私はよく柴田元幸訳の小説を読むので、
その世界観を知りたく、購入してみました。
翻訳界のスーパースター。というのは、
翻訳したものを読んでいて、わかっていましたが、
この本読んで、やっぱり天才だ。と否応なしに納得しました。
でも、ぜんぜん権威主義ではないという
お人柄もわかって、なお、ファンになりました。
村上春樹氏が、絶対的に信頼して、彼が翻訳するものは
かならず柴田氏にチェックをお願いしている。
というのが、うなづけました。
でも、だからなのか、最近両者の文体が最近区別つかないくらい似ていると
思うのは、私だけでしょうか?
写真も載っていたので、「イメージどおりの方だな」と
思っていたら、それはカズオイシグロさんの写真でした(笑)
柴田ファンなら、買って損なしです。
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Coyote No.26 特集:柴田元幸[文学を軽やかに遊ぶ] 大型本 – 2008/3/10
新井敏記
(著, 編集)
ダブルポイント 詳細
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Coyote No.26
特集:柴田元幸 文学を軽やかに遊ぶ
翻訳家、アメリカ文学の研究者、エッセイストとして、常に新しい文化を紹介し、
文学の世界を軽やかに伝え続けている柴田元幸。
文学はもとより、音楽、美術、スポーツとその関心は幅広い。
彼の創作の秘密を追って、生まれ育った蒲田へ、大学の研究室へ、
果ては学生時代に暮らしたロンドンへ足を運んだ
CONTENTS
■ short story 僕とヒッチハイクと猿__文=柴田元幸 写真=木原千佳
■ interview カズオ・イシグロ
■ column ぶらり町歩き リバプールで見つけたBooks & CDs
■ short story 六郷育ち__文=柴田元幸
■ interview 柴田元幸を旅すれば/モラトリアムの読書案内/ココロの形のバラッド
■ 作家が訳者と出会うとき
特別寄稿スティーヴン・ミルハウザー/スチュアート・ダイベック/バリー・ユアグロー/ポール・オースター
■ lesson 教室探訪 東京大学文学部現代文芸論『20世紀末の文学』
■ short story 短篇『ニューヨークから来た女』__ハ・ジン 訳=柴田元幸
特集:柴田元幸 文学を軽やかに遊ぶ
翻訳家、アメリカ文学の研究者、エッセイストとして、常に新しい文化を紹介し、
文学の世界を軽やかに伝え続けている柴田元幸。
文学はもとより、音楽、美術、スポーツとその関心は幅広い。
彼の創作の秘密を追って、生まれ育った蒲田へ、大学の研究室へ、
果ては学生時代に暮らしたロンドンへ足を運んだ
CONTENTS
■ short story 僕とヒッチハイクと猿__文=柴田元幸 写真=木原千佳
■ interview カズオ・イシグロ
■ column ぶらり町歩き リバプールで見つけたBooks & CDs
■ short story 六郷育ち__文=柴田元幸
■ interview 柴田元幸を旅すれば/モラトリアムの読書案内/ココロの形のバラッド
■ 作家が訳者と出会うとき
特別寄稿スティーヴン・ミルハウザー/スチュアート・ダイベック/バリー・ユアグロー/ポール・オースター
■ lesson 教室探訪 東京大学文学部現代文芸論『20世紀末の文学』
■ short story 短篇『ニューヨークから来た女』__ハ・ジン 訳=柴田元幸
- 本の長さ247ページ
- 言語日本語
- 出版社スイッチパブリッシング
- 発売日2008/3/10
- 寸法1.2 x 20.8 x 27.2 cm
- ISBN-104884182138
- ISBN-13978-4884182137
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商品の説明
レビュー
Coyote(コヨーテ)No.26
特集 柴田元幸[文学を軽やかに遊ぶ]
翻訳家、アメリカ文学の研究者、エッセイストとして、常に新しい文化を紹介し、
文学の世界を軽やかに伝え続けている柴田元幸。文学はもとより、音楽、美術、ス
ポーツとその関心は幅広い。彼の創作の秘密を追って、生まれ育った蒲田へ、大学
の研究室へ、果ては学生時代に暮らしたロンドンへ足を運んだ
・ショートストーリー 僕とヒッチハイクと猿 文=柴田元幸
・インタビュー カズオ・イシグロ
・コラム ぶらり町歩き リバプールで見つけたBooks & CDs
・ショートストーリー 六郷育ち 文=柴田元幸
・インタビュー 柴田元幸を旅すれば—川よりもなお緩やかに
モラトリアムの読書案内—柴田元幸の十冊の本を紐解くと
ココロの形のバラッド—柴田元幸へ一問一答
・作家が訳者と出会うとき
スティーブン・ミルハウザー/スチュアート・ダイベック/バリー・ユアグロー/ポール・オースター
・レッスン 教室探訪—東京大学文学部現代文芸論『20世紀末の文学』
短篇=ニューヨークから来た女(ハ・ジン)
訳=柴田元幸
<その他のラインナップ>
・藤原新也「日本浄土」〜能登半島〜
・ホンマタカシ「Our Garden」
・とーあんしやさ[琉球料理の記憶と味の物語6]
文=駒沢敏器 写真=関博
・柴田元幸翻訳叢書[EXPLORING OLD LITERARY FOREST] 最終回ジャック・ロンドン『一枚のステーキ』(後編) 絵=板垣しゅん
・最初の一歩 第26回 福岡伸一
・瀬戸照「山水踏日」 第11回 水辺の春のにぎわい
・土からはじまるタイルの話 --Coyote(コヨーテ)No.26
特集 柴田元幸[文学を軽やかに遊ぶ]
翻訳家、アメリカ文学の研究者、エッセイストとして、常に新しい文化を紹介し、
文学の世界を軽やかに伝え続けている柴田元幸。文学はもとより、音楽、美術、ス
ポーツとその関心は幅広い。彼の創作の秘密を追って、生まれ育った蒲田へ、大学
の研究室へ、果ては学生時代に暮らしたロンドンへ足を運んだ
・ショートストーリー 僕とヒッチハイクと猿 文=柴田元幸
・インタビュー カズオ・イシグロ
・コラム ぶらり町歩き リバプールで見つけたBooks & CDs
・ショートストーリー 六郷育ち 文=柴田元幸
・インタビュー 柴田元幸を旅すれば—川よりもなお緩やかに
モラトリアムの読書案内—柴田元幸の十冊の本を紐解くと
ココロの形のバラッド—柴田元幸へ一問一答
・作家が訳者と出会うとき
スティーブン・ミルハウザー/スチュアート・ダイベック/バリー・ユアグロー/ポール・オースター
・レッスン 教室探訪—東京大学文学部現代文芸論『20世紀末の文学』
短篇=ニューヨークから来た女(ハ・ジン)
訳=柴田元幸
<その他のラインナップ>
・藤原新也「日本浄土」〜能登半島〜
・ホンマタカシ「Our Garden」
・とーあんしやさ[琉球料理の記憶と味の物語6]
文=駒沢敏器 写真=関博
・柴田元幸翻訳叢書[EXPLORING OLD LITERARY FOREST] 最終回ジャック・ロンドン『一枚のステーキ』(後編) 絵=板垣しゅん
・最初の一歩 第26回 福岡伸一
・瀬戸照「山水踏日」 第11回 水辺の春のにぎわい
・土からはじまるタイルの話 --Coyote(コヨーテ)No.26
登録情報
- 出版社 : スイッチパブリッシング (2008/3/10)
- 発売日 : 2008/3/10
- 言語 : 日本語
- 大型本 : 247ページ
- ISBN-10 : 4884182138
- ISBN-13 : 978-4884182137
- 寸法 : 1.2 x 20.8 x 27.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 535,578位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,891位紀行文・旅行記
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年12月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
柴田元幸氏の企画ものとしては、コヨーテが一番優れていると思います。村上春樹氏がお好きな方にも、
ぜひ読んで頂きたい特集です。
ぜひ読んで頂きたい特集です。
2008年3月14日に日本でレビュー済み
250ページの厚さの約150ページが特集。
おおきな顔写真、整然とした書庫の本棚、意外にせまい書斎、ゲラを読む後姿や、大学での授業風景など、カラー写真が随所に盛り込まれ、見ていても十分勉強になる。
記事内容は、中学生時代から大学院時代にかけての読書遍歴や、ロンドン一人旅のころの回想、生まれ育った大田区の土地、カズオ・イシグロとの対談、一問一答など。
なかでも、ミルハウザーやダイベックから届けられた翻訳家にして友人モトとしての人柄を語る手紙が披露されている。これはぜひ読まれるべきだ。これが本雑誌のメインであろう。
小生は、これまで出版された氏の書籍や雑誌、翻訳書のほとんどすべてに目を通してきたつもりですが、この雑誌が極めつけでしょう、今現在。どんなふうにどれだけ洋書を読み、
どれくらいの速さで訳出し、しかもそれらをどこで(部屋の)読み、書いているか、そういった私的空間までを十二分に知ることができます。
マネしようと思うところがいっぱいあって、つい自分を忘れてしまいそうですが、やはり
よく字を書く人だという実感が伝わります。原稿を書いていたり、本をソファーの上で読んでいたりする姿は、それ自体が「絵」になりますが、それもすべて、氏が、活字の世界を
じつに愛情をこめて生き抜いてるからだろうと思われます。カリカリ、カリカリ字を書く姿を写真から想像するだけでも、脱帽です。
おおきな顔写真、整然とした書庫の本棚、意外にせまい書斎、ゲラを読む後姿や、大学での授業風景など、カラー写真が随所に盛り込まれ、見ていても十分勉強になる。
記事内容は、中学生時代から大学院時代にかけての読書遍歴や、ロンドン一人旅のころの回想、生まれ育った大田区の土地、カズオ・イシグロとの対談、一問一答など。
なかでも、ミルハウザーやダイベックから届けられた翻訳家にして友人モトとしての人柄を語る手紙が披露されている。これはぜひ読まれるべきだ。これが本雑誌のメインであろう。
小生は、これまで出版された氏の書籍や雑誌、翻訳書のほとんどすべてに目を通してきたつもりですが、この雑誌が極めつけでしょう、今現在。どんなふうにどれだけ洋書を読み、
どれくらいの速さで訳出し、しかもそれらをどこで(部屋の)読み、書いているか、そういった私的空間までを十二分に知ることができます。
マネしようと思うところがいっぱいあって、つい自分を忘れてしまいそうですが、やはり
よく字を書く人だという実感が伝わります。原稿を書いていたり、本をソファーの上で読んでいたりする姿は、それ自体が「絵」になりますが、それもすべて、氏が、活字の世界を
じつに愛情をこめて生き抜いてるからだろうと思われます。カリカリ、カリカリ字を書く姿を写真から想像するだけでも、脱帽です。
2008年5月10日に日本でレビュー済み
骨太の書籍ですね。どちらかと言えば男性性が強い内容だ。もちろん、女性が読んでも楽しめると思う。
今回は柴田元幸氏の特集で、柴田ファンの人々には垂涎の内容になっている。翻訳が主な活動の人なので、何篇かのエッセイが収録されているのにはとても楽しませてもらった。カズオ・イシグロ氏との対談もある。柴田氏の底辺には、一定してわかりやすい日本語で話す、という真摯な姿勢があって、情緒に溺れるわけでなく、飄々と語られている。ジャック・ロンドンの『一枚のステーキ』は、柴田さんの魅力が凝縮した翻訳になっている。
今回は柴田氏の特集だが、他の号も読んでみたい気持ちにさせられる一冊。
今回は柴田元幸氏の特集で、柴田ファンの人々には垂涎の内容になっている。翻訳が主な活動の人なので、何篇かのエッセイが収録されているのにはとても楽しませてもらった。カズオ・イシグロ氏との対談もある。柴田氏の底辺には、一定してわかりやすい日本語で話す、という真摯な姿勢があって、情緒に溺れるわけでなく、飄々と語られている。ジャック・ロンドンの『一枚のステーキ』は、柴田さんの魅力が凝縮した翻訳になっている。
今回は柴田氏の特集だが、他の号も読んでみたい気持ちにさせられる一冊。
2020年6月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2008年発行の古本「柴田元幸」特集号が手に入って本当にうれしい。
冒頭の「僕とヒッチハイクと猿」が、4章立ての短篇小説っぽくて、おもしろかったです。
この作品の中の「僕」って、もちろん柴田元幸さんご自身のことでしょう。
「short story」というジャンルは、小説、フィクションなのでしょう。
でも、なんとなく<自叙伝>みたい。私小説みたいな創作の「作り話」(38頁)なのかな。
「偶然」が三度も重なるなんて! ウソでしょう? ほんとに? 信じられません。
<正確な翻訳>で有名な柴田元幸先生のことです、柴田先生がいくら正直であろうとしても、
英米の原作者のほうが嘘八百のでたらめな、ろくでもない(だけど面白い)原作を書いたら、
柴田先生は正確に、嘘の重ね塗りをするしかないのでしょうね。優秀な弁護士のように。
ひねクレタ島の正直者のように。
1975年、「僕(柴田元幸さんご自身のことらしい?)」は、
ビートルズを生み出したイギリスの街「リバプール」をヒッチハイクで訪れた。
景気が悪くて失業者の多い「しょぼくれている」(37頁)街だったんだ、
1975年のリバプールってえところは。
そんなリバプールで出会った、同じくらいの年頃の失業者に食事をおごる話。
「一ペニー一ペニーまで気をつけて」(31頁)使う「僕」がぶらぶら歩く「ペニー・レーン」
読者作。おそまつ。
リバプールは大英帝国の時代、奴隷貿易で発展した港町だそうです。
植民地の奴隷を商品としてアフリカからアメリカまで船に乗せて運び、
黒い肌の人間をあたかも猿のように鞭打ちながら売買して利益を得ていたのでしょう。
ジョンやポールが歩いた「ペニー・レーン」は、
奴隷貿易船のオーナーのペニー氏に由来するという説があるそうです。
柴田先生がリバプールを再訪したのは、1984年。
再々訪は、2007年。リバプールを三度も訪問するとは!
三度目の正直、の話が、本書書き下ろし掌篇「僕とヒッチハイクと猿」だそうです。
この作品中の「猿」って?
再々訪で訪れたリバプールのパブで、双子の姉妹から
「僕」がロンドンのハムステッド・ヒースで細い鞭を使って猿をいじめていた
ことを覚えている、と言われて驚いた、というエピソードです。
その話のなかに出てくる、小さなメガネザルのことです。
「僕」が覚えがないと否定すると、姉妹はそれならメガネを外してという。
メガネを外したメガネザル。
姉妹は何も言わない。「やっぱり、と二人の目が言っていた」(38頁)
「僕」にはそんな猿いじめをした覚えがないし、
姉妹だって乳母車に乗せられた「赤ん坊」(38頁)だったのに……
この話は、柴田先生特有の幻想の寓話だろうな、クククと笑いました。
こんなウソみたいな本当の話というのも、世の中には結構あるもんな……
「僕の頭のなかでロンドンの街を見下ろすハムステッド・ヒースの、だだっ広い野原で猿をいじめている僕自身の姿が、ぐんぐん焦点を結んでいった」(38頁)
ですよね。柴田先生の頭のなかで、幻想がどんどん鮮明な記憶の画像となっていった。
リバプールの姉妹の頭のなかでも、奴隷貿易船のオーナーのペニー氏の歴史的イメージと
重なって、「僕」が猿をいじめているのを見たような幻覚を生み出したのかも……
下衆の勘ぐりでゲスすると、
メガネザルのほうだって、細い鞭を使っていじめられる訳(わけ)、理由があったのかも。
屁理屈ばかりこねて、小生意気だったからとか、
手癖が悪くて「僕」のチップスをこっそり盗んで喰ってしまったとか、……
いろいろ「僕」なりに創造した訳があったに違いありません。訳はひとつとは限りません。
猿は、ずるがしこいから、
周りの人間の顔の表情を上目遣いに見ながら臨機応変に忖度し、
観衆の同情を買ういい訳を創りあげる。
キィとかヒイとか、あたかもいじめられているかのように鳴きながら、
餌をもらえるようないい訳を。
というわけで、「僕とヒッチハイクと猿」は非常に面白かったです。
柴田元幸先生の<創作>であろうと、事実でなかろうと、面白かった。
「僕とヒッチハイクと猿」は、なかなかよくできた私小説みたいな小話です。
カズオ・イシグロさんよりもうまい。まずいけれども、うまい。へたうまみたい。
「僕とヒッチハイクと猿」は、自叙伝風の短篇小説に仕上がっています。
それにしても、イギリス人には、東洋人の見分けがつかないようですね。
日本人も中国人も同じに見えるみたいです。
ノーベル文学賞のカズオ・イシグロさんのことだって、イギリス人は中国人と思っているかも。
日本人も、イギリス人とアメリカ人を区別できません。みんなガイジンで済ませちゃう。
東大の文学部の先生としての柴田先生の教室を覗いてみたいとずっと思っていました。
ありました。柴田元幸先生の教室風景が160頁にありました。
この本は、柴田元幸先生の<ほぼ>全て。至れり尽くせりのムックです。
課題の短篇小説を読んでから、教室で討論するという形の実際の授業に、
東大生になったような気分で参加できました。
「生まれ変わるなら何になりたい?」という質問に、柴田さんは
「その辺の公園の池かなんかで、ずっとひなたぼっこしている草亀」(87頁)
と答えています。
それにしても、柴田元幸先生の仕事ぶりはスゴイと思います。
同じ24時間なのに、なぜあんなに仕事の結果を出せるのだろう!
奇異。
《備考》
柴田元幸先生は、1980年、二十五歳のときに、比登美さんと結婚(64頁)。
新井敏記さんがマラマッドの「病んでる家族」にふれて誘導尋問しても、
柴田先生は「うーん、特に家族ということに重きがあるとは思わないですね」
(81頁)
聞きにくい質問ですが、柴田先生にはお子さんがいないのかな?
冒頭の「僕とヒッチハイクと猿」が、4章立ての短篇小説っぽくて、おもしろかったです。
この作品の中の「僕」って、もちろん柴田元幸さんご自身のことでしょう。
「short story」というジャンルは、小説、フィクションなのでしょう。
でも、なんとなく<自叙伝>みたい。私小説みたいな創作の「作り話」(38頁)なのかな。
「偶然」が三度も重なるなんて! ウソでしょう? ほんとに? 信じられません。
<正確な翻訳>で有名な柴田元幸先生のことです、柴田先生がいくら正直であろうとしても、
英米の原作者のほうが嘘八百のでたらめな、ろくでもない(だけど面白い)原作を書いたら、
柴田先生は正確に、嘘の重ね塗りをするしかないのでしょうね。優秀な弁護士のように。
ひねクレタ島の正直者のように。
1975年、「僕(柴田元幸さんご自身のことらしい?)」は、
ビートルズを生み出したイギリスの街「リバプール」をヒッチハイクで訪れた。
景気が悪くて失業者の多い「しょぼくれている」(37頁)街だったんだ、
1975年のリバプールってえところは。
そんなリバプールで出会った、同じくらいの年頃の失業者に食事をおごる話。
「一ペニー一ペニーまで気をつけて」(31頁)使う「僕」がぶらぶら歩く「ペニー・レーン」
読者作。おそまつ。
リバプールは大英帝国の時代、奴隷貿易で発展した港町だそうです。
植民地の奴隷を商品としてアフリカからアメリカまで船に乗せて運び、
黒い肌の人間をあたかも猿のように鞭打ちながら売買して利益を得ていたのでしょう。
ジョンやポールが歩いた「ペニー・レーン」は、
奴隷貿易船のオーナーのペニー氏に由来するという説があるそうです。
柴田先生がリバプールを再訪したのは、1984年。
再々訪は、2007年。リバプールを三度も訪問するとは!
三度目の正直、の話が、本書書き下ろし掌篇「僕とヒッチハイクと猿」だそうです。
この作品中の「猿」って?
再々訪で訪れたリバプールのパブで、双子の姉妹から
「僕」がロンドンのハムステッド・ヒースで細い鞭を使って猿をいじめていた
ことを覚えている、と言われて驚いた、というエピソードです。
その話のなかに出てくる、小さなメガネザルのことです。
「僕」が覚えがないと否定すると、姉妹はそれならメガネを外してという。
メガネを外したメガネザル。
姉妹は何も言わない。「やっぱり、と二人の目が言っていた」(38頁)
「僕」にはそんな猿いじめをした覚えがないし、
姉妹だって乳母車に乗せられた「赤ん坊」(38頁)だったのに……
この話は、柴田先生特有の幻想の寓話だろうな、クククと笑いました。
こんなウソみたいな本当の話というのも、世の中には結構あるもんな……
「僕の頭のなかでロンドンの街を見下ろすハムステッド・ヒースの、だだっ広い野原で猿をいじめている僕自身の姿が、ぐんぐん焦点を結んでいった」(38頁)
ですよね。柴田先生の頭のなかで、幻想がどんどん鮮明な記憶の画像となっていった。
リバプールの姉妹の頭のなかでも、奴隷貿易船のオーナーのペニー氏の歴史的イメージと
重なって、「僕」が猿をいじめているのを見たような幻覚を生み出したのかも……
下衆の勘ぐりでゲスすると、
メガネザルのほうだって、細い鞭を使っていじめられる訳(わけ)、理由があったのかも。
屁理屈ばかりこねて、小生意気だったからとか、
手癖が悪くて「僕」のチップスをこっそり盗んで喰ってしまったとか、……
いろいろ「僕」なりに創造した訳があったに違いありません。訳はひとつとは限りません。
猿は、ずるがしこいから、
周りの人間の顔の表情を上目遣いに見ながら臨機応変に忖度し、
観衆の同情を買ういい訳を創りあげる。
キィとかヒイとか、あたかもいじめられているかのように鳴きながら、
餌をもらえるようないい訳を。
というわけで、「僕とヒッチハイクと猿」は非常に面白かったです。
柴田元幸先生の<創作>であろうと、事実でなかろうと、面白かった。
「僕とヒッチハイクと猿」は、なかなかよくできた私小説みたいな小話です。
カズオ・イシグロさんよりもうまい。まずいけれども、うまい。へたうまみたい。
「僕とヒッチハイクと猿」は、自叙伝風の短篇小説に仕上がっています。
それにしても、イギリス人には、東洋人の見分けがつかないようですね。
日本人も中国人も同じに見えるみたいです。
ノーベル文学賞のカズオ・イシグロさんのことだって、イギリス人は中国人と思っているかも。
日本人も、イギリス人とアメリカ人を区別できません。みんなガイジンで済ませちゃう。
東大の文学部の先生としての柴田先生の教室を覗いてみたいとずっと思っていました。
ありました。柴田元幸先生の教室風景が160頁にありました。
この本は、柴田元幸先生の<ほぼ>全て。至れり尽くせりのムックです。
課題の短篇小説を読んでから、教室で討論するという形の実際の授業に、
東大生になったような気分で参加できました。
「生まれ変わるなら何になりたい?」という質問に、柴田さんは
「その辺の公園の池かなんかで、ずっとひなたぼっこしている草亀」(87頁)
と答えています。
それにしても、柴田元幸先生の仕事ぶりはスゴイと思います。
同じ24時間なのに、なぜあんなに仕事の結果を出せるのだろう!
奇異。
《備考》
柴田元幸先生は、1980年、二十五歳のときに、比登美さんと結婚(64頁)。
新井敏記さんがマラマッドの「病んでる家族」にふれて誘導尋問しても、
柴田先生は「うーん、特に家族ということに重きがあるとは思わないですね」
(81頁)
聞きにくい質問ですが、柴田先生にはお子さんがいないのかな?