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この作品は、デジタルボイスによる朗読を使用しています。
デジタルボイスは、オーディオブック用にコンピューター生成された朗読です。
世界暦と黙示的文学が終末意識を突き動かすとき,ヨーロッパの歴史は大きく躍動した.古代末期に源流をもつ地中海=ヨーロッパの歴史を,人びとを駆動し「近代」をも産み落とした〈力〉の真相とともに探究する.「世界」を拡大し,統合した〈力〉とは何か.ナショナリズムと国民国家を超えた,汎ヨーロッパ世界展望の旅.
本タイトルには付属資料・PDFが用意されています。ご購入後、PCサイトのライブラリー、またはアプリ上の「目次」からご確認ください。
©Yasuhiro Otsuki 2024
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登録情報
再生時間 | 6 時間 44 分 |
---|---|
著者 | 大月 康弘 |
ナレーター | デジタルボイス |
配信日(Audible.co.jp) | 2024/4/24 |
フォマット | オーディオブック |
バージョン | 完全版 |
言語 | 日本語 |
ASIN | B0CWMY3S5T |
Amazon 売れ筋ランキング | - 523位Audibleオーディオブック (Audibleオーディオブックの売れ筋ランキングを見る) - 1位ヨーロッパの歴史 - 12,004位歴史・地理 (本) - 40,499位ノンフィクション (本) |
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年4月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「近代」に飼い慣らされている頭では拒絶反応もあるかもしれないな、と思いながら読みました。「古代人」や「中世人」が古代人、中世人と自称していないことを虚心坦懐に考えれば、本書の言わんとしている視座は理解されるだろう、と思います。終末期を迎えてもなお終わらない世界。この世界暦への懐疑と、世界に対する探究心が「近代」を産んだ、とする視座は魅力的でした。今後の研究の深化を期待したいと思います。
2024年2月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
キリスト教ローマ帝国というべきビザンツ帝国の指導原理は、オイコノミア、即ち神による救済の摂理であったという。その一方で、キリスト教会の堕落、即ち貪欲、酩酊、男色に関する言及はなく、ルターも登場しない。オイコノミアが指導原理であり得なくなっところに、市民社会が成立したのではないかと考えているので、本書の主張には納得しがたいところがある。
2024年3月9日に日本でレビュー済み
非常に示唆的な本でした。ヨーロッパの古代や中世を語るとき、どうしても今の国民国家体制が反映します。しかし、中世にはドイツという国もイタリアという国もありません。
著者はビザンツ史の専門家ですが、彼がいう通りユスティニアヌスやバシレイオス2世が、ヨーロッパの君主たちに、皇帝のありかた、すなわち「世界」の秩序と安寧をもたらす統治者、を伝えたことはその通りでしょう。
ビザンツ帝国は12世紀以降衰退し1453年にオスマントルコ帝国に滅ばされます、その過程で影響力を失ってゆきますが、ヨーロッパという概念は、イスラムとの緊張関係もあり、後の時代にひきつがれゆきます。
近世、近代になって、西北ヨーロッパ地域は独立した経済社会となり、国民国家が発展していきますが、二度の大戦を経て、現在、EUという形で、より広いヨーロッパ世界となって(かつてのローマ帝国に匹敵する)、我々の前に姿を現しています。
本書で語られるように、ヨーロッパ史が近代の礎となる様々な思想や仕組みをつくってきたこと、その視点は、とても重要なものだと感じました。
著者はビザンツ史の専門家ですが、彼がいう通りユスティニアヌスやバシレイオス2世が、ヨーロッパの君主たちに、皇帝のありかた、すなわち「世界」の秩序と安寧をもたらす統治者、を伝えたことはその通りでしょう。
ビザンツ帝国は12世紀以降衰退し1453年にオスマントルコ帝国に滅ばされます、その過程で影響力を失ってゆきますが、ヨーロッパという概念は、イスラムとの緊張関係もあり、後の時代にひきつがれゆきます。
近世、近代になって、西北ヨーロッパ地域は独立した経済社会となり、国民国家が発展していきますが、二度の大戦を経て、現在、EUという形で、より広いヨーロッパ世界となって(かつてのローマ帝国に匹敵する)、我々の前に姿を現しています。
本書で語られるように、ヨーロッパ史が近代の礎となる様々な思想や仕組みをつくってきたこと、その視点は、とても重要なものだと感じました。
2024年2月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本に描かれる歴史は歴史のモーターあるいは前に進ませる原動力のようなことばかりです。読んでいてなるほどとつい頷いてしまうことが僕は多いと思いました。
2024年1月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、「ヨーロッパ史」というタイトルを見て、おそらく多くの人が想像するような内容ではない。
「はじめに」では、「本書は、近代にかたち作られたこのヨーロッパ史のあり方を見据えながら、「ヨーロッパとは何か」について私の専門領域の視座から考えてみた試論である。」(本書ⅵページ)とあって、試論であるなら、想像したのとは違う内容だと言って批判される筋合いもないとは思うが、少なくとも本書は著者が専門とするビザンツ帝国を主に扱った書であり、副題でそれを示唆しても良かったように思う。ただ、副題は「拡大と統合の力学」で、これでは少なくない人はEUのことを想像するのではないかと思うが、実際に本書でEUが話題になることはほとんどない。
本書の最後の章である第5章で、「本書は、ヨーロッパ世界をどのような枠組みで観察し、その特質をどう理解したらよいのか、という問題を念頭に、「ヨーロッパ史」のあり方を省察したいと考えてきた。私はそれをまず、より広義のヨーロッパ、つまりキリスト教世界の広がりのなかで観察してみることを提案した。大雑把にいえば、古代末期と私たちが呼ぶ時代に、地中海世界の文明社会はキリスト教化し、周辺の諸民族を取り込み、彼らをも文明化した。以下でも多少立ち入って述べてゆくが、そのなかから西北ヨーロッパの地域にフランク王国を母胎とする「ヨーロッパ社会」が発展していくこととなったわけである。」(本書189-190ページ)という要約がある。これが本書の第1章から第4章の前半くらいにかけて書かれている内容となる。ここで、「ヨーロッパ社会」の発展が言及されているが、本文中では、あまり「ヨーロッパ社会」なる事柄についての議論は十分になされていない。
上記の引用文に続いて、「西北ヨーロッパ地域の人びとは、やがて「近代」と呼ばれる時代を内発的に産み落とした。そして、その活動をグローバルに展開していった。一六世紀以降の彼らの活動の展開によって、世界各地の固有な社会と摩擦を生みつつも、その合理的に洗練された作法が、いわば世界標準として普及していったのである。」(本書190ページ)とされている。このあたりの内容が第4章後半から第5章に書かれているが、これがその前の主にビザンツ帝国を扱ったところの議論と上手く接合していない。ここで唐突に、近代化の議論や「オイコノミア」の議論が展開されていくことになるのである。
あらためてAmazonの商品紹介を見ると、「世界暦と黙示的文学が終末意識を突き動かすとき、ヨーロッパの歴史は大きく躍動した。古代末期に源流をもつ地中海=ヨーロッパの歴史を、人びとを駆動し「近代」をも産み落とした〈力〉の真相とともに探究する。」とあって、確かにそう言われてみればそういう内容だったと思う。むしろ、著者はそうしたかったのだが、実際には朧げにしかそれが出来なかった。そんな、まさに試論と言えるのが本書である。
「はじめに」では、「本書は、近代にかたち作られたこのヨーロッパ史のあり方を見据えながら、「ヨーロッパとは何か」について私の専門領域の視座から考えてみた試論である。」(本書ⅵページ)とあって、試論であるなら、想像したのとは違う内容だと言って批判される筋合いもないとは思うが、少なくとも本書は著者が専門とするビザンツ帝国を主に扱った書であり、副題でそれを示唆しても良かったように思う。ただ、副題は「拡大と統合の力学」で、これでは少なくない人はEUのことを想像するのではないかと思うが、実際に本書でEUが話題になることはほとんどない。
本書の最後の章である第5章で、「本書は、ヨーロッパ世界をどのような枠組みで観察し、その特質をどう理解したらよいのか、という問題を念頭に、「ヨーロッパ史」のあり方を省察したいと考えてきた。私はそれをまず、より広義のヨーロッパ、つまりキリスト教世界の広がりのなかで観察してみることを提案した。大雑把にいえば、古代末期と私たちが呼ぶ時代に、地中海世界の文明社会はキリスト教化し、周辺の諸民族を取り込み、彼らをも文明化した。以下でも多少立ち入って述べてゆくが、そのなかから西北ヨーロッパの地域にフランク王国を母胎とする「ヨーロッパ社会」が発展していくこととなったわけである。」(本書189-190ページ)という要約がある。これが本書の第1章から第4章の前半くらいにかけて書かれている内容となる。ここで、「ヨーロッパ社会」の発展が言及されているが、本文中では、あまり「ヨーロッパ社会」なる事柄についての議論は十分になされていない。
上記の引用文に続いて、「西北ヨーロッパ地域の人びとは、やがて「近代」と呼ばれる時代を内発的に産み落とした。そして、その活動をグローバルに展開していった。一六世紀以降の彼らの活動の展開によって、世界各地の固有な社会と摩擦を生みつつも、その合理的に洗練された作法が、いわば世界標準として普及していったのである。」(本書190ページ)とされている。このあたりの内容が第4章後半から第5章に書かれているが、これがその前の主にビザンツ帝国を扱ったところの議論と上手く接合していない。ここで唐突に、近代化の議論や「オイコノミア」の議論が展開されていくことになるのである。
あらためてAmazonの商品紹介を見ると、「世界暦と黙示的文学が終末意識を突き動かすとき、ヨーロッパの歴史は大きく躍動した。古代末期に源流をもつ地中海=ヨーロッパの歴史を、人びとを駆動し「近代」をも産み落とした〈力〉の真相とともに探究する。」とあって、確かにそう言われてみればそういう内容だったと思う。むしろ、著者はそうしたかったのだが、実際には朧げにしかそれが出来なかった。そんな、まさに試論と言えるのが本書である。
2024年2月22日に日本でレビュー済み
ヨーロッパ史、欧州史、そのものというより、どのように理解するか、その切り口なり咀嚼の仕方なりを論じています。その地理範囲とはまず現代人が思い浮かべるヨーロッパより一回りひろく、何よりビザンツを忘れてはならんとその専門の先生が教えてくれます。
2024年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
長い歴史の見方について、それに、時代ごとの細かい歴史事象について学べる。ヨーロッパのみならず全世界に亘る。地図を見ながら本を読んでいました。楽しく読めました。
2024年4月22日に日本でレビュー済み
タイトルの『ヨーロッパ史』は漠然としているというか、本書の面白さを反映していない。本書は、ビザンツ帝国史を専門とする著者が書いた、ユニークなヨーロッパ論である。読む前と読んだ後とでは、ヨーロッパの見方が変わってくる。
読んでいて、驚くことが多かった。西暦(Anno Domini)が誕生したのはユスティニアヌス帝の時代で、それ以前には世界歴(Anno Mundi)が使われていたという。ちなみに、西暦一年は、世界歴五五〇九年に当たるという。
地動説で知られるコペルニクスが初めて世に問うた書物は、シモカテス著・コペルニクス訳の『道徳風、田舎風、恋愛風書簡集』だった。これは、ビザンツ文化人のひとりシモカテスが中世ギリシア語で書いた『倫理書簡集』を、コペルニクスがラテン語に翻訳した本だという。
コペルニクスがボローニャ大学でローマ法を修めたことは「よく知られている」とあったが、私は知らなかった。彼が天文学に関心を持ったのは、「暦」の研究がキッカケだったとあったが、そんなことも、この本を読むまで知らなかった。
学ばされること、刺激されることの多い一冊だったが、一点だけ、気になった箇所があった。221ページの、「かの地(ドイツ)の領邦国家体制と、日本の幕藩体制は、諸国分立の点で確かに似通っていた」という一行である。幕末における「王政復古」運動は、郡県思想に支えられており、封建制度の撤廃を目指していた。実際に明治維新は、版籍奉還(1869)、廃藩置県(1871)という過程をたどっている。むしろここでは、中央集権国家・フランスとのアナロジーが必要だったのではないか。
本書の巻末には、人名・地名・事項という三種類の索引がついている。これは、専門書にでもなかなか見られない行きとどいた配慮である。また、「あとがき」にある謝辞の対象は、編集担当者と恩師の二名に絞られていた。潔いという印象を持った。
読んでいて、驚くことが多かった。西暦(Anno Domini)が誕生したのはユスティニアヌス帝の時代で、それ以前には世界歴(Anno Mundi)が使われていたという。ちなみに、西暦一年は、世界歴五五〇九年に当たるという。
地動説で知られるコペルニクスが初めて世に問うた書物は、シモカテス著・コペルニクス訳の『道徳風、田舎風、恋愛風書簡集』だった。これは、ビザンツ文化人のひとりシモカテスが中世ギリシア語で書いた『倫理書簡集』を、コペルニクスがラテン語に翻訳した本だという。
コペルニクスがボローニャ大学でローマ法を修めたことは「よく知られている」とあったが、私は知らなかった。彼が天文学に関心を持ったのは、「暦」の研究がキッカケだったとあったが、そんなことも、この本を読むまで知らなかった。
学ばされること、刺激されることの多い一冊だったが、一点だけ、気になった箇所があった。221ページの、「かの地(ドイツ)の領邦国家体制と、日本の幕藩体制は、諸国分立の点で確かに似通っていた」という一行である。幕末における「王政復古」運動は、郡県思想に支えられており、封建制度の撤廃を目指していた。実際に明治維新は、版籍奉還(1869)、廃藩置県(1871)という過程をたどっている。むしろここでは、中央集権国家・フランスとのアナロジーが必要だったのではないか。
本書の巻末には、人名・地名・事項という三種類の索引がついている。これは、専門書にでもなかなか見られない行きとどいた配慮である。また、「あとがき」にある謝辞の対象は、編集担当者と恩師の二名に絞られていた。潔いという印象を持った。