学生時代、人文書を読むとき、確かに自分もマルジナリアンでした。教授の本を借たときに、書き込みをしているのを知ったのがキッカケだったように思う。しかし、社会人になって、ビジネス書のようなものを読むときには、どうしたものかと常々悩んでいた。この本を読んでいて、なんとなく、もやもやが晴れた気がしている。
・人文書&手元にずっと置いて読み返す本→書き込む
・実用書でいずれ処分する本→書き込まずにメモは本とは別の場所にまとめておく
・インタラクティブな読みは必要ないが資料として必要な本→電書か自炊
長年書き込みをしてなかったが、心機一転、書き込んでみようと思う。
感謝を込めて星は断然5つ。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥2,200¥2,200 税込
ポイント: 22pt
(1%)
無料お届け日:
4月4日 木曜日
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
新品:
¥2,200¥2,200 税込
ポイント: 22pt
(1%)
無料お届け日:
4月4日 木曜日
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
中古品: ¥1,208
中古品:
¥1,208

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻 単行本(ソフトカバー) – 2020/7/31
山本貴光
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥2,200","priceAmount":2200.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"2,200","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"lXjkFzC8zxMm%2FUnIv38p5AKXyrL%2BlVP1a2vFohSsYp8QHBgfOgooNGT8YlCU%2FDqimZP6ITlXPTT8NRAuZsW0Tr1fRJvBsuIUmtHq%2FkUMvh7rBokDJJBACqsv8ggsHYLc8WP9ehSuoe4%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥1,208","priceAmount":1208.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,208","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"lXjkFzC8zxMm%2FUnIv38p5AKXyrL%2BlVP1DvDX7Pm6sAgsdm5Brr9iA1I17gYpbKHS6KO7nYxas66VYWBW016kCPnFGossmalvepKI%2BVRTf%2BptbGf2pIBFao%2F0wsCwTcxFiB5gd1UDBhFYjYYM0R3LU%2FByqPq1z9yAshHgMXeUlIQ%2Fr1Ive2OLGg%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
人類は大きく二つに分かれる。本に書き込みをする者と、しない者に──。
書物界の魔人が世にあふれる“人と本との接触の痕跡=マルジナリア"を追う。余白の書き込みを見つけては考え、知る、新しい本の愉しみ。著名人から無名の筆遣い、プログラミングのコメントまで。読みやすいものから判読不明なものまで。広くて深いマルジナリアの大地を一緒に歩いてみませんか。
カラー口絵には石井桃子、夏目漱石、高野長英、和辻哲郎、山本貴光の筆跡を収録。「本の雑誌」の人気連載書籍化第1弾。
はじめに——余白に咲く花の名は
マルジナリア——どこかで聴いたことのあるような、ないような。懐かしいような、そうでもないような。マルジナリアってなんだろう。そこでつかまえてっていうくらいだから、どこかの土地の名前かな。いや、花の名前じゃなかったかな。その花が一面に咲いている野原とか。たしかそんな名前の王国がなかったっけ……。
もしそう思ったとしても不思議はありません。日常でよく目や耳にする言葉というわけでもないだけに。
マルジナリアとは、土地でこそないものの、ある場所に関わりがあります。それはどこかといえば、ページの上。いまご覧のこの本もそうですが、天地左右に余白がありますね。余白のことを英語で「マージン」といいます。ほら、だんだんと見えてきましたか。その余マージン白は、ときとしてノートのように使われることもあります。そう、マルジナリアとは、そんなふうにして本の余白に書き込まれたものを指すのでした。
そのつもりで探してみると、あちこちでいろいろなマルジナリアが見つかります。どれも、いつかどこかで誰かがある本に書き込みをしたものです。これはなんだかちょっと面白いことのように思うのです。
普通、読書の痕跡はほとんど残りません。誰かがかたとき本を開いて読む。読むあいだ、知らなかったことを教えられたり、なにかを連想したり、考えが浮かんだり、泣いたり笑ったりドキドキしたりと、その人の心や体になにかが起きて気持ちや記憶も変化します。他方で本のほうはといえば、せいぜい指紋がついたりページがよれたりするくらいのもの。読書とはそういうことであり、もちろんそれでよいわけです。
でももし、その人が読みながら思い浮かんだことを余白に書いたらどうなるか。その書き込みは、本があり続ける限りその本とともに残ります。そして後に、それを当人が見直すこともあれば、誰かの目に触れてものを考えさせたりもすることにもなります。例えば一七世紀の数学者、フェルマーが古い数学書の余白に書いた思わせぶりな言葉は、二〇世紀末に解決されるまで、じつに三〇〇年以上にわたってどれだけの人が振り回されたか、というたいそう人騒がせなものでした(詳しくは本編でお話しします)。
仮に、本がつくられた状態を第一形態とすれば、マルジナリアを施された状態は第二形態とでも言いましょうか。第一形態の本は、たくさん印刷された同じものでもあります。第二形態の本は、二冊と同じものはなく、大袈裟でもなんでもなしに、世界でただ一冊の本でもあるのです。この第二形態の本、つまりマルジナリアを施された本は、第一形態の本とはまた違う出来事を引き起こすわけでした。
本書は、そんなマルジナリアの面白さをご一緒に眺めてみようという趣向で書かれたものです。マルジナリアでなにがつかまるのかは、見ての読んでのお楽しみ。それではさっそく参りましょう。
書物界の魔人が世にあふれる“人と本との接触の痕跡=マルジナリア"を追う。余白の書き込みを見つけては考え、知る、新しい本の愉しみ。著名人から無名の筆遣い、プログラミングのコメントまで。読みやすいものから判読不明なものまで。広くて深いマルジナリアの大地を一緒に歩いてみませんか。
カラー口絵には石井桃子、夏目漱石、高野長英、和辻哲郎、山本貴光の筆跡を収録。「本の雑誌」の人気連載書籍化第1弾。
はじめに——余白に咲く花の名は
マルジナリア——どこかで聴いたことのあるような、ないような。懐かしいような、そうでもないような。マルジナリアってなんだろう。そこでつかまえてっていうくらいだから、どこかの土地の名前かな。いや、花の名前じゃなかったかな。その花が一面に咲いている野原とか。たしかそんな名前の王国がなかったっけ……。
もしそう思ったとしても不思議はありません。日常でよく目や耳にする言葉というわけでもないだけに。
マルジナリアとは、土地でこそないものの、ある場所に関わりがあります。それはどこかといえば、ページの上。いまご覧のこの本もそうですが、天地左右に余白がありますね。余白のことを英語で「マージン」といいます。ほら、だんだんと見えてきましたか。その余マージン白は、ときとしてノートのように使われることもあります。そう、マルジナリアとは、そんなふうにして本の余白に書き込まれたものを指すのでした。
そのつもりで探してみると、あちこちでいろいろなマルジナリアが見つかります。どれも、いつかどこかで誰かがある本に書き込みをしたものです。これはなんだかちょっと面白いことのように思うのです。
普通、読書の痕跡はほとんど残りません。誰かがかたとき本を開いて読む。読むあいだ、知らなかったことを教えられたり、なにかを連想したり、考えが浮かんだり、泣いたり笑ったりドキドキしたりと、その人の心や体になにかが起きて気持ちや記憶も変化します。他方で本のほうはといえば、せいぜい指紋がついたりページがよれたりするくらいのもの。読書とはそういうことであり、もちろんそれでよいわけです。
でももし、その人が読みながら思い浮かんだことを余白に書いたらどうなるか。その書き込みは、本があり続ける限りその本とともに残ります。そして後に、それを当人が見直すこともあれば、誰かの目に触れてものを考えさせたりもすることにもなります。例えば一七世紀の数学者、フェルマーが古い数学書の余白に書いた思わせぶりな言葉は、二〇世紀末に解決されるまで、じつに三〇〇年以上にわたってどれだけの人が振り回されたか、というたいそう人騒がせなものでした(詳しくは本編でお話しします)。
仮に、本がつくられた状態を第一形態とすれば、マルジナリアを施された状態は第二形態とでも言いましょうか。第一形態の本は、たくさん印刷された同じものでもあります。第二形態の本は、二冊と同じものはなく、大袈裟でもなんでもなしに、世界でただ一冊の本でもあるのです。この第二形態の本、つまりマルジナリアを施された本は、第一形態の本とはまた違う出来事を引き起こすわけでした。
本書は、そんなマルジナリアの面白さをご一緒に眺めてみようという趣向で書かれたものです。マルジナリアでなにがつかまるのかは、見ての読んでのお楽しみ。それではさっそく参りましょう。
- 本の長さ320ページ
- 言語日本語
- 出版社本の雑誌社
- 発売日2020/7/31
- 寸法18.8 x 12.8 x 2.2 cm
- ISBN-104860114450
- ISBN-13978-4860114459
よく一緒に購入されている商品

対象商品: マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻
¥2,200¥2,200
最短で4月4日 木曜日のお届け予定です
残り5点(入荷予定あり)
¥2,200¥2,200
最短で4月4日 木曜日のお届け予定です
在庫あり。
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 本の雑誌社 (2020/7/31)
- 発売日 : 2020/7/31
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 320ページ
- ISBN-10 : 4860114450
- ISBN-13 : 978-4860114459
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 2.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 111,096位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4,787位評論・文学研究 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

文筆家・ゲーム作家。1971年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(プログラム/企画)に従事。2004年からフリーランス。2015年から2020年までモブキャストゲームスとプロ契約。金沢工業大学客員教授、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。
詳しくはブログ「作品メモランダム」のプロフィールをご覧ください。
http://yakumoizuru.hatenadiary.jp/entry/profile
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年5月30日に日本でレビュー済み
2020年12月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「マルジナリアでつかまえて」…、なんだかボブ・ジェームス2の「マルディグラに連れてって(感謝祭の最後の日のことらしい)」(原作はポール・サイモン)を連想させるようなタイトルを新聞の書評で知り、即決購入でした。
なぜ、即決するほど惹かれたか、、、自分がそうだからです。 マルジナリアとは、余白の書き込みのことなんですね、初めて聞きました。 異様なほどに書き込みをしている自分って、なんか変なのかなぁと、ずっと不安でした。 ところがギッチョンチョン、夏目漱石もハンナ・アーレントも、世界に名だたる思想家、学者にも、そういう”習性?”の持ち主は少なくないそうで、マルジナリアのアンソロジーまであるというからおどろきです。 あー自分は変人じゃなかった。 やっと承認されたような気分で溜飲を下げた次第です。
ブッ○オ○などで100円モノを買ってページを開いたときに、書き込みがあるとなんかうれしい。 前に読んだ人の思考の経緯がわかるようです。 なかにはきれいなイラストまで描き込んであったりするものもあり、そんなときは大当たり、著者と前回読者と自分とで相互連携して対話しているような気分になります。
「ペンを持たぬと本が読めぬ」と帯にあります。 この、なんだか”シッポをつかまれた”感に同情と共感が共振し、本書を読まずにおれぬ、と一気に300ページ駆け抜けました。 その事情は、P42にあるとおり、ひらめいたことは後から思い出せないことがほとんどなので、”そのとき”に”そこに”メモしなければ読み進めることができずフリーズしてしまうんです。 いつものペンがないだけで”読んじゃいけない”モードに突入してしまうわけです。
本というものは、場合によっては読むものではなくて、対話のためのコンタクト対象なんですね。 のちに読み返したときのことを考えると、マルジナリアとは未来の自分との対話でもある…、そのとおり。 自分も元の場所にあらず、時とともに変わっていく存在なんですから。 ”そのときの自分”を書き留めておく作業は、時空を超えて思考に作用し、そういった経験が有機的につながることで思考を深耕するに違いありません。
でも、漱石のマルジナリアにも見られるとおり、分からない部分には遠慮なく「わからな~い!」と書き込んでしまえばいいんですね。 ”分からなくていい、という理解”の表明です。 本とは、必ずしも「分かる」対象ではなくて、思考実験の場、アナロジーの対象なのでしょう。
、、、という具合に、マルジナリアという痕跡の効用、事例、そして読書とはなにか、本とは何か、という著者の知見が繰り広げられて、すこぶる面白い。 P257あたりから、その効用の神髄が色濃く語られています。 マルジナリアした瞬間、その本は未来の自分と自覚的に協力し、世界に一つの自分専用本にカスタマイズされる、というわけです。
P265以降は、マルジナリアから派生する「索引」の重要性が述べられており興味深い。 索引は、本を要素分解することで読者を道案内し、気になるところへ一発リンクさせます。 目次を俯瞰し、索引でその世界にピンポイントで自分を連れてゆくことができます。 そして目次にもどり、行き先を再度模索する、、、その往還で肉付けするようにページを追いかける。 そういう読み方で読書過程をカスタマイズする楽しみもあります。 また、速読の近道ともいえそうです。 そういった快感を味わうには、たしかにアナログ本のほうが有利かもしれません。
本書は、すべてのマルジナリアンへの適時打です。 超おススメです。
なぜ、即決するほど惹かれたか、、、自分がそうだからです。 マルジナリアとは、余白の書き込みのことなんですね、初めて聞きました。 異様なほどに書き込みをしている自分って、なんか変なのかなぁと、ずっと不安でした。 ところがギッチョンチョン、夏目漱石もハンナ・アーレントも、世界に名だたる思想家、学者にも、そういう”習性?”の持ち主は少なくないそうで、マルジナリアのアンソロジーまであるというからおどろきです。 あー自分は変人じゃなかった。 やっと承認されたような気分で溜飲を下げた次第です。
ブッ○オ○などで100円モノを買ってページを開いたときに、書き込みがあるとなんかうれしい。 前に読んだ人の思考の経緯がわかるようです。 なかにはきれいなイラストまで描き込んであったりするものもあり、そんなときは大当たり、著者と前回読者と自分とで相互連携して対話しているような気分になります。
「ペンを持たぬと本が読めぬ」と帯にあります。 この、なんだか”シッポをつかまれた”感に同情と共感が共振し、本書を読まずにおれぬ、と一気に300ページ駆け抜けました。 その事情は、P42にあるとおり、ひらめいたことは後から思い出せないことがほとんどなので、”そのとき”に”そこに”メモしなければ読み進めることができずフリーズしてしまうんです。 いつものペンがないだけで”読んじゃいけない”モードに突入してしまうわけです。
本というものは、場合によっては読むものではなくて、対話のためのコンタクト対象なんですね。 のちに読み返したときのことを考えると、マルジナリアとは未来の自分との対話でもある…、そのとおり。 自分も元の場所にあらず、時とともに変わっていく存在なんですから。 ”そのときの自分”を書き留めておく作業は、時空を超えて思考に作用し、そういった経験が有機的につながることで思考を深耕するに違いありません。
でも、漱石のマルジナリアにも見られるとおり、分からない部分には遠慮なく「わからな~い!」と書き込んでしまえばいいんですね。 ”分からなくていい、という理解”の表明です。 本とは、必ずしも「分かる」対象ではなくて、思考実験の場、アナロジーの対象なのでしょう。
、、、という具合に、マルジナリアという痕跡の効用、事例、そして読書とはなにか、本とは何か、という著者の知見が繰り広げられて、すこぶる面白い。 P257あたりから、その効用の神髄が色濃く語られています。 マルジナリアした瞬間、その本は未来の自分と自覚的に協力し、世界に一つの自分専用本にカスタマイズされる、というわけです。
P265以降は、マルジナリアから派生する「索引」の重要性が述べられており興味深い。 索引は、本を要素分解することで読者を道案内し、気になるところへ一発リンクさせます。 目次を俯瞰し、索引でその世界にピンポイントで自分を連れてゆくことができます。 そして目次にもどり、行き先を再度模索する、、、その往還で肉付けするようにページを追いかける。 そういう読み方で読書過程をカスタマイズする楽しみもあります。 また、速読の近道ともいえそうです。 そういった快感を味わうには、たしかにアナログ本のほうが有利かもしれません。
本書は、すべてのマルジナリアンへの適時打です。 超おススメです。