- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000013888
感想・レビュー・書評
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チェルノブイリを体験した、それでも考えることをやめていない人たちにしたインタビュー。
心に爪あとを残す言葉ばかりです。
特にリュミドーラの話。「彼がどんな目に遭っていったかではなく、私が彼をどれだけ愛していたかをお話したかったんです」新婚の、手をつながないと眠れないくらいラブラブなふたりがたった14日間でどんな残酷なお別れをしなければいけなかったのか。
涙が止まらなかったです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いきなりの衝撃
息が止まるほどの衝撃
本書を開き、序章を読んだ時の感想。
2015年ノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクサンドロヴナ・アレクシエーヴィッチは、ベラルーシのノンフィクション作家。
ノーベル文学賞を受賞した彼女の作品を読んでみたいと思って、手に取った本書。
そして、いきなりの衝撃
息が止まるほどの衝撃
これは、文学なのか?
おそらく、彼女はこのインタビューにあまり手を入れていない。
多くの人が、自らの言葉で、チェルノブイリに何が起こったか、チェルノブイリ周辺の人々の暮らしに何がおこったか。
事故対応、救援活動に入った消防隊は、そして軍隊はそこで何を経験したのか。
それらについて、彼女はひたすら話を聴く。
そして、その話をありのままに、ただ書く。書き、そして、彼らの封じ込められている、彼らの公には語らない、彼らの言葉を我々に伝えることをした。
ロシアの大地に最大の災厄をもたらした大事故は、人間に何をもたらしたのかを伝える努力をした。
私たちは、その事故から何を学んだのだろうか?
私たちは、その事故の後、なぜ、不充分な備えから、また原発事故を起こしてしまったのだろうか?
そして、いま、また、不充分な備えのまま、そしてそれが置かれるべきでは無い我々の土地で、またも原子の炎を燃やそうとするのか?
すべての国会議員、原発事業者、地方自治体の首長、地方議員、そして私たちは、彼女の作品を読むべきだと思う。
そこに何が書かれているか、改めてチェルノブイリで何がおこったのかを、認識するべきだと思う。
そして、なおそれでもまだ、現在の愚かな選択を続けようとするなら....
地雷を踏んだらサヨウナラだ。 -
実生活の中で恐ろしいことは静かにさり気なく起こる
本書の中で印象的な一文
きっと今までの歴史も終わってはじめてあの場面はそういうことだったのか、とわかるけど、
渦中の人間には何が起こってるのか、
何が起こるのかわからないんだと感じた
目に見えない災厄から自分たちを防御するには知識を得るしかない -
インタービューを通じて描き出すという独自の作風のスタイルで最初は戸惑うかも知れませんが、饒舌な言葉を知らない一般の人々の話だけに非常に重く染みとおります。
ベラルーシという私にとって聞いた事もない国がチェルノブイリ原発事故の大きな痛手を未だに被っている事実を知った驚き。そして放射能汚染された地域に今はチェチェンなどの紛争地域から逃げて来た人が住み着いているという重い現実。処理に使用されたトラック、処分された牛の行方等 まったく未知の世界を知る事になりました。読後 日本人である事を本当に幸運だと思いました。 -
1986年にそれは発生した。世界最悪と言われ、世界中が震撼した
チェルノブイリの原発事故。
本書は巨大事故に遭遇し、被災した人々へのインタビュー集である。
冒頭に登場する初期消火に当たった消防士の妻のインタビューだけ
でも、その内容は壮絶である。
自らも被曝の危険に晒されながらも、消防士ととしていち早く現場に
駆け付けた夫の看病に当たる妻。
彼女は何度も繰り返す。「幸せだったんです」と。そう、あの事故が
起きるまではささやかだけど幸せな生活を送っていた人たちなのだ。
それが原発事故で一変した。原子力発電所で何が起きているのか、
放射能はどういうものなのか。何も教えられず、危険性も告げ
られず、普段と同じ軽装のまま彼らはそこにいたのだ。
そして、突然の退去命令。
「一生働きづめで、さんざんつらい思いをしてきた。もう十分だよ。
なんにもいりません。死んだら楽になるだろうね。魂はともかく体は
休めるだろうから。娘や息子はみんな町におります。でも私はここを
離れませんよ。神さまは長生きさせてくださったが、幸せはくださらん
かった。」
汚染地帯の自分の家に戻った老婆の言葉が胸に刺さる。ニュースだけは
知ることの出来ない、人々の声だ。痛いじゃねぇか。
石棺に覆われたチェルノブイリ原子力発電所。その中には収容出来な
かった遺体が、未だに放置されている。 -
現にその場に立ち会い、運命を翻弄された人達の肉声です。個々人のユニークな体験も、これだけの規模で、これだけの人数のそれとして呈示されると、ある種の普遍的真実に変化する。科学の過信と為政者の無責任のもたらした悲劇。悲劇は繰り返す。この祈りを肝に命じよ、すべての人類!
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1986年に起きたこの事故は記憶にあるが、オイラの中ではすでに収束したものとして頭の奥にしまわれていた。地球規模で長年に渡って見守っていかなくちゃいけない痛手なのに。東日本震災の時も同じだった、しばらく経つと元通りになると思っている。そんなオイラにこうした本を読む資格があるのかと考えてしまう。興味本位であることは否定できないな。
真偽はわからないが、東日本震災の福島第一原発の処理には高額報酬で人が集められたとの話を聞いたことがある。おそらくい事実だろう。チェルノブイリでもそうした作業をした人たちがいるわけだが、そこは仕事や職業としてというよりも「ロシア人の男として」勇敢にして悲しい現実があったことを知った。国を守るために命をかけて戦うということがすり込まれている印象が残った、しかも疑いもなく。残された家族にすれば、頼もしくもあるけど情報と知識があれば違う対応ができたという想いは避けられないと思う。チェルノブイリの被災者はガンで亡くなることが多いと思っていたが、事故当時の被災者はガンというよりも本人の身体そのものが放射性物質だった。医者も不用意に被災者に近づけない状況でも構わず看護する家族の姿はオイラの想像を完全に越えている。次世代の子どもたちは生まれながらにして死と隣り合わせにいて、切ない。
事故発生後の対応で「上の怒りを買うことが、原子力よりもこわかった。誰もが命令を待つだけで自分ではなにもしなかった」という内容があった。仕事ではこうしたことは頻繁に起きている。命がとられる訳でもないのに自分の立場を守ることに終始しているようでは情けない。じゃ、有事の時はできるのか?駄目だろうなぁ。ジョークを言いながら原子炉処理に向かったロシアの男たちを英雄視していいのかわからないけど、ひとりの男としては尊敬する。 -
本書はチェルノブイリの事故から10年を経て発刊された被災者たちの証言集である。あの時チェルノブイリにいた人たちのを感情を集めた本であると私は思う。もっとも驚いたのは住民にすぐ避難指示が出されず、男たちは防護服もなく普段の作業着で、危ない状況を十分に説明もされず消火活動、除染活動にあたっていたことだ。人命軽視にもほどがある。
事故処理作業のため被曝した夫への妻の愛情。放射能の影響と思われる障害を持った子供への深い思いや心配に心を打たれた。反面、避難先で親戚であっても嫌がられたという悲しさ怖さ。社会主義体制下での都合のいい解釈、保身で事実が隠蔽される。ウォッカを浴びるように飲んで放射能に効いている信じる除染作業の男たち。汚染地帯に残された猫や犬たちを殺さなければならなかった作業員たち。 すべての生き物、自然への人間の横暴が生々しく迫ってきた。
チェルノブイリで何が起こったのか。科学的に検証がされている本ではないのでこれがすべてではない。
著者は「この本はチェルノブイリについての本じゃありません」と述べる。「チェルノブイリを取りまく世界のことについて」を読者は知る。インタビューを受けた人々は感情の語り、人間の内と外の世界で何が起きたのかと考えている。私は涙も出せないほど重く受け止めた。この時代を生きる大人として責任がまったくないとは言えないと感じたからである。
福島の事故後でさえすんなりと原発をやめられない。戦争、環境問題、民族問題、貧困、経済など複雑に絡み合い、この危ないエネルギーを人間は手放せないでいる。本書を多くの人に読んでもらいたい。放射能が及ぼす影響を知った人は世界観が変わるだろう。その力が集まり、未来へ新しい形を指し示す力になったらと願わずにいられない。
最後に私へのインタビューとして。
ヒロシマがチェルノブイリが違うように、チェルノブイリも福島とは違っていてほしい。本書に登場するチェルノブイリの子供たちは「死」を常に身近に感じ暗い目をしている。福島の子供たちがどの程度被曝をしたのかわからないが、私の母は2歳のとき、ヒロシマで被曝した。福島の子どもたちに「私は子供が産めるの」と言わせたくない。私が生まれてこれたのだから。これが私の感情である。未来に希望を持ちたい。 -
近い将来、地球は原発汚染で覆われる!それでも人間の欲の深さは際限が無い!一度手にした金蔓は容易には手放さない。
人間みんなが放射能汚染して、人間の変形した姿が普通になり、札束を食べて生きるんだろうなぁ。
なんか熊人間がいたり、三つ目小僧がいたり、顔無しがいたり!そして平均寿命は十数年ぐらいかな?
処でこの本は福島近辺や原発のある都市の学校や街などの図書館に置いてあるのかな?
原発再稼働の調印前にぜひ読んでもらいたい。