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長尾先生、「近藤誠理論」のどこが間違っているのですか? 単行本(ソフトカバー) – 2015/7/30
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日本一わかりやすい、〝絶対後悔しないがん治療〟論。
ステージⅣで助かる人もいる。転移後に長生きする人もたくさんいる。がんを放置したほうがいい人もいる。
近藤誠理論には、概ね正しいところと、明らかに間違っているところ、そして未知のところが混在している。
二元論で切り捨てられる話ではない。そして彼が、現代医療に鳴らした警告とは?
近藤誠理論を通して、がんとは何か? がん治療とどう向き合うのが正しいか? を、わかりやすくお話しします。
―――近藤誠氏と医療界、長尾は一体、どっちの味方やねん!? と思われる方もいるに違いない。
特に、医療者の方が読んだのであるならば。はっきり言おう。僕は、どっちの味方でもない。悩める患者さん側に立ちたいだけだ。
あくまで現場の視点から患者さんに、勧めるべきこと、勧められないことをつぶさに検証していくしかない。
本当に選ぶべき道は、二元論ではなくて、中庸にある。僕はずっと中庸論を言い続けてきた。
極論ばかりがまかり通る世の中で、中庸論は目立たないけど、真実はそこにしかないから――― 長尾和宏(本書より抜粋)
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社ブックマン社
- 発売日2015/7/30
- 寸法18.8 x 12.8 x 1.4 cm
- ISBN-104893088483
- ISBN-13978-4893088482
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商品の説明
出版社からのコメント
◆がんは、「がんもどき」と「本物のがん」の二つに分けられる?
◆早期発見、早期治療 が有効な人とは?
◆転移≒死と考えてはダメ!
◆高い奏効率が期待できる第二、第三世代の分子標的薬って?
◆漢方療法をあなどるな!
◆余命宣告は医師からの脅迫だった?
◆逸見政孝さんの悲劇は、現代はもう存在しない!?
◆抗がん剤を拒否したら腫瘍マーカーの数値が10分の1になった人がいる?
◆しかし、がん放置療法で後悔している人もいる!
◆勘三郎さんの手術は失敗だったのか?
◆後期高齢者ならがんの放置はアリ!?
◆近藤誠氏は必要悪? 彼が現代医療に鳴らした警告とは?
~「放置していたら今はない!」余命半年と宣告されて四年目。ステージⅣスキルス胃がんを元気に生きる女性との対談も収載~
著者について
複数医師による年中無休の外来診療と在宅医療に従事。医療法人裕和会理事長、長尾クリニック院長。
医学博士、日本尊厳死協会副理事長、日本慢性期医療協会理事、日本ホスピス在宅ケア研究会理事、
日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医・指導医、日本禁煙学会専門医、日本在宅医学会専門医、
日本内科学会認定医、関西国際大学客員教授、東京医科大学客員教授。
『平穏死 10の条件』『抗がん剤 10のやめどき』『ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!』
『家族よ、ボケと闘うな!』『長尾和宏の死の授業』(すべて小社)など著書多数。
登録情報
- 出版社 : ブックマン社 (2015/7/30)
- 発売日 : 2015/7/30
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 240ページ
- ISBN-10 : 4893088483
- ISBN-13 : 978-4893088482
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 1.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 46,813位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 231位医学一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
著者について

昭和33(1958)年6月生まれ。香川県出身。趣味はゴルフと音楽。
昭和59年東京医科大学卒業後、大阪大学第二内科に入局。昭和61年より 大阪大学病院第二内科勤務。
平成3年より市立芦屋病院内科勤務。平成7年に、尼崎市に長尾クリニッックを開業、外来と在宅医療を
両立。あえて「町医者」という言葉にこだわり、「町全体が私の病棟、自宅は世界最高の特別室」をモットーに、病院で1000人、在宅で1000人を看取ってきた。在宅医療のリーダー的存在、また、<日本尊厳死協会>副理事という立場から、高齢者の健康、終末期医療、尊厳死・平穏死について硬軟自在な論調で多くの提言を行っている。毎日綴るブログは医師部門ほぼ1位をキープ。有料メルマガまぐまぐ!「痛くない死に方」では、読者からのあらゆる死の質問に相談するコーナーを設け、好評を得ている。ほか、多くの媒体に連載を抱え、『平穏死10の条件』『抗がん剤10のやめどき』『薬のやめどき』『痛くない死に方』『親の老いを受け入れる』など、ベストセラー書籍多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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「医療の犠牲と発展の巡りから自分だけ逃れたいなどムシが良すぎる」
という趣旨の発言に集約されると思う。
本書の形式が近藤論者を軽々といなす医師という筋書きの対話文であり、乱暴な雰囲気であるが言っていることは、まぁ、常識的なのだろう。
ハッパをかけていると解釈したほうが良さそうだ。
だが、近藤氏の論説に触れた者としては、苦しむことが本当に甲斐のあることなの?実は無意味なのでは?という疑問が当然のように湧いてくる。
本書で、そうしたことには触れられていない。副作用で死ぬ人がわずかにしてもいるなら、
この著者は「大丈夫ですよ。恐れることはない」といったことは言わないだろうし、
その答えは、患者のリテラシー向上を求めるという姿勢を持って暗に答えていると言えるだろう。
そして、「抗がん剤の止め時」という発想を持つこと自体、確かに良心的な人物である。
そこには結局のところ、著者の(普通の医者なら誰もが抱く)医学に対するいわゆる信頼感が見て取れる。
なにせそこによって立つことで、医師としての道を歩み、医師たりえているのである。
ガンを事例に挙げれば標準治療は現代医学の結晶であり、素人が四の五の言えるような柔なものではなく、
そこから平気で逸脱する近藤氏は医師のクセに無責任極まりない、と考える。
治療が無意味だなんて発言自体信じられない、といった彼の言葉は、前提として標準治療に対する普通の医者並みの信頼感があるのだろう。
本書の一番の収穫は近藤氏と本書著者のスタンスが(良し悪しではなく)質的に全く異なるということだった。
二人とも過去の抗がん剤治療の後悔を語り、実は似通っているのではと私は考えたが、
その結果として彼らが得たものは、
著者は患者の言葉にしっかり耳を傾けること、そして、近藤氏は現行の治療のもつ害悪を訴えることだった。
上述したとおり、医学の成果によって立つ医師たるものが標準治療に対し、近藤氏ほど公然と異を唱えることは異端どころの騒ぎではなく、大げさな言い方だが、聖なる経典を勝手に書き換えてしまうような暴挙と映るだろう。
(科学者である医者が聖典とみなしていることなどないだろうが。私はどちらかというと平凡な職人とみなしているが)
並の医者が「無責任極まりない」と感じるのももっともではある。
著者は近藤氏を公の場で批判するが、「あんなの相手にするな」と考える方が自然なのだろう。
それにしては、影響が大きくなりすぎた、標準的にして、良心を備えた著者は黙っていられなかった、それは本人が語っている。
治療を望めば標準治療になるのは当たり前だし、そこから逸脱するならそもそも治療は望めないという彼なりの、
そして一般的な、現実を語りたかったのだろう。
しかし、およそ「学」の付くものは針の穴で壁の向こうの真理を覗いて、その積み重ねを集積・体系化するものである。論文百出して真理は見えず。
科学が権威化している昨今ではあるが、少しでもボロが見えれば、科学的な考え方の内に生活していない
一般生活者からすれば、誤魔化されていると感じる。
そして、そうした直感もまたバカにできない。科学はとても鈍重で、機敏な人の心を掌握し続けるのはそもそも難しい。
近藤氏が提示する事柄を、現状のボロではなく、彼がうそつきだ、とでも言い続けないと一面では過酷な治療を現実とするがん治療を、放置療法に勝ると信頼させることは難しいだろう。
患者にして見ればガンという病気の他にガン治療という病気を抱え込むようなものだ。
私自身も、ほころび(ボロ)を感じる。
標準治療に対して打ち立てられた放置療法という一つの体系に心は傾く。
患者は私自身ではない。まだ元気な身近な人だが初期とかのステージではない。
医者は極めて厳しい状況を本人に語るつもりはない、薬は2次、3次と続けられる・・と言う。
ろくでなしで〇ったれの抗がん剤の持つ成長抑制効果が致命的な状況までの時間稼ぎをするとは理解するが
抗がん剤の毒性で死ねというのか!という思いは強い。
切除しないで抗がん剤という話だったが、薬を使うには切除が必要ということで切除を危険と認識していた私は血の気の引ける思いだった。
患者は私自身ではないから、論よりも近藤医師に対する信用に立っている私としては人に放置すればいいとも言えない。
そもそも私自身にしても、過剰な治療は避けよう、医者には騙されないぞ程度でしかないのだ。
近藤氏は著書の中でこう語っている。人は生きてきたようにしか、死んでいけない。
「現状」は常に生きざまの総決算だ。情報として何を求め、何に信頼を置くのか、そして、どう死ぬのか。
そうした個々人の判断を超える、標準治療という功績は素晴らしいものなのだろうが、しかし、信頼に足るのか?そして、その不信を助長する医療界の惨状は、著者が近藤氏を20年前の知識と非難する、その20年前の状況を残している。
そのことも正直に打ち明ける著者はリテラシーと自己決定を言う。そこが肝なのだろう。
私自身は請われもしない人の心配をして、何を呑気なことを!という思いがあるが別に著者の責任でもない。
知らず知らずに抗がん剤治療に邁進して悲惨なことになるのではないかと気を揉むのも非生産的だし
本を渡して暗に誘導してしまうのではないかと恐れるのも同じ。話でもしてみるか、という次第。
長くなったが、
一般的な治療を受けることに二の足を踏んでいる人には、後押しをしてくれる本であろう。
自信過剰と言うのか、高慢というのか、お前は何様だと思うようなやつが多い。
この長尾医師は、そういう連中とは明らかに一線を画した人のようだ。
数少ない良心的な医師の心情を代弁するものでもあるだろう。
しかし、このタイトルはいやらしい。
販売戦略もあるのだろうが、近藤理論にかこつけて何か主張しようというのはいだだけない。
本来は、そのまえに「おれの流儀」で医療を語るべきだろう。
ある意味では「極論」を提示している近藤誠理論をベースに、癌治療のあるべき姿を考える内容。
勿論題名通り、近藤誠理論の主だった論点について、〇、✖、△をつけていますので、近藤誠理論に染まっている人、あるいは納得しきれていない人には、考える道しるべとなります。
癌は、近藤誠理論がいうように、真正の癌と、癌もどきに二分されるものではないこと、ステージの初期、中期の段階では、手術、抗がん剤、放射線治療という従来の治療法も十分効果があり、近藤誠理論での治療の放棄には反対しています。
一方、特に抗がん剤については、治療効果と正常細胞へのダメージのバランスがあり、止め時があるという主張となっています。
近藤誠理論については、頻繁に新書が出版され、雑誌にも載りますが、冷静にこれを批判する論調が弱い感じがします。
そういった中で、本書は、わかりやすいが故に無批判に受け入れがちな近藤誠理論について、冷静に各論点を検証しています。
近藤誠の医療否定、がん治療否定が、なぜ生まれてきたのかまで掘り下げて分析されている。
エピローグの「中庸を生きる、ということ」に、「僕は、近藤誠氏の悪口を言いたいわけではない。間違った情報を鵜呑みにして患者さんを増やさないために、本書を書いたまでだ」との想いは、本文中でもしっかりと伝わってくる。
近藤誠氏のいう放置療法も極端だが、90歳超えた高齢者に、抗がん剤治療を腹水がパンパンになるまで続ける「がん拠点病院」も極端。
病院の「キャンサーボード」という多職種の治療方針を決める話し合いに、患者本人が不在との現実には、驚いた。
患者が自己決定できるための、情報提供を行うことが医療者の務めだと思う。
そうはなっていないことを長尾先生は日々の診療で「怒り」として感じておられるようだ。
患者や市民が「自己決定」していく、それが医療も社会も変えていく一番の力だと思う。