深いけど、シンプルに本質を突く1冊です。
昨今の、北極点到達だの南極点到達だのって話は結局何なんだろう、と気付かされました。
冒険的な要素はあるものの、結局は自分で地点を決めているスポーツの一種だと。
本質的な冒険行為をこれからも期待します!
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新・冒険論 (インターナショナル新書) 新書 – 2018/4/6
角幡 唯介
(著)
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購入オプションとあわせ買い
GPSに頼る北極探検や、スポーツ化した登山は疑似冒険であって冒険ではない!
では冒険とはいったい何なのか?
構想20年、常に新しい冒険に挑んできた角幡唯介が、満を持して世に送り出す、空前絶後の冒険論!
なぜ、現代のエベレスト登山は冒険ではないのか?
なぜ、ナンセンのフラム号漂流は冒険とよべるのか?
角幡が導き出した「脱システム」という概念で、冒険の本質を考える!
これまでに、チベット・ツァンポー峡谷の人類未踏部踏破や雪男探索、北極探検隊全滅の真相追求、
80日間にもおよぶ太陽の昇らない「極夜」の暗黒世界探検など、
ジャンルや固定観念にとらわれない創造的な冒険を行ってきた角幡唯介。
本書を読めば、角幡の冒険が、なぜ型にはまらず独創的なものなのか、その発想がよく分かる!
高橋源一郎氏(作家)推薦!
<目次より抜粋>
第一章 本多勝一の冒険論
世界の可能性を拓け/人類史上最高の冒険
第二章 脱システムとしての冒険
エベレスト登山はなぜ冒険ではなくなったか/マニュアル化された登山/神話における脱システム/
英雄の冒険を分析する/ナンセンのフラム号漂流/ツアンポー峡谷単独探検の神話構造
第三章 脱システムの難しさ
現代はなぜ冒険が難しくなったのか/冒険のジャンル化/脳のシステム化
第四章 現代における脱システムの実例
変質する北極点到達という行為/なぜ冒険はスポーツ化するのか/
人間の世界から狼の世界へ/服部文祥のサバイバル登山/極夜の探検
第五章 冒険と自由
冒険の批評性/自由と自力の関係/人はなぜ冒険をするのか
【著者略歴】
角幡 唯介(かくはた ゆうすけ)
作家、探検家。1976年、北海道生まれ。『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、
『雪男は向こうからやって来た』で新田次郎文学賞、『アグルーカの行方』(全て集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞を受賞。
著書は他に『漂流』(新潮社)『極夜行』(文藝春秋)などがある。
では冒険とはいったい何なのか?
構想20年、常に新しい冒険に挑んできた角幡唯介が、満を持して世に送り出す、空前絶後の冒険論!
なぜ、現代のエベレスト登山は冒険ではないのか?
なぜ、ナンセンのフラム号漂流は冒険とよべるのか?
角幡が導き出した「脱システム」という概念で、冒険の本質を考える!
これまでに、チベット・ツァンポー峡谷の人類未踏部踏破や雪男探索、北極探検隊全滅の真相追求、
80日間にもおよぶ太陽の昇らない「極夜」の暗黒世界探検など、
ジャンルや固定観念にとらわれない創造的な冒険を行ってきた角幡唯介。
本書を読めば、角幡の冒険が、なぜ型にはまらず独創的なものなのか、その発想がよく分かる!
高橋源一郎氏(作家)推薦!
<目次より抜粋>
第一章 本多勝一の冒険論
世界の可能性を拓け/人類史上最高の冒険
第二章 脱システムとしての冒険
エベレスト登山はなぜ冒険ではなくなったか/マニュアル化された登山/神話における脱システム/
英雄の冒険を分析する/ナンセンのフラム号漂流/ツアンポー峡谷単独探検の神話構造
第三章 脱システムの難しさ
現代はなぜ冒険が難しくなったのか/冒険のジャンル化/脳のシステム化
第四章 現代における脱システムの実例
変質する北極点到達という行為/なぜ冒険はスポーツ化するのか/
人間の世界から狼の世界へ/服部文祥のサバイバル登山/極夜の探検
第五章 冒険と自由
冒険の批評性/自由と自力の関係/人はなぜ冒険をするのか
【著者略歴】
角幡 唯介(かくはた ゆうすけ)
作家、探検家。1976年、北海道生まれ。『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、
『雪男は向こうからやって来た』で新田次郎文学賞、『アグルーカの行方』(全て集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞を受賞。
著書は他に『漂流』(新潮社)『極夜行』(文藝春秋)などがある。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社インターナショナル
- 発売日2018/4/6
- ISBN-104797680237
- ISBN-13978-4797680232
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登録情報
- 出版社 : 集英社インターナショナル (2018/4/6)
- 発売日 : 2018/4/6
- 言語 : 日本語
- 新書 : 224ページ
- ISBN-10 : 4797680237
- ISBN-13 : 978-4797680232
- Amazon 売れ筋ランキング: - 324,681位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 100位インターナショナル新書
- - 51,265位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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極地旅行家・作家。主な探検行はチベット・ツアンポー峡谷単独探検(02~03年冬、09~10年冬)、カナダ北極圏1600徒歩旅行(11年)、極夜の探検(16~17年冬)、北極徒歩狩猟漂泊(18年)、北極犬橇狩猟漂泊(20年)などなど。現在は国内では日高山脈地図無し登山を、北極ではグリーンランド最北の村シオラパルクに15頭の犬を飼い、毎年犬橇狩猟漂泊を継続中。『空白の五マイル』『アグルーカの行方』『漂流』『極夜行』『そこにある山』など。最新作は『狩りの思考法』。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年1月25日に日本でレビュー済み
角幡唯介(1976年~)氏は、北海道生まれ、早大政経学部(早大探検部)卒のノンフィクション作家、探検家。
『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞(2010年)と大宅壮一ノンフィクション賞(2011年)、『アグルーカの行方』で講談社ノンフィクション賞(2013年)、『極夜行』で本屋大賞ノンフィクション賞(2018年)と大佛次郎賞を受賞。
本書は、自ら、チベット奥地の峡谷や極夜の北極などに挑む冒険を行い、それをノンフィクション作品として発表してきた著者が、「冒険とは何か?」、「人は何故冒険をするのか?」、「冒険の意義とは何か?」等について綴ったものである。初出は、季刊雑誌「kotoba」の2017~18年の連載。
私は、角幡氏の著作は、これまで、『空白の5マイル』、『探検家の憂鬱』、『旅人の表現術』、『アグルーカの行方』を読んだことがあるが、(一見)無謀な探検をする探検家としての側面と、理詰めで物事を捉える批評家的な側面を併せ持った、角幡氏の類稀な個性に惹かれており、本書も偶々新古書店で目にして手に取った。因みに、上記の講談社ノンフィクション賞の選考会で、小説家の高村薫氏は、「角幡という人はおそらく、人間的にも、探検家としても、あるいは文章家としても大変優れていると思う(が、それが整いすぎているという印象を持つ)」と語ったという。
本書で著者が言いたかったこと、私が印象に残ったことを列挙すると以下である。
◆日本の冒険論の嚆矢ともいえる、本多勝一のそれによれば、冒険の条件は、①明らかに生命への危険を含んでいること、②主体的に始められた行為であること、の2つ。更に、それが「パイオニアワーク」(=前人未到の行為=常識ではない行為)であると、より冒険的といえる。
◆人類史上最高の冒険は、(それ以前の国家プロジェクト的なものを除く)個人的な行動であることを前提にすれば、ノルウェーのナンセンが1893~6年に行った北極海横断探検。そのスケールと非常識ぶりは人類史上際立っており、驚異のひと言に尽きる。
◆冒険とは、一言で表せば、システムの外側に飛び出す行為、即ち「脱システム」的な行為のことである。しかし、現代では、①情報通信テクノロジー(GPSや携帯電話)の発達、②「登山」等のジャンル化、③人間の物の見方の変化(気付かぬうちにシステムを前提に行動をとるようになること)、により、冒険の現場のシステム化が進んでおり、脱システムが非常に難しくなっている。
◆現在冒険と称されている活動の多くは、システムの内側で行われているものであり、野外フィールドで肉体の優劣を競うだけの、疑似冒険的スポーツである。エベレスト登山ですら、今やマニュアル化されており、冒険とは言えない。
◆地理的・空間的観点からの「脱システム」の可能性がなくなった現代において、冒険をするためには視点の転換が必要であり、実例としては、狼の群れと暮らしたショーン・エリス、服部文祥のサバイバル登山、著者の極夜行等が挙げられる。
◆それでも冒険をする意義とは、①社会的には、脱システムした冒険者が、システムの外側から内側を見て、それを語ることよって、システム内部の常識・既成概念・価値観を見直すきっかけを与えられること、②個人的には、冒険者は、脱システムすることによって、自力で自分の命を維持管理するという、究極的自由を手に入れられること(その対価は死の危険)、である。
と、ここまでは、著者のいくつかの作品を読んでいれば、比較的容易に想像がつく内容なのであるが、目から鱗だったのは、「終わりに」に書かれた次の一節である。
「冒険とはあくまで身体的に脱システムすることに限定した言葉であり、身体的という条件をとり払えば、脱システム的価値観は冒険の境界を飛び越えてどこまでも広がる。文学でも芸術でも建築でも、何かを表現しようという世界では常に、予定調和的な決まりきった領域から飛び出して前人未到の領域をめざそうという営為がつづけられている。私は冒険の脱システム性をことさら強調することで、本書の議論に、冒険という狭い枠にとどまらない、人間の行動とか表現にかかわるより普遍的な強度をあたえられるのではないかと期待した。」
期待を裏切らない角幡・冒険論である。
(2024年1月了)
『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞(2010年)と大宅壮一ノンフィクション賞(2011年)、『アグルーカの行方』で講談社ノンフィクション賞(2013年)、『極夜行』で本屋大賞ノンフィクション賞(2018年)と大佛次郎賞を受賞。
本書は、自ら、チベット奥地の峡谷や極夜の北極などに挑む冒険を行い、それをノンフィクション作品として発表してきた著者が、「冒険とは何か?」、「人は何故冒険をするのか?」、「冒険の意義とは何か?」等について綴ったものである。初出は、季刊雑誌「kotoba」の2017~18年の連載。
私は、角幡氏の著作は、これまで、『空白の5マイル』、『探検家の憂鬱』、『旅人の表現術』、『アグルーカの行方』を読んだことがあるが、(一見)無謀な探検をする探検家としての側面と、理詰めで物事を捉える批評家的な側面を併せ持った、角幡氏の類稀な個性に惹かれており、本書も偶々新古書店で目にして手に取った。因みに、上記の講談社ノンフィクション賞の選考会で、小説家の高村薫氏は、「角幡という人はおそらく、人間的にも、探検家としても、あるいは文章家としても大変優れていると思う(が、それが整いすぎているという印象を持つ)」と語ったという。
本書で著者が言いたかったこと、私が印象に残ったことを列挙すると以下である。
◆日本の冒険論の嚆矢ともいえる、本多勝一のそれによれば、冒険の条件は、①明らかに生命への危険を含んでいること、②主体的に始められた行為であること、の2つ。更に、それが「パイオニアワーク」(=前人未到の行為=常識ではない行為)であると、より冒険的といえる。
◆人類史上最高の冒険は、(それ以前の国家プロジェクト的なものを除く)個人的な行動であることを前提にすれば、ノルウェーのナンセンが1893~6年に行った北極海横断探検。そのスケールと非常識ぶりは人類史上際立っており、驚異のひと言に尽きる。
◆冒険とは、一言で表せば、システムの外側に飛び出す行為、即ち「脱システム」的な行為のことである。しかし、現代では、①情報通信テクノロジー(GPSや携帯電話)の発達、②「登山」等のジャンル化、③人間の物の見方の変化(気付かぬうちにシステムを前提に行動をとるようになること)、により、冒険の現場のシステム化が進んでおり、脱システムが非常に難しくなっている。
◆現在冒険と称されている活動の多くは、システムの内側で行われているものであり、野外フィールドで肉体の優劣を競うだけの、疑似冒険的スポーツである。エベレスト登山ですら、今やマニュアル化されており、冒険とは言えない。
◆地理的・空間的観点からの「脱システム」の可能性がなくなった現代において、冒険をするためには視点の転換が必要であり、実例としては、狼の群れと暮らしたショーン・エリス、服部文祥のサバイバル登山、著者の極夜行等が挙げられる。
◆それでも冒険をする意義とは、①社会的には、脱システムした冒険者が、システムの外側から内側を見て、それを語ることよって、システム内部の常識・既成概念・価値観を見直すきっかけを与えられること、②個人的には、冒険者は、脱システムすることによって、自力で自分の命を維持管理するという、究極的自由を手に入れられること(その対価は死の危険)、である。
と、ここまでは、著者のいくつかの作品を読んでいれば、比較的容易に想像がつく内容なのであるが、目から鱗だったのは、「終わりに」に書かれた次の一節である。
「冒険とはあくまで身体的に脱システムすることに限定した言葉であり、身体的という条件をとり払えば、脱システム的価値観は冒険の境界を飛び越えてどこまでも広がる。文学でも芸術でも建築でも、何かを表現しようという世界では常に、予定調和的な決まりきった領域から飛び出して前人未到の領域をめざそうという営為がつづけられている。私は冒険の脱システム性をことさら強調することで、本書の議論に、冒険という狭い枠にとどまらない、人間の行動とか表現にかかわるより普遍的な強度をあたえられるのではないかと期待した。」
期待を裏切らない角幡・冒険論である。
(2024年1月了)
2018年11月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の言うところの冒険とは・・・
だんだん冒険する場所も少なくなる中で、
なるほどって納得しました。
昔の人はすごかったなぁと改めて感じた1冊です。
だんだん冒険する場所も少なくなる中で、
なるほどって納得しました。
昔の人はすごかったなぁと改めて感じた1冊です。
2018年8月11日に日本でレビュー済み
現代の「冒険」が、どんどんスポーツ化・商業主義化されていくことに
著者が強い違和感を覚えるのは理解できるし、冒険自体は不快な経験の
連続であるのに、いったん死と隣り合わせの自由に魅入られてしまうと、
中毒になったかのように繰り返さざるを得ないというのもよくわかる。
しかし、「脱システム」の具体例として挙げられる三つの冒険のうち、
狼の群れと暮らしたショーン・エリスの例だけは確かに衝撃的なのだが、
服部文祥のサバイバル登山と著者自身の極夜探検の例は、本書p.151にも
あるように、どの装備を排除するかの線引きが恣意的にならざるを得ない
という、本質的な問題を孕んでいるようにも思う。
つまり、現地のイヌイット自身がGPSを駆使しているにもかかわらず、
「システムによる支配を受け入れたくない」という理由であえて使わず、
冒険気分を満喫するというのは、意地悪な言い方をすれば、自己満足に
過ぎないのではないかという疑問がどうしてもつきまとうし、結局は
GPSや余分な装備がなくても生き残れるという、冒険家としての体力や
能力自慢に帰着せざるを得ないように思える。
また、冒険家とは本来、世間的な倫理に批評を浴びせる存在なのだから、
那智の滝登攀事件は、むしろ登攀者の倫理の純度を最大限に追及した
行為であり、世間の空気を読んで思考停止すべきではなかった、という
主張には、やや違和感も覚えた。この論理で行けば、チベットの聖山
カイラスは世界でまだ誰も登っていないはずであり、純粋な冒険野郎
なら真っ先に登って然るべき場所ということにはならないだろうか。
著者が強い違和感を覚えるのは理解できるし、冒険自体は不快な経験の
連続であるのに、いったん死と隣り合わせの自由に魅入られてしまうと、
中毒になったかのように繰り返さざるを得ないというのもよくわかる。
しかし、「脱システム」の具体例として挙げられる三つの冒険のうち、
狼の群れと暮らしたショーン・エリスの例だけは確かに衝撃的なのだが、
服部文祥のサバイバル登山と著者自身の極夜探検の例は、本書p.151にも
あるように、どの装備を排除するかの線引きが恣意的にならざるを得ない
という、本質的な問題を孕んでいるようにも思う。
つまり、現地のイヌイット自身がGPSを駆使しているにもかかわらず、
「システムによる支配を受け入れたくない」という理由であえて使わず、
冒険気分を満喫するというのは、意地悪な言い方をすれば、自己満足に
過ぎないのではないかという疑問がどうしてもつきまとうし、結局は
GPSや余分な装備がなくても生き残れるという、冒険家としての体力や
能力自慢に帰着せざるを得ないように思える。
また、冒険家とは本来、世間的な倫理に批評を浴びせる存在なのだから、
那智の滝登攀事件は、むしろ登攀者の倫理の純度を最大限に追及した
行為であり、世間の空気を読んで思考停止すべきではなかった、という
主張には、やや違和感も覚えた。この論理で行けば、チベットの聖山
カイラスは世界でまだ誰も登っていないはずであり、純粋な冒険野郎
なら真っ先に登って然るべき場所ということにはならないだろうか。
2018年8月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
角幡さんはすごい!とても恐ろしくて、冒険などの領域とは程遠いのを、読んであらためて実感します。よくテレビでもそれまがいの番組がありますが、それに同行する、カメラマンはむしろ出演者、体現者よりは冒険者側かもしれませんね。自分の冒険もどき体験は「夏山JOY」がせいぜいです。それでも「あのやまの向こうはどうなってるのだろう」とごくごく初歩感性のページを角折りしてはでかけたものです。それに角幡さんの文章も素晴らしいですね。芯の通った文節、語彙に優れて明晰さを感じます。
2018年5月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
入院中の本として「極夜行」と一緒に読んだ。著者の体験が脱システムの源流であることが強力な説得力となり気持ち良い読後感になった。退院した帰路、通った橋から見た鴨川は5月の新緑が生え、太陽が有り難かった。
2018年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
角幡の魅力はその経験(冒険)にある。経験から直にくる文章の方が、私にとっては「ぐっ」とくる。本書ももちろん彼の経験からきた文章ではあるのだが、彼の読書遍歴をふまえた、何人かの過去の人びとの考え方を参照している。角幡の経験を裏打ちする理論(冒険)は、彼の経験(冒険)と表裏一体だ。経験(冒険)を説明するための理論(冒険)的な言葉を与えるのは難しい。引用がちょっとばかし説明臭くて、直の理論(冒険)の説明をきくのにまどろっかしくも感じたのであった。
2018年4月6日に日本でレビュー済み
これまで著者のノンフィクション作品はほとんど読んできた。
最新ノンフィクションの『極夜行』では、一体なぜ北極の暗闇の世界に身を投じているんだろう、という疑問が常に頭から離れなかったが、この『新・冒険論』を読んでそれが腑に落ちた。
彼の関心は地理的な意味でのどこかに到達することではなく、まったく新しい方法で新しい境地へ到達することなのだ。本屋や、アウトドアショップでジャンル分けがされているものではなく、まったく新しいことをすることなのだ。
そのためには既存の社会や常識の外側に一旦出る「脱システム」が不可欠なのだという。
一体境界線がどこにあるのかを見極め、その外側に出る。口で言うのは簡単だがそれがなかなか難しいという。
昼間は太陽の陽を浴びて夜は暗闇で眠る。当たり前のことではあるが、それがもし80日間の暗闇の世界となったら、人間の身体は、はたして精神はどのように変わるのだろう?
それをやってのけたのが角幡唯介の「極夜行」だったのだ。
いまや、エベレスト登山もマニュアルにのっとってツアー化し、北極・南極探検もGPSや衛星電話の力を借りている人が多いというが、
そうして達成したもの、どれもが「真の冒険」ではないのだという。
本書を読めば読むほど、「真の冒険」を行うことの難しさが分かったし、それに挑み続ける角幡唯介氏の理想の高さも理解出来た。
逆に言えば、自分のやっていることを、少しでも人に伝えるためにはこのような「論」の形が著者にとってはベストだったということなのかも知れない。
単なるノンフィクション作品では伝えきれない冒険もあるのだな、とそんなことを読みながらおもった。
最新ノンフィクションの『極夜行』では、一体なぜ北極の暗闇の世界に身を投じているんだろう、という疑問が常に頭から離れなかったが、この『新・冒険論』を読んでそれが腑に落ちた。
彼の関心は地理的な意味でのどこかに到達することではなく、まったく新しい方法で新しい境地へ到達することなのだ。本屋や、アウトドアショップでジャンル分けがされているものではなく、まったく新しいことをすることなのだ。
そのためには既存の社会や常識の外側に一旦出る「脱システム」が不可欠なのだという。
一体境界線がどこにあるのかを見極め、その外側に出る。口で言うのは簡単だがそれがなかなか難しいという。
昼間は太陽の陽を浴びて夜は暗闇で眠る。当たり前のことではあるが、それがもし80日間の暗闇の世界となったら、人間の身体は、はたして精神はどのように変わるのだろう?
それをやってのけたのが角幡唯介の「極夜行」だったのだ。
いまや、エベレスト登山もマニュアルにのっとってツアー化し、北極・南極探検もGPSや衛星電話の力を借りている人が多いというが、
そうして達成したもの、どれもが「真の冒険」ではないのだという。
本書を読めば読むほど、「真の冒険」を行うことの難しさが分かったし、それに挑み続ける角幡唯介氏の理想の高さも理解出来た。
逆に言えば、自分のやっていることを、少しでも人に伝えるためにはこのような「論」の形が著者にとってはベストだったということなのかも知れない。
単なるノンフィクション作品では伝えきれない冒険もあるのだな、とそんなことを読みながらおもった。