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日本国憲法の問題点 単行本 – 2002/4/26
小室 直樹
(著)
大好評『痛快!憲法学』の著者が、いよいよ日本国憲法も解剖する。現今の大不況や教育問題も、すべては憲法問題に帰着する! 現代日本の抱える「病巣」の正体を、鋭い分析で描く注目の一書。
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社インターナショナル
- 発売日2002/4/26
- ISBN-104797670525
- ISBN-13978-4797670523
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
このままでは日本は遠からず滅びるであろう! その理由は全て「憲法の死」に由来する。今日の大不況も、政治の混迷も、全ては「憲法問題」に帰結する。現代日本に起きている様々な問題を憲法とのリンクで捉え直す。
登録情報
- 出版社 : 集英社インターナショナル (2002/4/26)
- 発売日 : 2002/4/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 304ページ
- ISBN-10 : 4797670525
- ISBN-13 : 978-4797670523
- Amazon 売れ筋ランキング: - 109,106位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2023年11月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
姉妹本である「痛快!憲法学」(「日本人のための憲法言論」)からの本作。小室直樹先生の本は世の中に対するモヤっとした氣持ちを解消する力がある。
2023年1月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
咀嚼して咀嚼して生み出された書籍。
中学生でも読めます。大人は読むべき。
民主主義とは。近代憲法の本質とは。
こういうのを学校の授業で受けたかった。
中学生でも読めます。大人は読むべき。
民主主義とは。近代憲法の本質とは。
こういうのを学校の授業で受けたかった。
2004年12月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本国憲法だけではなく,これにからめて,
広く日本の法律の不備を扱っている本に思えました.
第1章では,
第13条こそ日本国憲法の要で,官僚はそれを守っていないと主張.
第2章では,
現行法だと「首相が不在」だと指摘.
第3章では,
教育基本法ほど民主主義に有害なモノはないと主張.
第4章では,
東大をピラミッドの頂点とする日本の偏差値教育の様相が,
中国の科挙制度の失敗をなぞっていると警告を与えています.
第5章で,
いよいよ第9条についての見解が明かされます.
聞いてびっくり.唖然とするようなオチです.
ここで書いてしまうと推理小説の犯人を言ってしまうようなものなので,
レビューのルール違反でしょう.
同じく集英社インターナショナルから出ている
「痛快!憲法学」も合わせて読むとよいでしょう.
広く日本の法律の不備を扱っている本に思えました.
第1章では,
第13条こそ日本国憲法の要で,官僚はそれを守っていないと主張.
第2章では,
現行法だと「首相が不在」だと指摘.
第3章では,
教育基本法ほど民主主義に有害なモノはないと主張.
第4章では,
東大をピラミッドの頂点とする日本の偏差値教育の様相が,
中国の科挙制度の失敗をなぞっていると警告を与えています.
第5章で,
いよいよ第9条についての見解が明かされます.
聞いてびっくり.唖然とするようなオチです.
ここで書いてしまうと推理小説の犯人を言ってしまうようなものなので,
レビューのルール違反でしょう.
同じく集英社インターナショナルから出ている
「痛快!憲法学」も合わせて読むとよいでしょう.
2019年9月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
法とソフトウェアというのは似ているところがありますね。
憲法というのはOSにあたるものだと思います。
OSなんてMacもWindowsもだいたい似たような機能を持ってるんですが、だからこそ作った人たちの価値観が如実に出るものでもあります。
その意味ではまさに著者の言う通り、憲法を理解するには条文(ソースコード)だけを追っても何も得られないと思います。
他との比較、時代背景、実際にどんな問題(バグ)が起こったのか、などを合わせて知らなければこの国のOSである憲法を真に理解することはできません。
この本は日本の中で公務に携わる人にとって本当に大切な一冊だと思います。
是非お読みになっていただきたいです。
憲法というのはOSにあたるものだと思います。
OSなんてMacもWindowsもだいたい似たような機能を持ってるんですが、だからこそ作った人たちの価値観が如実に出るものでもあります。
その意味ではまさに著者の言う通り、憲法を理解するには条文(ソースコード)だけを追っても何も得られないと思います。
他との比較、時代背景、実際にどんな問題(バグ)が起こったのか、などを合わせて知らなければこの国のOSである憲法を真に理解することはできません。
この本は日本の中で公務に携わる人にとって本当に大切な一冊だと思います。
是非お読みになっていただきたいです。
2016年5月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「痛快!憲法学」(再刊「日本人のための憲法原論」)の姉妹編という。本書は、「痛快!憲法学」を踏まえての内容になっている。
表紙の三人娘は、前作同様、日本国憲法の大黒柱、第13条の、「生命」、「自由」、「幸福追求(財産)」の妖精であろうか。
小室先生の切り口は、並の憲法学者の比ではないこと、当然であるが、学校では習わないことばかりに唖然とするばかりだ。
憲法を憲法学者がうんぬんするが、日本の憲法学者は、どんな勉強・研究をしているのだろうか?最近、ろくな話を聞いたことがない。
第九条ばかりが憲法なのではない。まして、戦勝国のアメリがしかけた、日本人を精神的奴隷にする作戦は、最後の明治教育を受けた「昭和一桁世代」が消滅していくのと反比例して、みごとに成功に傾いている。昭和十年代生まれは、昭和16年からの国民学校(ナチスドイツの真似をした)世代(第一次ゆとり世代)である。戦後の「教育基本法」は、日本の教育から「国民」を育てることを放棄した。これは、憲法九条の戦争放棄の比ではないくらいの打撃を将来にわたって与えるものだという主張は、まさにその通りだろう。国民的アノミーの拡大再生産がねらいであろう。
二度とアメリカに立ち向かわせないための「魂抜き政策」が、最高の占領方針だったからとはいえ、みごとなまでの悪意に満ちたプログラムだ。
とはいえ、独立した時点で変えるべき改正をしなかった国民の悲劇でもある。
どうも「憲法」というと、その条文の範囲だけに気が向くが、英国のように不文憲法もあるのは、その守備範囲がおそろしく広く深いからである。
民族や国民の歴史・伝統を背負っているからだが、すでに壊れてしまったこの国の現状から、憲法改正は極めて困難だろう。
英文法のように、過去・現在・未来を同時に見すえる深い議論が、劣化した日本人にはできない。せいぜい自分が生きている時間帯でしかない。現世利益そのものを憲法に求める卑しさで議論されるにちがいない。現在は、過去と未来をつなぐリレー競技のバトンのようなものだという感覚がなくなった。
そもそも、憲法とは、国民から国家・政府への命令書なのである。だから国民主権なのだ。(前作)
しかし、肝心の日本国民が劣化してしまった。日本国民は、自分でかんがえ、決めるということができない。
できれば、面倒なことは、政府が決めてくれればよいと思っているだろう。
しかし、その政府が、本書にあるていたらくで、しかも不道徳なレベルの憲法違反を犯している。さらに、日本のマスコミのレベルは低すぎる。
英語を含めた外国語を勉強するモチベーションは、海外マスコミの記事を直接読まないと、すでに世界情勢がわからないことにある。
国内ジャーナリズムはすでに壊死した。小室先生もいない。
そんな国民と国家に、自らの意思を表明する「憲法改正」などできるはずがない。
トランプ氏が大統領になったら、再びアメリカの意思にしたがった憲法を書くという程度のことだろう。
日本人よ!しっかりせい!と小室先生の怒声が聞こえる。
表紙の三人娘は、前作同様、日本国憲法の大黒柱、第13条の、「生命」、「自由」、「幸福追求(財産)」の妖精であろうか。
小室先生の切り口は、並の憲法学者の比ではないこと、当然であるが、学校では習わないことばかりに唖然とするばかりだ。
憲法を憲法学者がうんぬんするが、日本の憲法学者は、どんな勉強・研究をしているのだろうか?最近、ろくな話を聞いたことがない。
第九条ばかりが憲法なのではない。まして、戦勝国のアメリがしかけた、日本人を精神的奴隷にする作戦は、最後の明治教育を受けた「昭和一桁世代」が消滅していくのと反比例して、みごとに成功に傾いている。昭和十年代生まれは、昭和16年からの国民学校(ナチスドイツの真似をした)世代(第一次ゆとり世代)である。戦後の「教育基本法」は、日本の教育から「国民」を育てることを放棄した。これは、憲法九条の戦争放棄の比ではないくらいの打撃を将来にわたって与えるものだという主張は、まさにその通りだろう。国民的アノミーの拡大再生産がねらいであろう。
二度とアメリカに立ち向かわせないための「魂抜き政策」が、最高の占領方針だったからとはいえ、みごとなまでの悪意に満ちたプログラムだ。
とはいえ、独立した時点で変えるべき改正をしなかった国民の悲劇でもある。
どうも「憲法」というと、その条文の範囲だけに気が向くが、英国のように不文憲法もあるのは、その守備範囲がおそろしく広く深いからである。
民族や国民の歴史・伝統を背負っているからだが、すでに壊れてしまったこの国の現状から、憲法改正は極めて困難だろう。
英文法のように、過去・現在・未来を同時に見すえる深い議論が、劣化した日本人にはできない。せいぜい自分が生きている時間帯でしかない。現世利益そのものを憲法に求める卑しさで議論されるにちがいない。現在は、過去と未来をつなぐリレー競技のバトンのようなものだという感覚がなくなった。
そもそも、憲法とは、国民から国家・政府への命令書なのである。だから国民主権なのだ。(前作)
しかし、肝心の日本国民が劣化してしまった。日本国民は、自分でかんがえ、決めるということができない。
できれば、面倒なことは、政府が決めてくれればよいと思っているだろう。
しかし、その政府が、本書にあるていたらくで、しかも不道徳なレベルの憲法違反を犯している。さらに、日本のマスコミのレベルは低すぎる。
英語を含めた外国語を勉強するモチベーションは、海外マスコミの記事を直接読まないと、すでに世界情勢がわからないことにある。
国内ジャーナリズムはすでに壊死した。小室先生もいない。
そんな国民と国家に、自らの意思を表明する「憲法改正」などできるはずがない。
トランプ氏が大統領になったら、再びアメリカの意思にしたがった憲法を書くという程度のことだろう。
日本人よ!しっかりせい!と小室先生の怒声が聞こえる。
2016年3月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
社会科学者 小室直樹氏の著作
本書の帯に記載がありますが、本書は氏の以前の作「 痛快!憲法学 」の姉妹本に当たるようです
大きく五章に分けて、タイトルのとおり、憲法の問題点について述べています
(1)憲法の神髄が第十三条とのべ、日本の病根は、第十三条が死んでしまっている所にあると述べています
日本国憲法 第十三条:全て国民は、個人として尊重される/ 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする
憲法とは生命、自由、経済の保護という、国民の基本的人権を守ることを最大の使命とし憲法の神髄は第十三条である
日本国憲法 第十三条は、がアメリカ独立宣言を下敷きにしており、さらに独立宣言はロックの思想(ロックは「社会契約説」において、人間には奪うことのできない権利が備わっているのだということを論理的に証明した)を基礎に置く
アメリカ独立はロックの思想による革命であるとも言われ、ロックの思想に力を得てイギリスに反旗を翻した
ジェファソンは独立宣言を起草するにあたりロックの思想に基づいて、生命、自由および、幸福の追求(私有財産権)こそ天賦の諸権利であると書いた
超低金利によるバブル潰しという名の私有財産への干渉、拉致被害者の放置という生命・自由の権利の遵守の放棄などが、第十三条が死んでしまった例として挙げられる
(2)戦後総理大臣の権力は著しく狭められており中途半端な権限しか持っていないと述べています
伊藤博文は明治憲法に内閣総理大臣が行政権力を一手に握るのだという規定を設けなかったばかりか、内閣総理大臣という語さえ載せなかった(総理大臣に権力が集中することを恐れたためと言われる)
明治憲法は元勲がいた時にはうまく機能し、日清戦争や日露戦争にも勝て、国力も発展しデモクラシーも徐々に成熟していったが、元勲がいなくなったとたん、もともと憲法の後ろ盾がない内閣総理大臣には人事権がなくなり(「軍部大臣現役武官制」「三長官会議」)、ついに軍部は暴走し、日本は敗戦に至ってしまった
驚くべきことに、いまだに日本国の内閣総理大臣は、憲法の中にその権限根拠を持っていない
行政権は内閣総理大臣一人が持つのでなく内閣が連帯してその権力を保有するとさだめられ(日本国憲法 第六十六条第三項)、従って、総理大臣が何か決めようと思えば閣議に諮って、全大臣の同意を得なければならない--閣議で他の大臣が頑強に反対したら、総理大臣といえどもそれを実行できない
内閣総理大臣が大臣を罷免しても、天皇が、その大臣の免官するという国事行為がおこなわれるまでは、まだ正式にが大臣を辞めたことにならない(日本国憲法 第七条第五項)--空白が生じる
この空白を考えるとそうしても罷免は慎重にならざるを得ない(小泉首相は田中眞紀子外相を更迭できず辞表提出にこだわったのがこの理由)
また、現行憲法は総理大臣の空位も許している(日本国憲法 第六条)が、総理大臣が真の意味で最高責任者であるならば総理大臣の不在は絶対に許されないことである
(3)日本の教育が崩壊しているのは、戦後、教育改革において日本の教育から民族教育の要素を除去し非アメリカ的な教育をすることによって、日本が再び強国になる道を塞ごうとアメリカがしたことによるとの述べています
民主主義は一歩間違えば衆愚政治になり、ひいては独裁者を生み出しかねない
それに対しアメリカ独立の父・ジェファソンは民度を出来る限り高くすることが、民主主義を守る最後の防波堤になると考え、教育の普及に熱心であった
アメリカ式教育の最大の目的は「国民の育成」にある--アメリカ人としての誇りを持たせ、アメリカ合衆国への忠誠心を涵養し(民族教育)、アメリカ人としての生活のしかたを教えること(社会化)である
明治新政府にとって、最大の課題は不平等条約の改正にあり、そのため明治政府首脳は日本の近代化を志すが、日本には近代国家に不可欠な国民が存在していなかった
この当時日本に二種類のの日本人がいた--一つは下級武士を中心とする尊王思想を抱いた明治維新の立役者で原動力、もう一つは住民の大多数と締める農民や町人で日本人である自覚もなければ愛国精神もない
日本最初の近代憲法を作るべく渡欧した伊藤博文は、ヨーロッパの憲法制度の根底にキリスト教があることを発見したが、これに対し明治の日本には、宗教らしき宗教は何もなく、そこで伊藤が考えたのが、天皇を現人神にするアイデアであり、この天皇教の導入における日本の近代化で天皇教の教典とされたのが教育勅語である
教育勅語は、戦前教育の真髄であり、中枢であり、教育勅語こそアメリカ式教育の根本教典であった
日本を近代国家にするために、教育勅語で臣民は平等であるという思想を植え付け、神話教育を通じて日本は特別な国であるというプライドを持たせることで、日露戦争の勝利に象徴されるように、戦前日本の教育は見事に成功し、また、この教育の力は昭和になっても衰えなかった
ポツダム宣言によって米英は日本民族の絶滅、奴隷化は放棄したものの、精神的な奴隷にしてしまえば日本がアメリカに報復戦争をすることはないだろうとして行われたのが教育改革である
アメリカが恐れたのは戦前日本行っていたアメリカ式の教育が復活することであった
日本での子どもたちが教わる歴史は、いかに自分たちの先祖が邪悪で野蛮であったかのオン・パレードで、戦後教育くらい非アメリカ的で非民主主義的な教育はない
教育基本法前文にはまことに崇高かつ抽象的な目的は掲げられているが、「日本人として」という言葉は一つもなくましてや愛国者を作るのが義務教育の主旨であるなどの記載もない
(4)官僚の暴走の一因が受験制度にあり、官僚の暴走を抑えるシステムや政治家の不在を述べています
日本国憲法はまさに瀕死の状態であるが官僚こそが日本の憲法を殺し、また、デモクラシーを麻痺させ、ついには日本経済そのものを窒息させようとしている
戦前の官僚たちが、今に比べれば良質であったのは、高級官僚(学歴貴族)を作るための大学である帝国大学の教育内容がよかったというというよりも、まだ武士のエトスが日本全体に残っていたからであった---明治維新の後、武士階層は没落し、旧武士階層に残された選択肢は学歴によって立身するということしかなかったと同時に、新時代になっても理想的なエリートの生き方は武士道にあると考えるメンタリティが強かった
戦後の経済成長によって、貧困家庭の数は激減したため、受験戦争、受験地獄が激化し、学歴のみが階層構成原理となってしまった
昭和五十四年に共通一次試験が開始されたが、後にセンター試験と名を変え大学入学試験が一本化されたことで、科挙に対して明の永楽帝の定めた国定教科書で生じたと同様、日本の高級官僚も堕落・腐朽していった
中国では隋や唐の時代の官僚に対立する存在としても貴族や、宋代の対立する存在としての宦官があったが日本には官僚に対抗するシステムがない
官僚の暴走を抑え、自らの思いのまま官僚を操れる政治家も、田中角栄を最後に日本の政界から滅び去ってしまった
(5)戦後半世紀の戦争という言葉の意味は変遷を重ねたため、事情変更の原則によって、憲法九条は空文化、死文化したと述べています
第九条を巡る問題すなわち九条論論争であったが、不毛になっており、自衛隊が違憲か合憲か、日本に個別的自衛権があるのかないのか、集団的自衛権があるのかないのかを、空文化している九条から答えを得ようとするのは死者にものを訪ねるようなものであると述べています
もともとアメリカが日本に九条を押し付けた意味は、日本の軍備をゼロにすることであったが、戦後半世紀の条文中の「戦争」という言葉の意味は変遷を重ねた--大東亜戦争の報復としての戦争、憲法制定から数年後にはソ連が攻めてきた場合の自衛戦争、(その後、ソ連の消滅によって、米ソ対立という図式は消滅し、代わりに)PKOに象徴される国内紛争解決手段としての戦争、(さらに、2001年の同時多発テロ事件でアメリカは戦争の定義を変更し、)同時多発テロ事件というアメリカに対する戦争
さて、国際法や憲法以外の法律は廃止になるまで、有効であると考えるのが法学の考えであるが、国際法や憲法では「事情変更の原則」(法律制定時と事情が変わり法律が無効となる)が適応される
憲法は習慣法なので、事情変更によって、憲法の条文が空文になることがある--(例)日清戦争を契機に天皇は閣議の決定に拒否権はは行使しないことが慣習となって拒否権は空文化した
戦争の意味合いも変わってきており憲法九条を巡る事情は完全に変更され、事情変更の原則によって、憲法九条は空文化、死文化したと見るべきであろう
自衛隊が違憲か合憲か、日本に個別的自衛権があるのかないのか、集団的自衛権があるのかないのかを空文化している九条から答えを得ようとすることに意味はないことで、自衛隊を憲法十三条の軍隊すなわち国民の基本的人権を守るための軍隊とすれば、自衛隊はもっと国民から尊敬される存在になっていたかもしれない
氏の引き出しの多さには驚きますが、本書では、氏の鉄板である資本主義の精神やキリスト教はほとんど触れられていませんでした
本書の帯に記載がありますが、本書は氏の以前の作「 痛快!憲法学 」の姉妹本に当たるようです
大きく五章に分けて、タイトルのとおり、憲法の問題点について述べています
(1)憲法の神髄が第十三条とのべ、日本の病根は、第十三条が死んでしまっている所にあると述べています
日本国憲法 第十三条:全て国民は、個人として尊重される/ 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする
憲法とは生命、自由、経済の保護という、国民の基本的人権を守ることを最大の使命とし憲法の神髄は第十三条である
日本国憲法 第十三条は、がアメリカ独立宣言を下敷きにしており、さらに独立宣言はロックの思想(ロックは「社会契約説」において、人間には奪うことのできない権利が備わっているのだということを論理的に証明した)を基礎に置く
アメリカ独立はロックの思想による革命であるとも言われ、ロックの思想に力を得てイギリスに反旗を翻した
ジェファソンは独立宣言を起草するにあたりロックの思想に基づいて、生命、自由および、幸福の追求(私有財産権)こそ天賦の諸権利であると書いた
超低金利によるバブル潰しという名の私有財産への干渉、拉致被害者の放置という生命・自由の権利の遵守の放棄などが、第十三条が死んでしまった例として挙げられる
(2)戦後総理大臣の権力は著しく狭められており中途半端な権限しか持っていないと述べています
伊藤博文は明治憲法に内閣総理大臣が行政権力を一手に握るのだという規定を設けなかったばかりか、内閣総理大臣という語さえ載せなかった(総理大臣に権力が集中することを恐れたためと言われる)
明治憲法は元勲がいた時にはうまく機能し、日清戦争や日露戦争にも勝て、国力も発展しデモクラシーも徐々に成熟していったが、元勲がいなくなったとたん、もともと憲法の後ろ盾がない内閣総理大臣には人事権がなくなり(「軍部大臣現役武官制」「三長官会議」)、ついに軍部は暴走し、日本は敗戦に至ってしまった
驚くべきことに、いまだに日本国の内閣総理大臣は、憲法の中にその権限根拠を持っていない
行政権は内閣総理大臣一人が持つのでなく内閣が連帯してその権力を保有するとさだめられ(日本国憲法 第六十六条第三項)、従って、総理大臣が何か決めようと思えば閣議に諮って、全大臣の同意を得なければならない--閣議で他の大臣が頑強に反対したら、総理大臣といえどもそれを実行できない
内閣総理大臣が大臣を罷免しても、天皇が、その大臣の免官するという国事行為がおこなわれるまでは、まだ正式にが大臣を辞めたことにならない(日本国憲法 第七条第五項)--空白が生じる
この空白を考えるとそうしても罷免は慎重にならざるを得ない(小泉首相は田中眞紀子外相を更迭できず辞表提出にこだわったのがこの理由)
また、現行憲法は総理大臣の空位も許している(日本国憲法 第六条)が、総理大臣が真の意味で最高責任者であるならば総理大臣の不在は絶対に許されないことである
(3)日本の教育が崩壊しているのは、戦後、教育改革において日本の教育から民族教育の要素を除去し非アメリカ的な教育をすることによって、日本が再び強国になる道を塞ごうとアメリカがしたことによるとの述べています
民主主義は一歩間違えば衆愚政治になり、ひいては独裁者を生み出しかねない
それに対しアメリカ独立の父・ジェファソンは民度を出来る限り高くすることが、民主主義を守る最後の防波堤になると考え、教育の普及に熱心であった
アメリカ式教育の最大の目的は「国民の育成」にある--アメリカ人としての誇りを持たせ、アメリカ合衆国への忠誠心を涵養し(民族教育)、アメリカ人としての生活のしかたを教えること(社会化)である
明治新政府にとって、最大の課題は不平等条約の改正にあり、そのため明治政府首脳は日本の近代化を志すが、日本には近代国家に不可欠な国民が存在していなかった
この当時日本に二種類のの日本人がいた--一つは下級武士を中心とする尊王思想を抱いた明治維新の立役者で原動力、もう一つは住民の大多数と締める農民や町人で日本人である自覚もなければ愛国精神もない
日本最初の近代憲法を作るべく渡欧した伊藤博文は、ヨーロッパの憲法制度の根底にキリスト教があることを発見したが、これに対し明治の日本には、宗教らしき宗教は何もなく、そこで伊藤が考えたのが、天皇を現人神にするアイデアであり、この天皇教の導入における日本の近代化で天皇教の教典とされたのが教育勅語である
教育勅語は、戦前教育の真髄であり、中枢であり、教育勅語こそアメリカ式教育の根本教典であった
日本を近代国家にするために、教育勅語で臣民は平等であるという思想を植え付け、神話教育を通じて日本は特別な国であるというプライドを持たせることで、日露戦争の勝利に象徴されるように、戦前日本の教育は見事に成功し、また、この教育の力は昭和になっても衰えなかった
ポツダム宣言によって米英は日本民族の絶滅、奴隷化は放棄したものの、精神的な奴隷にしてしまえば日本がアメリカに報復戦争をすることはないだろうとして行われたのが教育改革である
アメリカが恐れたのは戦前日本行っていたアメリカ式の教育が復活することであった
日本での子どもたちが教わる歴史は、いかに自分たちの先祖が邪悪で野蛮であったかのオン・パレードで、戦後教育くらい非アメリカ的で非民主主義的な教育はない
教育基本法前文にはまことに崇高かつ抽象的な目的は掲げられているが、「日本人として」という言葉は一つもなくましてや愛国者を作るのが義務教育の主旨であるなどの記載もない
(4)官僚の暴走の一因が受験制度にあり、官僚の暴走を抑えるシステムや政治家の不在を述べています
日本国憲法はまさに瀕死の状態であるが官僚こそが日本の憲法を殺し、また、デモクラシーを麻痺させ、ついには日本経済そのものを窒息させようとしている
戦前の官僚たちが、今に比べれば良質であったのは、高級官僚(学歴貴族)を作るための大学である帝国大学の教育内容がよかったというというよりも、まだ武士のエトスが日本全体に残っていたからであった---明治維新の後、武士階層は没落し、旧武士階層に残された選択肢は学歴によって立身するということしかなかったと同時に、新時代になっても理想的なエリートの生き方は武士道にあると考えるメンタリティが強かった
戦後の経済成長によって、貧困家庭の数は激減したため、受験戦争、受験地獄が激化し、学歴のみが階層構成原理となってしまった
昭和五十四年に共通一次試験が開始されたが、後にセンター試験と名を変え大学入学試験が一本化されたことで、科挙に対して明の永楽帝の定めた国定教科書で生じたと同様、日本の高級官僚も堕落・腐朽していった
中国では隋や唐の時代の官僚に対立する存在としても貴族や、宋代の対立する存在としての宦官があったが日本には官僚に対抗するシステムがない
官僚の暴走を抑え、自らの思いのまま官僚を操れる政治家も、田中角栄を最後に日本の政界から滅び去ってしまった
(5)戦後半世紀の戦争という言葉の意味は変遷を重ねたため、事情変更の原則によって、憲法九条は空文化、死文化したと述べています
第九条を巡る問題すなわち九条論論争であったが、不毛になっており、自衛隊が違憲か合憲か、日本に個別的自衛権があるのかないのか、集団的自衛権があるのかないのかを、空文化している九条から答えを得ようとするのは死者にものを訪ねるようなものであると述べています
もともとアメリカが日本に九条を押し付けた意味は、日本の軍備をゼロにすることであったが、戦後半世紀の条文中の「戦争」という言葉の意味は変遷を重ねた--大東亜戦争の報復としての戦争、憲法制定から数年後にはソ連が攻めてきた場合の自衛戦争、(その後、ソ連の消滅によって、米ソ対立という図式は消滅し、代わりに)PKOに象徴される国内紛争解決手段としての戦争、(さらに、2001年の同時多発テロ事件でアメリカは戦争の定義を変更し、)同時多発テロ事件というアメリカに対する戦争
さて、国際法や憲法以外の法律は廃止になるまで、有効であると考えるのが法学の考えであるが、国際法や憲法では「事情変更の原則」(法律制定時と事情が変わり法律が無効となる)が適応される
憲法は習慣法なので、事情変更によって、憲法の条文が空文になることがある--(例)日清戦争を契機に天皇は閣議の決定に拒否権はは行使しないことが慣習となって拒否権は空文化した
戦争の意味合いも変わってきており憲法九条を巡る事情は完全に変更され、事情変更の原則によって、憲法九条は空文化、死文化したと見るべきであろう
自衛隊が違憲か合憲か、日本に個別的自衛権があるのかないのか、集団的自衛権があるのかないのかを空文化している九条から答えを得ようとすることに意味はないことで、自衛隊を憲法十三条の軍隊すなわち国民の基本的人権を守るための軍隊とすれば、自衛隊はもっと国民から尊敬される存在になっていたかもしれない
氏の引き出しの多さには驚きますが、本書では、氏の鉄板である資本主義の精神やキリスト教はほとんど触れられていませんでした
2019年4月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本国憲法の欠陥を大胆にかつ、明確に述べてあり、その欠陥を訂正する必要性を極めて分かりやすく主張されている。
2018年7月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分にとって考え方が180°転換した驚きの書でした。まずぜひ政治家に読んでいただきたい。日本国民にももちろん!