マックス・ウェーバーの見解がすっと伝わってきます。
他のレビューアートが書かれているように翻訳のお陰
だと感じました。
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職業としての政治/職業としての学問 (日経BPクラシックス) 単行本 – 2009/2/19
マックス・ウェーバー
(著),
中山 元
(翻訳)
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日経BPクラシックス 第4弾
マックス・ウェーバー(1864-1920)は20世紀を代表するドイツの社会学者。
著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、世俗内禁欲を生活倫理とするプロテスタンティズムが近代資本主義発展の原動力となったと分析。
戦後日本を代表する丸山真男、大塚久雄らの学者に大きな影響を与えた。
本書は、ウェーバーの残した重要な講演ふたつを収録した。第一次世界大戦で敗北したドイツ。
全土が騒然たる革命の雰囲気に覆われていた1919年1月、ミュンヘンで『職業としての政治』の講演が行われた。
政治とは何か、政治家という存在が担うべき役割とは何かを、血気にはやる学生を前に諄々と説いたウェーバー。
「現実のうちで貢献しようとしているものと比較して、世界がどれほどに愚かで卑俗にみえたとしてもくじけることのない人、
どんな事態に陥っても、『それでもわたしはやる』と断言できる人、そのような人だけが政治への『召命』[天職]をそなえているのです」世界的な激動期にあたり、
政治の役割が従来以上に増してきた今、本書は万人必読の書といえる。
『職業としての学問』も名高い講演として知られる。ウェーバーはこう説いた。
「わたしたちはみずからの仕事に赴き、人間としても、職業においても、『日々求められること』にしたがう必要があるのです」
訳者は光文社古典新訳シリーズのカント『永久平和のために』、ルソー『人間不平等起源論』などの中山元氏。
マックス・ウェーバー(1864-1920)は20世紀を代表するドイツの社会学者。
著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、世俗内禁欲を生活倫理とするプロテスタンティズムが近代資本主義発展の原動力となったと分析。
戦後日本を代表する丸山真男、大塚久雄らの学者に大きな影響を与えた。
本書は、ウェーバーの残した重要な講演ふたつを収録した。第一次世界大戦で敗北したドイツ。
全土が騒然たる革命の雰囲気に覆われていた1919年1月、ミュンヘンで『職業としての政治』の講演が行われた。
政治とは何か、政治家という存在が担うべき役割とは何かを、血気にはやる学生を前に諄々と説いたウェーバー。
「現実のうちで貢献しようとしているものと比較して、世界がどれほどに愚かで卑俗にみえたとしてもくじけることのない人、
どんな事態に陥っても、『それでもわたしはやる』と断言できる人、そのような人だけが政治への『召命』[天職]をそなえているのです」世界的な激動期にあたり、
政治の役割が従来以上に増してきた今、本書は万人必読の書といえる。
『職業としての学問』も名高い講演として知られる。ウェーバーはこう説いた。
「わたしたちはみずからの仕事に赴き、人間としても、職業においても、『日々求められること』にしたがう必要があるのです」
訳者は光文社古典新訳シリーズのカント『永久平和のために』、ルソー『人間不平等起源論』などの中山元氏。
- ISBN-104822247228
- ISBN-13978-4822247225
- 出版社日経BP
- 発売日2009/2/19
- 言語日本語
- 本の長さ272ページ
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カスタマーレビュー |
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7
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5つ星のうち4.0
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5つ星のうち4.1
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価格 | ¥1,980¥1,980 | ¥2,640¥2,640 | ¥1,760¥1,760 |
発売日 | 2017/1/26 | 2010/1/21 | 2009/2/19 |
登録情報
- 出版社 : 日経BP (2009/2/19)
- 発売日 : 2009/2/19
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 272ページ
- ISBN-10 : 4822247228
- ISBN-13 : 978-4822247225
- Amazon 売れ筋ランキング: - 62,248位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 212位政治入門
- - 13,050位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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2009年3月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あらためて外国語文化の咀嚼について考えられさせられました。岩波文庫版は岩波伝統の悪文でわざと難解にしているとしか思えない。角川文庫版はボロボロで書き込み入り、しかもプレミア価格で購入しました。小見出し入りで岩波版よりはるかに読みやすいですが、やはりウェーバーが頑迷な狂信学者にすら感じられます。それが本書の「ですます調」で、註も通読のさまたげにならない訳で、まったく別の刺激的な世界が見えました。面白い反面、翻訳の怖さを感じました。映画の多くも例えば「戸田奈津子の感じたフィーリング」でしか観ていないのかも・・・。字幕は翻訳よりもっと主観的に短くなりますからねえ。本シリーズは安価で読みやすく、フリードマンやガルブレイスも楽しく読めました。センスのよい装丁が祖父江氏というのも意外でした。
2009年12月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
政治家を志す者の必読書といわれる「職業としての政治」を一度読んでおきたくて本書を購入した。
本書は字が大きく訳も丁寧だ。
ただし改行がおかしい部分やページが白紙の部分が多いため、
コンパクトに新書として販売してもいいのではと思う。
また目次がないのも再読用には不親切だ。
内容的には星5つだが、上記問題点から星3つと評価したい。
本書は字が大きく訳も丁寧だ。
ただし改行がおかしい部分やページが白紙の部分が多いため、
コンパクトに新書として販売してもいいのではと思う。
また目次がないのも再読用には不親切だ。
内容的には星5つだが、上記問題点から星3つと評価したい。
2013年2月12日に日本でレビュー済み
学生相手の講演ということもあってあの「プロ倫」よりははるかに読みやすい(当然だけど)。中山氏の名訳っていうことあるのだろう、21世紀に読むヴェーバーはこれっていう感じ。
「職業としての政治」では、政治家には「政治のために生きる政治家」と「政治によって生きる政治家」があるっていう。前者は精神的な意味で政治によって生きている人物。で、混乱するんだけど後者は、政治という現場に持続的な収入源を求めようとしている人々。であるなら前者は政治を持続的な収入源としていない人々ってことで、資産家で経済的な活動から「手が放せる」ことが必要になるらしい。ヴェーバーは最も手が放せやすい職業として弁護士をあげているけど、そういえば弁護士出身の政治家が多いのは今の日本も一緒?。今も昔も弁護士業は手抜きなのかな・・・・・・・。
「職業としての学問」は、今の時代、学者になろうとするのは大変だっていうお話だけど、1917-19年当時の弁論からすれば、これを聴く学生にはピンと来るモノが多々あったんだろう。あのローザ・ルクセンブルクが殺されたのもこの頃で、ロシア革命も勃発していたし、何しろ、第一次世界大戦での敗戦でドイツはひどい有様だったって背景がある。でも、当時の事情がどうあれ、今読んでも変わらない驚きと新鮮さがあるのは、やはり名講演・名著っていうことなんだろう。
「職業としての政治」では、政治家には「政治のために生きる政治家」と「政治によって生きる政治家」があるっていう。前者は精神的な意味で政治によって生きている人物。で、混乱するんだけど後者は、政治という現場に持続的な収入源を求めようとしている人々。であるなら前者は政治を持続的な収入源としていない人々ってことで、資産家で経済的な活動から「手が放せる」ことが必要になるらしい。ヴェーバーは最も手が放せやすい職業として弁護士をあげているけど、そういえば弁護士出身の政治家が多いのは今の日本も一緒?。今も昔も弁護士業は手抜きなのかな・・・・・・・。
「職業としての学問」は、今の時代、学者になろうとするのは大変だっていうお話だけど、1917-19年当時の弁論からすれば、これを聴く学生にはピンと来るモノが多々あったんだろう。あのローザ・ルクセンブルクが殺されたのもこの頃で、ロシア革命も勃発していたし、何しろ、第一次世界大戦での敗戦でドイツはひどい有様だったって背景がある。でも、当時の事情がどうあれ、今読んでも変わらない驚きと新鮮さがあるのは、やはり名講演・名著っていうことなんだろう。
2009年10月7日に日本でレビュー済み
誰しも言うとおり、格段に読みやすい翻訳。しかし、改めて翻訳が良くなっても「〜としての学問」のほうが短いが読みにくい事に気付くと思う。「〜としての政治」のほうが、話し振りが躍動感に飛んでおり、テーマに対してやや散漫な気もするが、紹介されるいろいろな事例がおもしろく、講演なのだからそれで良いのだと思う。逆に、「〜としての学問」は、テーマは、第一次大戦後の新機軸を求めて血気はやる若者に、結局「ひきこもれ!」と言っている内容なのに、なぜか、「脱魔術化」「合理化」にまで遡って「今日的な」学問のあり方を説いて「ゆえに〜」とやってしまう、やや迂遠に過ぎる展開で、短いながら「さて、何の話をしているのかな」と思ってしまうほどあんまり流れは良くない。これは原典を読んでも同じことで翻訳が優秀なことに変わりは無い。本書で再読の機会を得て、改めて思うのは、ドイツ人というか、ウェーバーの気質に、違和感を覚えたことだ。つまり、ここまでゴリゴリした思考法、センスというのは、やっぱり現実的な妥当性があるとは思えない。講演であること、時代背景を鑑みればやむなしの感もあるが。あるべき日々の仕事に身を投じ日本的に言えば「職人になる」こと以外、職業としての学問などはありえず、自信の価値観に無自覚なまま、実践や自己の「体験」を教室で訴えるような大学教師はあってはならない、と批判する時、その普遍的な思考には納得するけど、すると、ウェーバーのここでの主張は、まさに主張内容と反してやしないか、と思いたくなる。教室の外だから良いということか。「〜としての政治」にしても、主張内容は、どこかヒットラーみたいな人を容認してしまいやしないか、と思えるほどに、今度は「外的な理由」ではなく、「政治のための」内的価値観(責任倫理であれなんであれ)を非常に重視する。いずれも、別著「プロテスタンティズムの倫理」で展開された元祖「カルヴィニズム」の化身のような態度で、するとあの書物(プロ倫)も、ウェーバーの価値観が相当バイアスだ、と思えてくる。結局、何に付け、「価値」と「実践」の厳格というか幻想的な区別に基づく「価値観」が、引っかかる。極端すぎる主張は、後年、ファナティックな左翼思想家に引っかかり、「理論」と「実践」の区別などありえるのか、とこれまた極端な主張へ展開、不毛な議論となった。几帳面過ぎては、及ばざるが如しと思えてくる。