- Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000229678
作品紹介・あらすじ
「こころ」という小説は,「私」がいつ,だれに向けて書いた作品なのか.日本近代小説の中で最も読まれているテキストの中の古今東西の様々なイメージを丹念に拾い上げ,浮かび上がってくる「こころ」の謎を読み解く
感想・レビュー・書評
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たまたまレジの前に置かれていた。
夏目漱石の『こころ』は、読んでも疑問の残る小説だと思う。
それでいて、あの結末に至った、何か抗いようのない力も見えるようで、やるせなくなる作品でもある。
「私」の語りを問題提起として進められるのだが、はっきりした結論は得られない。
ただ、著者はそれが「遺書」としての語りだったのではないかと論じている。
先生から遺書を託された「私」のその後は、多く語られない。
「若かった」頃の「私」を想起しながら、先生との出会いと別れに頁を割くことの意味とは何か。
確かに面白い問題提起だな、と思う。
キリスト教からの照射の強い本論だが、振り返りの意味では良い読書となった。
時をおいてしか、感じられない想いというのは、きっとある。
筆者の言う「遺書」とは、先生のように自死を想定することもあれば、病や寿命として己の死期を悟る意味でも書かれる。
先生と同じく、死を選ぶ最中での共感の連鎖であるというなら、これほど悲しい小説はない。
でも後者であれば、意味合いは大きく変わる。
人から人へ受け継ぐものは、血であり、歴史であり、想いなんだと思う。
先生という孤独は、先生の内側世界には止まらなかった。
書くという行為を通し、結果的ではあるけれど、私たちの目に触れることになった。
先生が自分では語り得なかった告白を、人のこころを「私」に託したことを、私は希望と取りたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
はじめて「こころ」を読んだのが中学3年生のときでした。この本を読んで、自分がいかに読めていなかったのかを痛感しました。「私」「先生」「K」そして「お嬢さん」の「こころ」を、鍵語や書に書かれていないことからも含めて、深く幅広く解釈される様は、まるで謎解きを読むかのようで、「こころ」がした。
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夏目漱石の「こころ」は、国文学の中でも数多くの論文が出ている。
そのほとんどは、「先生」と「K」を中心に読み解くものがほとんどだ。
しかし、本書は、「私」に焦点を当て、読み解いていく。
“「私」はいつ語り始めたのか”という問題提起があり、読み進めていくうちに、こういう解釈もあるのだな、と。
新たな発見と知的好奇心をくすぐられた。
やはり、夏目漱石の『こころ』は、何回読み終えても、終わらないのである。 -
静に対する見方に、一番はっとさせられた。
彼女は、「私」だけでなく、「K」の心の殻を溶かしたということに。 -
19/07/03。
途中経過報告。めちゃくちゃワクワクしながら読み進めている最中。
7/21読了。亀ちゃんの落選を聞きつつ… -
出版を知って即座に購入。
「私」と「先生」の
運命がほどけていくような邂逅の様を、
丁寧に綴っていく漱石の筆致の繊細さに気付かされて胸が苦しくなった。
漱石の「こころ」は有名過ぎるばかりに、
読む前からあらすじを知ってしまっていた。
イッセー尾形氏が「先生」役をしていたドラマを昔観たせいで、
「先生」は初老の紳士など思い込んでいたが、
実際に考証してみると30代半ばあたりなのだという。
今の自分の年齢がすでに「先生」の年齢を越えている。
今なら「私」の抱いた憧憬や喪失感や、「先生」の苦悩を他人事でなく感じとれるだろうと思うけれど、だからこそ「こころ」はなかなか読めない。
若松英輔氏の紡ぐ言葉は漱石の文とはまた違った類の染み入るような感動を私に与える。
感動というか、それは痛みや切なさかもしれない。
だから数行読んでは言葉なくため息をついてしまう。
まるで自分のこころが物理的な物体で、
そこにとても純度の高いフラワーエッセンスのようなモノが染み込んでいくような。
若松英輔氏と同じ時代に生き、
その文章をリアルタイムで読める事に喜びを感じる。
そして、また漱石が自分の中で生きている、
それにも深い満足と歓喜を感じる。
沢山の人々の中に、漱石は生きている。