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新装版 論語の活学 (安岡正篤人間学講話) 単行本 – 2015/4/23
安岡正篤
(著)
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論語をみると、われわれば日常遭遇する現象や問題がことごとく原理的に説明されている。こんなことにまで触れていたか、こんな問題まで出ていたかと、驚くばかりである。たとえば、里仁篇に、「利によって行えば怨み多し」とある。これは今日も同じことで、人びとは皆、「利」を追って暮らしているが、利を求めてかえって利を失い、利によって誤まられて、際限もなく怨みを作っている。それは「利とは何であるか」ということを知らないからである。「利の本は義」「利は義の和なり」(左伝)という。したがって本当に利を得ようとすれば「いかにすることが“義”か」という根本に立ち返らなければならない。これは千古かわらぬ事実であり、法則である。ここに気がついて初めて論語が〈活きた学問〉となる(まえがきより)。
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「利」の本は「義」なり……(目次より)
論語をみると、われわれば日常遭遇する現象や問題がことごとく原理的に説明されている。こんなことにまで触れていたか、こんな問題まで出ていたかと、驚くばかりである。たとえば、里仁篇に、「利によって行えば怨み多し」とある。これは今日も同じことで、人びとは皆、「利」を追って暮らしているが、利を求めてかえって利を失い、利によって誤まられて、際限もなく怨みを作っている。それは「利とは何であるか」ということを知らないからである。「利の本は義」「利は義の和なり」(左伝)という。したがって本当に利を得ようとすれば「いかにすることが“義”か」という根本に立ち返らなければならない。これは千古かわらぬ事実であり、法則である。ここに気がついて初めて論語が〈活きた学問〉となる(まえがきより)。
- 本の長さ264ページ
- 言語日本語
- 出版社プレジデント社
- 発売日2015/4/23
- ISBN-104833421275
- ISBN-13978-4833421270
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対象商品: 新装版 論語の活学 (安岡正篤人間学講話)
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登録情報
- 出版社 : プレジデント社 (2015/4/23)
- 発売日 : 2015/4/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 264ページ
- ISBN-10 : 4833421275
- ISBN-13 : 978-4833421270
- Amazon 売れ筋ランキング: - 129,973位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,338位哲学 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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明治31年大阪市生まれ。大正11年東京帝国大学法学部政治学科卒業。昭和58年12月死去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『洗心講座―聖賢の教えに心を洗う』(ISBN-10:4884748980)が刊行された当時に掲載されていたものです)
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年10月5日に日本でレビュー済み
論語と言うものを、自分の人生に価値をする時が来るなんて思ってもいませんでした。論語自体は知っているし、高校の時にも学ぶかと思いますが、これだけ人生に影響与えてくれるものかとは思っていませんでした。
2023年9月4日に日本でレビュー済み
「論語の活学」は、題名が示す通り孔子の「論語」を活学する本だ。論語の重要な言葉を深く論じているが、それを足がかりに、話は日本社会への観察などにも及んでおり、興味が尽きない。その記述を読むと、現代の日本にもそのまま妥当するような鋭さに満ちていることがわかる。
たとえば論語・泰伯の五において、曾子が顔回を論じた文章があるが、これに絡んで安岡先生は「悪にいかに対処すべきか」を議論している。普遍性のあるテーマ設定であり、視野も広いので、現在の世界情勢にも当てはまる鋭さがある。そこで以下、そのまま引用させていただく。
「・・・人間の悪に対する態度、あるいは在(あ)りかたというものをつきつめると、およそ五つの型がある。
第一 【弱肉強食型】
泣き寝入り型といってもよろしい。強い者が弱い者を犠牲にしても仕方がない、弱い者は強い者の犠牲になっても仕方がない、長いものには巻かれろというわけで、あきらめて泣き寝入りしてしまう態度。全くお話にならない意気地のない態度。
第二 【復讐型】
殴られたら殴り返す、蹴られたら蹴り返す、という暴力的態度。これは野蛮で、人間としては確かに低級である。しかし『一寸の虫にも五分の魂』で、いかなる弱者といえども人間である以上、気概もあれば、憎しみ、怨みもあるわけで、第一の意気地ない態度に比べると、まだ元気があると言うべきです。
第三 【偽善型】
蹴られても蹴り返すことのできない人間が、自分の良心の呵責やら、負け惜しみ、さらには人前を恥じてこれを取り繕おうとするコンプレックスから、立派な理由をつけてその意気地なさをごまかそうとする。そこで彼らは論語・泰伯の五にいう「犯されても校(むく)いず」、というような人間の至極の境地を表した言葉をよく引用するわけです。たとえばキリスト教でいうならば、「誰か右の頬を打たば、これにめぐらすに左の頬をもってせよ」、「汝の敵を愛せ」などなど。そういう達人・達道の域を表す言葉を、その美しい実体を抜きにして借りてくる。これが人を誤り世を乱す。
ところが今日、そういう偽善者が多いから困るのです。やれ平和主義者だの、何とか評論家だの、宗教家だのとたくさんおる。彼らは口を開くと、平和平和で、戦争はいけない、暴力はいけない、武力を捨てなくてはいけない、という。もちろん平和を願わぬ者はないけれども、世界の現実は彼らが考えるほど甘くない。もし日本がそういうことを実行したらどうなるか。いかなる覇権が及んでくるか。それをまた彼らは、中国共産党が一番恐れておるのは日本が強力な武装をすることであるから、日本がそれをやめれば必ずおとなしくなるだろう、と言うのでありますが、これは卑怯な偽善者の寝言に過ぎない。
第四 【宗教型】
俗世間の一切を超越して、全てを平等に慈愛の眼で視るという態度。これは人間として最も尊いあり方であるが、しかし人間の中の極めて少ない勝れた人たちにして初めて到達できる境地であって、到底、我々凡人に出来ることではない。
例えば、宮本武蔵は、生涯を多くの武芸者を相手に戦い抜いた剣の達人でありますが、最終的に彼は、剣の最高の境地は刀を使わぬところにあると悟って、とうとう丸腰になった。しかし、剣の初心者が、刀を持たない武蔵には勝てる、といって武蔵に切りかかったらどうなるか。おそらく一撃のもとに倒されてしまうにちがいありません。また、武蔵の丸腰に感心して、剣の初心者が丸腰になったらどうなるか。相手が百姓町人でもやっつけられるでしょう。
ですから、この型は、最も尊いものではあるが、凡人にはまねのできないものです。(評者注・・・ちなみに、安岡先生が、宮本武蔵のこの境地について詳しく解説した本が別にあります。「日本精神の研究」です。関心を持たれた方はそちらもお読みになってはいかがでしょう)
となると、最後に残るのが、次にあげる神武型です。
第五 【神武型】
人間の道を重んずるが故に、悪を憎んで断固としてこれを封ずる、という態度。論語にも孔子が「ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪(にく)む(ただ仁者だけが本当に人を愛することができ、人を悪むことができる)」(里仁)と言うておりますが、人を悪むと言っても、人間をにくむのではない、その人間の行う悪をにくむのである。
「武」もまたしかり。その人間を憐れんで、悪から解放してやるのである。それが「武」というものです。だから武という文字は、戈(ほこ)を止(とど)む、と書く。そしてその人間が悪を悔いて改心するときは、心から全てをゆるしてやる。これを「尚武」または「神武」という。そういう武というものが、古来、我々の悪に対する信念であって、その「武」がだんだん磨かれて、「武士道」というものになった。この「武」の精神があったから、明治維新のような立派な人道的改革ができたのでありまして、もしこれが中国共産党やロシアであったならば、おそらく将軍をはじめとして諸大名の大半が殺されたに違いありません。
以上五つが悪に対する態度、あり方というものでありますが、こういうことをはっきり心得ておれば、つまらぬ思想や議論に惑わされることもない。それこそ顔回のように「犯されても校いず」で、そういうものを相手にすることが馬鹿らしくなる。」
最後に、中国共産党の悪辣さを知るための必須文献として、門田隆将の「日中友好侵略史」を紹介しておく。
たとえば論語・泰伯の五において、曾子が顔回を論じた文章があるが、これに絡んで安岡先生は「悪にいかに対処すべきか」を議論している。普遍性のあるテーマ設定であり、視野も広いので、現在の世界情勢にも当てはまる鋭さがある。そこで以下、そのまま引用させていただく。
「・・・人間の悪に対する態度、あるいは在(あ)りかたというものをつきつめると、およそ五つの型がある。
第一 【弱肉強食型】
泣き寝入り型といってもよろしい。強い者が弱い者を犠牲にしても仕方がない、弱い者は強い者の犠牲になっても仕方がない、長いものには巻かれろというわけで、あきらめて泣き寝入りしてしまう態度。全くお話にならない意気地のない態度。
第二 【復讐型】
殴られたら殴り返す、蹴られたら蹴り返す、という暴力的態度。これは野蛮で、人間としては確かに低級である。しかし『一寸の虫にも五分の魂』で、いかなる弱者といえども人間である以上、気概もあれば、憎しみ、怨みもあるわけで、第一の意気地ない態度に比べると、まだ元気があると言うべきです。
第三 【偽善型】
蹴られても蹴り返すことのできない人間が、自分の良心の呵責やら、負け惜しみ、さらには人前を恥じてこれを取り繕おうとするコンプレックスから、立派な理由をつけてその意気地なさをごまかそうとする。そこで彼らは論語・泰伯の五にいう「犯されても校(むく)いず」、というような人間の至極の境地を表した言葉をよく引用するわけです。たとえばキリスト教でいうならば、「誰か右の頬を打たば、これにめぐらすに左の頬をもってせよ」、「汝の敵を愛せ」などなど。そういう達人・達道の域を表す言葉を、その美しい実体を抜きにして借りてくる。これが人を誤り世を乱す。
ところが今日、そういう偽善者が多いから困るのです。やれ平和主義者だの、何とか評論家だの、宗教家だのとたくさんおる。彼らは口を開くと、平和平和で、戦争はいけない、暴力はいけない、武力を捨てなくてはいけない、という。もちろん平和を願わぬ者はないけれども、世界の現実は彼らが考えるほど甘くない。もし日本がそういうことを実行したらどうなるか。いかなる覇権が及んでくるか。それをまた彼らは、中国共産党が一番恐れておるのは日本が強力な武装をすることであるから、日本がそれをやめれば必ずおとなしくなるだろう、と言うのでありますが、これは卑怯な偽善者の寝言に過ぎない。
第四 【宗教型】
俗世間の一切を超越して、全てを平等に慈愛の眼で視るという態度。これは人間として最も尊いあり方であるが、しかし人間の中の極めて少ない勝れた人たちにして初めて到達できる境地であって、到底、我々凡人に出来ることではない。
例えば、宮本武蔵は、生涯を多くの武芸者を相手に戦い抜いた剣の達人でありますが、最終的に彼は、剣の最高の境地は刀を使わぬところにあると悟って、とうとう丸腰になった。しかし、剣の初心者が、刀を持たない武蔵には勝てる、といって武蔵に切りかかったらどうなるか。おそらく一撃のもとに倒されてしまうにちがいありません。また、武蔵の丸腰に感心して、剣の初心者が丸腰になったらどうなるか。相手が百姓町人でもやっつけられるでしょう。
ですから、この型は、最も尊いものではあるが、凡人にはまねのできないものです。(評者注・・・ちなみに、安岡先生が、宮本武蔵のこの境地について詳しく解説した本が別にあります。「日本精神の研究」です。関心を持たれた方はそちらもお読みになってはいかがでしょう)
となると、最後に残るのが、次にあげる神武型です。
第五 【神武型】
人間の道を重んずるが故に、悪を憎んで断固としてこれを封ずる、という態度。論語にも孔子が「ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪(にく)む(ただ仁者だけが本当に人を愛することができ、人を悪むことができる)」(里仁)と言うておりますが、人を悪むと言っても、人間をにくむのではない、その人間の行う悪をにくむのである。
「武」もまたしかり。その人間を憐れんで、悪から解放してやるのである。それが「武」というものです。だから武という文字は、戈(ほこ)を止(とど)む、と書く。そしてその人間が悪を悔いて改心するときは、心から全てをゆるしてやる。これを「尚武」または「神武」という。そういう武というものが、古来、我々の悪に対する信念であって、その「武」がだんだん磨かれて、「武士道」というものになった。この「武」の精神があったから、明治維新のような立派な人道的改革ができたのでありまして、もしこれが中国共産党やロシアであったならば、おそらく将軍をはじめとして諸大名の大半が殺されたに違いありません。
以上五つが悪に対する態度、あり方というものでありますが、こういうことをはっきり心得ておれば、つまらぬ思想や議論に惑わされることもない。それこそ顔回のように「犯されても校いず」で、そういうものを相手にすることが馬鹿らしくなる。」
最後に、中国共産党の悪辣さを知るための必須文献として、門田隆将の「日中友好侵略史」を紹介しておく。
2020年5月3日に日本でレビュー済み
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内容が非常に良かったので
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2019年8月30日に日本でレビュー済み
人間学たるものは、初めて聞いたのですが、とても人生の役になる曲がたくさん入っていました。論語を、徹底的に解説し、よくよく考えてみると、それが自分の人生にどれだけ役に立つものかっていうのがわかるはずです。
2018年2月19日に日本でレビュー済み
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アスリートが、勧めるという1冊です。ということからこの本と出会いました。論語は、みんなの知っている内容ですが、今本の視点も参考になることが多く学べる1冊です。