ハプスブルク家って名前は見かけるけどちゃんと知らなかったので
ざっとした流れを把握するのに役立ちました。
この流れを知っておくとフランス革命による国という意識と
それまでの家に帰属するという意識の違いがわかるかと思います。
情報の索引ぐらいの感覚で利用すればいいかと
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ハプスブルク家 (図解雑学) 単行本(ソフトカバー) – 2008/2/21
菊池 良生
(著)
中世から20世紀初頭まで栄華を誇り、世界最大の王家とも言われるハプスブルク家。オーストリア地域を拠点に勢力を広げ、最盛期には現在の英仏露を除くヨーロッパと中南米、さらにはインドまでをも治めて「陽の沈まない帝国」と謳われました。一方で、各地域の文化、風俗を尊重しながらヨーロッパの大部分を治め続けたハプスブルク家のあり方は、近年のEUによるヨーロッパ統合の動きと二重写しになり、再び脚光を浴びています。カラー写真とイラスト、図解を駆使して、ハプスブルク家の波乱の歴史と華麗な文化をわかりやすく解説した本書は、ヨーロッパの歴史と現在を見つめ、将来を展望するためにうってつけの1冊となるはずです。
- 本の長さ208ページ
- 言語日本語
- 出版社ナツメ社
- 発売日2008/2/21
- ISBN-104816344748
- ISBN-13978-4816344749
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
早稲田大学大学院博士課程に学ぶ。現在、明治大学教授。専攻はオーストリア文学。著書に『戦うハプスブルク家』『傭兵の二千年史』『神聖ローマ帝国』『ハプスブルクをつくった男』(いずれも講談社現代新書)『ハプスブルク帝国の情報メディア革命―近代郵便制度の誕生』(集英社新書)、訳書に『ドイツ傭兵の文化史』(新評論)などがある。
登録情報
- 出版社 : ナツメ社 (2008/2/21)
- 発売日 : 2008/2/21
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 208ページ
- ISBN-10 : 4816344748
- ISBN-13 : 978-4816344749
- Amazon 売れ筋ランキング: - 207,652位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 67位ドイツ・オーストリア史
- - 555位ヨーロッパ史一般の本
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2013年2月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2019年9月16日に日本でレビュー済み
著者の菊池良生は名文で知られるオーストリア文学の専門家で、類書をさまざま出しているが、どれもみな評価が高い。そんな菊池の文体で、分かりやすい参考書のような図と写真が半分以上を占める装丁でハプスブルク家を解説されると、質の高い紙芝居を見ているような気分で人物伝や事績を見ていくことができる。歴史書もさまざまで、事実だけ羅列されると何も面白くないが、彼の文章は講談や物語を聞いているような、歴史の息吹を感じさせるような、格調高くも楽しいもの。それが、ある意味チープな参考書仕立ての装丁と分かりやすい図版と一緒になると、何だか最高の教科書のように思えてくるので不思議。
そう、この本の売りは、著者の名文と、啓蒙書然とした親切な装丁のいい感じのミスマッチである。
教養ある著者の美文・名文は、通常はこうした(チープな)啓蒙書では見られないが、こうした本に美文・名文が入ると、実はすさまじい破壊力を持つことが示されたと言っていい。
おかげで一つ一つのエピソードが味わい深い。
傭兵の話をするのに「売春が自分の生身の身体を切り売りする世界最古の商売であるとしたら、傭兵もまた哀しい商売としてかなり古い歴史を持っている。何しろイスラエル第2代のダビデ王もまた傭兵から身を起こしたというのだから相当なものである。」から始まり、ハプスブルク帝国の崩壊の話が「オペラ座近くの(中略)角にカフェ・シャイドルがあった。なんとこの喫茶店がオーストリア軍の夜の参謀本部であった。この将校サロンで軍の機密が声高に議論されていたのである。おかげでカバレットの歌姫メラ・マルスは第一次世界大戦の折、オーストリア軍の対イタリア第一次攻撃のあらましを出征に赴く兵たちの誰よりも速く、しかも詳細に知ることができたのである。帝国が崩壊するということは畢竟、こういうことなのだろう。しかし考えてみればよくぞこの帝国は1918年まで存続したものである。」から始まる。これらはものすごく効果的と私が思った例だけど、こんな調子で書かれていたら、つい読んじゃうでしょ?
この本は、私が読んだ様々な歴史関係の本の中でも、大当たりの部類に入ることを断言します。
見た感じはとてもそうは見えないところだけが欠点。なにしろ表紙最上段に「オールカラー」とオールカラーで書かれ「絵と文章でわかりやすい!」という文が続き、背表紙にも「図解雑学『オールカラー』(○入りオールカラー表記)ハプスブルク家」と書かれており、チープ感満載。しかし、ここを読んじゃった方、手に取ってみた方がいいですよ。
そう、この本の売りは、著者の名文と、啓蒙書然とした親切な装丁のいい感じのミスマッチである。
教養ある著者の美文・名文は、通常はこうした(チープな)啓蒙書では見られないが、こうした本に美文・名文が入ると、実はすさまじい破壊力を持つことが示されたと言っていい。
おかげで一つ一つのエピソードが味わい深い。
傭兵の話をするのに「売春が自分の生身の身体を切り売りする世界最古の商売であるとしたら、傭兵もまた哀しい商売としてかなり古い歴史を持っている。何しろイスラエル第2代のダビデ王もまた傭兵から身を起こしたというのだから相当なものである。」から始まり、ハプスブルク帝国の崩壊の話が「オペラ座近くの(中略)角にカフェ・シャイドルがあった。なんとこの喫茶店がオーストリア軍の夜の参謀本部であった。この将校サロンで軍の機密が声高に議論されていたのである。おかげでカバレットの歌姫メラ・マルスは第一次世界大戦の折、オーストリア軍の対イタリア第一次攻撃のあらましを出征に赴く兵たちの誰よりも速く、しかも詳細に知ることができたのである。帝国が崩壊するということは畢竟、こういうことなのだろう。しかし考えてみればよくぞこの帝国は1918年まで存続したものである。」から始まる。これらはものすごく効果的と私が思った例だけど、こんな調子で書かれていたら、つい読んじゃうでしょ?
この本は、私が読んだ様々な歴史関係の本の中でも、大当たりの部類に入ることを断言します。
見た感じはとてもそうは見えないところだけが欠点。なにしろ表紙最上段に「オールカラー」とオールカラーで書かれ「絵と文章でわかりやすい!」という文が続き、背表紙にも「図解雑学『オールカラー』(○入りオールカラー表記)ハプスブルク家」と書かれており、チープ感満載。しかし、ここを読んじゃった方、手に取ってみた方がいいですよ。
2010年6月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いま、「社会人のための教科書」がブームになっている。ぼくは、何かこむずかしい本に取り組むとき、この「図解雑学」や「面白いほどよくわかる」シリーズをガイドブック代わりによく使っている。今回は、この著者による「ハプスブルク家からみるヨーロッパ世界」という5回連続講座を聴く機会があり、その教科書、あるいは参考書として本書を活用した。講座を聴きながら書き込みを入れ、その晩自宅でアンダーラインを引きつつ復習するという、実に恵まれた読み方が経験できた。
本書は入門書であっても、そう簡単には読みこなせない。できるだけ内容を盛り込み、文章の質も維持しようとする誠実さが伝わってくる本だ。1ページに何回かは辞書を引きながら読まざるを得ない。ぼくの場合は同じ著者の『ハプスブルク家の人々』に出てくる「卑下自慢」ということばに一番ショックを受けた。まさに自分の性格を言い当てていることばがあったことを、いまごろ知らされたからだ。おっと、こういう言い方自体に「卑下自慢」が臭っているのかもしれない。
本書を読み、筆者の解説を聴きながら、ヨーロッパがいやというほど戦争と和解を繰り返す中で、一国だけの突出を嫌い、バランス・オブ・パワーの知恵を身につけてきたかが、おぼろげながらわかってきた。
本書は入門書であっても、そう簡単には読みこなせない。できるだけ内容を盛り込み、文章の質も維持しようとする誠実さが伝わってくる本だ。1ページに何回かは辞書を引きながら読まざるを得ない。ぼくの場合は同じ著者の『ハプスブルク家の人々』に出てくる「卑下自慢」ということばに一番ショックを受けた。まさに自分の性格を言い当てていることばがあったことを、いまごろ知らされたからだ。おっと、こういう言い方自体に「卑下自慢」が臭っているのかもしれない。
本書を読み、筆者の解説を聴きながら、ヨーロッパがいやというほど戦争と和解を繰り返す中で、一国だけの突出を嫌い、バランス・オブ・パワーの知恵を身につけてきたかが、おぼろげながらわかってきた。
2015年6月20日に日本でレビュー済み
2008年の本。著者はハプスブルク・マニアといっても過言ではない明治大学教授である。本書は、700年にも渡って栄えたがゆえにとてもややこしいハプスブルク家の歴史を一気にたどる内容なのだが、とてもわかりやすくまとめられている。プレゼン資料のような図解もわかりやすい。
曰く・・・
ルドルフ1世(1218-1291)は、神聖ローマ帝国の大空位時代のあと、政治バランスの関係で貧乏伯爵から皇帝に上り詰める。ハプスブルク王朝の創始者。
スペイン王位の継承に際し、ルイ14世はスペイン宮廷に工作し、ブルボン家に王位を譲るという遺言書をカルロス2世に書かせる。オーストリアは激怒し、フランスを牽制したいイギリスやオランダもオーストリアを支援。スペイン継承戦争が勃発する。緒戦に勝利したカール6世はスペイン王位を継承するが、「皇帝にしてスペイン王」というのはイギリス、オランダに反対され、結局、スペイン王位はブルボン家のものになる。カール6世は男児に恵まれず、長女マリア・テレジアが世襲領の女相続人となる(あくまでも夫のフランツ1世が皇帝)。カールの死後、オーストリア継承戦争が勃発。
ナポレオン1世により、神聖ローマ帝国は消滅の危機に瀕する。フランツ2世は、ハプスブルク世襲領(オーストリアとその周辺)をオーストリア帝国と改称し、初代皇帝フランツ1世を名乗る。アウステルリッツの戦いでは屈辱的な敗北を喫するが、なんとか帝国を保つ。メッテルニヒに全権を与えて反民族主義の徹底的な反動政治を行なう。
神聖ローマ帝国の祖型は、カール大帝の西ローマ帝国にある。この帝国は、3つに分割され、イタリア、フランス、ドイツが分立する。中世イタリア王国が教皇領を侵食し、教皇はドイツ王オットー1世に助けを求める(当時のフランスは頼りなかった)。オットーはイタリア王を掣肘し、教皇からの戴冠を受けて皇帝を名乗った。これが神聖ローマ帝国の始まり。オットー1世はイタリア王国を接収し、ドイツ王がイタリア王を兼ね、教皇の戴冠で皇帝になる、という慣習が確立した。
フリードリヒ2世はイタリア政策を強く推進したため、帝国が留守がちになり、諸侯たちが主権を拡大する。フリードリヒ2世が死ぬと、世襲王朝時代が終焉し、大空位時代となり、いわゆる南北朝状態となる。選挙型の王制となり、このときにルドルフ1世が選出される。強大な王権の出現が嫌われたためだが、ルドルフは政敵・オタカル2世(プシェミスル家)を撃破し、権威を高める。
フェリペ2世のスペインは、2度も国家破産を宣言している。スペイン王家に大名貸ししていたフッガー家はこれによって没落していく。フェリペ2世(カトリック)はカルヴァン派の強いネーデルラント(当時はスペイン領)で2万人近くを処刑している。これがきっかけでホラント州を中心として反乱が発生し、オランダ独立戦争となる。ちなみに、フェリペ2世の没年と豊臣秀吉の没年は同じ。
公爵は、フランク王国成立前のゲルマン各部族の武人族長。王権に服する代りに公爵という最高官職を授けられた。公爵は世襲され、地方政権として王権に対抗する。王権は公爵層を牽制するために、征服地に軍事と民生を司る司令官職として伯爵を配備する。伯爵は代官みたいなものなのだがやがてこれも世襲される。侯爵と子爵は、辺境伯爵、副伯爵から由来したもので、いわば伯爵のバリエーション。
ドイツ30年戦争を終結させたウェストファリア条約により、帝国諸侯は同権を持つようになり、外国と同盟する権利も得た。徳川300諸侯の一つにすぎない薩摩藩が、勝手に薩英戦争を戦ったことを想起させる。ウェストファリア条約は、神聖ローマ帝国の死亡診断書とよばれる。この結果、ルイ14世のフランスが抜きん出ることになるので、バランス・オブ・パワーの関係から、神聖ローマ帝国はやはり欠かせない。神聖ローマ帝国は、フランスの脅威ゆえに皮肉にも存続する。
オスマントルコの使者がルイ14世に謁見したことを契機としてフランスにコーヒーが伝わる。トルコはフランスの中立の約束を取り付けた上でウィーンを包囲するが、キリスト教世界はトルコを跳ね返す。このとき、コーヒーがウィーンにも伝わる。コーヒー伝播にはこのような2ルートがある。
オーストリア継承戦争は、プロイセンのフリードリヒ大王がオーストリア領シュレジエンを急襲したのが発端。マリア・テレジアはなんとか防戦したがシュレジエンは取られた。マリア・テレジアは、フランス、ロシアと手を組んで、今度は大王が窮地に陥る(7年戦争)。しかし、ロシアの女帝が死に、フランスは新大陸でイギリスに破れたために7年戦争から脱落。プロイセンはこの戦争を耐えぬいたことで列強となる。
ナポレオン1世が皇帝を名乗ると、フランツ2世はハプスブルク世襲領をオーストリア帝国と改称し、初代皇帝フランツ1世を名乗る。ナポレオンは没落したが、ナポレオンはナショナリズムをヨーロッパに残す。ナポレオン戦争はヨーロッパ各国にとって諸国民戦争となった。以来、ハプスブルク王朝はナショナリズム(民族主義)との不断の戦いを強いられるようになる。
プロイセンは普墺戦争でオーストリア軍を叩き潰し、プロイセンはドイツ連邦を解体し、オーストリア抜きのドイツ統一に乗り出す。イタリア統一運動でオーストリアはイタリアからもすでに叩き出されている。しかも、ハンガリーの独立要求に直面する。フランツ・ヨーゼフ1世は、オーストリア=ハンガリー二重帝国として帝国を再編する。両国は独立した政府と議会を持つが、軍事・外交は共通閣議で決定し、オーストリア皇帝がハンガリー王を兼ねるというパッチワーク帝国。
ドイツ統一にオーストリア帝国を加えることは、帝国内のマジャール人、スラヴ系民族も抱え込むことになる。これに対してドイツ民族の峻別化(純化)を求める民族主義運動が小ドイツ主義であり、プロイセンはこの時代の空気にうまく乗った。プロイセンのビスマルクは、普墺戦争、普仏戦争を介してプロイセン王が帝国皇帝を兼ねるドイツ帝国を成立させる。
ハプスブルク家は独創的なまでに非独創的に達する。決断は常に先延ばし、果敢な政策はいっさい採らない。いよいよのときでも場当たり対応。だからこそ700年もの命脈を保った。ハプスブルク家ほど、王家たるもの明確なグランド・デザインを提示してはならないという統治の要諦を心得ていた家はない。
みたいな話。
曰く・・・
ルドルフ1世(1218-1291)は、神聖ローマ帝国の大空位時代のあと、政治バランスの関係で貧乏伯爵から皇帝に上り詰める。ハプスブルク王朝の創始者。
スペイン王位の継承に際し、ルイ14世はスペイン宮廷に工作し、ブルボン家に王位を譲るという遺言書をカルロス2世に書かせる。オーストリアは激怒し、フランスを牽制したいイギリスやオランダもオーストリアを支援。スペイン継承戦争が勃発する。緒戦に勝利したカール6世はスペイン王位を継承するが、「皇帝にしてスペイン王」というのはイギリス、オランダに反対され、結局、スペイン王位はブルボン家のものになる。カール6世は男児に恵まれず、長女マリア・テレジアが世襲領の女相続人となる(あくまでも夫のフランツ1世が皇帝)。カールの死後、オーストリア継承戦争が勃発。
ナポレオン1世により、神聖ローマ帝国は消滅の危機に瀕する。フランツ2世は、ハプスブルク世襲領(オーストリアとその周辺)をオーストリア帝国と改称し、初代皇帝フランツ1世を名乗る。アウステルリッツの戦いでは屈辱的な敗北を喫するが、なんとか帝国を保つ。メッテルニヒに全権を与えて反民族主義の徹底的な反動政治を行なう。
神聖ローマ帝国の祖型は、カール大帝の西ローマ帝国にある。この帝国は、3つに分割され、イタリア、フランス、ドイツが分立する。中世イタリア王国が教皇領を侵食し、教皇はドイツ王オットー1世に助けを求める(当時のフランスは頼りなかった)。オットーはイタリア王を掣肘し、教皇からの戴冠を受けて皇帝を名乗った。これが神聖ローマ帝国の始まり。オットー1世はイタリア王国を接収し、ドイツ王がイタリア王を兼ね、教皇の戴冠で皇帝になる、という慣習が確立した。
フリードリヒ2世はイタリア政策を強く推進したため、帝国が留守がちになり、諸侯たちが主権を拡大する。フリードリヒ2世が死ぬと、世襲王朝時代が終焉し、大空位時代となり、いわゆる南北朝状態となる。選挙型の王制となり、このときにルドルフ1世が選出される。強大な王権の出現が嫌われたためだが、ルドルフは政敵・オタカル2世(プシェミスル家)を撃破し、権威を高める。
フェリペ2世のスペインは、2度も国家破産を宣言している。スペイン王家に大名貸ししていたフッガー家はこれによって没落していく。フェリペ2世(カトリック)はカルヴァン派の強いネーデルラント(当時はスペイン領)で2万人近くを処刑している。これがきっかけでホラント州を中心として反乱が発生し、オランダ独立戦争となる。ちなみに、フェリペ2世の没年と豊臣秀吉の没年は同じ。
公爵は、フランク王国成立前のゲルマン各部族の武人族長。王権に服する代りに公爵という最高官職を授けられた。公爵は世襲され、地方政権として王権に対抗する。王権は公爵層を牽制するために、征服地に軍事と民生を司る司令官職として伯爵を配備する。伯爵は代官みたいなものなのだがやがてこれも世襲される。侯爵と子爵は、辺境伯爵、副伯爵から由来したもので、いわば伯爵のバリエーション。
ドイツ30年戦争を終結させたウェストファリア条約により、帝国諸侯は同権を持つようになり、外国と同盟する権利も得た。徳川300諸侯の一つにすぎない薩摩藩が、勝手に薩英戦争を戦ったことを想起させる。ウェストファリア条約は、神聖ローマ帝国の死亡診断書とよばれる。この結果、ルイ14世のフランスが抜きん出ることになるので、バランス・オブ・パワーの関係から、神聖ローマ帝国はやはり欠かせない。神聖ローマ帝国は、フランスの脅威ゆえに皮肉にも存続する。
オスマントルコの使者がルイ14世に謁見したことを契機としてフランスにコーヒーが伝わる。トルコはフランスの中立の約束を取り付けた上でウィーンを包囲するが、キリスト教世界はトルコを跳ね返す。このとき、コーヒーがウィーンにも伝わる。コーヒー伝播にはこのような2ルートがある。
オーストリア継承戦争は、プロイセンのフリードリヒ大王がオーストリア領シュレジエンを急襲したのが発端。マリア・テレジアはなんとか防戦したがシュレジエンは取られた。マリア・テレジアは、フランス、ロシアと手を組んで、今度は大王が窮地に陥る(7年戦争)。しかし、ロシアの女帝が死に、フランスは新大陸でイギリスに破れたために7年戦争から脱落。プロイセンはこの戦争を耐えぬいたことで列強となる。
ナポレオン1世が皇帝を名乗ると、フランツ2世はハプスブルク世襲領をオーストリア帝国と改称し、初代皇帝フランツ1世を名乗る。ナポレオンは没落したが、ナポレオンはナショナリズムをヨーロッパに残す。ナポレオン戦争はヨーロッパ各国にとって諸国民戦争となった。以来、ハプスブルク王朝はナショナリズム(民族主義)との不断の戦いを強いられるようになる。
プロイセンは普墺戦争でオーストリア軍を叩き潰し、プロイセンはドイツ連邦を解体し、オーストリア抜きのドイツ統一に乗り出す。イタリア統一運動でオーストリアはイタリアからもすでに叩き出されている。しかも、ハンガリーの独立要求に直面する。フランツ・ヨーゼフ1世は、オーストリア=ハンガリー二重帝国として帝国を再編する。両国は独立した政府と議会を持つが、軍事・外交は共通閣議で決定し、オーストリア皇帝がハンガリー王を兼ねるというパッチワーク帝国。
ドイツ統一にオーストリア帝国を加えることは、帝国内のマジャール人、スラヴ系民族も抱え込むことになる。これに対してドイツ民族の峻別化(純化)を求める民族主義運動が小ドイツ主義であり、プロイセンはこの時代の空気にうまく乗った。プロイセンのビスマルクは、普墺戦争、普仏戦争を介してプロイセン王が帝国皇帝を兼ねるドイツ帝国を成立させる。
ハプスブルク家は独創的なまでに非独創的に達する。決断は常に先延ばし、果敢な政策はいっさい採らない。いよいよのときでも場当たり対応。だからこそ700年もの命脈を保った。ハプスブルク家ほど、王家たるもの明確なグランド・デザインを提示してはならないという統治の要諦を心得ていた家はない。
みたいな話。
2008年4月14日に日本でレビュー済み
歴史は好きだけど、世界史はイマイチよくわからない。「ハプスブルク家」ってあっちでもこっちでも名前が出てくる気がするけどどこでどうつながってるの?マリア・テレジアってたしかマリー・アントワネットの母親だったっけ、でもそれしか知らない・・・
私はそんな程度の知識しか持っていませんでしたが、この一冊で中世以降のヨーロッパ史の全体像と、その中で大きな位置を占めたハプスブルク家の役回りが大分見えてきたような気分になれました。
あっちこっちの国の王位を手中にした経緯や、特に混乱して覚えにくい「カール何世」などの名前も、肖像画を載せるなど絵や図を多用し初心者にも理解しやすい構成になっています。
もちろんその分、本格的に歴史を知りたくなったらこの一冊だけではとても足りないと思いますが、ヨーロッパ史に興味を持つ人への入門書としてはかなり役立つと思います。
余談ですが、著者は大分難しい言葉をよく使っています。単語の一つや二つ意味が判らなくても理解の妨げにはなりませんが、辞書を片手に読んでいけば国語の勉強にもなって一石二鳥です。
私はそんな程度の知識しか持っていませんでしたが、この一冊で中世以降のヨーロッパ史の全体像と、その中で大きな位置を占めたハプスブルク家の役回りが大分見えてきたような気分になれました。
あっちこっちの国の王位を手中にした経緯や、特に混乱して覚えにくい「カール何世」などの名前も、肖像画を載せるなど絵や図を多用し初心者にも理解しやすい構成になっています。
もちろんその分、本格的に歴史を知りたくなったらこの一冊だけではとても足りないと思いますが、ヨーロッパ史に興味を持つ人への入門書としてはかなり役立つと思います。
余談ですが、著者は大分難しい言葉をよく使っています。単語の一つや二つ意味が判らなくても理解の妨げにはなりませんが、辞書を片手に読んでいけば国語の勉強にもなって一石二鳥です。
2008年6月6日に日本でレビュー済み
1918年までのハプスブルグ家については、夥しい程の本・雑誌・ムックなどが出ているので、皆、わかっていると思う。しかし、この本は、1918年以降のハプスブルグ家についても、触れられている。それが、この本の「特徴」だと思う。
あの、赤い皇女エリザベートや、ヨーロッパ連合とハプスブルグの家かかわりにも、ちゃんと書いてある。
特に、あの「東欧崩壊」の一因となった「ヨーロッパ・ピクニック」について、さわりだけでも書いてあるのが嬉しいことだ。それを指揮したのが、オットー・フォン・ハプスブルグであることも、きちんと書かれている。
ハプスブルク家は、歴史上からは消えたけれど、20世紀の後半の一大事件、「東欧崩壊」に関与していた、という事実に、読後、深いなんとも言えないある種の感動を覚えるのである。
どっこい、ハプスブルグ家は、まだまだ死んではいない。
あの、赤い皇女エリザベートや、ヨーロッパ連合とハプスブルグの家かかわりにも、ちゃんと書いてある。
特に、あの「東欧崩壊」の一因となった「ヨーロッパ・ピクニック」について、さわりだけでも書いてあるのが嬉しいことだ。それを指揮したのが、オットー・フォン・ハプスブルグであることも、きちんと書かれている。
ハプスブルク家は、歴史上からは消えたけれど、20世紀の後半の一大事件、「東欧崩壊」に関与していた、という事実に、読後、深いなんとも言えないある種の感動を覚えるのである。
どっこい、ハプスブルグ家は、まだまだ死んではいない。
2021年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
世界史好きの家族が「ここまで書かなくても」と呟いた、カラー満載で読み応えのある一冊でした。