経済成長を目的とした従来の政策に代わる政策ビジョンを「オルタナティヴ・ヴィジョン」と位置付ける。このヴィジョンは、
1.国民の福利向上を目的とする。
2.人間関係・共同体の持続性と一体感の維持
を目指す。
これにより、経済政策の重点は、これまでの政策ヴィジョンと異なり、
1.「個人」から「社会」へ
2.「短期」から「長期」へ
3.「量」から「質」へ
4.「事後」から「事前」へ
と大きな転回を伴うこととなる。
第1部は中野剛志による「オルタナティヴ・ヴィジョン」の解説。
第2部は、様々な論者が各々の専門分野からこのヴィジョンを掘り下げる論考集。
第3部は、討議。
どこを切ってもユニークな論考が目白押しである。
個人的には、仕事柄、黒藪誠の地域産業政策に関する論考を興味深かった。
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成長なき時代の「国家」を構想する ―経済政策のオルタナティヴ・ヴィジョン― 単行本(ソフトカバー) – 2010/12/10
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「豊かさ」とは、「国民」とは、「共同体」とは、「国家」とは――危機の時代の経済と社会のあり方、そして新しい国家ヴィジョンを、新進気鋭の思想家たちが提言。
- ISBN-104779505135
- ISBN-13978-4779505133
- 出版社ナカニシヤ出版
- 発売日2010/12/10
- 言語日本語
- 寸法13 x 3 x 18.9 cm
- 本の長さ408ページ
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登録情報
- 出版社 : ナカニシヤ出版 (2010/12/10)
- 発売日 : 2010/12/10
- 言語 : 日本語
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- ISBN-10 : 4779505135
- ISBN-13 : 978-4779505133
- 寸法 : 13 x 3 x 18.9 cm
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著者について
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1973年 大分県別府市生まれ
東京大学・法学部(3類=政治コース)卒
東京大学大学院・法学政治学研究科・博士課程単位取得退学
日本学術振興会特別研究員(PD)を経て
現在、東京都立大学・法学部(教授)
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年5月13日に日本でレビュー済み
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2011年8月23日に日本でレビュー済み
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全体の方向性としては至極真っ当な気がする. まだあまりにも曖昧な部分も多いが, 後いくつかのステップを踏めば10年の単位で実現しうるビジョンとも思える. 一つ間違えば国家社会主義に陥る危険を, 理念の実現の過程で残骸と化す危険を, 孕むが.
有徳の政治, 経済というものはあり得るだろう. 野中郁次郎. 渡辺京二. イリイチ. ガンジー.
その一方で, 設計とは何か, 設計というものがあり得るのか, という現代的なテーマもある.
官僚諸君はこの方向で頑張ってくれたまえ.
我々はその上に何重もの多様な異なるネットワークを投げかけよう.
3.11以降のこの時代に.
有徳の政治, 経済というものはあり得るだろう. 野中郁次郎. 渡辺京二. イリイチ. ガンジー.
その一方で, 設計とは何か, 設計というものがあり得るのか, という現代的なテーマもある.
官僚諸君はこの方向で頑張ってくれたまえ.
我々はその上に何重もの多様な異なるネットワークを投げかけよう.
3.11以降のこの時代に.
2012年9月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は資本主義経済の構造変化、安価な石油の入手困難、地球規模の環境悪化、新興国の人口増の鈍化などの不可逆的な変化は、2020年以降、日本を低成長社会へと構造的に変化させると設定し、議論を展開している。つまり、経済成長主義を前提とした経済政策はもはや実現しようとしても、それは達成できないとして、国民の福利の向上を目的とし、発展を重視する政策ヴィジョンから人間関係や共同体の持続性と一体感の維持へと転回すべきと提案している。GDP主義から国民福利への転換を促そうというものだ。経済政策の視点は、個人から社会へ、短期から長期へ、量から質へ、事後から事前へ、と移行すると論ずるのだ。豊かさを物質的・金銭的なものから真に満足できるものへと変えていこうというわけだ。
グローバル経済が唱えられ、その環境で如何に生きていくかが議論されたが、リーマンショックでそのマイナス面が露呈し、新しい社会構造や経済政策に対するひとつの回答が著者らが主張するオルタナティブ・ヴィジョンなのだろう。成功の鍵は人々が助け合う共同体の復活である。資本主義経済の繁栄期に、農村共同体は破壊され、人々は工場労働者として都市に駆り出されたが、来るべき社会では人間関係の一体感や持続性を重視しようというから皮肉である。時代は一見すると元に戻っているかのような印象を受ける。国家も共同体をネガティブなものとして捉えてきたが、それを再評価しようというわけだから、軽くなった国家自体も再定義されなければならないだろう。
本書は経済産業省から京都大学に出向している中野剛志氏がオルタナティブ・ヴィジョンに賛同する若手学者を集め、経済産業省の官僚相手に講義したというのだから経済政策にそれなりの影響があるかも知れない。経済成長が失業問題、財政危機、所得格差などあらゆる問題の解決の魔法の手法と考えられてきたが、それを否定し、再構築しようというのであるから、容易なことではあるまい。
政治レベルでも、オルタナティブ・ヴィジョンが総選挙の争点になるのはまだ先のことであろう。国民の末端まで経済成長は望んでも手に入らないのだと諦観し、新しい生き方を模索し始めたときに提示されるものであると考えられる。それまでは、政治家や政党は経済成長の手法を巡り、自らが優れていると国民を説得しようとするに違いない。我々は気づこうとしないが、やはり歴史の転換点に生きているのかもしれない。
グローバル経済が唱えられ、その環境で如何に生きていくかが議論されたが、リーマンショックでそのマイナス面が露呈し、新しい社会構造や経済政策に対するひとつの回答が著者らが主張するオルタナティブ・ヴィジョンなのだろう。成功の鍵は人々が助け合う共同体の復活である。資本主義経済の繁栄期に、農村共同体は破壊され、人々は工場労働者として都市に駆り出されたが、来るべき社会では人間関係の一体感や持続性を重視しようというから皮肉である。時代は一見すると元に戻っているかのような印象を受ける。国家も共同体をネガティブなものとして捉えてきたが、それを再評価しようというわけだから、軽くなった国家自体も再定義されなければならないだろう。
本書は経済産業省から京都大学に出向している中野剛志氏がオルタナティブ・ヴィジョンに賛同する若手学者を集め、経済産業省の官僚相手に講義したというのだから経済政策にそれなりの影響があるかも知れない。経済成長が失業問題、財政危機、所得格差などあらゆる問題の解決の魔法の手法と考えられてきたが、それを否定し、再構築しようというのであるから、容易なことではあるまい。
政治レベルでも、オルタナティブ・ヴィジョンが総選挙の争点になるのはまだ先のことであろう。国民の末端まで経済成長は望んでも手に入らないのだと諦観し、新しい生き方を模索し始めたときに提示されるものであると考えられる。それまでは、政治家や政党は経済成長の手法を巡り、自らが優れていると国民を説得しようとするに違いない。我々は気づこうとしないが、やはり歴史の転換点に生きているのかもしれない。
2011年11月6日に日本でレビュー済み
経済成長が達成できなくなったとき経済政策の目的や理念はいかにあるべきか。そんなテーマについて「政治哲学・経済哲学・法哲学などを専攻する若手研究者をメンバーとし」研究会が組織され、そこでの議論やメンバーの関連論文をまとめたのが本書である(中野剛志氏の「序」より)。論者17人は13人が大学の研究者で最年長が42歳、4人は経済官僚(※中野氏はこっちに含めてカウント)という構成。
最悪想定シナリオという考え方自体はもちろん重要であるし、この理念をとればこうなるよという大枠の話も結構。しかし高度経済成長なくんば大停滞という二択はどうなのか。名目GDPを成長させられなかったこれまでを単に前提/出発点として政策の失敗を子細に検討せず、せいぜい「構造改革」やら「新自由主義」「グローバリズム」「人口減少・少子化」を云々する程度とは情けない。
…とは題名と論者の顔ぶれで想定できた。集められた「気鋭の論客」(帯より)は上記の通り「政治哲学・経済哲学・法哲学など」の思想屋と経産省や旧通産省の官僚。マクロ経済学や厚生経済学、国際貿易や金融などの専門家はゼロ。それで編者は「具体策の提言に乏しいという批判は(中略)一切受け入れるつもりはない」と居直るのだから呆れる。さすが『TPP亡国論』の著者というべきか。
ただし大屋雄裕氏の原稿は価値があった。氏の論考は、経済のパイが縮小する中で国家の配慮にあずかれる人の範囲をいかに定めるかという観点から国民・市民概念を再検討するもので、相変わらず実に明快。座談会でも、原理論を説いても大風呂敷を広げないのがよい。安藤馨氏の論文も幸福を感じるとはどういうことかのすっきりした原理論でためになった。
中野氏の「これからの日本において必要なのは(中略)賢しらな政策提言や制度設計などではなく、経済政策を根本から支える強靱な思想」(p31)という放言に心底げんなりし、大屋氏と安藤氏の論考は興味深く、値段も勘案して星三つ。
最悪想定シナリオという考え方自体はもちろん重要であるし、この理念をとればこうなるよという大枠の話も結構。しかし高度経済成長なくんば大停滞という二択はどうなのか。名目GDPを成長させられなかったこれまでを単に前提/出発点として政策の失敗を子細に検討せず、せいぜい「構造改革」やら「新自由主義」「グローバリズム」「人口減少・少子化」を云々する程度とは情けない。
…とは題名と論者の顔ぶれで想定できた。集められた「気鋭の論客」(帯より)は上記の通り「政治哲学・経済哲学・法哲学など」の思想屋と経産省や旧通産省の官僚。マクロ経済学や厚生経済学、国際貿易や金融などの専門家はゼロ。それで編者は「具体策の提言に乏しいという批判は(中略)一切受け入れるつもりはない」と居直るのだから呆れる。さすが『TPP亡国論』の著者というべきか。
ただし大屋雄裕氏の原稿は価値があった。氏の論考は、経済のパイが縮小する中で国家の配慮にあずかれる人の範囲をいかに定めるかという観点から国民・市民概念を再検討するもので、相変わらず実に明快。座談会でも、原理論を説いても大風呂敷を広げないのがよい。安藤馨氏の論文も幸福を感じるとはどういうことかのすっきりした原理論でためになった。
中野氏の「これからの日本において必要なのは(中略)賢しらな政策提言や制度設計などではなく、経済政策を根本から支える強靱な思想」(p31)という放言に心底げんなりし、大屋氏と安藤氏の論考は興味深く、値段も勘案して星三つ。
2011年2月7日に日本でレビュー済み
きわめて刺激的な内容だ。本書のメッセージを一言で言えば、これからの時代の政策のあり方は、安易な経済成長路線ではなく、国民福利の獲得にシフトすべきであること、これを論じてる。ここでいう福利とは、自分の人生に対する積極的な評価とする。
なるほど、安直な右肩上がりの妄想戦略よりも、想像力を働かせつつ、国民の幸せは何かを多様な視点で政策的に考える。これこそ、まさに未来構想力の真髄、そう感じられる内容に仕上がっている。
特におすすめなのは、山中優氏の議論である。山中氏の章では、資本主義、マルクス、ヒトラー、ハイエク、ドラッカーの議論がはっきりと整理されており、しかもこの議論が奥深くとても興味深い。
以下、山中氏の議論について、私なりに解説してみよう。
1.資本主義とマルクス主義は同根である
資本主義は、自由と平等を実現することを建前とする。しかし、その建前が果たされるのは、私的利潤を最高の美徳とする場合に限る。結果として、ブルジョア階級を生み出し、平等も自由も実現されることはなかった。
マルクス主義も同様に、自由と平等を実現することを建前とする。けれども、その建前を成し遂げるのは、私的利潤を法などによって廃止することで実現するのである。国有化された生産手段の「管理者」という共産党幹部という特権階級を生み出した。要するに、マルクス主義とは、中産階級の社会主義である。
2.ファシズムに関する「ハイエクVSドラッカー」の論争
ハイエクとドラッカーは、同時代に生きた優れた思想家だった。ハイエクの「隷属への道」では、ファシズムが生み出されたのは、物質的・金銭的利益の分配基準をめぐる階級間の激しい争いだったとした。
これに対し、同じ時代を生きたドラッカーは、経済的側面だけでなく、社会的なステイタス意識こそが、ファシズムと関連していたことを論じている。そして、ドラッカーの指摘は、ナチズム研究成果とも符合する。
3.ドラッカーによるナチズムの解説
すでに1で述べたように、資本主義も、マルクス主義も、自由と平等を実現することは出来なかった。このような対極的な主義双方も、矛盾をかかえ、第二次世界大戦当時、「絶望」が全世界に横たわっていた。
そこに現れたのは、ヒトラーだった。ヒトラーは、人々に威信感情を満たすような社会的ステイタスを与えた。これがドラッカーの指摘したファシズム誕生の二つ目の側面である。ナチズムが大方の予想を裏切り、崩壊しなかったゆえんは、国家機構は能力主義を貫き、党組織では下層階級出身者に「エリート」という権威を与えたことによる。ヒトラーの「わが闘争」には、社会的排除による「屈辱感が」語られている。それは、固有の名前をもたない人々を勇気付けてしまった。人間は、人間として尊重されなければ、どのような感情を持つのだろう。ヒトラーの屈辱感は、ドイツの下層階級から絶大な支持を受け、ゆがんだ平等主義へとひた走ったのである。
4.実践的含意
ハイエクの指摘したとおり、21世紀は、市場論理の厳しさと、それに伴う物質的不平等が顕在化していく。自殺者はなかなか減らないだろうし、貧富の格差もそんな簡単にはなくならないにちがいない。
―――このような状況下で、冷静に将来をにらんでみよう。物質世界のみの成長路線を突き進めば、待ってるのは何か。はっきりいえば、資源を求めた世界大戦ではなるまいか。われわれは、歴史からそれを知っているはずだ。
では、そうならないためにどうすべきか。われわれは、本書で謳われている福利の重要性を噛み締め、日本人が世界の人々と手をたずさえつつ、自分の人生に対する積極的な評価ができるような、そんな政策を考え提案する、この必要があるのではなかろうか。
なるほど、安直な右肩上がりの妄想戦略よりも、想像力を働かせつつ、国民の幸せは何かを多様な視点で政策的に考える。これこそ、まさに未来構想力の真髄、そう感じられる内容に仕上がっている。
特におすすめなのは、山中優氏の議論である。山中氏の章では、資本主義、マルクス、ヒトラー、ハイエク、ドラッカーの議論がはっきりと整理されており、しかもこの議論が奥深くとても興味深い。
以下、山中氏の議論について、私なりに解説してみよう。
1.資本主義とマルクス主義は同根である
資本主義は、自由と平等を実現することを建前とする。しかし、その建前が果たされるのは、私的利潤を最高の美徳とする場合に限る。結果として、ブルジョア階級を生み出し、平等も自由も実現されることはなかった。
マルクス主義も同様に、自由と平等を実現することを建前とする。けれども、その建前を成し遂げるのは、私的利潤を法などによって廃止することで実現するのである。国有化された生産手段の「管理者」という共産党幹部という特権階級を生み出した。要するに、マルクス主義とは、中産階級の社会主義である。
2.ファシズムに関する「ハイエクVSドラッカー」の論争
ハイエクとドラッカーは、同時代に生きた優れた思想家だった。ハイエクの「隷属への道」では、ファシズムが生み出されたのは、物質的・金銭的利益の分配基準をめぐる階級間の激しい争いだったとした。
これに対し、同じ時代を生きたドラッカーは、経済的側面だけでなく、社会的なステイタス意識こそが、ファシズムと関連していたことを論じている。そして、ドラッカーの指摘は、ナチズム研究成果とも符合する。
3.ドラッカーによるナチズムの解説
すでに1で述べたように、資本主義も、マルクス主義も、自由と平等を実現することは出来なかった。このような対極的な主義双方も、矛盾をかかえ、第二次世界大戦当時、「絶望」が全世界に横たわっていた。
そこに現れたのは、ヒトラーだった。ヒトラーは、人々に威信感情を満たすような社会的ステイタスを与えた。これがドラッカーの指摘したファシズム誕生の二つ目の側面である。ナチズムが大方の予想を裏切り、崩壊しなかったゆえんは、国家機構は能力主義を貫き、党組織では下層階級出身者に「エリート」という権威を与えたことによる。ヒトラーの「わが闘争」には、社会的排除による「屈辱感が」語られている。それは、固有の名前をもたない人々を勇気付けてしまった。人間は、人間として尊重されなければ、どのような感情を持つのだろう。ヒトラーの屈辱感は、ドイツの下層階級から絶大な支持を受け、ゆがんだ平等主義へとひた走ったのである。
4.実践的含意
ハイエクの指摘したとおり、21世紀は、市場論理の厳しさと、それに伴う物質的不平等が顕在化していく。自殺者はなかなか減らないだろうし、貧富の格差もそんな簡単にはなくならないにちがいない。
―――このような状況下で、冷静に将来をにらんでみよう。物質世界のみの成長路線を突き進めば、待ってるのは何か。はっきりいえば、資源を求めた世界大戦ではなるまいか。われわれは、歴史からそれを知っているはずだ。
では、そうならないためにどうすべきか。われわれは、本書で謳われている福利の重要性を噛み締め、日本人が世界の人々と手をたずさえつつ、自分の人生に対する積極的な評価ができるような、そんな政策を考え提案する、この必要があるのではなかろうか。
2012年2月22日に日本でレビュー済み
経済産業省の現役官僚もこの書に意見を寄せているということで、単に世に問うタイプのモノではなく、ある一定でこういう旧来の経済指標では測れないモノを政策に盛り込む必要性が迫られているのかと感じる。
その中身は、福利という測る事が極めて難しいものを中心にオルタナティブヴィジョンを示し、それを専門家たちに実証的に、系譜学的に、形而上学的に、意見を出して貰い、それを俎上に載せ議論をするという構成で、最後まで読んでみてようやくそれぞれの意味が理解出来た。
この著書の特徴は、これまでの経済的な個人と経済成長いうもののみを前提とした自律した経済政策を自明視せず、それ以外の共同体や幸福・効用、社会に埋めこまれた経済政策という、一見経済産業省らしからぬ言葉が色々出てくるところである。なので、単純に経済学だけでないばかりか、イエの話や徳vertuの話など関連性を論じられないかむしろ経済成長にはマイナスになるかのように思われてきたものも多く、初めて触れる人には疲れる話も多い(私自身「養子」と「隠居」をめぐる話は非常に疲れた)。
だがそれらも、日本社会を新しい安定成長社会にするには欠かせないモノの1つであることは、第'V部を読めば理解されると思う。
具体的な政策に落とす段階は、官僚の技量に依るであろうが、少なくとも単純な意味での経済成長や小さな政府論というものでは解決できない、社会と経済、政治の連携を考える上で、それぞれの論壇は為になった。
また経済産業省の中でも読まれる事を想定していたからであろうが、参照先・引用先がそれぞれ細かく載っているので、自分でより深く学ぶのにも親切だと感じた。
その中身は、福利という測る事が極めて難しいものを中心にオルタナティブヴィジョンを示し、それを専門家たちに実証的に、系譜学的に、形而上学的に、意見を出して貰い、それを俎上に載せ議論をするという構成で、最後まで読んでみてようやくそれぞれの意味が理解出来た。
この著書の特徴は、これまでの経済的な個人と経済成長いうもののみを前提とした自律した経済政策を自明視せず、それ以外の共同体や幸福・効用、社会に埋めこまれた経済政策という、一見経済産業省らしからぬ言葉が色々出てくるところである。なので、単純に経済学だけでないばかりか、イエの話や徳vertuの話など関連性を論じられないかむしろ経済成長にはマイナスになるかのように思われてきたものも多く、初めて触れる人には疲れる話も多い(私自身「養子」と「隠居」をめぐる話は非常に疲れた)。
だがそれらも、日本社会を新しい安定成長社会にするには欠かせないモノの1つであることは、第'V部を読めば理解されると思う。
具体的な政策に落とす段階は、官僚の技量に依るであろうが、少なくとも単純な意味での経済成長や小さな政府論というものでは解決できない、社会と経済、政治の連携を考える上で、それぞれの論壇は為になった。
また経済産業省の中でも読まれる事を想定していたからであろうが、参照先・引用先がそれぞれ細かく載っているので、自分でより深く学ぶのにも親切だと感じた。