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生きながら十代に葬られ 単行本(ソフトカバー) – 2019/11/17
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クラスメイトからのいじめ、親との衝突、諦めた夢。
満たされないまま大人になった「かつての十代」へ。
『この地獄を生きるのだ』著者が綴る仄暗い青春の記憶。
「学校はなんてつまらない場所なのだろう」。
田舎の閉塞的な学校でいじめられている「私」に差した小さな光、それは絵を描くことだった。
しかし、世界は「私」を受け入れてくれなかった。
やりたいことがあるのに、できない。なりたいものがあるのに、なれない。
未来を絶たれて絶望した「私」はやがて学校という社会の外へと飛び出していくが――。
十代は遥か遠くにあるのに、今起きていることのように胸が痛い。
そのたびに、私の十代はまだ終わっていないのだと自覚する。
私の心と体は生きながら十代に埋葬されている。
目を閉じれば私をあざ笑う同級生の姿が目に浮かぶ。
全く幸せじゃない時代、あの時代に私は復讐がしたい。
あの時代を乗り越えないと私はどうやっても大人になれない。(「はじめに」より)
《第一部》
一人ぼっちの世界
学校という社会
崩壊
解離
ジャニスの歌
高校入学
死にたい気持ち
「ちゃんと役に立ってるかな」
なりたいものがあるのに
学校の外で
卒業
《第二部》
人との出会い
クライ・ベイビー
十代の私に百合の花を
- 本の長さ216ページ
- 言語日本語
- 出版社イースト・プレス
- 発売日2019/11/17
- 寸法12.8 x 1.5 x 18.8 cm
- ISBN-104781618332
- ISBN-13978-4781618333
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商品の説明
著者について
現在は通院を続けながら、NPO法人で事務員として働く。
ミニコミ「精神病新聞」を発行するほか、漫画家としても活動。
著書に『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス)、『わたしはなにも悪くない』(晶文社)がある。
登録情報
- 出版社 : イースト・プレス (2019/11/17)
- 発売日 : 2019/11/17
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 216ページ
- ISBN-10 : 4781618332
- ISBN-13 : 978-4781618333
- 寸法 : 12.8 x 1.5 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 773,263位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 22,439位エッセー・随筆 (本)
- - 113,322位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
1977年茨城生まれ。短大卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職、のちに精神障害者手帳を取得。現在は通院を続けながら、NPO法人で事務員として働いたのち、東京大学経済学部・大学院経済学研究科にて特任専門職員として勤務。ミニコミ「精神病新聞」の発行終了後は、フリーペーパー「エリコ新聞」の刊行を続けている。
デビュー作『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス2017)が話題を呼び、EテレハートネットTVにて放送、雑誌、新聞など各種メディアで注目される。
その他の著作に『生きながら十代に葬られ』(イースト・プレス2019)、『わたしはなにも悪くない』(晶文社2019)、『家族、捨ててもいいですか?』(大和書房2020)、『私がフェミニズムを知らなかった頃』(晶文社2021)『私たち、まだ人生を1回も生き切っていないのに』(幻冬舎2021)がある。
『この地獄を生きるのだ』と『家族、捨ててもいいですか?』は韓国でも翻訳出版された。
また、『エリコの失敗日記』(スキマ2017)で漫画家デビューも果たしている。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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こんなつまらないことをやって、何の役に立つのだろうと悲しくなった。
この本が無かったら、私たちは子供のいじめ、自殺が解らなかった。
今、子供のいる親達や、いじめを受けている人、又いじめをしている人は是非読んでほしいと私は思います。参考になります。
作者小林さんは、思春期を家族にも友人にも恵まれず、不遇のうちに過ごしてこられました。しかし自分の好きな絵や、音楽、本、アニメなど、大衆向きでないあくまで個性的なサブカルチャー分野を愛することで、自分自身についてはとても理想高く、曲げずに、貫いていきます。やりたいことを家族にやらせてもらえず、絶望しながら、精神の調子を崩しながらも、好きなことの追及をやめなかった小林さん。ほの暗く、しかししぶとく、情熱を燃やしたまま、自分の触手に合った分野で小さなことを積み重ねて、大人になった小林さんは友人に囲まれ、今や幸せになることができました。この作品は8割青春時代の暗闇ですが、最終的にはハッピーエンドです。今現在いじめや家庭の不和などで苦しんでいる10代の若者がいれば、一筋の光が差すような、本ではないでしょうか。生き方の筋道のひとつを教えてくれるような本だと思います。
しかし30代の私には、とても面白い本であると同時に辛く残酷な本でした。私は、小林さんのように辛い環境でも自分の夢や趣味を固持できるほど頑固ではなく、弱く、流されがちで、常に周囲に合わせて、何より親の機嫌を伺って生きてきました。うわべだけの友人はできましたし、見かけ上家族とも問題がありませんでしたが、30代後半になって突然精神を病み、今やそのことを相談する友人もいません。今になって分かります。私が1番アンテナを張り巡らすべきだったのは、親の機嫌ではなく、自分の心だったこと。自分が何が好きか、何を欲しているのか。それを追及してはじめて幸せになれる。それをしてこなかった私は、しっかりと立つ基盤がなく、何を選択するにも迷い、自分のことが分からず、常に自転車操業で、将来が見えません。小林さんが自分を強く持ちすぎて精神病になったなら、私は自分をないがしろにしすぎて精神病になりました。
小林さんのことは、自分が精神病にかかってから知りました。光の当たりにくい精神の病の分野を、淡々とした冷静な観察眼でとても面白い文章にしたためてくれるので彼女のことは好きです。しかし翻って私って一体…と彼女の文章を読むと落ち込みます。また不遇の環境と言いながら、塾に通わせてもらったり通信教育をとられていたりと、本当の底辺の生活とはかけ離れている恵まれた不遇と思います。その意味で、今もって本当にどん底にいる人にとっては、メンヘラ界の作家として名高い小林さんの存在は、まぶしすぎて目に痛い存在と思います。
著者は絵が大好きで子供のころから宮崎アニメを見て何度もそれを模写し、宮崎駿あてに手紙を何通も出したりするようなこどもでした
しかし、著者の子ども時代はアニメはまだまだマイナーで宮崎駿も知る人ぞ知るという扱いだったため誰も著者の趣味を理解しようとするような人はいませんでした
やがて著者は地元の中学に進学しますが、ここでも共通の趣味を持つような友人はできず、クラスのカーストは体育会系が上位を占め、著者のような運動ができず、趣味がアニメみたいな人はおみそ扱いで、ばかにされていました
ばかにされるぐらいなら、まだ良かったかしれませんが、著者はADHD傾向があり、多弁だったためか、それを疎まれ、いじめの対象となってしまいます
高校は人間関係をリセットしようとわざと遠くの高校に通いますが、中学時代のいじめ経験から心を閉ざし、ひたすらジャニス・ジョプリンを聞きながら自分の世界にこもるという高校時代を送ります
そんな著者でしたが、ふとしたことで知った薬害エイズ訴訟運動に参加し、そこで知り合った人たちと関わることで、居場所を見出します
高校卒業後は美大を希望していたものの家族の理解を得られず、しかたなく短大へと進学することになります
その後、うつ病になり、自殺未遂、精神科病棟に入院という紆余曲折を得て現在はライターとして活動できるようになるまでになられたようです
この本は著者が自分の十代を総括するために書かれていますが、地方在住で学校時代、クラスのマジョリティを横目に見ながらひとりサブカルにはまっていたみたいな人にはすごく刺さるし、読んでて頭抱えたくなります
田舎のいじめやスクールカーストの描写は、自身の九州の民度の低い公立中学で不登校になった経験と重ねてとても辛かったです。周りの知的レベル文化レベル娯楽レベル倫理レベルが生まれ落ちた場所で決定してしまうのです。日本は平等ではありません。首都圏一都三県に生まれた人とそうでない田舎の人の人生難易度は全く違います。
共感しつつ、若い頃の作者さんにもう少し他の選択肢を検討できる視野があればという残念さも残りました。美大に行くのを反対され、乗り気でなく短大に行ってしまう下り。こんなに聡明な方なのに、四大で自分に合った勉強する選択肢もあったはずなのにもったいないです。文学や文化、芸術など、文系学部はサブカル好きには堪らない授業や研究があったはずです。絵はサークルや部活でとことん極める、というのもアリではなかったのかと。
また、クリエイター的な仕事へのあこがれだけで、キツイ編集プロダクションに就職してしまうくだり。「好き」を仕事にするのは本当に大変だし甘くないし食えないです。美大やクリエイター系専門学校で出される課題の膨大さ、難しさ、そして勉強と違い努力しても本人の才能や巧拙でハッキリジャッジされる残酷さに、この繊細で優しい作者さんが耐えられたのか、疑問です。
多少ズルくとも、好きなことや夢とほどほどの距離で付き合い、体や心を壊さずに生きることは出来なかったのか。
作者さんのまっすぐで潔癖な想いを文章から感じるたび、切なかったです。
中学時代、「ブス、ブス」といじめられたそうですが、本当にブスか、あるいは、ちょっときれいな子に、中学生は「ブス、ブス」と攻撃するのではないかと思いました。作者は、嫉妬されていたのではないでしょうか。
それにしても、文化的に鈍い田舎で暮らすのは、とがった子には大変だなーと思いました。