この人から受け継ぐもの

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (180ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000229074

作品紹介・あらすじ

吉野作造の憲法・国家観、宮沢賢治にとってのユートピア、丸山眞男の戦争責任論、チェーホフの笑劇・喜劇…。これらの思想家・作家に深く魅せられた井上ひさし氏の思いとは、いったい何だったのか。自らの知的好奇心と重ねながらそれぞれの意外な人間像を語り、その生き方と著作に今日へのメッセージを読み取る。併せて、笑いの謎とその本質に迫った傑作エッセイも収録。

感想・レビュー・書評

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  • 井上さんの本は久しぶり。この本では4名の先人について、井上さんの思うところを述べた日記や講演録となっている。登場人物は吉野作造、丸山真男、宮沢賢治、チェーホフの四人。吉野作造や丸山真男の発言等の真意や解釈、宮沢賢治の意外な一面、チェーホフの笑いの分析など、どれをとっても芯を食っているというか、大切なんだけど見落としているなポイントを指摘してくれている。この四人の著作など読み直して、もう一度味わってみたくなる。

  • 仙台市文学館で戯曲を作る際にそれだけ資料を読み込んでいるか拝見したけれど、あの独特な字でものすごい書き込みをしていて、その人物の自分なりの年表などを作り上げていたのが印象に残った。丸山先生の話に出てくる東京裁判関係資料を古本屋さんから求める熱意たるや。徹底的に資料を読み込むということの源泉を見た気がする。

  • 宮沢賢治以外、ほぼ知らない人ばかりについての話だった。
    (宮沢賢治も、大学でゼミをとったが、チンプンカンプンだった。結局一冊も読んでいない→ホントに私は日本文学科卒か!?)

    それでも、彼独特の文章で、引き込まれて読んだ。
    戦争責任の話はすごかった。

  •  井上ひさしの講演、随筆集「この人から受け継ぐもの」を読みました。

     憲法は決して押し付けられたものではなく日本人が苦労して勝ち取ったものであるという考え方、宮沢賢治観と演劇ユートピア論、昭和天皇が償うべきであった戦争責任、東京極東裁判の欺瞞性、どのぞの国の指導者の不甲斐なさ、チェーホフへの憧憬から見える笑劇・喜劇論・・・そのどれもが井上さんの目で再構築されたものとして理解しやすいものに昇華されていて、また同感できるものです。

    目 次 (出典)も追加記載しました。

    1 憲法は政府への命令
    ――吉野作造を読み返す――
    日清・日露戦争と大正デモクラシー/「立憲」を大きく、「君主」を小さく/左右から、女性からも攻撃されて/憲法は「押しつけ」でない/珠玉の政治論文
    (講演「吉野作造を読み返す」岩波文化講演会@京都会館 2003/5/24)

    2 ユートピアを求めて
    ――宮沢賢治の歩んだ道――
    父との関係、うつ状態/日蓮宗、家出、躁状態/農民運動、オペレッタ、エスペラント語/話し言葉と書き言葉/自然と和解する生き方/多面体としての人間/地上にユートピアを求めて/演劇――時間のユートピア
    (講演「なぜいま宮沢賢治か」第2回遅筆堂文庫・生活者大学校@遅筆堂文庫 1989/5/3)

    3 戦争責任ということ
    ――丸山眞男に私淑して――
    「一億総懺悔」と「御聖断」/天下に三つの会談記録/一九四五年五月、箱根/六月、四回の会談/強いられた死、幻想の回路/東京裁判をどう見るか/読み継がれるべきもの
    (講演「丸山眞男先生に私淑して」第2回復初の集い@星陵会館 2001/8/15)

    4 笑劇・喜劇という方法
    ――私のチェーホフ――
    (1) 滑稽小説家の登場
    (2) 笑劇の方法
    (3) 笑劇から喜劇へ
    (4) 喜劇作者の祈り
    (5) 人間は生きたがっている
    (原題「私のチェーホフ」@朝日新聞夕刊 2004/5/7-6/4)

    5 笑いについて
    (1) ジョン・ウェルズの笑い
    (2) アリストテレスの笑い
    (3) ルイ十六世の笑い
    (4) スクリーブの笑い
    (「図書」2002/1-2002/4 未完)

  • 「本の運命」が面白かったので。

  • 脳の成分というのが、少し前に流行っていたけど、井上ひさしさんの成分というのか源流を感じた。いのうえひさしさんを通じて吉野作造、宮沢賢治、丸山眞男に興味を持ちつつ読めた。井上さんが受け継いだものをさらに私たちが受け継いでいくのかなと思う

  • 取り上げられるのは、吉野作造、宮沢賢治、丸山眞男、チェーホフ
    の4人。井上氏が宮沢賢治を敬愛してきたことは知っていましたし、
    チェーホフも同じ喜劇作者ということでわからなくもないですが、
    吉野作造と丸山眞男については、正直、とても意外に思いました。

    もっとも、吉野作造は「民本主義」の提唱者と言われるまで「誰だ
    っけ?」という感じでしたし、丸山眞男も『日本の思想』を読んだ
    くらいで、人となりについては殆ど知りません。チェーホフだって
    似たような状況です。だから、井上氏との接点はわかりようがない。
    本書を読んで、彼等の思想や実践、その背後にある人間観や世界観
    に触れ、それで初めて井上氏が惚れ込む理由が納得できました。実
    に、実に魅力的な人物達なのです。

    特に、吉野作造には惹かれました。吉野作造は、民本主義の名の下
    にデモクラシーや国家のあり方を論じ、大正デモクラシーの思想的
    リーダーとなった人物です。その思想は、弟子達を通じて、日本国
    憲法の内容にも影響を与えたそうです。色々な社会事業を興す社会
    起業家でもありました。現実の矛盾と戦いながらも理想の社会のあ
    り方を求め続けた実践的思想家だったのです。しかし、今や吉野作
    造は完全に忘れ去られています。「今日的問題をきちんと踏まえて、
    何十年も前に答えを出している人がいた」のに、そのことは忘れ、
    その思想を受け継いだ憲法を持っているのに、「吉野作造が理想と
    した、あるいは当時説いたことが、いま実現していない」のです。

    皮肉なことです。しかし、これは何も吉野作造に限ったことではあ
    りません。宮沢賢治にしても、丸山眞男にしても、チェーホフにし
    ても、現実との折り合いを探しながら理想を追求し続けた実践的思
    想家であり、「何十年も前に答えを出している人」たちでした。な
    のに、この人達から受け継ぐべきものを、私達は本当に受け継いで
    いるのか。4人のことを語りながら、井上氏は、そのことを静かに
    問いかけてきます。最先端の情報を追い求める前に、読み返すべき
    先人達の言葉があり、受け継ぐべき理想が既に存在している。その
    ことを本書は教えてくれます。

    4人についての文章のどれも本当に素晴らしいのですが、宮沢賢治
    とチェーホフについての文章が特に心に残りました。その中で井上
    氏は独自のユートピア論を展開しています。ユートピアは制度とし
    て実現できるものでなく、空間的なものでもない。それは、時間的
    なものとして唯一成立可能なのではないか。つまり、「ユートピア
    とは別の場所のことではなく自分がいまいる場所のこと」であり、
    「そこをできるだけいいところにする」という人間の努力と関わり
    合いの中で初めて奇蹟的に生まれる「人だけがつくりあえる理想の
    時間」のことではないのか。「人だけがつくりあえる理想の時間」
    ――賢治も、チェーホフも、そして井上氏自身も、それを求め続け
    た人だったのです。

    易しい語り口調ながら、人間や社会や国家についての、とても深い
    真実を忍ばせた言葉に出会える一冊です。是非、読んでみて下さい。

    =====================================================

    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

    =====================================================

    鞍馬天狗は話し合いばかりして、人を殺さないでしょう。でも、非
    常に人気のあるヒーローが誕生しました。大佛は吉野作造の愛弟子
    です。

    吉野作造の雑文集は、いまとなれば珠玉の政治論文といっていいと
    思います。みんな忘れている思想家の中に、実は今日的問題をきち
    んと踏まえて、何十年も前に答えを出している人がいた。そういう
    人をもう一度掘り返して読むという作業をわれわれはしないといけ
    ません。

    文章以上に賢治の残した大きなものは、人間と人間以外のものとの
    かかわりについてです。

    たとえば秋晴れで、仕事はうまく済んじゃって、多少のお金とひま
    があって、外へ出ると空が青いなあなんて思うときに、空が語りか
    けてくるような感じを持つことがありますね。これが有情体験です。
    ぼくはそれを世界と和解するというふうに呼んでいます。

    賢治の童話では、人間はもちろんですが、自然のなかの全部のもの
    が人間としゃべって、人間と交流し合って、話をし合います。これ
    は賢治がわれわれの時代に残していった最大のメッセージの一つだ
    と思います。

    あらゆる万物の声を聞き、対話をしなければいけないというのが賢
    治から取り出せる大きな思想のひとつですが、これはわれわれが現
    に突き当たっている問題です。

    宇宙論といいますが、世界観といいますか、小さな花びらのなかに
    ひとつの宇宙があって、その花びら自体も宇宙の一部であるという
    考え方があります。「全てはひとつで、ひとつは全てだ」という思
    想ですが、それは普遍文化と足もとの生活の関係にもおきかえられ
    ます。(…)つまりいちばん小さいものといちばん大きなものを結
    びつける考え方を賢治はしていくのです。

    制度としてユートピアが定着すると、かならず全体主義国家になる
    という非常に悲しいパラドックスなのです。
    ですから、ぼくは制度としてユートピアを信ずる気にはあまりなり
    ませんし、おそらくそういうユートピアは絶対にできないと思いま
    す。
    ただ、ぼくが成立可能だと思うユートピアは、空間ではなく時間の
    ユートピアです。

    このメンバーで、いまここで、この並び方で、この温度で、この外
    の天気で、こういうふうに集まっているということは、宇宙がどれ
    ほど長く続こうと二度と起こらない奇蹟なのです。そういうのをぼ
    くは「ユートピア」と呼んでいます。

    それはうたかたかもしれませんが、固定された制度や国家のように、
    人間を圧しつぶすものに変質してしまうことはありません。

    彼(賢治)が農民を集めて講義をしたり、弦楽四十奏団をつくろう
    としたり、芝居をやろうとしたというのは、やるもの自体より、人
    が集まってきて、そこにできてくるなんともいえない「おまえも人
    か、おれも人だ」というような確認からはじまる、人だけがつくり
    あえる理想の時間に非常にあこがれていたのではないか、という気
    がします。賢治は、自分の立っている花巻の地で、理想や現実と闘
    いながら、必死にユートピアをつくり出そうとしました。ぼくは、
    その志を継ごうとしているだけです。

    時間としてのユートピアは、やがて崩れます。きょうの午後、この
    時間の特別の時間はなくなってしまいますが、それは皆さんの心の
    なかのどこかにカケラとなって忍びこんで、それぞれの毎日の生活
    のなかで、きっと別のまた小さな“ユートピア時間”をつくり出す
    ことになるのではないでしょうか。

    死んだ若い人たちがもう何もいえないことをいいことに、その人た
    ちを勝手に選別して、勝手に神様にして、そして、天皇のために忠
    死した者はすべて神様になると幻想の回路を作った。さらにまた次
    の若い人たちをその回路にはめ込んで死にに行かせる。僕は、こう
    いう構造は、頽廃し切っていると思います。

    みんな戦いじゃなくて、野垂れ死に、空腹、飢餓からくる病気で亡
    くなっていく。そういう人たちを勝手に靖国に祀っておいて、神様
    だとかなんとかいって、あの人たちが本当に化けて出てきたら、ど
    うするつもりなんですかね(笑)。

    ちゃんとした喜劇作者は、同じ時代を共に生きる普通の人たちの生
    活を凝視する。喜劇の題材は、普通の人たちの日々の暮らしの中に
    しか転がっていないからだ。さらに彼は(その度合いはさまざまで
    あっても幾分かは)社会改革家にならざるを得ない。自分を含む普
    通の人たちの生活を見つめているうちに、たいていの人たちが、た
    がいに理解し合うことを知らないためにそれぞれもの悲しい人生を
    送っているという恐ろしい事実を発見するからだ。
    万人に通じ合う大切な感情が共有できない、知っていながら知らん
    ぷりして結局は自己溺愛の中へ逃げ込むしかない…そういった人た
    ちの毎日が少しでもいい方へ変わってくれたらと、喜劇作者は私
    (ひそ)かに祈り始める。チェーホフもまた、この道を歩いていた。

    彼の時代の主調音は、流刑と流血と圧政と暴動である。落胆と絶望
    がその主旋律だった。そしてこの二つから生まれた疲労と憂愁の歌
    が人びとの毎日を灰色に染め上げていた。その暗い1880年代と90
    年代に、チェーホフはほがらかに現れて、笑劇や喜劇の方法で人々
    の心の内に深く分け入って行き、医療や学校建設の仕事を通して人
    びとの願いを聞き、結局のところ、人間は生きたがっている、ただ
    それだけのことなのだという真実を発見したのである。

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    ●[2]編集後記

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    先週は石巻に行って、色々な人の話を聞いてきました。

    石巻では、20代、30代、40代、50代のそれぞれの世代で、それぞ
    れに新しい動きが生まれています。震災を機に、地元から新しいリ
    ーダーが生まれ、或いは外からやってきた人々が触媒となって、新
    しい試みが始まっています。

    戦後、瓦礫の山の中からホンダやソニーが生まれ、新しい産業が育
    ったように、きっと石巻でも、そしてその他の地域でも、震災を機
    に立ち上がった新しい世代のリーダー達が新しいコトを興し、新し
    い経済や新しい街を作っていくのでしょう。

    一方で、未曾有の事態を経てもなお、世代間の溝を埋めることは容
    易ではないのだなということも知りました。会社にも街にも家族に
    も、常に同じ問題がつきまといます。世代間の価値観はどうしても
    隔たってしまう。そして世代間の対話は圧倒的に欠如してしまう。

    過去から受け継ぐべきものは何か。もはや手放すべきものは何か。
    そして新たにつくるべきものは何か。それを決めるのは、世代を超
    えた話し合いの場をおいてしかないのではないか。

    では、どうしたら世代を超えた対話の場を生み出すことができるの
    か。井上ひさしが言うような「『おまえも人か、おれも人だ』とい
    うような確認からはじまる、人だけがつくりあえる理想の時間」を
    どうしたらつくることができるのか。石巻が、というよりも、今こ
    の国全体が抱えている根本的な問題をつきつけられた気分です。

  • 8月15日前後には戦争について考える1冊を読む。「憲法は政府への命令」で吉野作造を、「戦争責任ということ」で丸山眞男を取りあげている。2人についてはよく知らないのだが、井上が語ることで彼らが果たした歴史的な役割についてよくわかった。
    他に宮沢賢治、チェーホフ、「笑いについて」の3編。
    井上ひさしから受け継ぐべきものも大きい、と思った。

  • 週刊ブックレビュー、中島たい子さんの紹介の本。ひょっこりひょうたん島は、懐メロ番組でしか見たことない僕ですが、笑いを追及した井上さんが、あの戦争を、時代をどのように考えていたのか?興味を持って読んだ。後半の笑いについてのエッセイは、笑い学・笑い史的な内容で期待していたものとは違っていた

  • (2011.07.04読了)(2011.06.22借入)
    「吉野作造」「宮沢賢治」「丸山眞男」「チェーホフ」「笑い」について、井上ひさしが考察した本です。井上さんは、けっこういろんなことに関心を持っていたということがわかります。
    章立ては、以下のようになっています。
    1.憲法は政府への命令 吉野作造を読み返す(2003年)
    2.ユートピアを求めて 宮沢賢治の歩んだ道(1989年)
    3.戦争責任ということ 丸山眞男に私淑して(2001年)
    4.笑劇・喜劇という方法 私のチェーホフ(2004年)
    5.笑いについて(2002年)

    井上さんは、2010年4月に亡くなっていますので、遺作ということになります。
    「笑いについて」は、「図書」に連載し、4回で中断しています。

    ●吉野作造の仕事(14頁)
    吉野作造は、日本にとっくになければいけないのに、まだない仕事を一人で始めます。例えば、お金がなくて産婆さんさえ呼べない産婦さんを収容する、貧民のための産院を作る。お医者さんにかかるお金がない人のための貧民病院を作る。大工さんが道具を質屋に預けて、仕事があるときは、質屋に行ってお金を払ってその道具を取り戻さないと仕事ができない、そういう人のための貧民銀行、つまり相互金庫を作る。
    ●国際連盟脱退(25頁)
    日本の心ある人たちが政治では国際的孤児になったけれども、ほかのところでは国際的なところへ入っていこうというので、一つは東京オリンピックの昭和15年開催を決めます。もう一つはペンクラブの日本支部を作って、同じく昭和15年に日本でペンクラブ国際大会を開こうということを決めます。(ペンクラブの所轄官庁は外務省です)
    ●宮沢賢治の父の職業は質屋兼古着屋(29頁)
    江戸時代から、古着屋というのは、京都で流行った着物が次の年、あるいは2~3年たって「これ、もう流行じゃないわね」みたいな感じになってから船で酒田や松前、あるいは八戸とか、東北のいろいろな所へ着きます。つまりいまの日本のアパレル業界が「これはパリで流行ってます」と言って東京の人に買わせているのと同じことで、どこかの有名ブランドの商品を地方へ売るときの、その地方の拠点が古着屋だったのです。
    ●宮沢賢治が読まれる理由(44頁)
    批評家に向け書いたり、ごく少数の劇場に向けて書いたりしているとだめで、広く、日本人すべてに向かって訴える文章であったことが、宮沢賢治がこれほどわれわれに読まれ、かついま世界中にすごい信者が増えてきている理由だと思います。
    ●一生を楽しく生きる(52頁)
    百姓はただ土を耕しているだけでは駄目であって、同時に芸術家でなければいけない。さらに同時に宗教家でも科学者でもなければいけない。一人の人間は少なくともその四つぐらいを兼ね備えないと人間として楽しく一生を送れないということを、手を替え、品を替え言っています。(宮沢賢治)
    バリ島の人たちというのは、まずヒンズー教徒であり、そして農民であり、同時に芸術家でもあります。(53頁)
    ●丸山眞男の特徴(72頁)
    常に常識的な枠組みを壊す人
    政治的イデオロギーで物事を絶対に論じない。
    道学者的な言説は絶対ふりまかない。
    ●ソ連の古いことわざ(88頁)
    男が恋の告白をせぬかぎり、年頃の娘は相手の愛の深さを測り得ず
    ●中国との戦争(98頁)
    1937年から始まる中国との戦争、軍と政府は「この中国との紛争に関しては国際法を適用せず」と言明するわけです。
    日本軍は日本兵に捕虜になる方法を教えていなかった。玉砕するしかなかった。(99頁)

    ☆井上ひさしの本(既読)
    「青葉繁れる」井上ひさし著、文春文庫、1974.07.25
    「吉里吉里人」井上ひさし著、新潮社、1981.08.25
    「私家版 日本語文法」井上ひさし著、新潮文庫、1984.09.25
    「井上ひさしのコメ講座」井上ひさし著、岩波ブックレット、1989.05.22
    「続・井上ひさしのコメ講座」井上ひさし著、岩波ブックレット、1991.11.20
    「マンザナ、わが町」井上ひさし著、集英社、1993.09.25
    「父と暮らせば」井上ひさし著、新潮文庫、2001.02.01
    (2011年7月6日・記)

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著者プロフィール

(いのうえ・ひさし)
一九三四年山形県東置賜郡小松町(現・川西町)に生まれる。一九六四年、NHKの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』の台本を執筆(共作)。六九年、劇団テアトル・エコーに書き下ろした『日本人のへそ』で演劇界デビュー。翌七〇年、長編書き下ろし『ブンとフン』で小説家デビュー。以後、芝居と小説の両輪で数々の傑作を生み出した。小説に『手鎖心中』、『吉里吉里人』、主な戯曲に『藪原検校』、『化粧』、『頭痛肩こり樋口一葉』、『父と暮せば』、『ムサシ』、〈東京裁判三部作〉(『夢の裂け目』、『夢の泪』、『夢の痴』)など。二〇一〇年四月九日、七五歳で死去。

「2023年 『芝居の面白さ、教えます 日本編』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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