プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥2,000以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
穂高小屋番 レスキュー日記 単行本(ソフトカバー) – 2019/3/20
宮田 八郎
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,650","priceAmount":1650.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,650","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"nB%2FCbMNJJkMrxL9NioRgha%2BrXwoxItqCDezfLIGG%2BOc%2FYhPGZLlU%2FlgIIqkAZZnR4Awm5RVtaaZe32Ur5M4lFf67%2Bs%2BsD6TRe%2BCD%2BkocshqugVyepwFkIqAWFQ%2BKMS9ylXYXVzYq69o%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
穂高の山小屋に暮らし、誰よりも深く穂高を知る男・宮田八郎。
人気漫画「岳」(石塚真一著)に登場する小屋番「宮川三郎」のモデルにもなり、穂高の遭難救助に欠かすことのできない人物だった。
2018年4月に海難事故で不慮の死を遂げてしまったものの、
「山で死んではいけない」というメッセージを
多くの登山者に届けたいテーマとして、彼は書き残していた。
現場に長く居たからこそ経験できた山岳遭難救助の実態について、具体的な体験談をもとにレポートし、
「防ぐことができたはず」の遭難が二度と起きないように、現場からの貴重な声を登山者に届ける。
山岳遭難の現場ではいったい何が起きているのか。
長年、穂高岳山荘を基点に、遭難救助の最前線で活躍し続けててきた宮田八郎が、
山岳レスキューの実態をつぶさに紹介する。
遭難救助の初体験から、霧の中の危機一髪のヘリ・レスキュー、季節ごとの遭難歳時記等、心に残る遭難救助の数々が描かれる。
穂高の小屋番であり遭難救助隊員でもあった宮田八郎が登山者に向けて残した、厳しくも暖かいメッセージ。
人気漫画「岳」(石塚真一著)に登場する小屋番「宮川三郎」のモデルにもなり、穂高の遭難救助に欠かすことのできない人物だった。
2018年4月に海難事故で不慮の死を遂げてしまったものの、
「山で死んではいけない」というメッセージを
多くの登山者に届けたいテーマとして、彼は書き残していた。
現場に長く居たからこそ経験できた山岳遭難救助の実態について、具体的な体験談をもとにレポートし、
「防ぐことができたはず」の遭難が二度と起きないように、現場からの貴重な声を登山者に届ける。
山岳遭難の現場ではいったい何が起きているのか。
長年、穂高岳山荘を基点に、遭難救助の最前線で活躍し続けててきた宮田八郎が、
山岳レスキューの実態をつぶさに紹介する。
遭難救助の初体験から、霧の中の危機一髪のヘリ・レスキュー、季節ごとの遭難歳時記等、心に残る遭難救助の数々が描かれる。
穂高の小屋番であり遭難救助隊員でもあった宮田八郎が登山者に向けて残した、厳しくも暖かいメッセージ。
- 本の長さ260ページ
- 言語日本語
- 出版社山と渓谷社
- 発売日2019/3/20
- 寸法18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- ISBN-104635510301
- ISBN-13978-4635510301
よく一緒に購入されている商品

対象商品: 穂高小屋番 レスキュー日記
¥1,650¥1,650
最短で3月21日 木曜日のお届け予定です
残り3点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
出版社より
誰よりも深く穂高を知る男・宮田八郎が登山者に向けて残した、厳しくも暖かいメッセージ
|
|
|
---|---|---|
山岳遭難救助の実態を具体的な体験談をもとにレポート2018年4月に海難事故で不慮の死を遂げてしまったものの、 「山で死んではいけない」というメッセージを 多くの登山者に届けたいテーマとして、彼は書き残していた。 |
人気漫画「岳」に登場する小屋番「宮川三郎」のモデル穂高の山小屋に暮らし、誰よりも深く穂高を知る男・宮田八郎。 人気漫画「岳」(石塚真一著)に登場する小屋番「宮川三郎」のモデルにもなり穂高の遭難救助に欠かすことのできない人物だった。 |
冬の穂高の撮影。彼がその先にみていたものは。穂高の写真撮影、映像製作にも注力していた。 |
商品の説明
出版社からのコメント
(「はじめに」 より)
穂高の山に生きて三〇年になります。
三〇年という歳月は人間にとっては決して短いものではありませんが、自然の時の流れから思えばほんの一瞬であるし、ぼく自身も「もうそんなに時が過ぎたのか」と不思議な感じもします。
ぼくが生きてきた穂高は、悲しい事実ではありますが、ことさらに遭難の多い山です。
そのなかで長く仕事をしていると、遭難救助の現場に立つこともずいぶんとありました。
そして救助経験を重ねるにつれてぼくは当然のことながら、人は山で命を落としてほしくはないと願うようになりました。
ぼく自身は、ことさら人より正義感が強いとか親切心に富むとかいうことはありません。
むしろ世の平均から考えると、やや(あるいはかなり)いい加減で不真面目なタイプの人間であろうと思っています。
そんな自分が、曲がりなりにも人助けをし、あまつさえ人命救助に携わってきたのは、ぼくが生きてきた穂高という世界では「人が人を救う」のがごく当たり前だったからだと思います。
(中略)
そのために穂高でぼくができること、ぼくにしかできないこと、そしてやらねばならないことはまだあります。
それはたとえば、これまでの遭難の記憶と経験を広く語り伝えることもそのなかのひとつではあるまいかと考えるに及び、このたびこのように駄文をしたためるに至った次第です。
ぼくのこれまでの山小屋暮らしにおいて、多少なりとも登山者のお役に立ったことがあったとすれば、それは、これまでに救った命の数よりむしろ、喪わせずにすんだ幾多の命があったことでしょう。
ささやかながらも、それこそを誇りたいと思います。
これから語ることが、穂高を歩く人たちの安全に少しでもお役に立つのならとてもうれしいかぎりです。
穂高の山に生きて三〇年になります。
三〇年という歳月は人間にとっては決して短いものではありませんが、自然の時の流れから思えばほんの一瞬であるし、ぼく自身も「もうそんなに時が過ぎたのか」と不思議な感じもします。
ぼくが生きてきた穂高は、悲しい事実ではありますが、ことさらに遭難の多い山です。
そのなかで長く仕事をしていると、遭難救助の現場に立つこともずいぶんとありました。
そして救助経験を重ねるにつれてぼくは当然のことながら、人は山で命を落としてほしくはないと願うようになりました。
ぼく自身は、ことさら人より正義感が強いとか親切心に富むとかいうことはありません。
むしろ世の平均から考えると、やや(あるいはかなり)いい加減で不真面目なタイプの人間であろうと思っています。
そんな自分が、曲がりなりにも人助けをし、あまつさえ人命救助に携わってきたのは、ぼくが生きてきた穂高という世界では「人が人を救う」のがごく当たり前だったからだと思います。
(中略)
そのために穂高でぼくができること、ぼくにしかできないこと、そしてやらねばならないことはまだあります。
それはたとえば、これまでの遭難の記憶と経験を広く語り伝えることもそのなかのひとつではあるまいかと考えるに及び、このたびこのように駄文をしたためるに至った次第です。
ぼくのこれまでの山小屋暮らしにおいて、多少なりとも登山者のお役に立ったことがあったとすれば、それは、これまでに救った命の数よりむしろ、喪わせずにすんだ幾多の命があったことでしょう。
ささやかながらも、それこそを誇りたいと思います。
これから語ることが、穂高を歩く人たちの安全に少しでもお役に立つのならとてもうれしいかぎりです。
著者について
宮田八郎 1966年神戸生まれ。学生の頃から穂高を訪れ1991年穂高岳山荘スタッフとなり、1994年〜2006年支配人を務める。
小屋番の傍ら撮影・制作活動を続け、現場にいる身として遭難救助にも多数出動。
人気漫画「岳」(石塚真一著)の原作中に“宮川三郎"の名で登場。穂高の映像を制作するハチプロダクション代表。
2018年4月、西伊豆でシーカヤック中に遭難死。
小屋番の傍ら撮影・制作活動を続け、現場にいる身として遭難救助にも多数出動。
人気漫画「岳」(石塚真一著)の原作中に“宮川三郎"の名で登場。穂高の映像を制作するハチプロダクション代表。
2018年4月、西伊豆でシーカヤック中に遭難死。
登録情報
- 出版社 : 山と渓谷社; 第三版 (2019/3/20)
- 発売日 : 2019/3/20
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 260ページ
- ISBN-10 : 4635510301
- ISBN-13 : 978-4635510301
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 282,017位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 88位田舎暮らし
- - 96位防災関連の本
- - 336位クライミング・ボルダリング (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2022年7月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
好きなことに邁進できる、自分のなすことを知っている方なんでしょう。多くの方々に愛され山を愛して、奥さんを愛して、、、。後書きはとても素敵なものになってます^_^
2022年7月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
穂高の景色が目の前にあるようなリアリティのある筆致に夢中になり、あっという間に読破してしまいました。躍動感あふれる筆者がもう穂高にいないのはとても悲しいです。
2021年10月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ますます山が好きになりました。危ないけど(汗)
来年は、穂高に上がろう!
来年は、穂高に上がろう!
2021年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
山小屋での、救難救助の裏側や、作者の救難救助の考え方が分かるような作品。
2021年3月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現場での言葉はシンプルが故に、心にドストライク。いろいろな極限に泣けてきます。
2019年9月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書の上梓前に不慮の事故で故人となられた著者の宮田八郎さんは、自らがこの世を去った後も、人々の心にそのメッセージを届け、今なお多くの人々を救っているという現実に暫し当惑し、共に奥深い敬意を抱きます。
それは、生前の宮田さんが穂高に生きる中で、豪放磊落な精鋭でありながら繊細な感受性を持ち、時に逡巡や煩悶を超越して、如何に誠実に人間の生と死に向き合ってこられたかということに他ならないと思います。
究極のリスクを承知の上で登攀する純粋な魂を持つアルパインクライマーに象徴されるように、ある種の人間が生きるため本能的にせざるを得ない業、それが登山というものの本質であり、スタンスの違いは在るもののレスキュー隊員や全ての登山者にも通じる心髄があるように感じられます。
最も死に近い領域に踏み込むという行為は、およそ一般社会で是とされる価値観では到底計れませんが、彼等は闇雲に無謀や危険を求めているわけではなく、名誉や賞賛が欲しいわけでもなく、さらに自らに恥じ入り深く内省する実直な告白には目頭が熱くなり、羨望と敬意を抱くことが出来るのだと思います。
また、レスキューに懸ける想いは官民同等であることや、現場だけではなく陰の立役者である山小屋の全てのスタッフへの感謝の心に気付き、一般の登山者や余りに無謀な遭難者にまで心の門戸を開き、レスキュー隊やクライマーの親友の死にも可能な限りの理解を示す宮田さんは、心のキャパシティが際限なく広い篤実な人物であると思えます。
日常では人は自分や親しい者の死を前提には生きていませんが、生というものを実感しようとすれば、死の存在を意識せざるを得ない登山というものについても、宮田さんは真摯に洞察されています。
死はその生の結果としてあるのではなく、山へ登ることの一部として元来そこに存在しているものであって、「山で死んではいけない」ことの真意を「山でより良く生きねばならない」と帰結されており、宮田さんと同様に自分も登山を否定する気にはなれませんが、全ての登山者には、最善を尽くし必ず生還することが前提の究極の「覚悟」が必要であることに共鳴します。
どうしようもなく穂高で起こる悲劇の数だけ、それに立ち向かう熱い想いと行ないも存在し、たとえそれが英雄的で献身的な行ないであったとして、それが誰に知られることもなくても、「好きな山で人を助けてやりたい」という素朴な想いが源にある確固たる自負と誇りと気概が、困難なレスキュー現場へ向かわせる原動力となっていることを知り、打算の無いピュアな想いに感銘を受けました。
3000mの稜線という苛酷な環境下で日常的に直面する人の生死に関するストレートな描写からは、レスキューで救えた命には思わず快哉を叫ぶ一方で、筆舌に尽くし難い程に無惨で悲惨な遭難死とも直向きに対峙されてきた宮田さんが、切磋琢磨され人間的成長を遂げてゆく過程の中でこそ語れる死生観が感じられます。
全てのものには終わりがあり、終わりがあるから美しく、レスキューがどれほど純粋で崇高な行為であったとしても、人が人である以上、泰然たるものではなく、悲嘆や苦悩を伴う凄絶な葛藤は避けて通れないことと思います。
この世の中には絶対や永遠というものはほぼ存在しないと考えるべきなのかも知れませんが、山は死ぬための場ではなく、最大限に生きるための場であると、全ての命が必ず迎える死だからこそ、人はどんな境遇にあろうと、懸命に毅然と、できれば人徳をもって生きなければいけないと感じます。
人間にとって山は不快や苦しみを伴う非情なものですが、相反するものが矛盾なく存在するという側面は、ある種の人間が本能的に両価感情を抱き、山に惹かれる所以なのかも知れないと思えます。
生存する上であらゆる選択肢があり、実社会では登山を愚かで価値の無い行ないと見做す人も多い中で、「人は何故生きるのか」と考えるのとほぼ同様に、山へ挑む人間の本質というものを宮田さんをはじめとするレスキュー隊員や小屋番など、穂高に関わった全ての方々の尊い思想と行為によって教えて頂いたように思います。
ここにあるのは、非常に重くシリアスなテーマですが、真剣だからこそ飄々と皮肉や冗談を交え、何のてらいも気取りもなく、喜怒哀楽を曝け出し、人としての本来的な生き方を選び、その生を全うされた宮田さんの等身大のあるがままの想いが綴られていると確信します。
命の儚さや人生の不条理に対して、どれほど言葉を尽くしても表現しきれないやるせない想いは伝わるものの、宮田さんの息遣いや鼓動や生きた証がビビッドに伝わってきて、氏の人格を肯定出来ると共に敬服に値する生き方に感じられます。
また、宮田八郎さんの同志の方々や陰で支えられたご家族にも感謝し、人知れず流された涙を想い、共に哀悼の意を表します。
それは、生前の宮田さんが穂高に生きる中で、豪放磊落な精鋭でありながら繊細な感受性を持ち、時に逡巡や煩悶を超越して、如何に誠実に人間の生と死に向き合ってこられたかということに他ならないと思います。
究極のリスクを承知の上で登攀する純粋な魂を持つアルパインクライマーに象徴されるように、ある種の人間が生きるため本能的にせざるを得ない業、それが登山というものの本質であり、スタンスの違いは在るもののレスキュー隊員や全ての登山者にも通じる心髄があるように感じられます。
最も死に近い領域に踏み込むという行為は、およそ一般社会で是とされる価値観では到底計れませんが、彼等は闇雲に無謀や危険を求めているわけではなく、名誉や賞賛が欲しいわけでもなく、さらに自らに恥じ入り深く内省する実直な告白には目頭が熱くなり、羨望と敬意を抱くことが出来るのだと思います。
また、レスキューに懸ける想いは官民同等であることや、現場だけではなく陰の立役者である山小屋の全てのスタッフへの感謝の心に気付き、一般の登山者や余りに無謀な遭難者にまで心の門戸を開き、レスキュー隊やクライマーの親友の死にも可能な限りの理解を示す宮田さんは、心のキャパシティが際限なく広い篤実な人物であると思えます。
日常では人は自分や親しい者の死を前提には生きていませんが、生というものを実感しようとすれば、死の存在を意識せざるを得ない登山というものについても、宮田さんは真摯に洞察されています。
死はその生の結果としてあるのではなく、山へ登ることの一部として元来そこに存在しているものであって、「山で死んではいけない」ことの真意を「山でより良く生きねばならない」と帰結されており、宮田さんと同様に自分も登山を否定する気にはなれませんが、全ての登山者には、最善を尽くし必ず生還することが前提の究極の「覚悟」が必要であることに共鳴します。
どうしようもなく穂高で起こる悲劇の数だけ、それに立ち向かう熱い想いと行ないも存在し、たとえそれが英雄的で献身的な行ないであったとして、それが誰に知られることもなくても、「好きな山で人を助けてやりたい」という素朴な想いが源にある確固たる自負と誇りと気概が、困難なレスキュー現場へ向かわせる原動力となっていることを知り、打算の無いピュアな想いに感銘を受けました。
3000mの稜線という苛酷な環境下で日常的に直面する人の生死に関するストレートな描写からは、レスキューで救えた命には思わず快哉を叫ぶ一方で、筆舌に尽くし難い程に無惨で悲惨な遭難死とも直向きに対峙されてきた宮田さんが、切磋琢磨され人間的成長を遂げてゆく過程の中でこそ語れる死生観が感じられます。
全てのものには終わりがあり、終わりがあるから美しく、レスキューがどれほど純粋で崇高な行為であったとしても、人が人である以上、泰然たるものではなく、悲嘆や苦悩を伴う凄絶な葛藤は避けて通れないことと思います。
この世の中には絶対や永遠というものはほぼ存在しないと考えるべきなのかも知れませんが、山は死ぬための場ではなく、最大限に生きるための場であると、全ての命が必ず迎える死だからこそ、人はどんな境遇にあろうと、懸命に毅然と、できれば人徳をもって生きなければいけないと感じます。
人間にとって山は不快や苦しみを伴う非情なものですが、相反するものが矛盾なく存在するという側面は、ある種の人間が本能的に両価感情を抱き、山に惹かれる所以なのかも知れないと思えます。
生存する上であらゆる選択肢があり、実社会では登山を愚かで価値の無い行ないと見做す人も多い中で、「人は何故生きるのか」と考えるのとほぼ同様に、山へ挑む人間の本質というものを宮田さんをはじめとするレスキュー隊員や小屋番など、穂高に関わった全ての方々の尊い思想と行為によって教えて頂いたように思います。
ここにあるのは、非常に重くシリアスなテーマですが、真剣だからこそ飄々と皮肉や冗談を交え、何のてらいも気取りもなく、喜怒哀楽を曝け出し、人としての本来的な生き方を選び、その生を全うされた宮田さんの等身大のあるがままの想いが綴られていると確信します。
命の儚さや人生の不条理に対して、どれほど言葉を尽くしても表現しきれないやるせない想いは伝わるものの、宮田さんの息遣いや鼓動や生きた証がビビッドに伝わってきて、氏の人格を肯定出来ると共に敬服に値する生き方に感じられます。
また、宮田八郎さんの同志の方々や陰で支えられたご家族にも感謝し、人知れず流された涙を想い、共に哀悼の意を表します。