- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000236850
作品紹介・あらすじ
この国の精神保健の明日を描くために。精神保健最先進国イタリアからの渾身のルポと、日本への提言。第1回フランコ・バザーリア賞受賞(2008年)記念作品。
感想・レビュー・書評
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臭い物に蓋をする。異物を隔離して無かったことにする。
そんなおかたづけを、治療などとは呼べない。
理解できない(する気もない)狂人を見えない場所にしまっておくだけの治療効果の無い「治療」は、矯正効果も意味も無い規律を強いる監獄に似ている。
イタリアでは1998年までに精神病院を全廃したという。
それが有効な手段になるのは、患者の人生をサポートする体制を整えてこその話。
家族に丸投げするのでも病院に閉じ込めるのでもなく、社会の中で生きていけるように社会が支援する。
医療という社会活動。病気を見張る場所から生活を助けるシステムへの転換。
患者をただ追い出すだけでは路頭に迷う。
病院を半端に残しては、重篤な病人が病院に取り残される。
この政策は、病院を完全に廃止し、すべての人が利用できるサポート体制を整えることで、はじめて真価を発揮する。
福祉関係は北欧がダントツでイタリアはどちらかといえばダメなほうというイメージがあったけれど、こと精神医療に関してはイタリアこそが世界の先を行くらしい。
とはいえ南北格差があったり、相性抜群の保守とネオリベがおててつないで逆風を吹かせたりで順風満帆とはいかない。
その辺もふくめて、変えようとする勢いや力に勇気付けられる。
バザーリアはなんだかハーヴィ・ミルクとイメージが重なる。
ひるがえって日本は半世紀遅れの(しかも逆方向の)変化を推進しようとしているらしく、知った現状にも知らなかったという事実にも滅入るばかりだ。
日本で精神医療やカウンセリングの敷居が高いのは偏見や国民性以前にシステムがお粗末すぎるってのがあるんだろうな。
滅入るエピソードはあるけれど、本自体の印象は全体にポジティブ方向に導いてくれる。
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「まとまらない言葉を生きる」荒井裕樹
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患者の人権、イタリアの政策について理解が深まった
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1970年代に精神病院を廃絶したイタリアの精神保健について、現在までの経緯を辿りながら事例として説明している。長期の取材に基づいた筆者の意見は説得力があるが、タイトルの割りには日本との対比が少なかった印象。
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海外と国内の精神医療の歴史を知ると、目を背けたくなるような事実ばかりだった。自分が患者だったらそんな場所にいたくないというだけでなく、そんな場所で働きたくないという気持ちも強く抱いた。
イタリアが精神病院を廃絶し、精神障害者を地域で支えていく仕組みを作って現在に至るまでの流れから、改革に携わった人の勇気と信念を感じた。
日本でも、精神科病床を減らそう、地域で支えていこうという言葉は聞くが、実際のところまだまだ入院に頼っているところが大きいと感じた。
イタリアのある県の精神保健局長の「人間は複雑な関係性の中で生きています。だから私たちも、利用者の生活上の複雑さに正面から向き合って解決の道を見つけます。病気の兆候を観察するのではなくて、病気の背後の人間関係だの、労働環境だの、住環境だのを理解して対処する。それが精神保健センターです。こんなことは病院ではできません」という言葉が印象に残った。
幻聴や妄想があるからといって地域と切り離して生活させるのではなく、障害を持ちながら地域の中で生きていくためにどう支えていくかが大切なのだと思う。 -
2023.10.6高橋源一郎の飛ぶ教室で紹介
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精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本
(和書)2010年08月27日 16:31
大熊 一夫 岩波書店 2009年10月7日
柄谷行人さんの書評で読むことにしました。
とても面白いです。
何が面白いかっていうと、取り組む姿勢によって全く別物に変わっていくイタリアの精神医療の現場というものが現実に存在しているということに衝撃を感じる。
日本の精神病院はなんなんだろうか?イタリアは精神病院をなくしている。その徹底性に、一切の諸関係を覆せという無条件的命令をもって終わる(マルクス)をみてしまう。人間と「宗教の批判」。宗教と精神医療というところが、なかなか明確に描かれていて面白いです。 -
日本の精神保健における私立病院主義の成り立ちと悲惨な数々の事例から、日本の精神医療の暗い歴史が生み出した監禁中心主義的性格を糾弾したうえで、精神病院の廃絶に成功したイタリア・トリエステの例を挙げ、効果が高くコスト面でも精神病院に劣らない、在宅を中心とした地域精神保健サービスによる治療が訴えられています。
日本のような実質的に治療より隔離が目的となってしまう精神病院偏重でもなく、かといって精神病院から解放された患者たちがホームレス化してしまうアメリカのように放置するわけでもない、第三の道として地域精神保健サービス網の整備によって現実的な精神病治癒が可能となっていることを明示する本書の役割は大きいのではないでしょうか。
精神病院における患者の人権を踏みにじる残酷な虐待の事例については、日本だけではなく精神病院廃絶、または縮小に進む以前の時点での欧州でも多く見られていたことも随所で取り上げられています。
以下は印象に残ったものを一部列挙しています。
・「根っからの障害者蔑視主義の院長が経営する施設強制収容所」
・職員水増しによる医療費詐欺
・懲罰のための電気ショック
・バットで殴るなども含めた、殴る蹴るの暴行による患者の死亡
・高齢の入院者が紐で犬のようにつながれていた
・取り締まる立場の地方自治体や厚生労働省が患者の味方ではなかった
・精神病院の福祉への横滑りについての危惧
・日本の精神保健は病院経営の都合が第一、患者の身の上は二の次
・「日本の行政機関は精神病院をコントロールできていない」
・日本精神科病院協会のロビー活動
・「精神の病気というより、精神病院が原因の病気の人がいっぱいいました」
・「多くの医者は実は本物の改革に乗りきではない」(病院の方が楽で高収入)
・「精神病院は必要悪」という思い込みはこのイタリア旅行で吹き飛んだ
・「死ぬまで精神病院にいろ、なんて、哀れだよね。日本は冷たい国だ」
・ホームレスの60%近くは本来なら医療の網にひっかかる人びと
・「実はここ(精神病院)は監獄なのだ」
・「大事なのは勝利ではなく、説き伏せること」
・「他害の恐れがあるかどうかは、警察の判断に任せるべきことで、精神科医の仕事ではない」
・人出と説得技術、濃厚なコミュニケーション、信頼感、連帯感、対等な人間関係
・精神病院廃絶後に精神病に結び付く犯罪が増えたという証拠はない
・「彼は、批判されようが抵抗されようが、その相手を敵とはみなしません」(フランコ・バザーリオについて)
・「精神病棟への大量収容」という社会現象が残っているのは日本社会だけ
・”発展途上国並み”の精神保健
・「日本の精神医療の主流は、いまだに私立精神病院への入院主義」
・万人の心に宿る”オッカナイ人々”という、固定観念
・「トリエステで始めた精神保健改革の一番のポイントは「狂人(マット)の復権」」 -
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