数年ぶりに真剣にスミスを聴いたついでに、モリッシーってまだソロで頑張ってるんだ、everyday is like sundayやsuedeheadくらいしか知らない、ソロはファーストしか聴いてない、なんと十枚近くもソロを出してたことすら知らなかった。で、この本を読んで、へーこんな名曲あったんだ、こんなこと歌ってたんだ、イギリスってそうなんだ~と英語のまったく出来ない日本人だから、今さらとっても勉強になり、とっても楽しく読むことができました。あとがきの義兄の話も素晴らしい話でした。
でもしばらく通勤でモリッシーのソロ聴いてたけど、いいんだけど、んん~、音がねぇ、歌はうまいけど、彼のカラオケ聴いてるみたいで、すぐ飽きてしまいました、november monsterもaction is middle nameもnational discoも、すぐに飽きてしまった、音がやっぱり、ダサい、ときめかない、面白くない、だからソロ聴くんならスミス聴くことにしました。申し訳ない!!queen is deadやstrangeを何度も聴いたほうがいいや、ごめん!

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いまモリッシーを聴くということ (ele-king books) 単行本(ソフトカバー) – 2017/4/28
ブレイディみかこ
(著)
英紙から“国宝級"とまで呼ばれるロックスター、
その素晴らしい矛盾をいま聴くこと──
人気コラムニストがディスクガイド形式で描く、かつてないザ・スミス/モリッシー論
ブレグジット後の「いま」だからこそ響く、もうひとつのUKポップ・カルチャーと地べたの社会学
----------
「これはアンオフィシャルなブレグジットのテーマだ」
「クソ左翼のバカな見解にすぎない」
このふたつのコメントは、この歌詞がいかに正反対の解釈で読まれる
ことが可能かということを端的に示している。左と右、上と下、グロー
バリズムとナショナリズム。いろんな軸が交錯し、いったい誰がどっち
側の人間なのやら、従来の政治理念の枠では語りづらくなってきた英国
のカオスを、モリッシーは12年前にすでに予告していた。(本文より)
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その素晴らしい矛盾をいま聴くこと──
人気コラムニストがディスクガイド形式で描く、かつてないザ・スミス/モリッシー論
ブレグジット後の「いま」だからこそ響く、もうひとつのUKポップ・カルチャーと地べたの社会学
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「これはアンオフィシャルなブレグジットのテーマだ」
「クソ左翼のバカな見解にすぎない」
このふたつのコメントは、この歌詞がいかに正反対の解釈で読まれる
ことが可能かということを端的に示している。左と右、上と下、グロー
バリズムとナショナリズム。いろんな軸が交錯し、いったい誰がどっち
側の人間なのやら、従来の政治理念の枠では語りづらくなってきた英国
のカオスを、モリッシーは12年前にすでに予告していた。(本文より)
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- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社Pヴァイン
- 発売日2017/4/28
- 寸法12.7 x 1.7 x 18.8 cm
- ISBN-104907276796
- ISBN-13978-4907276799
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商品の説明
著者について
ブレイディみかこ Mikako Brady
イギリス・ブライトン在住の保育士・ライター・コラムニスト。
著書に『アナキズム・イン・ザ・UK』『ザ・レフト』(Pヴァイン)、
『ヨーロッパ・コーリング』(岩波書店)、『THIS IS JAPAN』
(太田出版)、『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)、ほか。
イギリス・ブライトン在住の保育士・ライター・コラムニスト。
著書に『アナキズム・イン・ザ・UK』『ザ・レフト』(Pヴァイン)、
『ヨーロッパ・コーリング』(岩波書店)、『THIS IS JAPAN』
(太田出版)、『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)、ほか。
登録情報
- 出版社 : Pヴァイン (2017/4/28)
- 発売日 : 2017/4/28
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 256ページ
- ISBN-10 : 4907276796
- ISBN-13 : 978-4907276799
- 寸法 : 12.7 x 1.7 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 43,121位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 61位洋楽楽譜・スコア・音楽書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年6月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2017年5月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
元は日本にいたけど、イギリスの人と結婚したらしい方で、保育士をしながらコラムを書いてらっしゃるという著者のMorrissy論。
という上記の様なMorrissy氏のSmiths時代からソロ最新作までのディスクレビューでありますが、よく読むと少し違う読み方も出来る評論で、Smiths/Morrissy氏の今までの曲の中からその時代のイギリスの状況を読み解いたイギリスの社会学の評論の様に思いました。
文脈から立ち上ってくるイギリス社会の変遷や政治状況を克明に描きつつ、その中でMorrissy氏が歌詞にして果たした役割や他人から期待された役割を、微に入り細を穿つ文章で描いた労作に思えました。中にもちょっと触れられていますが、80~現在までのMorrissy氏の詩が果たした役割がBob Dylan氏が世界で果たした役割のイギリス版であったらしい事が如実に判る、軽く書かれておりますが、内容の濃いエッセイか社会評論だと思いました。
個人的にはSmithsのカタログは大体持っておりますが、Morrissy氏がソロになってからのアルバムは中途半端にしか持っていないし、Smithsのアルバムは今でもよく聴くけど、ソロはたまにしか聴かないし、両方とも英語が判らないので音だけ楽しんでいる、コアなファンから怒られそうな人間なのですが、この本を読むとMorrissyという人が単なるアーティストを超えて、イギリスその物を体現する巨大な存在である事が判ります。
著者によるとこの人に歌詞を全て丹念に読むと様々な矛盾を抱えた方だそうで、私もかねがね「Meat Is Murder」と歌っているけど、病気になったら動物実験で改良された薬は服用するかとか、Smiths時代の印税配分を巡っての裁判等で色々矛盾を抱えた、ClashのJoe Strummerと似た感じの人に思っておりましたが、この本を読んで長年の疑問というかMorrissyという人の事が理解できた感じで、一種のカタルシスを覚えました。この辺はまぁ読んだ人様々に解釈されるとは思いますが。
Smiths/Morrissyというアーティストに関して、今までは日本に住んでいる評論家の方が書いた物で理解してきたので、この方の様に実際にイギリスに住んで、その生活からSmiths/Morrissy氏の歌詞を読んできたという方の読解ではあまり読んでこなかったので、今までの自分の理解の仕方を反省しないといけなくなりました。でもまぁこれは私に限った事ではないとは思いますが・・・。それと、今はもう音楽を聴くのがストリーミングが主流で、私みたいにアルバム単位でダウンロードして聴くのも守旧派らしいし、昔みたいにCDを買って歌詞対訳を読む事も殆どなくなったので、アーティストの歌詞を理解する為の翻訳サイトなんかが出来ると嬉しいのですが、私が知らないだけでそういう物があれば教えてほしいです。あまり関係ないですが、昔JUlian Copeのインタビューで自分にとっては歌詞が重要で曲はどうでもいいと言っていた記憶があり、多分Morrssy氏もそうかもしれないと思うので。
個人的に印象に残った部分がSmithsの名前をつけた部分で、過去の連続殺人事件を通報した若い夫婦の名前からの引用でその夫婦がその当時はスタイリッシュに見えて話題になり、それが巡り巡ってSonic Youthの「Goo」のジャケのイラストに使われたとか、アルバムを発表した頃のイギリスのトピックスの中に「Mr.ビーン」が始まった事が記載されていたりと、そういうトリヴィアっぽい所も面白かったです。
著書の方に関しては本書を知るまで全く知りませんでした。己の不明を恥じます。他にも面白そうな物を書いてらっしゃる様なので金に余裕があれば読んでみます。
日本のMorrissy/Smiths論を再定義する画期的で刺激的な社会評論でした。必読。
という上記の様なMorrissy氏のSmiths時代からソロ最新作までのディスクレビューでありますが、よく読むと少し違う読み方も出来る評論で、Smiths/Morrissy氏の今までの曲の中からその時代のイギリスの状況を読み解いたイギリスの社会学の評論の様に思いました。
文脈から立ち上ってくるイギリス社会の変遷や政治状況を克明に描きつつ、その中でMorrissy氏が歌詞にして果たした役割や他人から期待された役割を、微に入り細を穿つ文章で描いた労作に思えました。中にもちょっと触れられていますが、80~現在までのMorrissy氏の詩が果たした役割がBob Dylan氏が世界で果たした役割のイギリス版であったらしい事が如実に判る、軽く書かれておりますが、内容の濃いエッセイか社会評論だと思いました。
個人的にはSmithsのカタログは大体持っておりますが、Morrissy氏がソロになってからのアルバムは中途半端にしか持っていないし、Smithsのアルバムは今でもよく聴くけど、ソロはたまにしか聴かないし、両方とも英語が判らないので音だけ楽しんでいる、コアなファンから怒られそうな人間なのですが、この本を読むとMorrissyという人が単なるアーティストを超えて、イギリスその物を体現する巨大な存在である事が判ります。
著者によるとこの人に歌詞を全て丹念に読むと様々な矛盾を抱えた方だそうで、私もかねがね「Meat Is Murder」と歌っているけど、病気になったら動物実験で改良された薬は服用するかとか、Smiths時代の印税配分を巡っての裁判等で色々矛盾を抱えた、ClashのJoe Strummerと似た感じの人に思っておりましたが、この本を読んで長年の疑問というかMorrissyという人の事が理解できた感じで、一種のカタルシスを覚えました。この辺はまぁ読んだ人様々に解釈されるとは思いますが。
Smiths/Morrissyというアーティストに関して、今までは日本に住んでいる評論家の方が書いた物で理解してきたので、この方の様に実際にイギリスに住んで、その生活からSmiths/Morrissy氏の歌詞を読んできたという方の読解ではあまり読んでこなかったので、今までの自分の理解の仕方を反省しないといけなくなりました。でもまぁこれは私に限った事ではないとは思いますが・・・。それと、今はもう音楽を聴くのがストリーミングが主流で、私みたいにアルバム単位でダウンロードして聴くのも守旧派らしいし、昔みたいにCDを買って歌詞対訳を読む事も殆どなくなったので、アーティストの歌詞を理解する為の翻訳サイトなんかが出来ると嬉しいのですが、私が知らないだけでそういう物があれば教えてほしいです。あまり関係ないですが、昔JUlian Copeのインタビューで自分にとっては歌詞が重要で曲はどうでもいいと言っていた記憶があり、多分Morrssy氏もそうかもしれないと思うので。
個人的に印象に残った部分がSmithsの名前をつけた部分で、過去の連続殺人事件を通報した若い夫婦の名前からの引用でその夫婦がその当時はスタイリッシュに見えて話題になり、それが巡り巡ってSonic Youthの「Goo」のジャケのイラストに使われたとか、アルバムを発表した頃のイギリスのトピックスの中に「Mr.ビーン」が始まった事が記載されていたりと、そういうトリヴィアっぽい所も面白かったです。
著書の方に関しては本書を知るまで全く知りませんでした。己の不明を恥じます。他にも面白そうな物を書いてらっしゃる様なので金に余裕があれば読んでみます。
日本のMorrissy/Smiths論を再定義する画期的で刺激的な社会評論でした。必読。
2018年1月22日に日本でレビュー済み
インタヴューは1本も収められておらず、タイトル通り、ディスク・レヴューの形態を取りつつ、ザ・スミス~ソロ名義で出たオリジナル・アルバム(2枚のみコンピレーションを含む)を、時系列に沿って1枚ずつ丁寧に検証してゆく趣向。
歌詞を中心に記述、サウンド面はあまり詳しくないようで深みに欠け、プロアマ問わずプレイヤーの読者には物足りないだろうが、アコギ主体とかオーケストラがフューチュアされているとか、各アルバムの概括的ニュアンスは伝わって来ないでもない。
リリースされた年ごとに、イギリスで起こった主な出来事を政治経済メインに表記。
それが、レーガノミクスと寄り添ったサッチャリズムへの批判、及びその政権下で生きる労働者階級出身青年の屈折した想いから始まった言葉選びの変遷を探る背景として機能している。
著者は1965年福岡市出身の女性。
渡英後にアイルランド人と結婚して一児を儲け、保育士をしながらライター稼業も。
この世代の女性にありがちなモリッシー・フリーク風側面は否定できないものの、そこに留まらず、年齢の加算と英国での生活経験からしっかりと地に足が着いたレポートにもなっていると思う。
例えばP113、「Would you like a cup of tea?」は、著者が勤務する保育園では禁止だそうだ。
英国と言えば、植民地インドから搾取した茶が定番と思いがちだが、外国人保護者は紅茶を飲まず、ミドル・クラスの多くはコーヒーを飲む時代なので、最初から紅茶限定で訊くのはおかしく、排外的(原文ママ 普通に排他的でいいと思うが)な響きがあるからとのこと。
ここには書いていないが、日本に比べてコンビニが少ない分スタバは日本以上普通にあるし(日本と違ってSはなし、要注意)、ネロやコスタ、プレタマンジェなどカフェだらけで、こういうモリッシー以外の記述が意外と面白く、「あるある」や「えー、そうなの」感覚で読めて楽しい。
歌詞や対訳をあまり読まず、ポップあるいは抒情的な旋律に乗せたモリッシーの繊細かつ伸びやかな歌声で、“私の王子様”風に思い込む日本のミーハー乙女な想像力を揶揄する気はない。
しかし、本書にあるように、バンド名の血腥い裏事情や初期ジャケットの意味、歌詞の題材が、5人の子供たちを性的虐待の末惨殺したムーアズ殺人事件、イーストエンドで強盗や放火や冷酷な殺人を重ねた双子のクレイ兄弟との関連等を知ったら、ちょっと驚くかも。
結局、著者が言わんとするところは、相反する意味が同時に成立するとも解釈できる歌詞の二面性、両義的な豊饒性と、時間軸の経緯によって立場や主張が微妙にスライドしてゆくような、そうではないような、そのミステリアスな魅力といったところかも。
本編もさることながら、P243~の“あとがきにかえて”に登場する、半引き籠りのTという男の生涯が気になった。
還暦を過ぎても推定童貞(実弟の弁)、縫いぐるみと添い寝し、幼い頃から死ぬまでずっと苛め・カツアゲ・ゆすり・たかり等、あらゆる暴力と掠奪の対象となり続け、障碍を持った女の子連中からも金を巻き上げられていたという。
彼の葬儀後、会食の場となったパブに大音量で流れるザ・スミスの「ディス・チャーミング・マン」。
不覚にも、涙ぐみそうになってしまった・・・
歌詞を中心に記述、サウンド面はあまり詳しくないようで深みに欠け、プロアマ問わずプレイヤーの読者には物足りないだろうが、アコギ主体とかオーケストラがフューチュアされているとか、各アルバムの概括的ニュアンスは伝わって来ないでもない。
リリースされた年ごとに、イギリスで起こった主な出来事を政治経済メインに表記。
それが、レーガノミクスと寄り添ったサッチャリズムへの批判、及びその政権下で生きる労働者階級出身青年の屈折した想いから始まった言葉選びの変遷を探る背景として機能している。
著者は1965年福岡市出身の女性。
渡英後にアイルランド人と結婚して一児を儲け、保育士をしながらライター稼業も。
この世代の女性にありがちなモリッシー・フリーク風側面は否定できないものの、そこに留まらず、年齢の加算と英国での生活経験からしっかりと地に足が着いたレポートにもなっていると思う。
例えばP113、「Would you like a cup of tea?」は、著者が勤務する保育園では禁止だそうだ。
英国と言えば、植民地インドから搾取した茶が定番と思いがちだが、外国人保護者は紅茶を飲まず、ミドル・クラスの多くはコーヒーを飲む時代なので、最初から紅茶限定で訊くのはおかしく、排外的(原文ママ 普通に排他的でいいと思うが)な響きがあるからとのこと。
ここには書いていないが、日本に比べてコンビニが少ない分スタバは日本以上普通にあるし(日本と違ってSはなし、要注意)、ネロやコスタ、プレタマンジェなどカフェだらけで、こういうモリッシー以外の記述が意外と面白く、「あるある」や「えー、そうなの」感覚で読めて楽しい。
歌詞や対訳をあまり読まず、ポップあるいは抒情的な旋律に乗せたモリッシーの繊細かつ伸びやかな歌声で、“私の王子様”風に思い込む日本のミーハー乙女な想像力を揶揄する気はない。
しかし、本書にあるように、バンド名の血腥い裏事情や初期ジャケットの意味、歌詞の題材が、5人の子供たちを性的虐待の末惨殺したムーアズ殺人事件、イーストエンドで強盗や放火や冷酷な殺人を重ねた双子のクレイ兄弟との関連等を知ったら、ちょっと驚くかも。
結局、著者が言わんとするところは、相反する意味が同時に成立するとも解釈できる歌詞の二面性、両義的な豊饒性と、時間軸の経緯によって立場や主張が微妙にスライドしてゆくような、そうではないような、そのミステリアスな魅力といったところかも。
本編もさることながら、P243~の“あとがきにかえて”に登場する、半引き籠りのTという男の生涯が気になった。
還暦を過ぎても推定童貞(実弟の弁)、縫いぐるみと添い寝し、幼い頃から死ぬまでずっと苛め・カツアゲ・ゆすり・たかり等、あらゆる暴力と掠奪の対象となり続け、障碍を持った女の子連中からも金を巻き上げられていたという。
彼の葬儀後、会食の場となったパブに大音量で流れるザ・スミスの「ディス・チャーミング・マン」。
不覚にも、涙ぐみそうになってしまった・・・
2018年8月8日に日本でレビュー済み
アルバムは元より、写真集やら発言集の本や、来日があれば東京から福岡に遠征する程度にはモリッシー/スミスのファンである。また、ストーン・ローゼズ映画のあまりにも素晴らしいレビューでファンになり、「アナキズム・イン・ザ・UK」は何度も読み返してボロボロになった程度にはブレイディみかこファンである。
なのでこの組み合わせを知ったときは非常に衝撃でずっと楽しみにしていた。
実際読んでみて、これはなかなかに、評価の難しい本である。ブレイディ氏は自身も著作で書いているように元々スミスファンではなかった。恐らく著者がイギリスに在住して感じた左翼/右翼の対立や、ロンドン暴動、キャメロン元首相の発言などを考える上で、モリッシー/スミスが次第に興味深くなっていったのだと思う。
なので基本的にあくまでもイギリスという国を考える上でのテキストとしてモリッシーの政治的な歌詞を扱ったのであり、多くのファンが大切にするモリッシーの私的な世界には、あまり興味が無いように感じられた。それを痛感したのは、「viva hate」のレビューで「late night,maudlin street」について触れていなかったことだった。私にとってそれは信じられないことで、やっぱり興味は「bengali in platforms」や「Margaret on the Guillotine」なのだ。また、少し話は変わるが、アラン・ホワイトが作曲から抜けて、明らかにメロディがいまいちになっている「World Peace Is None of Your Business」を高く評価してるのも、「どんな政治的なことを歌ってるかにしか興味ないんだなー」と思ってしまった。
くどくど書いたが、数少ないイギリスという国を知る本としては良書だと思う。ただ、熱心なモリッシー/スミスファンであればあるほどモヤモヤとする本だ。悩ましい。
なのでこの組み合わせを知ったときは非常に衝撃でずっと楽しみにしていた。
実際読んでみて、これはなかなかに、評価の難しい本である。ブレイディ氏は自身も著作で書いているように元々スミスファンではなかった。恐らく著者がイギリスに在住して感じた左翼/右翼の対立や、ロンドン暴動、キャメロン元首相の発言などを考える上で、モリッシー/スミスが次第に興味深くなっていったのだと思う。
なので基本的にあくまでもイギリスという国を考える上でのテキストとしてモリッシーの政治的な歌詞を扱ったのであり、多くのファンが大切にするモリッシーの私的な世界には、あまり興味が無いように感じられた。それを痛感したのは、「viva hate」のレビューで「late night,maudlin street」について触れていなかったことだった。私にとってそれは信じられないことで、やっぱり興味は「bengali in platforms」や「Margaret on the Guillotine」なのだ。また、少し話は変わるが、アラン・ホワイトが作曲から抜けて、明らかにメロディがいまいちになっている「World Peace Is None of Your Business」を高く評価してるのも、「どんな政治的なことを歌ってるかにしか興味ないんだなー」と思ってしまった。
くどくど書いたが、数少ないイギリスという国を知る本としては良書だと思う。ただ、熱心なモリッシー/スミスファンであればあるほどモヤモヤとする本だ。悩ましい。
2017年6月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
恐らく膨大な情報の中から適切な部分が選りすぐられている。読んでいて頭の中にスーッと染み込んでいく感じがするのは、筆者のコミュニケーション能力が高いためだろう。あまり聞き込まなかったアルバムもラックから引っ張り出したくなった。もう一人の異端アーティスト、モーマスについても評論していただけるとうれしい。
2017年9月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
薄っぺら。トークショー聞いたが、本人の自己矛盾正当化を延々と聞かされしんどかった。左翼が菜食主義とか決めつけだわ。
英国に住んでるってだけで、モリッシーにインタビューもしたことない人が自伝などをもとにレビューしただけ。ありがたく読む人がいるならば、日本のガラパゴスを象徴している。購入して後悔。
英国に住んでるってだけで、モリッシーにインタビューもしたことない人が自伝などをもとにレビューしただけ。ありがたく読む人がいるならば、日本のガラパゴスを象徴している。購入して後悔。
2017年8月24日に日本でレビュー済み
この本を読んでいて、何度か落涙しそうになりました。モリッシーの怒りと優しさは常に表裏一体でそれは怒られそうですが非ベジタリアンのわたしにも共感を与えてくれました。
少なくとも、作者のモリッシーについての論評は優しく、痛いほどの愛が伝わってきました。
モリッシーは英国における山本周五郎のようだ、と感じた時には堰を切ったように涙が溢れてきました。
少なくとも、作者のモリッシーについての論評は優しく、痛いほどの愛が伝わってきました。
モリッシーは英国における山本周五郎のようだ、と感じた時には堰を切ったように涙が溢れてきました。