- Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000220712
作品紹介・あらすじ
苛烈な"人民革命"の嵐吹き荒れるペルー。テロリストの影に怯えながら、荒涼たるアンデス山中に駐屯する伍長リトゥーマと、助手トマスの目の前で、三人の男が消えた。彼らの身に何が起こったのか?壮絶な暴力、無表情なインディオたち、悪霊をあやつる"魔女"-さらに愛すべきトマスの恋愛劇までからめながら、戦慄の結末へと展開する物語は、読者をとらえて離さない。交錯する語りのなかに、古来の迷信と残酷な現実がまじり合う、ノーベル賞作家・バルガス=リョサの世界を堪能できる一作。
感想・レビュー・書評
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治安警備隊伍長のリトゥーマは、助手のトマスとともにアンデス山中ナッコスの工事現場に駐屯していた。
最近3人の男が相次いで行方不明になる。リトゥーマとトマスの小間使いのようなことをしていた白痴男のペドリート、元商人で工事現場作業員になったアルビノのカシミーロ、工事現場監督のデメトゥリオ。
ペルー国内では、暴力革命をうたうペルーのゲリラ組織「センデーロ・ルミノーソ」と、その指導を受けている過激な若者集団の「土くれ(テルーコ)」による暴力が吹き荒れていた。帝国主義の象徴だと言って、外国人観光客やペルーの研究者を石で叩き殺し、保護区の動物たちを銃殺し、町を襲って私設裁判にかける。
行方不明者たちは、組織の民兵にされたのだろうか?
さらにアンデス山中のインディオたちには先祖代々信じられている精霊の存在もある。
ピシュターコは、洞窟に住み、人間の体から脂を抜き取る精霊だ。その人間は死ぬが、脂は車や鐘をスムーズにするために使われるという。悪いピシュターコになると人間を切り刻んで喰ってしまうという。
アプは山に住む守護精霊だ。
ペルーには、太古にインカ人により地上から消された種族がいる。その後のスペイン侵略とキリスト教伝来により、インディオの風習は消されたかのようだが、それらはキリスト教の儀式に溶け込み先祖代々の教えとして今日まで残っている。
インディオたちにとって自然災害というものは無い。工事での事故、山津波、それらは害をなすものが土地に住み、厄災をもたらせているのだ。それらをなだめるには生贄が必要だ。人間が迷惑を掛ける精霊を敬っていることを示さなければならない。報復されないよう、生き延びられるよう、事故が起きないように。
そしてインディオの儀式の中心となっているのが、工事現場近くの酒場の主人ディオニシオと、その妻で魔女と呼ばれるドーニャ・アドリアーナだ。
かつては旅芸人一座を率いていたディオニシオと、子供の頃家族を差し出したピシュターコを殺したというドーニャ・アドリアーナ。
湾岸地方のピウラ出身のリトゥーマには、山に住む人々のしきたりを理解することができずにいる。
そんな日々での気晴らしは、助手のトマスが毎晩リトゥーマに語る過去の恋物語だった。以前トマスは麻薬密売人<ブタ>のボディーガードをしていた。だが<ブタ>が娼婦を殴りつける様子を見てとっさに<ブタ>を撃ち殺してしまう。呆れる娼婦のメルセーデスとともに逃げることになる。
この逃避行、あまりにも純粋なトマスの恋をリトゥーマは夜のお楽しみとして、時には茶々を入れ、時には呆れ、時には感心しながら聞いている。
やがて大規模な山津波が来て、道路工事の中止が決まる。
リトゥーマは最後に真実を知りたいと、ディオニシオの酒場を訪れる。
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バルガス=リョサ(以下、マリオさん)は、ラテンアメリカの同じ国の中の隔たりを書いている。
「アンデスのリトゥーマ」では、現代ペルーの中に息づく太古から伝わる儀式、同じペルーでも湾岸部のリトゥーマとアンデス山中の住人たちとの風習の違い、精霊への生贄の儀式と政治に対する暴力テロ、などが並べられる。
バルガス=リョサの本では、「権力の構造と個人の抵抗や反抗、敗北を痛烈に表現」(ノーベル賞受賞理由)がとても魅力的であり、うまく行かなくても案外スッキリしたラストを迎える。この本では行方不明者についてはまあ書いてあるとおりなので、1冊かけて異なるものを説明しようとしている感じかな。しかし最後の最後に「それだけでは届かない」として行った行為が…ホラーではなくて民族学純文学で書かれるとただ気持ち悪い以上の現実さを感じてしまうので、なんともやりきれない。
そんななかで一つだけびっくりするようなハッピーエンドが訪れる。善い魂には良い結果が示された。
主役のリトゥーマだが、マリオさんは他の作品でも登場させている。
衝動的なところもあり、若い頃はかなりむちゃもするが、人の心を知り、部下からは慕われる。
リトゥーマは、マリオさんの書く「同じ国だが隔たりのある」ペルーを行き来する。湾岸部のピウラ、アンデスの山の中、内陸部のサンタ・マリア・デ・二エバ、アマゾン川。
土地や習慣の隔たりにより分かりあえなくても、現代ペルーを自分で行って見ることが許されている登場人物だ。
【リトゥーマの遍歴】
❏「ラ・チェンガ」:(という短編があるらしいが未読)20代?故郷で番長時代のリトゥーマ。
❏「誰がパロミノ・モレーロを殺したか」20代?まだ警官。
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4773892110
❏「アンデスのリトゥーマ」:伍長時代。20代?ラストでサンタ・マリーア・デ・ニエバへの赴任が決まる。
❏「緑の家」:20代〜30歳代?
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4003279611#comment
❏「つつましい英雄」:40代?太った軍曹。「緑の家」の10年後。ムショから帰って故郷でグダグダ過ごした後、また軍曹に戻ったのか。
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4309206948#comment
❏「フリアとシナリオライター」:50代で働き盛りで勲章ももらい部下からも上司からも信頼される軍曹。
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4336035989#comment詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
木村さんの「翻訳に遊ぶ」を読んでいなければ、ここまでスペイン文学の入り込むことが無かったと確信する。我ながら不思議なくらい、スゥ~っとリョサに世界に歩み入れた。いつもながら木村さんの訳は読みやすく自然体。とは言うものの「自然災害など存在しない、全ては自分らを超える意思によって決まる」と考えるインディア。それを何とかなだめるしかないから「生贄を捧げる」文化を理解しなければならぬのが解る。リョサ作品ではレギュラーのようなリトゥーマ。一か所、何となく風貌が見える描写~目深にかぶった軍帽、高い頬骨と低い鼻、半ば閉じた小さくて黒い鋭い目―うん、解る!
行方不明になった3人,いてもいなくてもいいような輩ばかり。山津波・地震・大量虐殺が当たり前の風土。大半の作業員は服装もまともだし、洗礼も受けている・・のに何故、裸の食人種のようなことが出来るんだ・・と煩悶するリトゥーマ。同時進行のトマスの恋の状況。その底流にギリシア世界の話があるとは構成が巧みだ。名前の音で??とは思っていたけれど、インカの話にディオニューソス信仰を入れ込むとは!
「個性がない」インディオ
個人は集団に呑み込まれ、彼・彼らの行動を理解するにはそこを認識しておかないと彼らの行動を正しく理解できないだろう。
そびえたつアンデス山脈を日夜眺め続けている人間を少し見えた? -
時間と場所の境界が分からなくなるクセになる文体、「アンデスの伝承の内容と現実世界との距離感のなさ」が表われている
ギリシア神話のエッセンスが効果的に取り入れられている -
ミステリ、伝奇、恋愛、自然、歴史、ノワール……
様々な要素がぎゅぎゅっと詰め込まれており、
“これぞ小説界の濃厚とんこつラーメン全部乗せや!”といったところ。
アンデス美しい風景描写と、
残忍な時代の対比が緊張感を生み、
次が見たいけど見たくない、
人を惹きつける力のある内容となっています。
ミステリーのような構成で読みやすいので、
(ところどころのエグさを気にしなければ)
他人に薦めやすい小説でもあるのかなと。
主人公は同作者のほかの作品にも出てきているようですが、
この作品から入っても違和感ないですし、
読みにくさは全くないので、ここからの入門もありだと思います。 -
リョサ独特の文章構成。
内容にはそこまでひきこまれなかった。 -
リョサ独自の文章構造に、思いがけず時間がかかりましたがようやく読了。
集団で描かれるインディオの姿が、彼らの犯した罪をしてもまだ悲しく、本当にトマシートの恋模様だけが唯一の救い。 -
アンデス山中の道路工事現場で失踪事件の謎を追うリトゥーマと、一途に恋人を思い続けるトマシートの、2つのお話が並列しています。
重苦しくやるせない謎解き、と可愛らしいハッピーエンド。 -
今も昔も人身御供
人類は、共同体の維持・持続・発展のために生贄や人身御供を必要としてきたが、それはなぜだろうか。
おそらくは共同体の成員に対してあえて「平等な人為的脅威」を課すことによって、より共同体の精神的肉体的紐帯を緊密に強化しようとする政治的な深謀遠慮によるものだろう。
「平等な人為的脅威」を天慮に置き換えるために、古代ギリシアなどでは共同体の誰を生贄にするかについて神託が下されていたが、近現代では血統や異民族や身体上の差異などに起因する共同体内部での差別が重きをなしてくるようである。
しかし時の歩みと共に共同体がゲゼルシャフトに転化しようとも、生贄による共同体維持のシステムは不滅であり、たとえば最近では芸能界を駆逐された山本太郎氏や大阪の暴力教室の自殺者などがその好例であろう。 -
複数の物語が会話の中に巧みに織り込まれて、その物語の場面が瞬時に入れ替わる手法が面白い。そして、アンデス山中に起こる数々の殺戮がどのような結末を迎えるのか、主人公の相棒の恋物語と並行して最後まで緊張感を保ち続けた。訳者解説が指摘しているように、アステカ族の生贄の儀式は「残酷で、血を好み、しかも無知だった」からということではなく、太陽信仰がその根底にあったのである。かれらの考えでは、太陽の光がなくなれば農作物が育たず、種族が滅びてしまうのである。われわれ現代人も少なからず、ある種の迷信にとりつかれている。
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『緑の家』等が未読のまま突入したが、その点は全然気にならず読めた。
ストーリーは、アンデス山中で行方不明になった三人の男についての捜査と、主人公の助手が経験した狂おしい恋の結末を同時に追っていく流れとなっている。現在と過去の会話が混ざりに混ざりながら話が進んでいくので、混乱するかと思いきや、落ち着いて読めば問題なく、むしろその過去に同席しているような錯覚さえ覚え、心地よく酔えた。ただし、「戦慄の結末」に吐き気を催し、酔いは一気にさめてしまったが(苦笑)。あとは一服の清涼剤となった幸運に持続性があることを願うばかりだ。
なお、訳者解説は最後に読んだほうがよいかと思う。