- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000220798
作品紹介・あらすじ
すべての地域に文化の自己決定能力を。社会に重層性と活力を生み出すための拠点を構想する実践的文化論。
感想・レビュー・書評
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演劇はじめ、芸術に関して、私は全くの見る専なのだが、劇場法や今の劇団のあり方など、知らないことがたくさんあることを改めて実感した。
楽しむための演劇を作るのに費やされるエネルギー、費用、など初めて知ることがたくさんあり、我が国の芸術がいかに脆弱な基礎の上に立っているかを思い知った。いかにしてそれを確固としたものにしていくかを本気で考えなくてはならない。それは今回のCovid-19 での芸術に携わる人たちの困窮状況からとヒシヒシと伝わってきた。
芸術を楽しむためには不断の努力が必要だと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
特段新しい発見なし。
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(内容)演劇と都市の関係を論じている。
(文体)著者の体験に沿って言葉を選んでおり、共感しやすいという点で読みやすい。
(残るもの)芸術法や劇場法を作ってみせるという気概すごい、大卒資格の改善を実現したっていうところも強い。マジで、変えるために言い続けることを自分に課せられるってすごい、こうなりたい。 -
著者は、劇作家、演出家、大学の先生。芸術を作るヒトである。読みながら、気がついたのは、日本のまちづくりには、広場がなかったということだ。
神社やお寺には、境内というのがあり、それが広場みたいであるが、みんなが集まるような広場がなかったということに、日本のまちづくりの特徴だったかもしれない。中国の天安門広場なんぞは、実に大きく、人が集まれる。軍事パレードに使われるが、天安門事件みたいなことも起こした。広場は実に、重要だ。日本は公会堂というところが集会所になる。
本のまえがきは、宮沢賢治の『農民芸術概論要綱』の一節から始まる。「誰人もみな芸術家たる感受をなせ」という農民への呼びかけについて考察している。人は、みな芸術家なんだ。
「芸術なんて必要ない」「あんなものは、一部の特権階級の暇つぶしだ」という中で、社会の中での芸術の位置づけを明らかにしようとする。
芸術の役割は、①芸術そのものの役割。②コミュニティの維持や、再生のための役割。③教育、観光、医療、福祉など目に見える形で直接的に役立つ役割。それに、もう一つ「文化による社会的包摂」を加える。
「女川の獅子舞」から、共同体の在り方を考察する。農業は、農作業の中に、共同作業があり、そしてお祭りがある。地域ごとに、神社をベースにした祭りが、ライフスタイルに弾みをつけていた。日本的なモデルは、集団というチームプレーの良さが発揮されていた。稲作文化なんだろうね。
著者は、2012年の大阪の橋下府知事が、文楽を生まれて初めて観劇し、「つまらない。二度と観に行かない」と言って、文楽への補助金をカットする。まぁ。橋下らしい勘違い行為だ。
それは、世界遺産のバーミヤンの遺跡をタリバンが破壊した行為に似ているという。
個人が「つまらない」「わからない」ということで、知事が伝統芸能を絶やすことがいいのか?という問いかけもあって、芸術のあり様を問う。
文化資本は、三つの形態に分類されるという。①客体化された形態。②制度化された形態。資格など。③身体化された形態。①、②は、お金の力や本人の努力でなんとかなる。③身体化されたもの、礼儀作法、言葉使い、センス、美的性向は、子供の頃からの経験として積み重ねられるものだ。
東大生の文化資本の2極文化の問題。東大生になるには裕福な家庭でないと無理という客観的事実。如何なの優秀な子が、そこに飛び込んで、コンプレックスを感じてしまうほどの差があるということだ。結局「努力したら負け」という厳然たる事実。最近は、「親ガチャ」という言葉で語られる。
文化格差をどう是正するのか?を考察する。
1990年代以降、これまでの日本の強固な地縁・血縁型の社会、企業における社員旅行、社員慰安会、年功序列、企業年金などのシステムが崩壊することになった。いわゆる「無縁社会」である。
それに対して、排除する論理でなく、社会的な包摂が求められ、それが文化によるものになる。
阪神大震災、東関東大震災などを経験した中での社会包摂による復興というのが必要にもかかわらず、そのことが十分になされない。心の救済がないというあり方が大きな問題だとも指摘する。
著者は、劇場法に関わってきたので、そのことを意識して書かれている。日本には文化ホールがたくさんあるが、それが有効に使われていない。またその管理する人たちも、文化を愛していない人もいる。そういうことは、変える必要がある。もっと必要なことは、劇場が、創造と発信の場になることをだという。
この本を読みながら、あまり考えていなかった部分に光が当てられて、なるほどなぁと思うことが多かった。ヨーロッパの劇を中心とした文化政策と日本の置かれている劇の状況の格差は日本が今の時代に適応できないような気もした。創造の場を作ることが必要であり、創造する人材を育成することの方がもっと重要だと感じた。文化による社会包摂ができる社会が必要だ。 -
アートの価値がまともに受け取られていないこの社会と、その背景にある市場原理にたいする無策がよくわかる。
不況から回復できないのは、我々にとって、欲しいモノがなくなったからだという論は目からウロコだ。外資のiPhoneが最後か。
文化資本は市場原理のもとでは不要品として、かつての文楽のように、むしろ目の敵にされる。ということは地方都市に住んでいるとよくわかる。
AmazonやiTunesがあったとしても、そもそものインプットは与えられない -
これをベースに「下り坂を〜」が書かれたのだった。壊れてしまったコミュニティは仕方ないから、代替となるものを探し、受容していくしかない。それはきっと、とてもたのしい。
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平田オリザ流市民芸術概論であるが、コミュニティ形成の観点から参考になることがたくさん。「地縁・血縁だけでは排他的になりすぎる。利益共同体だけでは冷たすぎる。文化共同体が必要である」「居場所と出番」「映画ローマの休日から、ローマが一大観光地化したのは、単に遺跡を見るだけでなく、アイスを食べる、コインを投げる、スクーターに乗る、真実の口に手を突っ込むといった、直接的で複合的な体験があったから」
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劇作家平田オリザさんの文化論。
ももクロ映画「幕が上がる」が、最近では有名かな。見てないけども!
日本の成長は止まった。
地縁も血縁も弱くなっている。
だから、文化が作るコミュニティの力が大事!
というのが論旨です。
新しい広場とは、ここでは劇場のこと。
趣味でつながるコミュニティの場を、欧米で革命が起こった広場に例えています。
ぼくも文化の力はとても大事だと思いますが、少々演劇に偏りすぎでは?
音楽やスポーツは?
スイミングスクールやバレエ教室じゃダメなの?
多くの文化の中で、なぜ演劇が大切なのかということには、あまり触れられていません。
あと、1章の半分以上が、橋本大阪市長の文楽問題への批判です。
個人攻撃本か?と驚きました。
頭に来るのは分かりますが、書くところはもっと選んだ方がよいと思います。
文化行政の事例紹介や、文化保険の提案などは楽しく読めました。
30000円のオペラが、保険で9000円で観れたらステキ。
真ん中すぎたあたりから面白くなります。
うおー、長くなった。
そしてちょい批判的になってしまった。
悪い本ではありません。念のため。 -
うむむむ……日本はハコモノを作るのは上手いけれど、それをどのように扱うかと言うか、その運営のソフトは弱いと感じる。
なんというか、目からうろこが落ちまくる。
しかしながら、演劇について書かれているように思われるが社会的な組織運営、自治運営の色が濃いので、文庫化する際にはタイトルを変えたほうが売れそう。 -
バッサリと言い切る論調に、たまにドキッとするする瞬間はあるけれど、その箇所以外は極めてまっとうで安定した理論展開をしている。と感じる内容でした。
特に、芸術というものが果たす役割について、都市との関わりをベースに語られている点は、イベント事業でビエンナーレやトリエンナーレが終わらないようにするための十分すぎる指摘を含んでいます。なお、本書は外部の人間が地方に行って押し付け的な文化芸術事業を行うような取り組みとは違い、土地土地それぞれの内部から育む文化芸術についてほぼほぼ焦点が当てられており、地元町おこしを地元で考える人にぜひ読んでほしい内容。お勧めです!