生の頃のふたりの写真が載っているんだけど、ふたりともなかなかのイケメン。
    手書きの葉書も掲載されていて(主に寺山修司)その多才さはハガキにも表れている。絵も文章も濃密に書かれている。
    会ったその後でもまだ話し足りなくて手紙やはがきを書いてたってどんだけ~。
    そしてその内容がまた濃い。文学のこと、恋愛のこと、政治のこと。
    今、これだけ語れる大学生がどれほどいるんだろう。

    ひとりの女性をめぐっての三角関係にも似たことがあったようだ。そして多分山田太一氏の奥さんはその時の女性なのだろう。
    寺山修司が倒れる4日前に一緒に夕食を囲めたのが救いだ。
    山田太一が母を寿司屋に連れていくのが夢だった。
    (幼い時に亡くなっている)のとこが泣ける。

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著者プロフィール

詩人、歌人、劇作家、シナリオライター、映画監督。昭和10年12月10日青森県に生まれる。早稲田大学教育学部国文科中退。青森高校時代に俳句雑誌『牧羊神』を創刊、中村草田男らの知遇を得て1953年(昭和28)に全国学生俳句会議を組織。翌1954年早大に入学、『チェホフ祭』50首で『短歌研究』第2回新人賞を受賞、その若々しい叙情性と大胆な表現により大きな反響をよんだ。この年(1954)ネフローゼを発病。1959年谷川俊太郎の勧めでラジオドラマを書き始め、1960年には篠田正浩監督『乾いた湖』のシナリオを担当、同年戯曲『血は立ったまま眠っている』が劇団四季で上演され、脱領域的な前衛芸術家として注目を浴びた。1967年から演劇実験室「天井桟敷」を組織して旺盛な前衛劇活動を展開し続けたが、昭和58年5月4日47歳で死去。多くの分野に前衛的秀作を残し、既成の価値にとらわれない生き方を貫いた。

「2024年 『混声合唱とピアノのための どんな鳥も…』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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