その世とこの世

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000237475

作品紹介・あらすじ

いまここの向こうの「その世」に目を凝らす詩人と、「この世」の地べたから世界を見つめるライターが、1年半にわたり詩と手紙を交わした。東京とブライトン、老いや介護、各々の暮らしを背景に、言葉のほとりで文字を探る。奥村門土(モンドくん)描きおろしイラストを加えての、三世代異種表現コラボレーション。

感想・レビュー・書評

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  •  本書は、「図書」連載「言葉のほとり」(2022年3月号~2023年8月号、岩波書店)に、奥村門土さん描きおろしの挿画を加えて書籍化した、谷川俊太郎さんとブレイディみかこさん、お二人の往復書簡を収録したものになります。

     とは書いたものの、私、ブレイディみかこさんの著書を読むのは初めてで、タイトルはよくお見かけするから知っているのですが、中々、読んでみようという気にまでならなくて、本書については、猫丸さんのおすすめがあったことと、谷川さんと往復書簡するのだから、さぞ凄い方なのだろうなと思っていたら、その通りでした(笑)。

     ということで、まずはブレイディさんについて、書いていこうと思いますが、何度も実感させられたのは、27年間英国生活をされている、ご自身の実体験に基づいた多種多様な知識や視野の広さで、それは『ブリティッシュ・ユーモア』から端を発した、世界に於ける、様々な表と裏が存在することの正常性であり、中でも私の心にいちばん刺さったのは、『正邪の双方あってこそ人間』のフレーズで、それは、お母さんを亡くされた彼女が、気分を変えるためのウィーン旅行で初めて知った、若かりし頃のヒトラーの面影からも感じられて、ヒトラーも生まれた瞬間からヒトラーでは無かったことを、何となく予想出来たのではなく、史実で知ることによって(ウィーン美術アカデミーでの、エゴン・シーレとは対照的な顛末)、初めて腑に落ちた、この説得力も伴ったスッキリ感が、なんかいいなと思わせる感覚に、改めて彼女が保育士をされていたことを実感いたしました。

     また、それとは別に、今度は表と裏のような対照的ではあるけれども、それを問題視した彼女ならではの独自の考察も印象的で、それは、ドバイの実情から地球温暖化の未来へと思考を広げた結果、社会の貧富の差は『上と下』ではなく『内と外』に分かれるのかもといった点や、皮肉や風刺も感じさせる『忘れられない幽霊とすぐに忘れてしまう人間』、更には、『常軌と常机』といった言葉遊びの巧みさまで、そこには文筆業を生業としている彼女ならではの視点の面白さが、とても新鮮でした。

     そして、谷川さんの詩が元となった、タイトルの『その世とこの世』について、この世は、まさに今生きている世界だけれども、その世に関して、谷川さんの詩の内容は勿論ですが、ブレイディさんの『音楽の「これだ」って感じる瞬間』や、『自分が本来いるべき場所っていうか、行ったこともないのになぜか知っている場所』に、特に共感を覚えて、音楽を聴いている時に、ふと感じる「これだ」感というのは不思議なもので、根拠も無いのに、なぜ「これだ」と思えるのか、おそらくそこには、この世ではない別の世界の入り口があって、一度入り込んでしまうと、そこから現実に帰りたくないと感じてしまう、なぜならば、そここそが自分が本来いるべき場所だからであり、しかも、なぜか知っている場所にもなり得る、そんな神秘的な要素が人間にはあるということが、不思議でありながらも魅力なんだと思わせた、それは谷川さんがよく仰られる、詩と音楽との密接な結びつきがあるからこそ、このタイトルなんだろうなとも感じられた、そこには、まるで世界の謎を一つ解いてくれたかのような、大きな歓びを感じました。

     続きまして、谷川さんですが、ブレイディさんとはまた異なる広い視点の中にもあった、確固たる自己的存在感の印象が強く、それは、ディーリアスやビートルズを挙げながらの、『好き嫌いの判断を、知的な良し悪しの判断よりも信用している気配』での、その世への前触れとも思える感覚や、「漱石調」の詩の、『時に先立つものはと考えて そんなものは何であれ 言葉の上にしかないと思った』に於ける、言葉への多大な信用性を示しながら、未だ変わらず、それを拠り所にしているところに、彼の生涯現役の精神性が宿るのを感じながらも、後半の詩に見られた、日常のすぐ目の前にあるものをそのまま掬い取ったかのような、生々しくもあっさりとした臨場感には、老後の未知なる世界を垣間見たようでもあり、そこに却って、私は心強く感じられるものがありましたが、高橋源一郎さんの『ブレイディさんのお便りに、ちっとも応えていない』には、確かにと、私も思わず笑ってしまった親しみやすさも、さすがのお人柄だと感じました。


     そんなお二人の対照性として、谷川さんが現場に擬えたものを掲載すると、谷川さんは『言葉にしかないような気がする』、ブレイディさんは『言葉の上だけでなく、具体的事実として存在している』がありますが、実は共通性も二つありまして、一つは『自分と他者を明確にされていること』、もう一つは『自然の成り行き任せ』といった、これまた対照的であるのが、人間の複雑さを表しているようで面白いですよね。

     前者について、谷川さんは『自分以外は全て他人である』ことを、元奥さんにも感じ取ったことによって、一抹の寂しさも醸し出しているように思われたのが、私にとっては痛みとも思え、ブレイディさんは、母の介護で初めて、母であっても別の体をした人間に過ぎないことを実感させられたことから、『自分は他者じゃないという認識の基盤になると思う』へと辿り着いたことが印象的でした。

     また後者について、谷川さんは、その年になって初めて体験することであっても、それが『自然の成り行き』に感じられた点に見られた、そこまでの長き人生の歩みを経ることで、ようやく訪れた人間の神々しさとも思え、ブレイディさんは、生きる為の原動力となっている言葉、『なんとかなる精神』で、一見、運任せのような言葉にも思えますが、彼女の場合、これまた実体験にとても説得力があり、その空港での二つのエピソードには、確かになんとかなるものだね、と驚かされた、実際にやろうとは中々思えない、逼迫感の伴った破天荒ぶりも魅力と感じ、このように対照的でありながら似通った共通点もある、お二人の往復書簡には、独自の視点による新たな世界の姿や、人生にとっての大切な一欠片を、そっと見せてくれた、まさにお手紙ならではのプライベート感がありながら、今の世界を生きていくために大切なこともたくさん教えてくれて、下手な自己啓発本よりも、きっと得るものが多いと思います。

     それから、最後に奥村門土さんの絵については、本編の谷川さんの詩の世界を、独自のタッチで描いている点に惹き付けられて、「まどろみから」の、海とも宇宙とも見える魚たちの絵も印象的でしたが、「これ」の、老練さを感じさせるタッチには、この若さでこんな風に描けるんだなといった、ここにもあった、まるで『自然の成り行き』で、そうなりましたみたいな印象に驚いたと思ったら、もしかして、表紙のこれも・・・最初は写真だと思い込み、読んでいる間もそう思っていたのが、読み終えて、改めてよくよく見ると、なんと、これも絵だったことに仰天し、モンドくん凄いなーと、感嘆せずにはいられなかった、まさに三世代の異種表現コラボレーションでございました。

    • kuma0504さん
      こんばんは。

      図書連載の中でも比較的注目していた文章でした。

      でも、確かにみかこさんの問いかけには谷川俊太郎さんは全然答えていない。どこ...
      こんばんは。

      図書連載の中でも比較的注目していた文章でした。

      でも、確かにみかこさんの問いかけには谷川俊太郎さんは全然答えていない。どころか、私は、あの優しい言葉で作られた詩のほとんどが全然ピンと来なかった、ことに驚きました。これほどわからない詩に出会うのは難しい。

      それでも、流石に、本の題名になった詩はみんな重要だと思ったのでしょう。これは私にもピンときました。その時、私はレビューにこのように書いています。

      ・谷川俊太郎とブレイディみかこの往復書簡の今回は谷川さんの詩が披露される(「その世」)。

      この世とあの世のあわいに
      その世はある

      谷川さんの詩は暴力的だと思う。此岸と彼岸の間に「その世」という、静かだけど密かな風音や波音、睦言、音楽が聴こえてくる世界を、突然つくってしまった。そういえば、あっても良さそうな気さえしてくるから、「古事記」一冊つくるよりも、はるかに速く世界をつくってしまう「詩」は暴力的だ。ブレイディさんはどう返すのだろうか?


      みかこさんの言ってることは比較的よくわかりました。特にドバイの話は、当時がコロナ禍だっただけに、いろいろ考えさせられました。
      2024/03/01
    • たださん
      kuma0504さん、おはようございます。
      コメントありがとうございます(^_^)

      kumaさんのコメントを読んでいて、興味深く感じたのは...
      kuma0504さん、おはようございます。
      コメントありがとうございます(^_^)

      kumaさんのコメントを読んでいて、興味深く感じたのは、『これほどわからない詩に出会うのは難しい』で、私も全ての部分を理解できたとは思っておりませんが、それでも何を言わんとしているのかは、分かるような気がしまして、それはおそらく詩が散文とは異なり、至極曖昧なものであることと、私もレビューで引用した、谷川さんが自分と他人を、これほどまでにはっきりと区別している点にもあると思い、まさに、kumaさんの書かれた、『世界を突然つくってしまう暴力的』な一面は、そんな谷川さんの自分が思いきり出ているからだと思います。

      それが私にとっては、音楽や本の中に、ずっと浸っていたいと感じていた心境と、その新たな世界を重ね合わせることができたことにより、谷川さんの我の部分に、ちょっと共感できたのかなという気持ちを抱きまして、初めて谷川さんの詩を読んだときは、難しいと思っていたのが、読んでいく内に、私には合うのかもと思えてきた、この感じは、詩人谷川俊太郎も人間であることを感じられたようで嬉しかったですし、おそらく私の場合、彼の訳したレオニの絵本を読んでいるから、より共感できるのだと思います。

      それから、ブレイディみかこさん、とても分かりやすい文章で、新たな視点を教えてくれますよね♪
      ドバイの話、私も目から鱗でしたし、谷川さんからのキラーパスにも、割とあっさり返されていたのが、また凄いなと思いまして、彼女の場合、音楽が好きすぎて渡英したこともあって、谷川さんと共鳴する部分が多かったのもあるとは思いますがね。
      2024/03/02
  • 谷川俊太郎さん×ブレディみかさんの対談ではなく、文通という形式が密やかな感じでよかったです。
    2人の話題は時に絡まり、時にそれぞれの方向へと向かいながら、自由に進んで行きます。
    どちらも好きな作家さんなのに、同じ日本語なのに、こんなにも違う二人の紡ぎ出す言葉を噛み締めました。

  • 「その世」という言葉に惹かれ書店で手に取った
    谷川俊太郎さん、ブレイディみかこさん
    お二人とも大好きだし

    往復書簡であるがそれにこだわりなく
    手紙を綴っているのが とてもいいなあ
    返信のようでもっと自由で
    それでいて相手への敬意が伝わってくる
    とてもいいなあ

    出会わず、それぞれの暮らしを背景に重ねた
    詩と文による言葉の逢瀬
    とある

    はさまれた絵がグッとくる

    ≪ 時々は あわいの世界を 訪ねたい ≫

  • もともとブレイディみかこさんの文章が好きだし、谷川俊太郎さんも小学生の頃にガツンとやられて以来のファン。さらに奥村門土さんはご家族勢ぞろいの原画展で似顔絵を描く姿も見ている私にとって本書は夢のようなメンバー。往復書簡もだけど毛づくろいする猫だとか、草原にポツンといる老人の後ろ姿だとか水中の生き物だとか‥挿絵がほんとうに素晴らしい。

  • ページの余白や行間が多くとってあるため文量は少なく、かつ、非常に読みやすい日本語なので、サッと読める。

    ブレイディさんが書いた手紙を谷川さんが受け取り、谷川さんは受け取った手紙の一部からとあるテーマへと話題が広がる返信&詩を送る。
    それを受け取ってブレイディさんがまた別の話題へと展開する手紙を書く、といったやりとりで、往復書簡だけれども、明確に返事しあってないところが興味深い。
    詩というものは私にはあいまいで、メッセージを伝えたいのか、情景を描いているのか、それとも気持ちの吐露なのか、よくわからない(谷川俊太郎さんは好き。PEANUTSの翻訳が最高)。
    にも関わらず、この書籍を読んでいると、なぜだか心が落ち着く。
    数ページ読むだけでも、心が落ち着く。
    家事、双子育児、ささやかな仕事でバタバタしている私にとって、日々この数ページを読むことで、私の心を落ち着かせてくれたことに感謝。

  • 「静かだが、沈黙に与していない」…日々過ごしていることは命の果てに近づくことでもある。寿命が尽きたその後は、「この世」に自分はいなくなる。「あの世」に行きつくその前に、”That”でも”This”でもなく、「その世」がある。とどまることのできない、つかの間の時間。視覚も触覚も使えない。聴覚だけが働く。音楽が大気に包まれて統治している。…半世紀と少し生きてきた「散文の人」が問いかけると、一世紀近く生きてる「詩人」が詩を送る。ウィーンのヒトラーの話を持ち掛けると、「他人だらけ」と応答し、二人は書簡を終える。

  • ところどころに刺さる言葉が。そしてそこはかとないユーモアが。二人のお人柄なのでしょうか。

    p93プレイデイさんの「幽霊って元気ですよね」に吹き出しました。しかしその理由(?)言われてみると確かに。
    生きてる人間は日々起きてくるアレヤコレヤに対処するだけでだんだん一杯になって行き、余程のことでなければそんなにねちねちじっとりと恨んだり妬んだりを持続できなくなってくるように思います。特に年取ってきたら(笑)
    何事にも体力がいるというのは本当に実感しかない今日この頃で。それどころじゃない、からそんなことどうでもいいになってくるというか。
    p132谷川さん「生きる上で意味のない笑いがもしかすると訳ありの涙より強力である証」という言葉もこの一遍の中では流れるように読めてしまう一節ですが、なかなか大事な真理のような気がしてならない箇所です。

    奥村門土さんという絵描きさんを知りませんでしたが本書で知ることができたのも良かった。上手い下手より感性で描いていると感じます。お若い人なのですね。

    谷川さんの最後の詩に絶対的な個というようなものを感じます。孤独ともちょっと違う。孤独には感情が入る余地を感じますがこの詩には乾いたものを感じます。(ビールとか妻とかウェットを感じさせる言葉は出てきますが)
    他人ではないのは自分だけ、というのは言葉にすれば当たり前なのだけど誰とも取替えのきかない、どんなに親しくても愛していても信頼していても成り代わることは不可能な絶対の一つと考えたらなかなか壮絶なものがあります。(かけがえのないという言葉はありますが、その言葉はここではウェットに感じられます)
    アタマで意識することはあっても、実感としてそう感じることは日常ではなかなか稀なのではないでしょうか。日々そんなふうに感じていたら生きるのがしんどくなってしまいます。
    この詩を読んで、谷川さんはまさに本書でいう「その世」へ向かいつつあるのかもと感じました。

    トランスヒューマンなどという考え方が若い人の中に生まれているんですね。
    驚きました。肉体が存在することの苦しみ、身に沁みるというよりは体に沈むと表すほうが馴染むと感じること、幽霊は足がないけどおばけは足があることなどの本書の考察(?)を通じて体がなくなって心と思考だけの存在になるというトランスヒューマンについて考えてみたけれども、自分にはとりとめなさすぎて想像できませんでした。
    逆に死なないことの苦しみもあるのではと思いましたがどうしたっていつか死ぬ生身の私では想像できなかった。
    自分の生きてる間には多分実現しないだろうなと安心して思考停止しようと思いました。

  • 思っていたより
    話題が堅く壮大になってゆく
    思っていたより
    ブレイディさんが気軽に話す(書く)
    そして話したいことに一気に深くシフトする感じ

  • 『その世』が気になり手にとった。おふたりの往復書簡…よかった。特に、詩「午後」が。

  • 図書館で二人の名前が同じ本に書かれていることに気付き手に取る。
    中は文通だった。

    人の文通を見ること自体初めて(?)で、少し悪い気もするけどニヤけてしまうのは仕方ない。
    それに、谷川さんとブレディさんという、生ける偉人というキャスティング。

    お二人の文章が知的で、綺麗で、どうしても丁寧に読みたくなる。
    お手紙の返事の最後は、毎回 詩の谷川さん。スラスラ書いてるような詩で、手紙の返事の延長だった。

    お二人の本や話されてる姿を見たくなりました。

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著者プロフィール

1931年東京生まれ。詩人。1952年、21歳のときに詩集『二十億光年の孤独』を刊行。以来、子どもの本、作詞、シナリオ、翻訳など幅広く活躍。主な著書に、『谷川俊太郎詩集』『みみをすます』『ことばあそびうた』「あかちゃんから絵本」シリーズ、訳書に『スイミー』等がある。

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