ヒトラーと物理学者たち――科学が国家に仕えるとき

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  • Amazon.co.jp ・本 (424ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000058872

感想・レビュー・書評

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  • フィリップ・ボール作ということで読んでみた
    科学者だけでなく、1930年代に一般的なドイツの人々がどのような心理状況だったかを掴むことができる
    最終的な帰結としてドイツの事例から、現代においても科学進歩への倫理的なアプローチを考察すべき、との主張で、こういった議論に興味がある人には良いテーマかと思った

  • ナチへの協力。

  • 1933年の公務員法はドイツの物理学者たちに特に難しい状況をもたらすことになった。というのも1933年の時点で彼らの約4分の1は、そしてその大半が非常に優秀であるのだが、公式には非アーリア人だったからだ。この状況は他の科学分野と比べていっそう深刻だった。なぜなら比較的新しい分野であった物理学は、より保守的で伝統的な学問分野においてユダヤの伝統を持った学問の発展を妨げているというような偏見に悩まされることは少なかったからだ。反ユダヤ法による排除に直面した者には、アインシュタインなどがいた。アインシュタインはヒトラーが政権を奪取した時にはアメリカに滞在しており、もうドイツには戻らないと明言した。

  • プランク、ハイゼンベルク、デバイを中心に…とあるが、それ以外にも実に多くの同時代の科学者が取り上げられている。デバイは前者2人と比べて知名度が低いが、かなりの紙幅を割かれている。ハイゼンベルグにも第11章が丸々割かれているが、プランクについては…筆者はプランクにちょい同情的で、余り責めたくないみたいだ。
    戦時下での学者達の道義的責任、は然程珍しいネタではないが、第12章と終章になってやっと筆者の考えが盛られる。前置き長いって。でも最終的にはアシロマ会議まで話を持って行き、コレは過去の話じゃなくて、遺伝子やらAIやらに通じると警鐘を鳴らす。
    特に印象に残るのは、ゾンマーフェルトの指導力リーゼ・マイトナーの脱出劇、パウル・ロスバルトの活躍、が生き生きと描かれる第7章から、X線から中性子の発見へと続く第8章。
    優秀な頭脳が高潔と結びつくわけではないのは自明だが、しばしばそのように後悔してしまう。むしろ、「政治的に幼稚である」ことは、科学者にとって特段恥ずべきことでは無いとの共通認識がまかり通っているらしいことを再認識すべきか。まぁでも、学者が世俗に振り回されずに、研究に没頭したいと願うのはそれほど悪いことなのか?

  • 第二次大戦中の物理学の動きについて、よくマンハッタン計画当時のオッペンハイマーのロスアラモス研究所の方の記述は見かけるのだが、それが形成される原因ともなったナチス、アーリア物理学の側の思想、政治的動きなどが描かれていて、少し全体像が見えてきた。

    権威主義的に統制された中で生まれていったアーリア物理学はある意味で絶対性、完全な客観性というものを念頭に置いたデカルト主義のようなものが原因でこのようなことになったのかもしれない。何れにせよ、学問や論理、言語といった起源に近いところにいるユダヤ系の発想は学問の深いところに根ざしているために、ある意味ではアイデンティティクライシスに陥りがちではあると思う。ヘブライズムとギリシャ文化を無視して国に固有の学問を作ろうというある意味ではアイデンティティへの希求的な行いだったかもしれず。。

    ハイゼンベルグは「私たちが見ることができることに対しても非常に正確な制限を加えている」これって直観主義と絡むな...
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ 不確定性原理
    >今日コペンハーゲン解釈として知られている量子物理学に関するその見解は数世紀にわたって続いてきた古典的先入観を諦めて数学に降伏するものだった
    ボーアの重要な概念は「相補性」。量子系に関する2つの見かけ上矛盾するような記述も異なる観測状況では正しいとされる。時には波のように見え、時には粒子のように見えることに何か深い意味があるわけではなく、その二重性こそが本来備わる性質
    >物理は当時比較的新しい分野だったのでより保守的な伝統的学問分野においてユダヤ系の伝統を持った学問の発展を妨げているという偏見に悩まされなかった

    >ボーアの重要な概念は「相補性」。量子系に関する2つの見かけ上矛盾するような記述も異なる観測状況では正しいとされる。時には波のように見え、時には粒子のように見えることに何か深い意味があるわけではなく、その二重性こそが本来備わる性質
    >ハイゼンベルグは不確定性原理によって因果律が無意味になったことをはっきり証明したと言った。決定論と因果律の完全放棄を求めた。

    ボーア:相補性、マンハッタン計画
    ハイゼンベルグ:決定論と因果律の完全放棄、ナチス

    >西洋の没落―世界史の形態学の素描〈第1巻〉形態と現実と
    >しかしこんなことがあって結局このシュペングラーは相対主義的とみなされていて。芸術や文学だけでなく、科学や数学もそれが生起した文化によって形作られ、それ以外の外では意味がなく実際理解不能...そして彼の国家主義、歴史的宿命はヒトラーに投票させたが、のちに方向を変える
    >ヒルベルトはユダヤ人数学者、理論物理学者が消えたあと政府高官に「非アーリア系が消えて、ドイツの数学はどうだ?」と聞かれて「ないも同然です」と言ったようだ
    ヘルマンワイルは形式主義から直観主義に転んだ後、ブラウワーの数学の制約の多さから再び形式主義に戻っているのか...まあ数学ってそもそも形式主義というにはある。何かしらブラウワーの持つ直観主義的数学が不完全なものだったとしても..

    >ドイツの1/4の物理学者がユダヤ系であったために解雇され、権力と影響ある幾つかの地位は常に従順であったために昇進した二流の人間によってしめられた
    「科学の自由についてのあらゆる点において、科学への奉仕は国家への奉仕でなければならず、科学的成果は人々の文化に役立たなければ意味がない」「重要なことは何が真理かを決定することではなく、それが国家社会主義の革命精神に適っているかどうか」

    ヒトラーの発言には「客観性」「自立性」「必然」と言った言い切り表現や確実性への希求が感じられる

    科学の自立性、象牙の塔的態度が原爆投下をもたらしたと結論づけている...でも昨今の専門分化は表面上は産業と協力している場合もあるけど、何か別の問題を引き起こしている節もあるよな..結局狭い専門に閉じこもるという意味での象牙の塔はおこっている。何かしら開かれた科学ではなく

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784000058872

  • 《この本を選んだ理由/おすすめコメント》
    独裁者ヒトラーと物理学者が混じり合った時、どんな国家としての科学が行われたのか、まったく想像できないので、選びました。
    (薬学部 薬学科)

  • 請求記号 420.28/B 16

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著者プロフィール

1962年生まれ。オックスフォード大学とブリストル大学で学位を取得。「ネイチャー」誌の編集に従事。『クリティカル・マス』(未訳)で2005年度アヴェンティス賞を受賞。邦訳に『生命を見る』など。

「2018年 『音楽の科学 音楽の何に魅せられるのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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