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お砂糖とスパイスと爆発的な何か—不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門 単行本(ソフトカバー) – 2019/6/16
購入オプションとあわせ買い
ポップでシャープでフレッシュ!
フェミニズム批評とは、男女問わず世界の見方を何倍にも豊かにしてくれる
超強力なツールであり武器なのだということを、この快著は教えてくれる。
ライムスター宇多丸(ラッパー/ラジオパーソナリティ)
フェミニストの視点で作品を深く読み解けば、
映画もドラマも演劇もこんなにおもしろい。
自由に批評するために、自らの檻をぶち壊そう!
映画と演劇を年に200本観るシェイクスピア研究者による
フェミニスト批評絶好の入門書
登場する作品
『ワンダーウーマン』『ゲーム・オブ・スローンズ』『ナチュラルウーマン』
『わたしを離さないで』『華麗なるギャツビー』『アナと雪の女王』『ファイト・クラブ』
『バベットの晩餐会』『嵐が丘』『すばらしい新世界』『タンジェリン』『フェミニジア』
『キングスマン』『ダウントン・アビー』ほか
登場する人物
ヴァージニア・ウルフ、エマ・ワトソン、マーガレット・サッチャー、
バズ・ラーマン、マーガレット・アトウッド、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェほか
------------------------------------------------
ただ「面白かったー」がなんとなく物足りなくなってきて、もう一歩、深く楽しんだり、
調べたり、理解したいな……と思う時に必要なのが「批評」です。
(……)私は不真面目な批評家なので、批評を読んだ人が、
読む前よりも対象とする作品や作者をもっと興味深いと思ってくれればそれでいいし、
それが一番大事な批評の仕事だと思っています。(まえがきより)
------------------------------------------------
イギリスの有名なミステリ作家G・K・チェスタトンの短編「青い十字架」に、
「犯罪者は創造的な芸術家だが、探偵は批評家にすぎない」という有名な言葉があります。
たしかに、批評家はテクストを犯罪現場みたいに嗅ぎ回り、犯罪者、
つまり芸術家がばらまいた手がかりを見て、ヘマを探し出そうとやっきになる探偵で、
あまり独創性がないかもしれません。でも、この本に登場したミス・マープルのような名探偵は、
何が何だかわからないカオスから正しいものを救い出してくるヒーローです。
私は批評家にすぎませんが、ミス・マープルと同じような仕事だと言われるならばそれは光栄です。(あとがきより)
------------------------------------------------
ゆるめのコラム収録!
・初任給とヴァージニア・ウルフ
・バーレスクを見にいってみよう
・北米のシェイクスピア祭り
・フェミニストの洋服えらび
・『ダウントン・アビー』と女性参政権運動
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社書肆侃侃房
- 発売日2019/6/16
- 寸法12.9 x 1.8 x 18.8 cm
- ISBN-104863853653
- ISBN-13978-4863853652
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週刊読書人(2019年7月26日)/リビング京都(2019年7月27日)/北海道新聞(2019年7月28日)/東京新聞(2019年7月30日)/好書好日(2019年7月30日)/共同通信(2019年8月10日・11日)/ふぇみん(2019年12月5日)/デーリー東北(2020年3月3日)
【雑誌】
婦人公論(2019年9月24日号)/週刊読書人(2019年9月27日号)/AERA(2019年9月30日号)/CREA(10月号)/週刊読書人(2019年9月27日号)/書標(2019年10月号)/ハヤカワミステリマガジン(2019年11月号)/クロワッサン(2019年10月25日号)/エル・ジャポン(2020年7月号)
【ラジオ】
アフター6ジャンクション (2019年4月10日、7月3日、12月27日) ほか
商品の説明
著者について
専門はシェイクスピア、フェミニスト批評、舞台芸術史。
東京大学の表象文化論にて学士号・修士号を取得後、
2013年にキングズ・カレッジ・ロンドンにて博士号取得。
現在、武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。
著書に『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち──近世の観劇と読書』(白水社、2018)、
訳書にキャトリン・モラン『女になる方法──ロックンロールな13歳のフェミニスト成長記』(青土社、2018)など 。
登録情報
- 出版社 : 書肆侃侃房 (2019/6/16)
- 発売日 : 2019/6/16
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 240ページ
- ISBN-10 : 4863853653
- ISBN-13 : 978-4863853652
- 寸法 : 12.9 x 1.8 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 214,183位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 61位フェミニズム
- カスタマーレビュー:
著者について

武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。東京大学で学士号及び修士号を取得後、2013年にキングズ・カレッジ・ロンドンにて博士課程を修了。専門はシェイクスピア、舞台芸術史、観客研究、フェミニスト批評。著書に『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち──近世の観劇と読書』 (白水社、2018)、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か――不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』(書誌侃侃房、2019)、『不真面目な批評家、文学・文化の英語をマジメに語る――シェイクスピアはなぜ「儲かる」のか?』『不真面目な批評家、文学・文化の英語をマジメに語る 2 シェイクスピア、クイーン、SHERLOCK etc. 古典から最新エンタメまで!』(共にアルク、2020)、訳書にキャトリン・モラン『女になる方法 ―ロックンロールな13歳のフェミニスト成長記』(青土社、2018)、など。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
内容はフェミニスト視点からの映画レビュー本という感じ。
勉強になるし、知ってる映画であればより楽しめます。文章はちょっとアカデミックな感じ。
・一般向け本でもちゃんと参考文献がついていて、興味を持ってもっと知りたくなった人がさらに勉強しやすいのがありがたい。
・著者の正直さと真摯さが伝わってきて好感が持てました。「不真面目な批評家」という文言は、柔らかさを演出するために入れたのだと思いますが、実際は違うと思います。
・随所で笑えるのでさらに読みやすいです。冷笑ではなく温かい系の笑いです。最近、研究者の手になる一般向け良書で笑いがちゃんと入っているのが多い気がしていますが、これはフェミニズム関連書のトレンドなのか、書籍一般のトレンドなのか、全世界の各界のトレンドなのか、こういう研究はないのでしょうか。(これは独り言です。)
第2エッセー集を読んでから本書を読むと、前者のほうが面白く、後者つまり本書はより雑然としていてややまとまりにかける印象がなくもありません。
本書のなかでいちばん興味深かったエッセーは、冒頭に置かれた「さよなら、マギー――内なるマーガレット・サッチャーと戦うために」です。著者の生き方の根っこにあるものをここであきらかにしています。
著者はフェミニストとみずから称していると同時に大学の先生にして文学研究者でもあるようですが、このようにフェミニストたる自分の拠ってきたるゆえんまで率直に語るということをしている人は少ないのではないかと思われます。
そのエッセーではまた、著者のイギリス留学時代、自分の話す、矯正した英語の発音がサッチャーの発音(サッチャーが「育ちを隠すために訓練で身につけた非常に人工的な」発音)に似ていると言われ、ショックをうけたことも語られています。
本書のなかでは、とくに「アナと雪の女王」論(「理想宮か、公共彫刻か?」)が面白く読めました。大いに話題となった人気映画ながら、著者の捉えかたは批判的観点からのもので、ただしそれはかなり短めのエッセーのため、もう少し長く詳細に論じたものを読んでみたいと思ったしだい。
収載された批評的エッセーはどれも参考にしたり典拠にした資料やデータなどを明らかにしていて(これは著者が研究者であるばかりかウィキペディアンでもあるからなのでしょう)、そのあたりよくある垂れ流しの感想文的なエッセーではないのも本書そして著者の良いところです。
なお、著者は映画『ローマの休日』にふれて、女には王子さま願望があるように、男にはプリンセスへの憧れがあると指摘しているのですが(「プリンセスは男のロマン!」)、さてどうなのでしょうかね。プリンセスを見れば素敵だなあとかきれいだなあぐらいはちょっと思うかもしれませんが、評者にはどうもピンと来ません。でも、たんにお嬢さま好きの男ならたしかにいることはいるとは思いますが(それとの対称性でいえば、貴公子ふうの男子が好きな女性というのもいるのかもしれません)。
そもそもプリンセスへの憧れというのは女性のほうに強くあるとばかり思っていたところもありますし。
また、必ずしも自分がプリンセスになりたいというではなくて、たとえば、以前何かの記事で読んだことがあるのですが、現皇后が皇太子妃だったころからカメラをもってのその追っかけ女性ファンが多くいるとのことで、女性のそういうプリンセス好きもあるのではと思ったりします。
いっぽうで著者が挙げている『ローマの休日』の例では、新聞記者(グレゴリー・ペック)は知り合った女性(オードリー・ヘップバーン)がプリンセスだから、彼がプリンセスに憧れをもっていたから好きになったというわけではないはずです。貴人らしい気取りや高飛車なところがない、彼女の天真爛漫さに、その人間的魅力に徐々に惹かれ、淡い恋心をもつにいたったというところではないでしょうか。
(なお、お嬢さま的な天真爛漫さというのはこれはこれで一部男が好むところのものなのでしょうが、ただ天真爛漫さや無邪気、無垢は一面無知につうじるところもあり、男は自分が優位に立つ/立てるため無垢/無知な女性を好むともいえます。ようは、何も知らない無垢/無知な女性をまさに自分が童話の「王子」のようになって守り、教え、思うまま指導(支配)することができる、いいかえればそういう女性であれば自分の「男らしさ」(これは裏返せば「有害な男性性」にもなる)を存分に発揮でき実感できるというところで、男は天真爛漫、無垢/無知な女性を好むという面もあるのでしょう)
あるいは、プリンセスは日本ではお姫様に相当するとしたら、姫を守る男や姫を救い出す男、あるいは姫を慕う男というのは小説や映画などで類型的なものとして数多くありそうですが、姫を恋人にしたい、結婚もしたいというのはあるのかなあ(『竹取物語』のかぐや姫?)。
あっても、財産や地位ねらいのものというパタンが多いのでは。まあこの場合、姫を現代における社長令嬢のようなものに置き換えると、これっていかにも2時間サスペンスドラマにありそうな通俗的な話のような気がしてきますが。
でも、まさにその「財産や地位のあるプリンセスを求める男性の欲望」がつくる世界にあわせて、つまりそういう男の欲望を内面化して女性はみずからがプリンセスになりたいという憧れや願いをもつのでは(大意)、と著者はいかにもフェミニストらしい仮説を最後に出しているのですが、はてさてどうなんでしょうか。あるいは女性のみなさんのご意見は?
また、西洋の中世にあって宮廷風恋愛詩とか宮廷風騎士道物語ではたしかに男が一定の作法のもと貴婦人に愛をささげるという話型が広く好まれましたが(キリスト教世界でもあった同時期の西洋では聖母マリア崇拝の熱狂もあり、一種聖俗あわせた女性崇拝熱を考える必要がありますが)、その話型が多く見られたからといって現実でもそうだった、現実でも一般に男は貴婦人に憧れ、恋するものだとはいえないでしょうし。
ひるがえっていうなら、表象されたものと現実との関係ということでは、たとえ映画でそう描かれていたとしても、つまり物語として成立させるためにも一見何やら(男の)夢や欲望に見えそうなものがそこに描かれたとしても、現実(の男)もそうだということには必ずしもならないのではないかということです(これについてやや極端かもしれない例を出すと、たとえばポルノ映画で何やら女性の欲望が類型的なパタンで描かれたとしても、現実の女性がそういう欲望を普通にもっていることには必ずしもならないのではないかということです)。
まあ、マンガ・アニメもふくめ、文学や映画などの表象芸術は、人間の夢や欲望を現実から掬いとっている面もあるいっぽうで、人間の夢や欲望を物語の都合にあわせていかにもありそうに、ときに誇張して創りだしている面もあるのではないでしょうか。あるいは、表象というのは、現実とはちがって、さまざまなレベルでの”お約束”でもってこそ成立しているのではないでしょうか。
要は、表象は現実の単純な模倣ではない、また表象は単純に現実を反映しているわけではないので、表象と現実との関係については慎重なアプローチが必要ではないかということです。
本書のタイトルは『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』。
つぎに著者が出した第2エッセー集のそれは『お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード』。
そこに著者なりの意図があるのでしょうけれど、とても覚えきれない、すらすらと言えない…
(本のタイトルについては最近は出版社や編集者が決めることも多いようですが)