学者のみならず、多くの文学好きの目を惹いたに違いありません。かくもスリルに富んだ文学論争を、世に言う「芥川vs.谷崎論争」を一冊にまとめてしまうとは。論争の端緒となった新潮合評会と俎上に上った両作、その後始まった両者の応酬が時系列順に掲載されています。そして芥川に向けた谷崎の胸打つ追悼文も。
編者である早大教授千葉俊二も本書の意義を強調。「福田恒存が指摘したように、この論争には小説という文学ジャンルの本質と運命とにまつわる問題が暗示されており、今日においても文学を考えるうえで多くの示唆が与えられる。」
当時の文壇で私小説が席巻し、両者にとっては非常に息苦しい環境だったようです。そんな現状を打開するため、芥川は「話のない小説」による小説の純化を、谷崎は「小説の構造的美観」重視による「筋の面白さ」を復権することで、今後の文学の可能性を主張しました。
ただこうしてまとめて読むと「文藝的なー」に書かれた芥川の主張は力強さに欠けるところがあります。
「『筋のない小説』ばかり書けと言っている訣ではない」
「僕も亦今後わき目もふらず『話』らしい話のない小説ばかり作るつもりはない。」などど言っている。それに比べ谷崎の「筋の面白さ」という主張はわかりやすく迷いがない。当時も、谷崎の主張に分があったようです。
むしろ、自分でも信じきれない主張をせざるを得ないほど、何かに追い詰められていたと読み取るべきでしょうか。芥川の闇と谷崎の楽天さが期せずして浮き彫りになっています。実りのある、そして不幸な論争集です。
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文芸的な、余りに文芸的な/饒舌録 ほか 芥川vs.谷崎論争 (講談社文芸文庫) Kindle版
昭和二年二月号『新潮』合評会での谷崎の小説に対する芥川発言に端を発し、舞台を『改造』に移して文学史上に残る〈筋のない小説〉を巡る論争が始まった。――芸術とはなにか。何が文学を文学たらしめているのか――本書では二人の文学観の披瀝と応酬を雑誌発表順に配列し、「新潮合評会」とその俎上に載った小説二篇、論争掲載中の昭和二年七月に自殺した芥川への谷崎の追悼七篇を収録する。
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登録情報
- ASIN : B07645HC32
- 出版社 : 講談社 (2017/9/8)
- 発売日 : 2017/9/8
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 2059 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 276ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 294,556位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1892-1927)東京生れ。東京帝大英文科卒。在学中から創作を始め、短編「鼻」が夏目漱石の激賞を受ける。
その後今昔物語などから材を取った王朝もの「羅生門」「芋粥」「藪の中」、中国の説話によった童話「杜子春」などを次々と発表、大正文壇の寵児となる。西欧の短編小説の手法・様式を完全に身に付け、東西の文献資料に材を仰ぎながら、自身の主題を見事に小説化した傑作を多数発表。1925(大正14)年頃より体調がすぐれず、「唯ぼんやりした不安」のなか、薬物自殺。「歯車」「或阿呆の一生」などの遺稿が遺された。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年11月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
谷崎と芥川龍之介の小説論があったり、芥川龍之介の死に対しての谷崎の文章とかがのってます。
まだ深く読んではないですが、こういうものを買うかどうか考えるのに至った人は考えずに買っても問題ないのではないでしょうか。
まだ深く読んではないですが、こういうものを買うかどうか考えるのに至った人は考えずに買っても問題ないのではないでしょうか。
2018年7月21日に日本でレビュー済み
有名な論争です。
そして、昭和の末頃に、吉田凞生先生が講義の中で、一中気質と三中気質は異なるのです、と触れていらしたことを想い出しました。
そして、昭和の末頃に、吉田凞生先生が講義の中で、一中気質と三中気質は異なるのです、と触れていらしたことを想い出しました。
2017年9月23日に日本でレビュー済み
谷崎は物語作家であり、芥川は体質的には詩人であった。それがこの論争の基本的な構図である。どちらが正しいとか、優れているとかいう問題ではない。ただ芥川にとって分が悪いのは、彼はあまりに理知的であるがゆえに詩人に徹し切れなかった。だからどうしても歯切れが悪くなる。本心では谷崎のような物語性の意義を認めながら、自分にその才能がないことを自覚してもいた。古典に題材を求めた「本歌取り」では優れた芸術的完成を成し遂げたが、オリジナリティに欠けていたのだ。それが華々しいデビューを果たした芥川の晩年の焦りでもあったし、彼を死に追いやった原因の一つであることは間違いない。いずれにせよ、二人は自らの創作と本書のような批評を通じて、大正期の日本的私小説を乗り越える二つの方向性を指し示したと言えるだろう。その意味では論争の勝敗を論ずることに殆ど意味はなく、二人がそもそも論争しなければならなかったかどうかさえ疑問である。
2019年6月24日に日本でレビュー済み
有名な谷崎と芥川の論争の収めた一冊。特に『饒舌録』の文庫化はこれが初ではないか。論争のきっかけである「新潮」昭和二年二月号の合評会も抄録ながら読める。要するにここで芥川は谷崎の作品を批判し、谷崎の反論を呼んだのだが、お互いに一、二回の応酬を加えるだけで、問題となった「筋」とは何かのような深い議論にまで発展せず、芥川は西洋詩について語り始め、谷崎は人形芝居がどうとか言い始め、論争なぞどうでもよくなったのか二人とも別の話題に流れていき、まもなく芥川は自殺した。その後も続いた『饒舌録』には、芥川の葬儀後、作家たちと小石川の偕楽園に集まり、そこで「芥川は作家として不向きだった」などと水上瀧太郎と会話したことが書いており、谷崎の冷たさが伺える。どうせなら芥川が褒めた志賀直哉の『焚き火』を併録すればなお良かったかも。
2021年11月19日に日本でレビュー済み
「VS.」というのは編集部の方でつけたのではなかろうか?そもそも、ここに収められている議論は、「論争」というような性格のものではない。たまたま谷崎が「時評」を頼まれ(本人は「時評」など書くつもりはないと断ってから「饒舌録」をはじめているが)、開陳した持論に、たまたま新たな文学を模索していた芥川が、自戒をこめて異論を唱えただけのものである。そもそも2人は友人であり、文学に於いても近代日本において少数派だった反自然主義の立場にいたのだから。第一、芥川は谷崎が切り拓いた道を通って文学界に入って来た、いわば盟友といってもいい関係だったのだから。ところが、当時の芥川は、“拵えもの”でしかない小説に飽き足りないものを感じていた。だからと言って、所謂“末期の眼”でもって、小説の将来を見通すことはかなわなかった。ただ、谷崎のいうような文学観のままでは小説の将来はない、と断じたかったのだ。それは、自らの前半生で散々試みた末に違和感を持つに至ったものでしかなかった。そして、日本の文芸全般を見渡して小説こそが文学の精華であると思い決めた自分にとって、“拵えもの”としての小説ではいかにも物足りなかったのだ。しかし、芥川に自らの依って立つ場はなかった。“筋のない小説”“純粋な小説”“最も詩に近い小説”などという何とも朦朧とした言説が当時の誰に理解できるというのだろう。いわば、芥川は小説というものに生涯を賭している盟友の胸を借りて、自らもまだ見えぬ文学を観通したかったのだろう。見ようによっては、何とも甘ったれた所業ではある。だが心身ともに崖っぷちに立っていた晩年の芥川にまだ燻っていた見えない小説の将来を見たいという欲をぶつける相手は谷崎以外にはいなかったのだろう。谷崎のほうも、まさか相手が自死を考えているとは思わないまでも、尋常ではない芥川の鬼気迫る議論に対して、今まで明解にしてこなかった自らの文学観を組み立てることを強いられることになった。このことが谷崎潤一郎の後半生における豊饒な文学を生むきっかけになったことは間違いない。それでは、芥川の未知の文学観は?千葉俊二氏のいうように「アンチロマン」へと結実していったのか?もちろん、それは一つの結実かもしれない。しかし、それだけではないはずだ。谷崎潤一郎の指し示した道が花田清輝や山田風太郎、種村季弘や中野美代子といった人たちにその痕跡をとどめているように、芥川の未知の文学観も横光利一、埴谷雄高、吉田健一、丸谷才一といった人たちのなかにも確実に受け継がれていったと思われるし、まだまだこれからも継承していく人たちは後を絶たないと思われる。少なくとも、ここでの論議は、そういう“可能性としての文学”を示唆していたと思われる、といったら穿ちすぎだろうか。