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環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y 30) 新書 – 2001/5/1
- ISBN-104896915364
- ISBN-13978-4896915365
- 出版社洋泉社
- 発売日2001/5/1
- 言語日本語
- 本の長さ270ページ
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
戦争が歴史家の主たる関心事であったころは、古代史や中世史は戦術によって決定されたと考えられた。環境破壊への認識が深まる現代に、環境問題こそが歴史を決定したという新たな史観が生まれるのは、歴史とはそもそも現在の問題関心から読み解かれるものである以上、実に適切な学問運動にほかならない。本書は世界史の決定要因は環境問題であったことを鼎談形式で論じている。現代への憂慮と歴史への洞察が環境要因という共通項で時空を超えてつながるところに知的な迫力がある。
まず、私たちヒトの起源。すべてのヒトの起源はアフリカ大陸の断層の東側で2足歩行を始めた人類であることがDNA分析などで明らかになっているが、大陸の東側が上昇し、西側が沈下してできたこの大地溝帯の東側でのみ、ヒトはなぜチンパンジーと分かれて2足歩行をするようになったのか。
理由は雨。壁ができたことで、西側からの湿った空気が雨になって西側に降ってしまい、東側のケニアなどの高地は乾燥した。確かに雨が降り続けばどうしても体を前かがみにして内臓が冷えないようにするであろう。また、メスの胸には子がしがみつき、子がぬれないようにするために2足歩行になりにくかったのかもしれない。
2足歩行になると視界が開け、敵を早めに察知する知能が加速度的に発達し、またメスは子を腕で抱いて守るようになるので子孫の生存率が高まり、「出アフリカ説」の通り、遠くまで歩いて広がり、繁殖した。
その後、様々な文明の興亡があるが、衰亡の共通点は環境変動であるという。インダスの古代文明は、アーリア人の侵入で滅びるが、彼らのアグニ神は火の神で、彼らは森林を焼きながら東へ移動し、飢餓が多発したので釈迦による救済の思想が広まった。古代ギリシャ・ローマでは青銅器や船を作るために森林伐採が進み、土壌中の水分が減少して彼らの農法である天水農業が維持できなくなって征服戦争が頻発し、帝国の衰亡につながるキリスト教が浸透した。
その修道院は中世において大量の熱量を必要とするステンドグラスや金属の生産拠点にもなって森を破壊する。その果てでペスト禍が繰り返しヨーロッパを襲うが、その猛威はアルプス以北では抑制され、文明の中心が北上する。その理由は、アルプスに森が残り、ペスト菌を媒介するネズミを食べるフクロウとオオカミが生息し続けたからである。森から出ることが文明化であると人は信じてきたが、実は、森こそが文明を守ったのだと教えられる。
(上智大学教授 猪口 邦子)
(日経ビジネス 2001/09/03 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
-- 日経BP企画
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : 洋泉社 (2001/5/1)
- 発売日 : 2001/5/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 270ページ
- ISBN-10 : 4896915364
- ISBN-13 : 978-4896915365
- Amazon 売れ筋ランキング: - 774,755位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 123位新書y
- - 1,013位世界史一般の本
- - 96,804位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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湯浅赳男氏のことは知らなかったが、石弘之氏の方は「 感染症の世界史 」とかを読んでいて、知っていた人なのでちょっと驚いた。
この本は鼎談の中でご三方が、どんな本を読んでいるかを知っていくところが大変面白いのだが、どこかのレビューされた方の述べている通りで、リテラシー(読み解く力)が無い人は読むと危険だ。何より雑談や脱線がかなりあったと思われて、私が読んだ第4刷では結構加筆訂正がされていて、文章がコンパクトにまとめられていて、ぶつ切りになった流れが少々気になった。実はこの時代にはまだジャレド・ダイアモンド「 銃・病原菌・鉄 上下 」がベストセラーになる前の本だったことを知っておくべきだ。正直ジャレド・ダイアモンドの強引な因果論にうんざりする所もあるし、細かいところで指摘自体に間違いもあるので、私は好きではない。まだユヴァル・ノア・ハラリの方がましだ。けれど欧米社会の人が上から目線で書く世界史にはどこか「傲慢」があるのだ。
それはこの本でも端緒が見えるが、「地球環境破壊の張本人のヨーロッパ人たちが何抜かしてるんじゃ!」という。この三方はそれに対しては「愛国心」故なのか共通して怒りを禁じ得ないと思われる。2001年の段階でここまで議論出来たのはかなり良い方とは思う。あれから18年経過しても世界は悪い方向に進んでいることは誰もが同意するだろう。
湯浅氏は高齢の為か以後の著書が見当たらないが、石弘之氏は「 感染症の世界史 」という名著を出し、安田喜憲氏も「 人類一万年の文明論 」を上梓したのでまだ議論は続いている。湯浅氏はその頃は盛んだった、マルクス経済学に背を向けて学際政治からは孤立して新潟に引っ込んだ様だ。ベルリンの壁が崩壊し、ソ連が崩壊したことで、マルクス経済学の中身にも疑問が出され、表舞台に立つことが出来た感じだ。なぜなら湯浅氏の主要な著書は90年代以後ばかりだからだ。パラダイム・シフトが起こったからそうなったのだ。
この本で書かれている内容の1/3は知っていることで、主に知らなかったのは古代中国のことや、奴隷に関することだ。正直奴隷の歴史は、共感性羞恥のある私は、考えるだけで気分が悪くなるからあまり調べる気が起こらなかったし、古代中国の場合、改竄や歪曲の情報も多いので、裏付けを取るだけで苦労しそうなので敬遠していた私にはちょっとありがたかった。スラブの語源がslave(奴隷)なのは、ユダヤ人が仲介して、ヨーロッパ諸国の諸侯や王族が東欧での白人を奴隷としてイスラムに売り渡していたという根拠に基づくのはなるほどと思った。ビザンチン帝国(東ローマ)がイスラムとの交易で資源も無い国が何を交易の材料にしていたかが判明した。
ユダヤ教に改宗したハザール(カザール)国は、ユダヤ人商人を派遣して北のシルクロードで中国やイスラムの貴金属を交易していた事実がある。これはこの本には書いてない。私が調べた。比較的ビザンチン帝国とは友好な関係であったので、皇帝コンスタンティノス5世の妻もビハール・カガンの娘イレーネーであった。こういうのを日本でも戦国時代では人質と読んで人材を差し出したことがあるが、日本でも鎌倉時代では飢饉から人身売買を黙認していたこともある。だが日本の場合は貧しさ故だったり、昔の東北の様に差し出すものが無い場合のやむを得ない事情の方が多い。だが西欧やイスラムでは奴隷は立派な「商品」であり、特に一神教の国がそうだとこの三方は言って憚らない。けれど奴隷交易は実はアフリカのダホメ国でも立派に通用していたし、この国もそれを承知していた。奴隷といえばローマ帝国は有名ではあるが、イスラム諸国も実はペルシアの時代から、奴隷はかなり取引されていたことは今の歴史書で嫌がって書かれていないが事実かなり実績のあったことだ。
こういう歴史書でタブー視していることを、堂々と述べてくれるところは好感が持てる。ヨーロッパ式の農法は実は「奴隷」を前提にしか成り立たない農法だと述べているが、その通りだろう。機械化が進んだから大規模な農場の管理が工業生産的で合理的な感覚を持つが、実際は逆で、かなり土壌や作物から見れば乱暴な農法なのだ、あれは。
悪名高いプランテーションなども、家畜の様に農業の仕事に従事させるが、企業のシステムもどこか社員を奴隷というか家畜の様に扱う面が否定出来ない。「社畜」という言葉もあながち的外れではない(笑)。
石弘之氏が「日本は食料の六割、木材の八割、水産物の四割、大部分の地下資源やエネルギーの九割以上を海外に依存しているからです。そんな他人まかせの国が、どうして自分たちのシナリオを描けるでしょうか!日本は破局のシナリオしか選べない」と述べているが、これぞ良く言ってくれたと私は評価したい。そうなのだ。沖縄の人にしても、領土問題にしても、本当の意味で「自活」を宣言しない限りは、日本の政治家は「去勢された豚」も同然なのだ。アメリカに戦力を依存しなければ、地政学的には中国に侵略されるのは日本の方だろう。こんなことは中学生でもわかる。
「現実」を見ましょう。現実を直視することでしか道は開けない。楽観的思考にはうんざりなのだ私は。現実を直視出来ないなら、人類は滅んだ方がよいというのは、この本を読んでさらに確信が出来た。
例えばiPhoneに使われる電池の銅でもどうやって採掘されているかと少しは調べたことがありますか?アフリカの炭鉱で手も同然で掘り進んでいるんですよ!それを中国のバイヤーが買い付けてアップルの下請けの生産工場に何食わぬ顔で納品している。アフリカ人の作業員達は銅による汚染で死者が後を絶たない。中国は産業革命時代のヨーロッパの搾取システムをアフリカで模倣しているのだ。私がユヴァル・ノア・ハラリに共感が持てた数少ない議論は「家畜」に関する内容で、日本人も最近の豚コレラで殺処分が起こったのことで、ちょっとは生命観を踏まえて考えて欲しいものだ。こんな有様では過去のヨーロッパ人のことを批判出来ないと思う。
最後に江戸時代の春画を研究しているイギリスの研究者の話があったが、恐らく断言していもいいがタイモン・スクリーチ氏のことだろう。翻訳された本で「 春画 片手で読む江戸の絵 」という本が読める。「片手で読む」とは中々秀逸な副題を付けるものだ(笑)。江戸時代の次男、三男坊は結婚できるチャンスが少なかったので、自分で「抜く」ために必要だったと書かれているが、この本もその内容が書かれている。間違いないだろう。
あと「去勢」の文化が日本に入って来なかった点に関して疑問が出ていたが、確かに宦官はイスラムや中国、あと中世ヨーロッパでは聖歌隊のカストラートなどに見受けられる。これはまだ不明だが、家畜の去勢から生み出されたのではないかと述べている(「タマ抜き」のことをごちゃごちゃ言う人もレビューの人にいたけれど、荒川弘「 百姓貴族 コミック 1-5巻セット 」を読めば家畜を飼う上で、これは避けて通れない道と知るべきだ。因みにペットの去勢も避けて通れない(笑))。逆に子供を産ませるために、割礼の儀式もユダヤ教にあるし、イスラム教の一派で女性の小陰茎を切除する風習があると聞くが、日本ではそういうことをするのは極道の人達位しか考えにくい。通底するものがあるのだろうが、どうにもこの辺の理由がわからない。
あと、食物のタブーの発生の理由であるが、マーヴィン・ハリスは「 食と文化の謎 」で一つの回答を出している。そして、無意識的に集団が「正当化のバイアス」を用いて、それを選択して決定したのではないか、というのが私の仮説だ。
かなり美品でした。
このシリーズの「ミルクをのまない文明」は、エクセレント。
しかしその本質は、新橋のガード下で歴史好きの中年サラリーマンが集まって、言いたい放題の歴史解釈をして盛り上がっているのと変わらない部分がある。鼎談と言う形式の長所でもあり、短所でもあるが、大胆な仮説が無造作に提示されて、十分な検証もされないままに放置されている部分は多い。毀誉褒貶相半ばするところだろう。
だが物事の本質はしばしば、学会での論文発表などよりも、酔漢の戯言の中にこそ見出せるものでもある。現状では決して歴史の“教科書”として使うことは出来ないが、“教科書”と併読することによって、我々の歴史や文明の本質に対する理解を深めることが可能になるのではないか。2001年の段階で、ここまでの議論が出来ていたということには、歴史的な意味もある。
文明史や環境史に関してある程度のリテラシーを持っていて、自分なりの批判を加えながら読める人にはお勧めしたい本。逆に、ここから勉強を始めようという方には、かなり危なっかしいところがある本である。
ただ、最後の方で精神論のようになってしまうのが、残念。結論が出ないこともあるので、こんな終わり方をするなら、読者に考えてみてほしいと投げかけてもよかったのでは。
学問分野横断的なまったく新しいアプローチで、我々に新たなパラダイムへの転換を迫ります。
それによると、文明は生まれたときから環境と戦っており、それは今でも続き、
しかもその戦いはますます激しくなっているということになります。
さらに後半では、現代文明の基礎となり、我々が常日頃からその恩恵を受けている、
近代西欧文明がいかに環境に対して多大な負荷を与える性質を持った文明であるのか
ということが、一部感情的にもなりながらも滔々と述べられます。
どうも本書を読む限りでは、早晩この現代文明社会は環境の壁にぶち当たり、
大転換を迫られることになりそうです。
環境史という視点がないと、100年以上のスパンを見据えた温暖化問題も
エネルギー問題も南北問題も経済成長問題も、論じることはできないのです。
というか、20万年前から現在までの! しかも、地球のあらゆる場所にわたっての! 気宇広大な対話の連続であり、てんこ盛りだと言ってもいい。普段、ちまちましたことばかり考えている人だったら、読みながら軽いめまいを覚えるだろう。あるいは、わけのわからない開放感を覚えるだろう。
ここで、私が「おお!」と驚愕したお話のいくつかを引用!!してみたい気持ちにも駆られるが(毒ガスの製造が人口の爆発を誘発したとかね)、まあ、そういうエピソードがすべて、の本なので書くのはやめときます。ただ、これくらいでっかいスパンでものごとを見ている学問分野はないと思われるのに、文学の話も自然に出てきたりします。新書の対話形式ということを考えると、これだけの情報量を詰め込んだ編集者のご苦労がしのばれます。
あと、この本が、スケールだけはあの『銃・病原菌・鉄』と気分的につながっていることを指摘しておこう。なんといっても、どちらの本も、扱っている時間や空間がメチャメチャ広い。たとえば、『銃・病原菌・鉄』でも、オーストラリアやユーラシアや南北アメリカ大陸に、大型の動物が存在しない理由を検証していた。つまりそれは、!!どう見ても、環境というよりは殺戮的な性格をもった人間による虐殺だったということを。そのことは、この本でも触れられています。
瑣末な生活に疲れたときに手にとってみるといい本だと思います。