日印双方の知見を総合して、ナショナリズム批判の文脈に収斂しがちだった日本の政治思想史に見られる岡倉天心像に修正を迫るのが本著である。
岡倉は1902年にインドに向かったが、そこで何があったのかは詳らかでなかった。そこで岡倉が、宗教改革運動家のヴィヴェーカーナンダの案内で、ブッダガヤなどの北インドの旅を共にしていたことまでは、知っている人は知っている。今度は岡倉がヴィヴェーカーナンダを日本での講演に案内するはずだったが、これは叶わなかった。1902年7月、ヴィヴェーカーナンダは39歳の若さでこの世を去ってしまった。本著は、東京美術学校時代に顕著に見られた西洋中心主義的な美術史観を克服し、アジア独自の審美性を構想した岡倉の著作に、早逝したヴィヴェーカーナンダとの思想的交流の刻印を観る。
本著の主題である「岡倉のインド滞在の意味」は、岡倉に関する日本側の膨大な研究だけでなく、インド側の諸事情を十全に把握していなければ扱えない。それを英語はもちろん、ヴィヴェーカーナンダの母語であるベンガル語の史資料まで駆使してまとめあげた。
岡倉がヴィヴェーカーナンダから引き継いだものは二つにまとめられるだろうか。それぞれ美術史と反帝国主義に関する知見だ。
20世紀の初めまで、西洋の優越を前提とする美術史・建築史観が日印双方において常識だった。岡倉は東京美術学校時代、日本の仏教美術のギリシャ系統説を凡そ認めていたが、著者はヴィヴェーカーナンダと旅を共にしたことを決定的な契機として、岡倉がアジア美術の独自性を捉える視点を得たことを示す。ヴィヴェーカーナンダが西洋人学者が唱えるインド美術のギリシャ起源説を批判していたためなのだが、著者は彼の美術史・建築史観を、先行するベンガルの歴史学者や民族運動家等の思想の系譜上に位置づける。ポイントは、西洋の優越に対する学術的な批判が、「西洋人」学者からではなくて、日印の「アジア人」のなかから生じていることである。
蛇足になるが、この美術史に関する知見は、もう一つの反帝国主義に関する思想と繫がっている。ヴィヴェーカーナンダが生きた大英帝国の植民地インドでは、よく知られる植民地統治の手法として「分割統治政策」が行われてきた。大英帝国は、軍事適応種族として少数派のスィク教徒を軍事雇用したり、ヒンドゥーに比べて少数派のムスリムを制度的に支援したり、特定のカースト集団を優遇することで、優遇されない宗教の信徒やカースト集団の間の亀裂を深め、人びとが宗教やカーストの違いを越えて一体となって植民地支配に抵抗することを防ごうとしていた。
ヴィヴェーカーナンダは、中世のシャンカラや、とくに師ラーマクリシュナの思想的影響を受けて、「不二一元論」と呼ばれる思想を練り上げていた。全ての宗教は、ときには相容れないまったく異なる道を通って、それでも、唯一の真理へと至る。神の名前が異なっていても、その本質は唯一であるという、シカゴ万博の宗教会議でも説かれたヴィヴェーカーナンダの不二一元論である。この不二一元論はその後、反帝国主義の思想としてガーンディーに合流していくことになる。
本著の副題でもある「アジアは一つ」という言葉にも示唆される不二一元論は、岡倉自身の中国思想の造詣や不二真教との関係が指摘されてきた。しかし著者が指摘する通り、この言葉は、分割統治政策下のインドで、宗教や階層の相違を越えて帝国主義に対抗しようとした「一つのインド国民」構想へと展開する不二一元論を、ヴィヴェーカーナンダとの交流を経て、岡倉が自己流に再解釈したものでもあった。両者は旅路を共にするなかで、美術史や帝国主義に関する互いの問題意識を共有していったのである。その思想は帝国主義を先駆けるどころか、帝国主義に逆らおうとしていた。
と、結局、政治思想史に偏ってしまったが、ヴィヴェーカーナンダとの交流を経て、仏教美術史に関しても、西洋の優越を前提としない、インドや中国、日本の独自の審美性を追求するようになった点など、美術史・文化史の面でも重要な見解がまとめられている。
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岡倉天心とインド:「アジアは一つ」が生まれるまで 単行本 – 2023/4/20
外川 昌彦
(著)
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オリエンタリズムに抗し、アジア独自の「美術史」を打ち立てようとした、日印共闘のドラマ――。
近代日本美術の父・岡倉天心(1863‒1913)
インド宗教改革運動の旗手・ヴィヴェーカーナンダ(1863‒1902)
近代日本美術の復興運動を指揮した岡倉天心は、道半ばで東京美術学校を非職となり、私生活も破綻をきたした1901年末に、突如、日本を脱して9か月にわたりインドに滞在する。
西洋が「美術」の基準とされた植民地時代のインドで、岡倉は自立したインド社会を構想する気鋭の知識人や芸術家、宗教家と邂逅し、その過程で『東洋の理想』などの代表的な英文著作を執筆する。
1893年のシカゴ宗教会議の活躍で知られる宗教改革者ヴィヴェーカーナンダとは、深い思想体験を共有するが、その改革運動が今日のインド社会に与える意味は、これまで十分には明らかにされてこなかった。
日印の資料を紐解いて、その国境を越えた知的変革の軌跡を描き出す、貴重な一冊。
【目次】
序章
第一章 岡倉天心のインド体験
一 岡倉天心の生涯──美術史の探求
二 生涯の活動を評価する二つの立場
三 「アジアは一つ」という課題
第二章 越境するアジア知識人──「女性像」が映す日本とインド
一 一八九三年のシカゴ万国博覧会
二 横山大観とオボニンドロナト・タゴール
三 アジア近代絵画の創出
四 二人の女性のまなざし
五 越境するアジア知識人
第三章 岡倉天心の「転向」──社会進化論の克服
一 フェノロサと岡倉天心
二 ギリシア系統説の否定
三 法隆寺様式の「劇変」
四 社会進化論の時代
五 ヘーゲル美術史観の克服とインド
第四章 ヴィヴェーカーナンダと日本──託された言葉
一 ヴィヴェーカーナンダの生涯
二 ヴィヴェーカーナンダと現代インド
三 宗教観の展開
四 「仏教的退廃」の背景──ダルマパーラとの関係
五 仏教とネオ・ヒンドゥー教の「全面革命」
六 託された言葉──仏教とヒンドゥー教
第五章 インド社会像の探求
一 インド美術の起源論争
二 植民地統治とインド社会
三 ヴィヴェーカーナンダとインド知識人
第六章 ヴィヴェーカーナンダの探求
一 美術史観への関心
二 「起源」の探求
三 「アーリヤ人」学説への批判
四 再会する兄弟
終章 切り開かれた地平──多様な「アジア」へ
一 ヴィヴェーカーナンダと岡倉天心
二 反響する多様な「アジア」
三 ヴィヴェーカーナンダの呼びかけ
四 アジア主義の軌跡
近代日本美術の父・岡倉天心(1863‒1913)
インド宗教改革運動の旗手・ヴィヴェーカーナンダ(1863‒1902)
近代日本美術の復興運動を指揮した岡倉天心は、道半ばで東京美術学校を非職となり、私生活も破綻をきたした1901年末に、突如、日本を脱して9か月にわたりインドに滞在する。
西洋が「美術」の基準とされた植民地時代のインドで、岡倉は自立したインド社会を構想する気鋭の知識人や芸術家、宗教家と邂逅し、その過程で『東洋の理想』などの代表的な英文著作を執筆する。
1893年のシカゴ宗教会議の活躍で知られる宗教改革者ヴィヴェーカーナンダとは、深い思想体験を共有するが、その改革運動が今日のインド社会に与える意味は、これまで十分には明らかにされてこなかった。
日印の資料を紐解いて、その国境を越えた知的変革の軌跡を描き出す、貴重な一冊。
【目次】
序章
第一章 岡倉天心のインド体験
一 岡倉天心の生涯──美術史の探求
二 生涯の活動を評価する二つの立場
三 「アジアは一つ」という課題
第二章 越境するアジア知識人──「女性像」が映す日本とインド
一 一八九三年のシカゴ万国博覧会
二 横山大観とオボニンドロナト・タゴール
三 アジア近代絵画の創出
四 二人の女性のまなざし
五 越境するアジア知識人
第三章 岡倉天心の「転向」──社会進化論の克服
一 フェノロサと岡倉天心
二 ギリシア系統説の否定
三 法隆寺様式の「劇変」
四 社会進化論の時代
五 ヘーゲル美術史観の克服とインド
第四章 ヴィヴェーカーナンダと日本──託された言葉
一 ヴィヴェーカーナンダの生涯
二 ヴィヴェーカーナンダと現代インド
三 宗教観の展開
四 「仏教的退廃」の背景──ダルマパーラとの関係
五 仏教とネオ・ヒンドゥー教の「全面革命」
六 託された言葉──仏教とヒンドゥー教
第五章 インド社会像の探求
一 インド美術の起源論争
二 植民地統治とインド社会
三 ヴィヴェーカーナンダとインド知識人
第六章 ヴィヴェーカーナンダの探求
一 美術史観への関心
二 「起源」の探求
三 「アーリヤ人」学説への批判
四 再会する兄弟
終章 切り開かれた地平──多様な「アジア」へ
一 ヴィヴェーカーナンダと岡倉天心
二 反響する多様な「アジア」
三 ヴィヴェーカーナンダの呼びかけ
四 アジア主義の軌跡
- 本の長さ320ページ
- 言語日本語
- 出版社慶應義塾大学出版会
- 発売日2023/4/20
- 寸法19 x 13 x 2 cm
- ISBN-104766428897
- ISBN-13978-4766428896
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商品の説明
著者について
【著者】
外川昌彦(とがわ・まさひこ)
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授。
1964年生まれ。1992-97年にインドに留学し、ベンガルの農村社会で住み込み調査を行う。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士号(社会学)。専門は、文化人類学、宗教学、ベンガル文化論。主要著作にAn Abode of the Goddess: Kingship, Caste and Sacrificial Organization in a Bengal Village (New Delhi: Manohar, 2006)、共編著にMinorities and the State: Changing Social and Political Landscape of Bengal (New Delhi: SAGE Publications, 2011)、Kinship and Family among Muslims in Bengal (New Delhi: Manohar, 2021)など。
外川昌彦(とがわ・まさひこ)
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授。
1964年生まれ。1992-97年にインドに留学し、ベンガルの農村社会で住み込み調査を行う。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士号(社会学)。専門は、文化人類学、宗教学、ベンガル文化論。主要著作にAn Abode of the Goddess: Kingship, Caste and Sacrificial Organization in a Bengal Village (New Delhi: Manohar, 2006)、共編著にMinorities and the State: Changing Social and Political Landscape of Bengal (New Delhi: SAGE Publications, 2011)、Kinship and Family among Muslims in Bengal (New Delhi: Manohar, 2021)など。
登録情報
- 出版社 : 慶應義塾大学出版会 (2023/4/20)
- 発売日 : 2023/4/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 320ページ
- ISBN-10 : 4766428897
- ISBN-13 : 978-4766428896
- 寸法 : 19 x 13 x 2 cm
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- - 480位美術史
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