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漢倭奴国王から日本国天皇へ――国号「日本」と称号「天皇」の誕生 (京大人文研東方学叢書) 単行本 – 2018/4/13

4.0 5つ星のうち4.0 15個の評価

いまなお説の一致をみない国号「日本」、称号「天皇」の誕生説。多くの日本史研究者を悩ませてきた難題に、中国学者が挑む!

国号「日本」、称号「天皇」については、日本史研究のうえでは論じ尽くされたかもしれない。しかし、中国学の立場からはすこし違った観点を提示することができるのではないか――(本文より)
いまなお説の一致をみない国号「日本」、称号「天皇」の誕生の解明を念頭に、紀元前より数世紀にわたって繰り広げられた古代日本の対中国交渉の歴史にせまる。中華世界に従属した「倭」「王」は、いつどのように「日本」「天皇」への脱皮をはかったのか。そしてその思惑とは。多くの日本史研究者を悩ませてきた難題に、中国学者(シノロジスト)が挑む!


【目 次】

はじめに

第一章 倭国の認識
第一節 「倭」とは / 第二節 楽浪海中に倭人あり / 第三節 海の向こうに憧れた孔子 / 第四節 朝鮮半島出土の『論語』

第二章 漢倭奴国王
第一節 出土した光武帝の金印 / 第二節 「漢委奴国王」はどう読むのか / 第三節 朝貢の真の意味

第三章 親魏倭王卑弥呼
第一節 祁山悲秋の風更けて、陣雲暗し五丈原 / 第二節 親魏倭王となす / 第三節 『日本書紀』が記す「魏志倭人伝」

第四章 倭の五王の時代
第一節 邪馬台国、その後 / 第二節 漢人王朝の終焉 / 第三節 安東大将軍倭国王―倭の五王 / 第四節 複雑な官職名、称号 / 第五節 一品官をめざして / 第六節 南朝と北朝の抗争の中で

第五章 日本列島における漢字の伝来
第一節 倭王武の上奏文 / 第二節 出土資料が語る / 第三節 渡来人と漢字 / 第四節 石上神宮の七支刀

第六章 疎遠の六世紀―南朝中華主義の没落
第一節 南朝梁と倭国 / 第二節 中華主義への憧憬―職貢図

第七章 日出る国の天子―遣隋使の時代
第一節 遣隋使 / 第二節 煬帝に聞いてみなければわからない / 第三節 日出処、日沈処 / 第四節 天子 / 第五節 皇帝菩薩と当今如来 / 第六節 海西菩薩天子 / 第七節 『日本書紀』の遣隋使の記載

第八章 天皇号の成立
第一節 飛鳥池遺跡出土「天皇」木簡 / 第二節 天武以前の資料 / 第三節 天皇号に先立つ称号 / 第四節 オオキミ・王・皇 / 第五節 天皇号の誕生

第九章 国号日本の成立
第一節 倭国、改めて日本国と曰う / 第二節 「禰軍墓誌」の発見 / 第三節 白村江の戦い / 第四節 国号「日本」の成立

終わりにあたって

参考資料/図版出典一覧/索引
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 臨川書店 (2018/4/13)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2018/4/13
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 224ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4653043744
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4653043744
  • 寸法 ‏ : ‎ 18.8 x 12.8 x 2.5 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 15個の評価

カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2018年9月3日に日本でレビュー済み
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中国から授与された印についての本書の記述について感想を述べる。
「漢委奴国王」の金印については、加工痕の分析から江戸時代に中国人の偽造集団によって作られた偽物との意見もあるが著者は本物として考察を進めている。読み方の基本として著者の 倭奴国=倭国 の考えは納得できる。
しかし、「親魏倭王」が「日本書紀」に明記されていないことを編纂者による隠蔽とする解釈には疑問がある。最近、立場はそれぞれ違っているが、「卑弥呼」はヤマト王権につながる存在ではないとする歴史学者の著作が何冊か出版されている。
『邪馬台国の滅亡』           若井敏明 吉川弘文館 2010年
『出雲と大和』             村井康彦 岩波新書  2013年
『地図で読む「魏志倭人伝」と「邪馬台国」』武光誠 PHP文庫 2014年

卑弥呼がヤマト王権につながらないのであれば「日本書紀」が「親魏倭王」のことを記述せずに無視したのは当然なことと思う。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年10月31日に日本でレビュー済み
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百余年も経て、従来「漢の倭の奴の国王」と読む国号をやはり「漢の倭奴国の王」と読むべきであると著者は言っています。その直した新しい読み方に対して、私は異議がありません。中国語でそれを読むことも、「漢 倭奴国 王」(Han Wonuguo Wang )のほうが自然に感じるからです。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2019年1月16日に日本でレビュー済み
金印に彫られた「漢倭奴国王」の「倭」が「日本」となり「王」が「天皇」になった経緯を解説している。日本の古代史研究者ではなく古代中国の研究者の視点で解説されている。本書を読むと、古代の中国と日本、朝鮮半島の関係から、いかに「日本」と「天皇」という呼び方が生まれたのか分かる。「倭」が蔑称であったり、「王」という漢字が、実は中国の支配下にあることを意味したり、そのような理由で日本側が新しい呼び名を制定したという物語は、古代日本でいかに中国と対等の立場になろうと努力した光景が頭に浮かぶ。漢文がたくさん出ているので、そこは読みにくいが、丁寧な日本語の解説もあるので、少し苦労はするだろうが、理解できると思う。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年9月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本の創世記の謎について中国史書にあらわれる日本につき中国学の権威による分析は新鮮で説得力のあるものであった。特に隋、唐など北朝により統一される前夜宋、粱など南朝と倭の
それぞれの内部事情と交渉の状況など興味あふれるもので一気に読了した。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2019年7月13日に日本でレビュー済み
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古代の倭人の能力の過小評価に加えて、漢字漢語の専門家にしては底が浅い。
例えば金印で有名な「漢倭奴国王」は「かんのわどこくおう」と読むとされる。
しかし古代の倭人の発音「ド」に漢字の「奴」をあてると、倭人の発音「ヌ」に当てる漢字がなくなる、ということに気付いていない。「ド」に当てる漢字は数多いが「ヌ」に当てることができる漢字は「奴」由来の漢字しかないのです。
そのような漢辞についての基本ができていない著者に、天皇や日本起源を正当に論じることができたのだろうか。不安な思いをさせる本であった。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年5月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内容は題名の通りで、「日本」と「天皇」への変更時期はほぼ定説通りだと思いますが、私は、その行論の過程で示される「倭」という文字の意味、『論語』に出てくる「九夷」の意味がその後変化したこと、金印「漢委奴国王」の読みと解釈、「親魏倭王」という表現の意味、倭王武の上奏文の解釈、石上神宮の七支刀の解釈などが面白かったです。というのも、著者は中国古代の木簡・竹簡の研究(いわゆる簡牘(かんとく)学)の権威のお一人のようで(岩波から出てる『木簡・竹簡の語る中国古代―書記の文化史』など簡牘に関する著書が何冊かあります。)漢籍に幅広く通じていて、豊富な漢文の語彙の知識によって、これらの解釈が行われるためです。特に、「漢倭奴国王」は「かんのわのなのこくおう」とは読めないということと、倭王武の上奏文の解釈は非常に説得力がありましたが、古代日本の歴史学者や考古学者の反応が注目されるところですね。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年7月16日に日本でレビュー済み
『漢倭奴国王から日本国天皇へ――国号「日本」と称号「天皇」の誕生』(冨谷至著、臨川書店)は、国号が「倭」から「日本」へ、称号が「王」から「天皇」へ変化した経緯を学術的に論じています。

いずれのテーマに対しても、著者の論旨は明快で、論拠を明示しているので、説得力があります。

57年に倭国が後漢に奉献し、光武帝から金印を賜与された歴史的事実を巡り、1784年に筑前(福岡県)の志賀島で偶然発見された「漢委奴国王」の金印は本物か否かという議論があります。これに対し、著者は本物であると断言しています。「中国から発見された同時代の印、『滇王之印』、『広陵王璽』により、金印は贋物ではなく、中国内地で製造され皇帝から下された印であることが確かめられている。贋物と考えられたのは、異民族に与えた印として、金印で蛇の形をした印綬を通す部分(蛇紐)を有することが疑問視されていたのだが、『滇王之印』――漢武帝が前109年に滇国の王に与えた――も金印蛇紐であることで解消し、さらに『広陵王璽』の書体と『漢委奴国王』のそれとが極めてよく似ていることと、蛇紐と亀紐の部分の魚子(ななこ)が同一技法と思われることで、金印の信憑性を一層確信させるにいたったのである」。

そして、この金印の読み方は、「かん(漢)のわ(委)のな(奴)のこくおう(国王)」ではなく、「かん(漢)のわどこく(倭奴国)・おう」と読むべきだと主張しています。

「光武帝は倭奴国が中華に朝貢したと認めて、中国に従属する王として称号を与えた。・・・(中国としては)異民族が中国に懐いてきたことの表明であり、それが内政の面で王朝の強大を誇示する役割を果たしたのである。一方の異民族も、中華に属するという朝貢関係をもち、その表象として王号を与えられる、それは文明の中華と関係をもつことであり、中華帝国から承認され、称号を与えられたということを、自国内および他の異民族国家に示し優越性と国力を誇示することになる」。

親魏倭王・卑弥呼について。「楽浪、帯方など朝鮮半島の北半分から遼東一帯が完全に魏の支配下に帰した。魏の進攻に対して危機感を抱いた倭の女王卑弥呼は、魏への朝貢の使節を派遣した。公孫淵滅亡の1年後、景初3(239)年6月のことであった。・・・(魏の皇帝は)卑弥呼に詔書を下し、親魏倭王の称号を付与し、それに伴う金印を与え」たのです。

「三国統一を目の前にして、魏の王朝に対する東西の絶域に王号をあたえ、中華=魏への帰属を内外に喧伝し、魏が漢をうけつぐ正統的王朝であることを表明する。一方の周辺諸国、例えば、女王の国にとっては、中国の王朝から称号を与えられることは、その正統性が認められたことであり、周辺の(国内外の)諸国への顕示ともなろう」。

しかし、『日本書紀』が、朝貢の事実は記しても、「邪馬台国」、「卑弥呼」、「親魏倭王」を明記していないのはなぜでしょうか。これが、著者が問いかける第1の疑問です。

5世紀には、倭の五王が宋に朝貢し、執拗な称号(官職)要求を繰り返しました。しかし、『日本書紀』に倭の五王の朝貢が記録されていないのはなぜでしょうか。これは、著者でなく、私自身の疑問です。

遣隋使の時代になると、倭国の中国外交に大きな変化が現れます。「遣隋使は対等の関係をめざした、それまで称号をあたえられ朝貢国として中国に従属する上下関係から水平関係へ転換したといわれている」。この定説に対し、著者はこう異論を挿んでいます。「私はそれは、倭がことさら対等をめざしたというより、あたりまえの自然な結果としての対等、素朴な対等の具現だったと考えている」。

「中国側からの国書は、いずれの場合、いずれの時代にあっても『倭王』であり、『隋書』東夷伝も『倭王姓阿毎』『倭王遣小徳阿輩台』などと一貫して『倭王』としている」。しかるに、『日本書紀』では、『倭王』でなく『倭皇』と表記しているのはなぜでしょうか。これが、著者が問いかける第2の疑問です。

第1の疑問と第2の疑問に対する答えは、このように説明されています。「『日本書紀』は『親魏倭王』を分かっていながら、故意に書かなかった。つまり、3世紀倭女王の時代では、誇示すべき『親魏倭王』が『日本書紀』が編纂された8世紀養老4(720)年段階では、隠蔽しておきたい事柄になっていたのだ。事柄は、同じ背景を持っているのである。魏が賜与した『親魏倭王』、隋皇帝の国書の『倭王』は、『日本書紀』では、もはや受け入れがたく、歴史の事実を曲げても改竄せねばならなかったのだ」。私の疑問に対する答えも、背景は同じです。

「(壬申の乱後に)登場した天武天皇がめざしたもの、それはこれまでの中国との関係を清算した新しい統一国家であり、王から天皇へ称号が変わった。そして『倭』という卑語から『日本』という2字にその漢字表記を変更したのも天皇号尾の成立と同じ背景をもつ。『御宇日本天皇』の名称は、飛鳥浄御原令で規定されたのである」。「天武朝は、漢代から続いた対中国関係を変えて、中国から『王』という称号を賜与されるという臣従関係を清算し、独立をめざした。そのきっかけは白村江の戦いであり、またその敗北であった。敗北により、倭は唐にたいして防衛を強化し、それはひいては唐への従属よりも独立の日本へとすすむ装置となる」。

著者は、「倭(やまと)」、「王(おう)」→「日本(やまと)」、「天皇(すめらみこと)」→「日本(にほん)」、「天皇(てんのう)」――という表記・発音における3段階の変化を考えているのです。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年11月17日に日本でレビュー済み
ごく通説的な啓蒙書だろうと思います。決して歴史に詳しい人や漢字・漢文に素養がある人向けの専門書ではありません。学術的な先端研究の解説などを期待しなければ、表題の概略的知識が得られます。

大枠として気になる点が2つあります。

①漢字の読み(音)について、かなり無頓着で、漢字音の歴史的な変遷に殆ど触れず、概ね現代の読み方(音)で記述しているようで、ちょっと…?と感じました。冒頭、いきなり「倭(わ)」で、(倭の上古音と中古音では明らかに異なるにも拘わらず)何の説明もなく、「…周知のことである」と一刀両断!さらに「『山海経』は荒唐無稽な神話からなり、ここにいう蓋國とか倭が実在の地域名を記したとはいえない…」と『山海経』の史料価値を一蹴!…痛快で分かり易いですが、このような調子の記述が散見され、学問的には「??」の連続です。これを読む学生さん達は大いなる予断を植え付けられるのでは、と少々心配になります;;

②ほぼ全編に亘って、中国史書の内容が『日本書紀』に記載されていない(対応関係が直接的でない)ことを指摘して、その事情が何故なのか「理由付け」をあれこれと詮索していますが、矛盾が殆ど解消されていません。そもそも、”「倭」=ヤマト王権“という大前提の読解方法に著者はいささかの疑問も持たれていないようなのです。記述の対応関係が無いのならば、その大前提を再検討・再吟味するのが論理的・解釈的に正しい態度では?『日本書紀』に対応記事が無い理由を色々と詮索するのは、空しい限りだと思うのですが…(^_^;)q