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社会学はどこから来てどこへ行くのか 単行本(ソフトカバー) – 2018/11/14
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地道な社会調査の労苦と豊穣さ、学史・理論研究の凄み、そして研究者から見た現代社会の問題点とその理解経路について、侃々諤々の議論をそのまま1冊に収録した数年間におよぶ白熱の対話記録。社会学の到達点と展望を楽しみながら読み、考え、そして共有してほしい。
目次
はじめに
第1章 社会学はどこから来てどこへ行くのか
第2章 社会学は何に悩み、何を伝えたいのか
第3章 社会学は何をすべきで、何ができるのか
第4章 質的調査と量的調査は対話可能か
第5章 フェイクニュースに騙されないための《社会調査》のすすめ
第6章 社会学の仕事の実際
第7章 データの正しさと〈相場感〉
第8章 再び、社会学はどこから来てどこへ行くのか
索 引
「はじめに」より
本書に登場する四名の社会学者は、それぞれ第一線で活躍している者たちであっても、社会学を代表する者ではない。私たちはただ、それぞれの領域において、自分の信じた方法で地道に社会学を研究しているにすぎない。だが、私たちはそれぞれの仕事を尊敬し、お互いに影響を受けあっている。そうした者たちが、現在のリアルな社会学について、時間無制限で語り合ったのが、本書だ。……社会学は変わりつつある。それは、職人たちが特定のテーマと特定の方法で、広い意味での社会の 問題に取り組んでデータと知見を蓄積する、「普通の学問」である。私たちは、理論であれ量的であれ質的であれ、社会のなかで、人びととともにある。それがどこから来て、どこへ行くにしろ、このことは変わらない。
- 本の長さ372ページ
- 言語日本語
- 出版社有斐閣
- 発売日2018/11/14
- ISBN-104641174415
- ISBN-13978-4641174412
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商品の説明
著者について
1967年生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。大阪市立大学大学院文学研究科単位取得退学。博士(文学)。専門は生活史、沖縄研究、社会調査方法論。著書に、『同化と他者化――戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版、2013年)、『街の人生』(勁草書房、2014年)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社、2015年、紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)、『愛と欲望の雑談』(雨宮まみとの対談、ミシマ社、2016年)、『質的社会調査の方法――他者の合理性の理解社会学』(石岡丈昇・丸山里美との共著、有斐閣ストゥディア、2016年)、『ビニール傘』(新潮社、2017年、第156回芥川賞候補、第30回三島賞候補)、『はじめての沖縄』(新曜社・よりみちパン! セ、2018年)、『マンゴーと手榴弾』(けいそうブックス、2018年)など。
北田暁大(きただ あきひろ)
1971年生まれ。東京大学大学院情報学環教授。東京大学大学院人文社会系研究科単位取得退学。博士(社会情報学)。専門は理論社会学、メディア史。著書に『広告の誕生』(岩波書店、2000年。のちに岩波現代文庫、2008年)、『広告都市・東京――その誕生と死』(廣済堂出版、2002年。のちに増補版、ちくま学芸文庫、2011年)、『責任と正義――リベラリズムの居場所』(勁草書房、2003年)、『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス、2005年)など。近著に、『社会にとって趣味とは何か――文化社会学の方法規準』(解体研との共編著、河出ブックス、2017年)、『そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学』(ブレイディみかこ・松尾匡との鼎談、亜紀書房、2018年)、『終わらない「失われた20年」――嗤う日本の「ナショナリズム」・その後』(筑摩選書、2018年)、『社会制作の方法』(けいそうブックス、2018年)
筒井淳也(つつい じゅんや)
1970年生まれ。立命館大学産業社会学部教授。専門は家族社会学、計量社会学。一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。著書に『制度と再帰性の社会学』(ハーベスト社、2006年)、『親密性の社会学――縮小する家族のゆくえ』(世界思想社、2008年)、『Stataで計量経済学入門』(平井裕久らとの共著、ミネルヴァ書房、2008年。のちに第二版、2011年)、『仕事と家族――日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか』(中公新書、2015年、不動産協会賞受賞)、『計量社会学入門――社会をデータでよむ』(数理社会学会監修・神林博史らとの共編著、世界思想社、2015年)、『結婚と家族のこれから――共働き社会の限界』(光文社新書、2016年)、『社会学入門――社会とのかかわり方』(有斐閣ストゥディア、2017年)など。
稲葉振一郎(いなば しんいちろう)
1963年生まれ。明治学院大学社会学部教授。専門は社会倫理学。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書に『ナウシカ解読――ユートピアの臨界』(窓社、1996年)、『リベラリズムの存在証明』(紀伊國屋書店、1999年)、『経済学という教養』(東洋経済新報社、2004年。のちに増補版、ちくま学芸文庫、2008年)、『「資本」論――取引する身体/取引される身体』(ちくま新書、2005年)、『モダンのクールダウン』(NTT出版、2006年)、『「公共性」論』(NTT出版、2008年)、『社会学入門――<多元化する時代>をどう捉えるか』(NHKブックス、2009年)、『不平等との闘い――ルソーからピケティまで』(文春新書、2016年)、『宇宙倫理学入門』(ナカニシヤ出版、2016年)、『政治の理論』(中公叢書、2017年)、『「新自由主義」の妖怪――資本主義史論の試み』(亜紀書房、2018年)など。
登録情報
- 出版社 : 有斐閣 (2018/11/14)
- 発売日 : 2018/11/14
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 372ページ
- ISBN-10 : 4641174415
- ISBN-13 : 978-4641174412
- Amazon 売れ筋ランキング: - 287,905位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 12,152位社会学 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
社会学者。計量社会学、家族社会学。
一橋大学大学院社会学研究科博士課程後期課程。博士(社会学)。
立命館大学産業社会学部教授。
Note: https://note.com/junya_tsutsui/
Website: https://researchmap.jp/read0192468
Yahooニュース個人ページ:https://news.yahoo.co.jp/byline/tsutsuijunya
1967年生まれ。京都大学大学院文学研究科教授。社会学者。研究テーマは沖縄、生活史、社会調査方法論。主な著作に『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者』(ナカニシヤ出版 2013)、『街の人生』(勁草書房 2014)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社 2015)、『愛と欲望の雑談』(雨宮まみと共著 ミシマ社 2016)、『質的社会調査の方法──他者の合理性の理解社会学』(石原丈昇・丸山里美と共著 有斐閣 2016)、『ビニール傘』(新潮社 2017)、『はじめての沖縄』(新曜社 2018)、『マンゴーと手榴弾』(勁草書房 2018)、『社会学はどこから来てどこへ行くのか』(北田暁大・筒井淳也・稲葉振一郎と共著 有斐閣 2018)、『図書室』(新潮社 2019)『地元を生きる──沖縄的共同性の社会学』(打越正行・上原健太郎・上間陽子と共著 ナカニシヤ出版 2020)、『100分de名著 ブルデュー「ディスタンクシオン」』 (NHK出版 2020)、『大阪』(柴崎友香と共著 河出書房新社 2021)、『リリアン』(新潮社 2021)、『東京の生活史』(筑摩書房 2021)、『生活史論集』(編著 ナカニシヤ出版 2022)など。
【自己紹介】1971年神奈川県生まれ。東京大学情報学環教授(社会学、メディア史)。博士(社会情報学)。東京大学文学部社会学科、同大学大学院人文社会系研究科修士課程修了、博士課程退学。東京大学社会情報研究所助手、筑波大学社会学系講師、東京大学社会情報研究所助教授、同大学情報学環准教授を経て現職。現在は、アメリカ社会調査史を中心に、調査という社会的行為の歴史をたどり返している。ドイツの戦時期にも手を付けないとといけないとびびっています。最新刊は『社会制作の方法』勁草書房。なんとか春までには有斐閣から社会学の教科書(というか講義録)を出したいと思っています。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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ただ、こういう自分が関わるドメインの再構築・再検討が問われているのは社会学だけではないはず。この世代の語りが他分野でも発生することを望む。ある程度の経験と分野全体を見ることができていれば、方法論的な迷いと覚悟にに自覚的であるはず、だと思う。
社会学も最初から「曖昧な」学問だったわけではない。社会学の調査の歴史を研究している北田さんによれば、初期の社会学は「調査・分析・処方箋」の3点セットが売りで、アメリカで社会学は社会調査専門家の職業団体として成長し、シカゴ学派などが中心となって『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』などの研究成果を残した。そこでは「価値、態度、状況」の3点セットを記述すれば集団を記述したことになる(北田さん)といったわかりやすい方法論があった。しかし、こうしたわかりやすい「3点セット」のようなものが昨今はなくなっているらしい。つまり、いまの社会学には支配的な理論枠組みがない(稲葉さん)状態で、共通理論をつくろうとした人は何人もいるけれど、実現できそうにないという認識が社会学者のあいだで共有されてきた(北田さん)というのである。岸さんによると、社会学が生まれてきたのはどの国でも人口増大局面であり、産業化論、都市化論、近代化論的なものの見方が主流である。すなわち、集団から個へという語り口だ。これと違うやり方はないのか、と岸さんは問う。
どなたかのレビューに書いてあるけれど、いちばん問題意識が強いのは岸さん。「けっきょく社会学ってなんだろう」ということを全編にわたって問い続ける。「統計的な調査はコンサルがやって、質的な調査は人類学者や歴史学者がやるとなると社会学の強みは何だろう」ということらしい。岸さんは社会学の方法論についてもいくつかの問いを持っている。ひとつは、話法について。「固定的なものからバラバラなものへ」という産業化論、都市化論、近代化論の話法しかないのか。そうではなく、「他者の合理性を理解する」というアプローチに社会学らしさがあるのではないか。北田さんの対談のなかでは、そこにこだわっていくべきではという話をしている。筒井さんとの対談のなかでは、質的調査と量的調査は一緒にやっていけるのかという話をしている。社会学には、社会調査、参与観察、テクスト分析、エスノグラフィー、生活史、量的調査などいろいろなジャンルがあるが、ざっくりわけると質的調査と量的調査にわかれるようだ。以下の説明はわかりやすい。量的調査の問いの立て方は「○○な人ほど××だ」というもので、質的調査の問いの立て方は「Xとは何か」「Xであるのはなぜか」。量的調査のほうが社会科学っぽく、質的は文学的だともいわれている。それが岸さんには不満で、代表性、事実性、有用性についてこだわり、「行動経済学」的なものを目指したいと言う発言にもつながる。そんな岸さんの悩みを一刀両断にしているのが稲葉さん。あえて少数のサンプルから知見を得ていること(質的調査を指していると思われる)の意味は何か、というのは社会学者だけの悩みではなく、社会科学者全体が共有しうる問題、もっといえば自然科学者にもあてはまる問題でもあると指摘する。「唯一の事例と法則性」の問題に拘泥するべきではなく、少ない事例から「ある水準での普遍性」が導き出せたり、それで全体を「理解できてしまう」ことのほうに目を向けるべきでは、というわけだ。
量的調査においても葛藤はもちろんある。計量研究をやっていると他の分野、たとえば経済学や心理学との接点が多い、と言う筒井さんは、彼らとの違いについていろんな角度から語っている。たとえば経済学者は集団としての異質性や多様性にあまり興味はなく、政策介入の前後で何か変わったかということが関心の対象になる。それに対して異質なグループ同士を調べるのが社会学の特徴だ。政治学などでも統計的因果推論がはやっているが、そういうものは10年くらいで廃れるのではないか、筒井さんはとかなり踏み込んだ発言をしている。因果推論というのはAさんとAさんのその後など、「同じもの」を比べる。計量社会学はAとA'ではなくAとBという異質なものを比べる。日本社会と沖縄社会がどう違うか、は因果推論ではなく、沖縄社会にこんな作用を加えたらどうなるか、というのが因果推論。た因果推論ではなく、「○○な人ほど××だ」という相関がわかればよいというのが筒井さん的な計量社会学の立場。
長々と話しているのだが、社会学の「普通」の学問としてのアイデンティティは何か、という大きな問いに、結局のところこの本は答えていない。社会問題を適切に記述し、他なる選択肢を示すのが社会学の「社会的」たるゆえん(北田さん)だが、社会調査をやっているだけではだめ(筒井さん)であり、結局社会学というのは「社会問題の科学」ではないのか(稲葉さん)というような話にとどまっている。ただ、米英では絶滅(!)に向かっている社会学が先進国のなかで日本の社会学は例外ともいえる規模維持している(北田さん)のは、おそらく社会学がわかりにくいかたちながらも、理論でスパッと説明できない何かをなんとかして説明し、理解しようとする試みを世の中が必要とし、また受容しているからではないだろうか。この、混沌としたものを限られた道具を使ってなんとか理解しようとする社会学者気質のようなものが充満した本であった。
各章ごとに対談参加者と時期が異なっていて、次の対談までに間隔があるため、対談の焦点が整理されています。
第1章 社会学はどこから来てどこへ行くのか(2015年4月/岸/北田)
第2章 社会学は何に悩み、何を伝えたいのか(2016年3月/岸/北田)
第3章 社会学は何をすべきで、何ができるのか(2016年/8月/岸/北田)
第4章 質的調査と量的調査は対話可能か(2014年10月/岸/筒井)
第5章 フェイクニュースに騙されないための《社会調査》のすすめ(2017年3月/岸/筒井、進行荻上チキ)
第6章 社会学の仕事の実際(2017年5月/北田/筒井/前田泰樹)
第7章 データの正しさと〈相場感〉(2017年5月岸/筒井/稲葉)
第8章 再び、社会学はどこから来てどこへ行くのか(岸/北田/稲葉)
社会学の分野は以下のように整理され(一部私の方で追加しています)、それは歴史学や文化人類学と同じ悩みを抱えています。
質的社会調査(岸) :文化人類学の厚い記述、個性記述的歴史学
量的社会調査(筒井):計量歴史学、比較史、法則定立的歴史学
理論社会学(北田) :文化人類学諸理論、歴史学方法論
岸氏の悩みは、社会学は「本当に調査対象の人々を理解できるのか?」という点にあります。歴史学でも関係者が存命中の現代史については、記憶を巡り似たような課題はありますが、それ以前の過去については、どのように歴史像を描いても、当事者からの反論が無い点が社会学と異なります。研究者の理解や解釈が、調査される当事者の状況を”客観化””断定”してしまうことの問題性、これが岸氏の悩み(と思われ)ます。岸氏は、なんらかの理論や合理性などに(言葉は悪いのですが)逃げ込みたい、という心理がうかがわれます。これに対して筒井氏や稲葉氏は、「なんでそんなことで悩んでるの?」とそっけない(少なくとも登場当時は)。しかし筒井氏の割切りも悩みの前提があってのことで、それは岸氏との対談や、稲葉氏が経済学の立場をぶつけてきたところで(対談上では)顕在化します(量的調査は、データのカテゴリー化や一般化/サンプリングに質的調査と共通の問題がある)。筒井氏も稲葉氏も、岸氏の悩みを理解していないわけではなく、その課題を理解した上での割り切りがあります。そこで社会学全体に共通する、質的量的調査はどこまで現実を捉えることができるのか?という社会学の存在を問う問題認識が浮き彫りになってきます。
「正しさ」は外部委託できるのか(なんらかの客観的な指標(合理性とか理論とか)に任せることができるのか)、外部委託により研究者の責任解除は可能なのか? 等社会科学共通の、簡単には解決しない問題が率直に語られます。対談のポイントは、これらの点が、抽象的な議論だけしている理論専門の研究者ではなく、地道な質的量的研究を日々積み重ねている前線の職人研究者(歴史学での素朴実証主義研究者に相当する)が行っているところに意味があります。
もし本書が、何か万能の解決策みたいなものを提言していたら、失望していただろうと思うのです。課題があることを認識しつつ、地道な研究を実践してゆく、そうした姿勢の社会学最前線を知ることができて有用でした。
本書は社会学入門書ではないため、登場する用語や理論に関する知識が前提となるところがありますが、北田氏の見解では、社会学の基本的な分析用語や概念は60年代におおむね登場しつくしている、とのことなので数十年前の社会学を更新する目的でも活用できます。本書から受けた印象は、理論社会学はほぼ60年代までに完成し、その後の社会学は実践フェーズに移行し、膨大な研究蓄積を生み出し続けていて、社会学は成熟しているのだ、というものでした。
本書に導かれ、現在社会学の最前線を知るには、近年の書籍では以下のものが有用そうに思えました。読んでみようと思います。
質的調査:『質的社会調査の方法――他者の合理性の理解社会学』 岸政彦等著(2016年)
量的調査:『計量社会学入門―社会をデータでよむ』 筒井淳也等著(2015年)
理論社会学:『社会学の力-最重要概念・命題集』友枝敏雄編(2017年)
定量分析は何かと何かを比較し関係性を見出すこと、時系列における変化感からその普遍性や確からしさを見出すこと、というのはその通りで、事業の実務現場でも鉄則かとおもう。
問題なのは定性分析(調査)。本書ではその意義を明確にはされていないが、岸先生は別の本で、他者の行為を記述することの意味を、責任論を解除してあげることだとしており(注・うろ覚えです)、そもそも、他者の行為を理解するというおこがましさを自覚し、ただ当事者にも語り得ない事実を記述することで見つめようとする優しさを感じさせる。本書で展開される座談会においても、即座になにかを分かったかのように断定することへの違和を唱えているように受け止めた。
フレームワークや構造化で他者や世界をシンプライズすることも戦略論においては有益だが、そこにいる具体的なひとりひとりに対する真摯な態度を忘れてはいないか、ときに内省する必要を感じさせた。
それは、社会的問題として、共通の(代表的)具体事象を共有しやすいからであって、それを学問の立場から見た場合に、何ができるか、何をできるようすべきか、という形に収斂していくことが可能なためである。
しかしながら、社会学は、これが思うよりも難しい。
例えば「人口減少社会」とか「デジタル技術との付き合い方」とか、何か収斂していく問題・事象が出てくると良いのだが、これを複数の社会学者が、同じ土俵に乗っかって、それぞれの立場から論じる、ということが、思ったよりも容易でない。
それは、おそらくは、日本の少なからぬ社会学者が、複数の専門分野を持たないことに、1つ、起因しているのではないか、と本書からは感じる。
ダブルマスターの方が多ければ、社会学と、自身の持つもう1つの軸足からの「複眼思考」で、こうした同じ土俵に乗った議論は成立しやすくなる。
しかしながら、社会学が単一の専門分野、となると、その社会学の中での「共通性」よりも、「差異性」がクローズアップされやすくなり、結果として、同じ土俵での議論がしにくくなるのではないだろうか。
そのことは結果、社会学の観察分析対象である「社会」と、学問たる「社会学」との距離を、遠ざけたまま、ということになるのかもしれない。