もともと子供にも解るように書かれているものだけに理解をし易いはず
裁判員制度が続いていくならば、是非、今の小中学生にも読んでもらいたい
大人になるといつ直面するかわからない事実が、具体的に想像出来るはず・・
感情だけの甘い論理で命の大事さを説くより、
この本は現実を身近に感じることが出来て、
人の「死」を考えることが出来ると思います
大人の方は、同著者の「死刑」の方が、よりお薦めかも・・

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きみが選んだ死刑のスイッチ (よりみちパン!セ 45) 単行本 – 2009/5/1
森 達也
(著)
- ISBN-104652078455
- ISBN-13978-4652078457
- 出版社理論社
- 発売日2009/5/1
- 言語日本語
- 本の長さ249ページ
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登録情報
- 出版社 : 理論社 (2009/5/1)
- 発売日 : 2009/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 249ページ
- ISBN-10 : 4652078455
- ISBN-13 : 978-4652078457
- Amazon 売れ筋ランキング: - 732,593位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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広島県生まれ。映画監督、作家。1998年にドキュメンタリー映画『A』を発表。2001年、続編の『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『極私的メディア論』(ISBN-10:4904795075)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2012年12月28日に日本でレビュー済み
死刑のやり方など、目を背けなくなる記述もあり、そういうことも知らないまま過ごしていたんだなぁと勉強になりました。
でも、言葉にならない何か、「ちょっと違うんでは??」と思うことも、、。
確かに、人が人を「死刑」だとはいえ、殺すのは間違っているとは思います。
ただ、以前、光市母子殺害事件の本村さんが「死刑」と決定されたことで、被告人が死に関して恐怖し、初めてそこで殺された人の事を想い、心から反省してくれるのでは、と言われていたことを読んで、深く心を揺さぶられました。
人が人を殺すのはいけない。
死刑なんかしなくても良い世の中になれば一番良いに決まっている。
でも、もし、自分の身内が無残な殺されたら、同じ事が言えるか、、と言われたら、私は絶対言えないと思う。
殺された人は、犯人が死刑になったからと言って帰ってくるわけではないですが、殺されて生命が無くなったこらもういいと言うわけではないはずです。
殺された人は、身内の心の中ではずっと生き続けるはずです。
「たましい」なんてものは、信じない人にとっては無いものですが、亡くなった人の尊厳は、、死刑にされるほどの犯人に殺された人の気持ちはどうなの??
そこには、あまりふれずで、なんだか、どうしても違和感が最後まで消えませんでした。
本村さんの「殺された人は帰ってこないから、せめて、犯人に心からの反省をして欲しい。死刑を決定されたことでそれをしてくれるのでは」
死刑がその役割を果たしてくれるのなら、やはり、死刑は必要なものなのではと、私には思えてしまします。
難しい問題で、なかなか答えのでない話だとは思います。
ただ、熱い熱い本でそれはそれで良かったですが、熱すぎて、学生の頃、熱血指導している先生を「この人って青春ドラマ見過ぎじゃねぇ??」と斜めに見てしまったときの気持ちとちょっとだぶってしまった部分もありで、、。
毒舌ですみません。。。
でも、言葉にならない何か、「ちょっと違うんでは??」と思うことも、、。
確かに、人が人を「死刑」だとはいえ、殺すのは間違っているとは思います。
ただ、以前、光市母子殺害事件の本村さんが「死刑」と決定されたことで、被告人が死に関して恐怖し、初めてそこで殺された人の事を想い、心から反省してくれるのでは、と言われていたことを読んで、深く心を揺さぶられました。
人が人を殺すのはいけない。
死刑なんかしなくても良い世の中になれば一番良いに決まっている。
でも、もし、自分の身内が無残な殺されたら、同じ事が言えるか、、と言われたら、私は絶対言えないと思う。
殺された人は、犯人が死刑になったからと言って帰ってくるわけではないですが、殺されて生命が無くなったこらもういいと言うわけではないはずです。
殺された人は、身内の心の中ではずっと生き続けるはずです。
「たましい」なんてものは、信じない人にとっては無いものですが、亡くなった人の尊厳は、、死刑にされるほどの犯人に殺された人の気持ちはどうなの??
そこには、あまりふれずで、なんだか、どうしても違和感が最後まで消えませんでした。
本村さんの「殺された人は帰ってこないから、せめて、犯人に心からの反省をして欲しい。死刑を決定されたことでそれをしてくれるのでは」
死刑がその役割を果たしてくれるのなら、やはり、死刑は必要なものなのではと、私には思えてしまします。
難しい問題で、なかなか答えのでない話だとは思います。
ただ、熱い熱い本でそれはそれで良かったですが、熱すぎて、学生の頃、熱血指導している先生を「この人って青春ドラマ見過ぎじゃねぇ??」と斜めに見てしまったときの気持ちとちょっとだぶってしまった部分もありで、、。
毒舌ですみません。。。
2010年11月8日に日本でレビュー済み
刑務官になって5つのうちのどれかのスイッチを押すことも、
裁判員になって死刑判決に賛成することも出来そうもありません。
単純で稚拙な理由ですが、死刑制度に賛成は出来ません。
この本を読んで、犯罪を犯していなくとも「他者を殺した」という意識を持ったまま生きていかなければいけない人を、増やしてはいけないと改めて思いました。
「自分の親しい人が被害者となったとき、そんな生ぬるいことを言っていられるか?」
との問いには否と答えざるを得ません。
しかし、だからこそ法で規制すべきなのではないでしょうか。
今の平静な状態で、私は人殺しにはなりたくないと思っています。今もこの先も、直接的にも間接的にも。
自分が死ぬとき、「生きている間に出来うる限り正しい選択をした」と思って死にたい。
ところで・・・無期懲役の場合最長で20年、その次が死刑って、おかしくないですか?
裁判員になって死刑判決に賛成することも出来そうもありません。
単純で稚拙な理由ですが、死刑制度に賛成は出来ません。
この本を読んで、犯罪を犯していなくとも「他者を殺した」という意識を持ったまま生きていかなければいけない人を、増やしてはいけないと改めて思いました。
「自分の親しい人が被害者となったとき、そんな生ぬるいことを言っていられるか?」
との問いには否と答えざるを得ません。
しかし、だからこそ法で規制すべきなのではないでしょうか。
今の平静な状態で、私は人殺しにはなりたくないと思っています。今もこの先も、直接的にも間接的にも。
自分が死ぬとき、「生きている間に出来うる限り正しい選択をした」と思って死にたい。
ところで・・・無期懲役の場合最長で20年、その次が死刑って、おかしくないですか?
2017年5月26日に日本でレビュー済み
いろいろと知ること、そして自分で考えたい死刑のこと。
意見も書かれていますが、なんでもかんでも鵜呑みにしないことを警告してくれています。
意見も書かれていますが、なんでもかんでも鵜呑みにしないことを警告してくれています。
2009年8月28日に日本でレビュー済み
死刑そのものについて書かれているのは最終の4章だけで、死刑を生み出した政治的歴史的背景や冤罪・無罪推定と報道、裁判員制度の欠陥や矛盾、95年のオウム事件や9.11の後に不安に駆られた多くの人が治安維持の観点から厳罰化を叫ぶようになった事など、いわば外枠から死刑・殺刑制度について解説している。< /div>
著者は理由が何であれ人を殺すこと自体に反対であり、結論としては、「人はどんなときでも人を殺してはいけない。」と結んでいる。
勿論その理由にしても挙げてはいるのだが、死刑存置派にとっては生ぬるく映る面もあろう。
ともあれ死刑に関して米のように執行場面に至るまで公開するのは、税を使っている以上当然だし、公開しない事によって不安をあおり、死刑を存続させたい政府に無批判に乗っかっていて良いのかとも指摘する。
しかし、存置派は、「被害者遺族の身になり、リアルに想像できるのか?」との著者の問いに「当たり前じゃないか。」と答えるほどに想像力が欠如している。
もしそうであるならば、死刑を望まない遺族がいれば彼らをバックアップし、死刑判決に対する再審請求なり反対運動もすべきではなかろうか?
本書は中高生向きであり分かりやすいが、物足りないと感じるむきもあろう。
そんな読者は、著者と存置派の藤井誠二との共著である「死刑のある国ニッポン」 をお勧めする。
著者は理由が何であれ人を殺すこと自体に反対であり、結論としては、「人はどんなときでも人を殺してはいけない。」と結んでいる。
勿論その理由にしても挙げてはいるのだが、死刑存置派にとっては生ぬるく映る面もあろう。
ともあれ死刑に関して米のように執行場面に至るまで公開するのは、税を使っている以上当然だし、公開しない事によって不安をあおり、死刑を存続させたい政府に無批判に乗っかっていて良いのかとも指摘する。
しかし、存置派は、「被害者遺族の身になり、リアルに想像できるのか?」との著者の問いに「当たり前じゃないか。」と答えるほどに想像力が欠如している。
もしそうであるならば、死刑を望まない遺族がいれば彼らをバックアップし、死刑判決に対する再審請求なり反対運動もすべきではなかろうか?
本書は中高生向きであり分かりやすいが、物足りないと感じるむきもあろう。
そんな読者は、著者と存置派の藤井誠二との共著である「死刑のある国ニッポン」 をお勧めする。
2010年1月19日に日本でレビュー済み
死刑についての本も多い森さんの著作です。きみが選んだ死刑のスイッチという
ことで裁判員制度に於いても死刑のスイッチを選ぶというか厳密には押すこととは
関係なく、地裁レベルでしかないとしても可能性があるということを示唆しています。
近年、見られるように自ら死刑判決を望む加害者もいる点を鑑みると、
殺人事件の加害者自身が加害者を裁くために死刑のスイッチを押すということについて
は全く考慮が見られないと思います。その点では「死刑 人は人を殺せる。でも人は、
人を救いたいとも思う」についても言えるかと思います。
この場合、
人は人を殺せる、でも人は人を殺した人を救いたいとも思う が比較としては適切であり
あるいは
人は人を殺した人を見殺しにできる でも人は殺した人を救いたいとも思うという比喩で
なければ、加害者 救われる対象 被害者 見殺しにする対象 となってしまいます。
ただ確かにこのような比喩を用いてしまうと被害者のことが誰しも念頭においてしまうの
ですが。その点想像力の対象転換でもあり背後に国家をもってくると殺人者対国家という
図式にならざるをえないのは60年代からの伝統的思考法でもあるのですが。 既に人権
先進国では見られるように幼女姦殺人者権利擁護委員会やマフィア殺人者権利擁護委員会
が何故日本でうまれないのか。暴力団員の死刑判決に限って意見が微小なのは何故なのかを
考えることが必要だと思います。
ことで裁判員制度に於いても死刑のスイッチを選ぶというか厳密には押すこととは
関係なく、地裁レベルでしかないとしても可能性があるということを示唆しています。
近年、見られるように自ら死刑判決を望む加害者もいる点を鑑みると、
殺人事件の加害者自身が加害者を裁くために死刑のスイッチを押すということについて
は全く考慮が見られないと思います。その点では「死刑 人は人を殺せる。でも人は、
人を救いたいとも思う」についても言えるかと思います。
この場合、
人は人を殺せる、でも人は人を殺した人を救いたいとも思う が比較としては適切であり
あるいは
人は人を殺した人を見殺しにできる でも人は殺した人を救いたいとも思うという比喩で
なければ、加害者 救われる対象 被害者 見殺しにする対象 となってしまいます。
ただ確かにこのような比喩を用いてしまうと被害者のことが誰しも念頭においてしまうの
ですが。その点想像力の対象転換でもあり背後に国家をもってくると殺人者対国家という
図式にならざるをえないのは60年代からの伝統的思考法でもあるのですが。 既に人権
先進国では見られるように幼女姦殺人者権利擁護委員会やマフィア殺人者権利擁護委員会
が何故日本でうまれないのか。暴力団員の死刑判決に限って意見が微小なのは何故なのかを
考えることが必要だと思います。
2009年7月11日に日本でレビュー済み
小学校のホームルームから始まり、死刑反対へつながる筋道は破綻のない実に見事なものだと思う。子どもに向かって語りかけるような口調も悪くない。森が嫌いな読者はきっとかんに障るんだろうけど。。。
特に個人的には森達也はなぜ裁判員制度について何も言わないんだろうと思っていたから、待ってましたという気分。言われている内容はそれほど独自のものではないと思うが、そこから死刑反対へつなげていく論理がすばらしいと思う。
この世の中にはたくさんの善人と少数の悪人がいるというわけではない。そんなことを考えるのは漫画やハリウッド映画の見過ぎである。漱石の「こころ」じゃないが、普通の人が悪いことをするから、人間は恐ろしいのだ。森の「死刑」を読んだときはまだ確信が持ちきれなかったが、今はぼくも死刑に反対したいし、できると思う。
特に個人的には森達也はなぜ裁判員制度について何も言わないんだろうと思っていたから、待ってましたという気分。言われている内容はそれほど独自のものではないと思うが、そこから死刑反対へつなげていく論理がすばらしいと思う。
この世の中にはたくさんの善人と少数の悪人がいるというわけではない。そんなことを考えるのは漫画やハリウッド映画の見過ぎである。漱石の「こころ」じゃないが、普通の人が悪いことをするから、人間は恐ろしいのだ。森の「死刑」を読んだときはまだ確信が持ちきれなかったが、今はぼくも死刑に反対したいし、できると思う。