禅でも、宗教でも、宗教者と呼ばれる方々より、それらを知る希有な人。
ある宗教者が「池田晶子が超えられなかったことを私は超えられた」と話していたが、超えるとか超えないとか、池田さんはそんなことを問題にもしていない。実にシンプルだね。
宗教者は遠回りしたり、させたり、かえって惑わせたり、金儲けに用いたりするけど、宗教者が要らないほどのことが書かれてある。
南都北嶺な宗教者には一生知ることが出来ないシンプルなことが綴られている。
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事象そのものへ![新装復刊] 単行本 – 2010/2/2
英語版
池田 晶子
(著),
わたくし、つまりNobody
(編集)
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結晶のような「考える文章」―
思考の発生と運動を、非人称かつ詩的な言葉で刻みつけ、
天才の登場を鮮烈に告げた記念碑的作品。
哲学の巫女・池田晶子の仕事はここに始まる!
*本書は、1991年7月刊行に法藏館書店より刊行された『事象そのものへ!』(ISBN: 4831871850)の新装版です。刊行に際し再度の校訂をなし、著作一覧・略歴を付しました。
思考の発生と運動を、非人称かつ詩的な言葉で刻みつけ、
天才の登場を鮮烈に告げた記念碑的作品。
哲学の巫女・池田晶子の仕事はここに始まる!
*本書は、1991年7月刊行に法藏館書店より刊行された『事象そのものへ!』(ISBN: 4831871850)の新装版です。刊行に際し再度の校訂をなし、著作一覧・略歴を付しました。
- 本の長さ222ページ
- 言語英語
- 出版社トランスビュー
- 発売日2010/2/2
- ISBN-104901510789
- ISBN-13978-4901510783
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商品の説明
著者について
池田晶子(いけだ あきこ)
1960年生まれ。慶應大学文学部哲学科卒業。専門用語による「哲学」についての論ではなく、哲学するとはどういうことかを日常の言葉を用いて示し、多くの読者を得る。著書に『14歳からの哲学』『あたりまえなことばかり』『人生のほんとう』『リマーク1997-2007』(トランスビュー)『新・考えるヒント』『オン!―埴谷雄高との形而上対話』(講談社)『41歳からの哲学』(新潮社)ほか多数の著作を残し、2007年2月23日死去。
1960年生まれ。慶應大学文学部哲学科卒業。専門用語による「哲学」についての論ではなく、哲学するとはどういうことかを日常の言葉を用いて示し、多くの読者を得る。著書に『14歳からの哲学』『あたりまえなことばかり』『人生のほんとう』『リマーク1997-2007』(トランスビュー)『新・考えるヒント』『オン!―埴谷雄高との形而上対話』(講談社)『41歳からの哲学』(新潮社)ほか多数の著作を残し、2007年2月23日死去。
登録情報
- 出版社 : トランスビュー; 新装復刊版 (2010/2/2)
- 発売日 : 2010/2/2
- 言語 : 英語
- 単行本 : 222ページ
- ISBN-10 : 4901510789
- ISBN-13 : 978-4901510783
- Amazon 売れ筋ランキング: - 446,137位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1960年(昭和35年)8月21日、東京生まれ。1983年(昭和58年)3月、慶應義塾大学文学部哲学科倫理学専攻を卒業。文筆家と自称する。池田某とも。「哲学エッセイ」を確立して、多くの読者を得る。2007年(平成19年)2月23日死去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『事象そのものへ!』(ISBN-10:4901510789)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年3月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
池田さんのものを読むなら、核心から読んだ方が良い。『あたりまえなことばかり』(トランスビュー)の「走りながら考える」の箇所にジョギングしながら閃いたことを「家に飛んで帰ると、着換えるのももどかしく、トレパン姿のまま一気に書き下ろした」のが、『事象そのものへ』(トランスビュー)の「第一章『論理篇』」であると書いてある。この本こそ池田さんの核心本である。「Ⅰ 事象そのものへ!」が往相であり、「Ⅱ 応用編」が還相である。読解できたら池田さんの地平に逢着したのである。池田さんの他の全ての本は理解できる。
2010年2月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
30歳の時に書いたあとがきで、「当初の予定では、一気呵成に書き上げて、あとは砂漠に消えてしまうつもりだったのに」とある。
序と第二編については、「うさばらし」と謙遜しているが、序と第二編を「うさばらし」と卑下できる程に、本編はすばらしいといっているのだと思う。(序は、当時の彼女の文章を読むであろう、当時の限定された人たち向けであるので、今の人にとっての意味は小さく、読み飛ばしても可である。が、彼女の自己紹介でもあるので、最後には一読されたい。第二編は女性についてと禅についての論ふたつ)
一気呵成に書き上げるつもりが、5年かかっているが、5年分の仕事は、本編には詰まっている。
中身は難しいが、後年わかりやすさを第一にして書いている著作と違って、20代での全力を注いで、書きたいことをというか、書くべきことを書いてある。これを書いたらもう思い残すことは無いってことを書いている。
そういう意味では難解であるが、書くべきことだけを書いているという点ではわかりやすい。
本編は5つからなる。私流の言葉で言うと次の5つである。
「存在」「意味が伝わるということ」「物質宇宙」「個人」「個人を導くもの(神)」
名言も数々ある。
この世には人間しかいない。
思考によって思考について思考する。あるいは、意味によって意味について意味させる。
つぶやかれないつぶやきで、宇宙は充ちているだろう。等々
一冊で彼女の全部を知ろうとするには、いい本である。そして、知ることができるのは、若さに溢れた20代の彼女である。
序と第二編については、「うさばらし」と謙遜しているが、序と第二編を「うさばらし」と卑下できる程に、本編はすばらしいといっているのだと思う。(序は、当時の彼女の文章を読むであろう、当時の限定された人たち向けであるので、今の人にとっての意味は小さく、読み飛ばしても可である。が、彼女の自己紹介でもあるので、最後には一読されたい。第二編は女性についてと禅についての論ふたつ)
一気呵成に書き上げるつもりが、5年かかっているが、5年分の仕事は、本編には詰まっている。
中身は難しいが、後年わかりやすさを第一にして書いている著作と違って、20代での全力を注いで、書きたいことをというか、書くべきことを書いてある。これを書いたらもう思い残すことは無いってことを書いている。
そういう意味では難解であるが、書くべきことだけを書いているという点ではわかりやすい。
本編は5つからなる。私流の言葉で言うと次の5つである。
「存在」「意味が伝わるということ」「物質宇宙」「個人」「個人を導くもの(神)」
名言も数々ある。
この世には人間しかいない。
思考によって思考について思考する。あるいは、意味によって意味について意味させる。
つぶやかれないつぶやきで、宇宙は充ちているだろう。等々
一冊で彼女の全部を知ろうとするには、いい本である。そして、知ることができるのは、若さに溢れた20代の彼女である。
2021年5月19日に日本でレビュー済み
論理、詩、科学、心理、神と論考を進めて、鮮烈である。キリスト教の神の死後、宇宙には神も悪魔もないのではなく、全て自分であるという地点につれていく(自他一如)。そして、物質を創造する私の心は、はじまりも終わりもなく宇宙は私の見る夢という。さらに、宇宙は物質ではなく論理であり、論理に従い思考する精神と言い切る。まさに、ヘーゲルのいう「絶対精神」と共鳴する。20代で綴ったという処女作に、すでに後の書籍群の核が凝縮され、哲学・精神の極致が垣間見られることに驚くばかりである。
2016年7月22日に日本でレビュー済み
事象そのものへ(法藏館出版)を所持しています。これもそうなのですが、池田晶子さんが亡くなってから出版される書籍というものは、わたくしつまりNobodyにより、新装復刻版だの、編集作業、校訂、切り貼り等々様々な作業が懸命に行われています。私はこれらの行為には強く失望し、残念極まりないです。池田さんは「言葉は命である」「言葉は精神にほかならない」など「言葉」には命、情熱をかけていた方であり、彼女は「本物の文筆家」です。それを他人が編集作業して出版するという行為、とても理解できません。「言葉」というものをどのように考えているのでしょうかね。他者が池田晶子さんの「言葉」をズタズタ作業等するのは「言語道断」と思います。何も編集することなく文庫本で良かったのではないでしょうか。
2014年10月31日に日本でレビュー済み
亡き池田晶子氏にとって、詞は音とテンポなのである。後の作品群には内容あるいは意味の方に重き置いているがこの作品は、意味などは解る人だけが解ればいい、第三者を寄せ付けない物があり読みにくい。それが己の考えを突き詰めた上で表現した文体なのだ。これは池田晶子そのものだ。
凡人たる常人には解らないのは当然。
ひょっとしたら亡き池田晶子氏は空海なのか?
凡人たる常人には解らないのは当然。
ひょっとしたら亡き池田晶子氏は空海なのか?
2007年8月22日に日本でレビュー済み
この書物には、ヘーゲル、小林秀雄、禅、あるいは、脳科学の知識等、
池田晶子が池田晶子なりに得たであろうエッセンスを散りばめながら、
池田晶子からの存在理由を語っている。
しかし、その語りは、明確でありながら曖昧であり、簡潔ながらも複雑であり、
渾然一体となった秩序と混沌になっている。
人間が生きている以上、なぜ、という問い掛けは、永遠に続く。
それは、死すべき宿命を担った肉体を伴いながら、発せられていく。
無限は有限、宇宙は人間、神は私、そのまた逆も然り。
ほんの些細な出来事や当たり前のことに、時に深い不可思議と感動を
覚えるのも、そういうことからかもしれない。
「なぜ空は青い?」
「青いから」
この答えに辿り着く道程は、それぞれで異なると思う。
残念ながら池田晶子は、もうこの世にはいない。
しかし、こんなことに思いを巡らせてくれる書物が、
この、「事象そのものへ!」、である。
池田晶子が池田晶子なりに得たであろうエッセンスを散りばめながら、
池田晶子からの存在理由を語っている。
しかし、その語りは、明確でありながら曖昧であり、簡潔ながらも複雑であり、
渾然一体となった秩序と混沌になっている。
人間が生きている以上、なぜ、という問い掛けは、永遠に続く。
それは、死すべき宿命を担った肉体を伴いながら、発せられていく。
無限は有限、宇宙は人間、神は私、そのまた逆も然り。
ほんの些細な出来事や当たり前のことに、時に深い不可思議と感動を
覚えるのも、そういうことからかもしれない。
「なぜ空は青い?」
「青いから」
この答えに辿り着く道程は、それぞれで異なると思う。
残念ながら池田晶子は、もうこの世にはいない。
しかし、こんなことに思いを巡らせてくれる書物が、
この、「事象そのものへ!」、である。
2010年2月13日に日本でレビュー済み
本書あとがきで池田さんはそう述べる。まっとうなことをまっとうなことばで、真っ正直に語りたかった、とも。そして自らの試みを学術用語で言い換えると、”世界に生起する諸事象を普遍的意識による個別的現象形態として認識し、それら全事象の存在論の、詩的言語による体系化の試み”となると述べられている。ここで気が付いた。池田さんが文章を綴る感覚は、詩を書いている、という感覚なのだと。砂漠に消えたランボーのような。自身が詩人でもある大峯顕氏との対談にて”この人は本質的に詩人じゃないか”と指摘されてもいるではないか。
そして小林秀雄が自分の仕事を述べた「常識の深化」こそ哲学の発生するところだという気づきからアプローチする、本書末尾の「禅についての禅的考察」は又、禅的考え方への最高の道しるべだ。宝石の原石のような20代の池田さんの言葉が、確かな手応えでもってここにある。
そして小林秀雄が自分の仕事を述べた「常識の深化」こそ哲学の発生するところだという気づきからアプローチする、本書末尾の「禅についての禅的考察」は又、禅的考え方への最高の道しるべだ。宝石の原石のような20代の池田さんの言葉が、確かな手応えでもってここにある。