トラウマの環状島について、他の本や講演会で知りました。
もうすこしよく知りたくて、拝読し感動しました。
地道に、被害者の視点を十分にもちつつ、文化や歴史を踏まえた論を展開されています。
臨床者と研究者の視点を行ったり来たりしつつ書かれている様に思いました。
環状島を臨床場面に準えて考えるのはやや無理がかかる面もありますが、「トラウマ」の性質を理解するのにはとても役立つと感じました。

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環状島=トラウマの地政学 【新装版】 単行本 – 2018/7/14
宮地 尚子
(著)
戦争から児童虐待にいたるまで、トラウマをもたらす出来事はたえまなく起きている。
「言葉では表現しようのない」この出来事は、それでも言語化されていった。しかし、
言葉にならないはずのトラウマを伝達可能な言語にするという矛盾は、発話者をも
聞く者をも揺るがせる。「なぜあなたが(もしくはこの私が)その問題について語ることが
できるのか」「もっと悲惨な思いをした人はたくさんいるのではないか」にはじまる問いは
限りなく、お互いの感情を揺さぶり、自身を責めさいなむ。
「だからここで考えてみたい。トラウマについて語る声が、公的空間においてどのように
立ち現れ、どのように扱われるのか。被害当事者、支援者、代弁者、家族や遺族、専門
家、研究者、傍観者などはそれぞれどのような位置にあり、どのような関係にあるのか」
前著『トラウマの医療人類学』を継ぐ本書で、著者は「環状島」をモデルに、加害者も含め、
トラウマをめぐる関係者のポジショナリティとその力動を体系的に描いた。
〈内海〉〈外海〉〈斜面〉〈尾根〉〈水位〉〈風〉などの用語を駆使しながら、トラウマをめぐる
全体像とあるべき方向性をしめした初めての試みである。関係者のみならず、クライアント
と日々を共にする医師であり、マイノリティ問題にかかわる研究者である著者自身にとっても、
本書は実践と倫理のための道標になるだろう。
[2007年12月初版]
「言葉では表現しようのない」この出来事は、それでも言語化されていった。しかし、
言葉にならないはずのトラウマを伝達可能な言語にするという矛盾は、発話者をも
聞く者をも揺るがせる。「なぜあなたが(もしくはこの私が)その問題について語ることが
できるのか」「もっと悲惨な思いをした人はたくさんいるのではないか」にはじまる問いは
限りなく、お互いの感情を揺さぶり、自身を責めさいなむ。
「だからここで考えてみたい。トラウマについて語る声が、公的空間においてどのように
立ち現れ、どのように扱われるのか。被害当事者、支援者、代弁者、家族や遺族、専門
家、研究者、傍観者などはそれぞれどのような位置にあり、どのような関係にあるのか」
前著『トラウマの医療人類学』を継ぐ本書で、著者は「環状島」をモデルに、加害者も含め、
トラウマをめぐる関係者のポジショナリティとその力動を体系的に描いた。
〈内海〉〈外海〉〈斜面〉〈尾根〉〈水位〉〈風〉などの用語を駆使しながら、トラウマをめぐる
全体像とあるべき方向性をしめした初めての試みである。関係者のみならず、クライアント
と日々を共にする医師であり、マイノリティ問題にかかわる研究者である著者自身にとっても、
本書は実践と倫理のための道標になるだろう。
[2007年12月初版]
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2018/7/14
- 寸法12.8 x 1.7 x 18.8 cm
- ISBN-104622087383
- ISBN-13978-4622087380
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商品の説明
出版社からのコメント
著者について
宮地尚子
みやじ・なおこ
一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻・教授。精神科医師。医学博士。1986年京都府立医科大学卒業。1993年同大学院修了。1989年から1992年、ハーバード大学医学部社会医学教室および法学部人権講座に客員研究員として留学。1993年より近畿大学医学部衛生学教室勤務を経て、2001年より現職。専門は文化精神医学、医療人類学、ジェンダーとセクシュアリティ。
著書に『異文化を生きる』(星和書店、2002)『トラウマの医療人類学』(みすず書房、2005)、編著に『トラウマとジェンダー――臨床からの声』(金剛出版、2004)、共著に『文化精神医学序説』 (金剛出版、2001)など。訳書にはコーエン『多重人格者の心の内側の世界』(監訳、2003)、ガートナー『少年への性的虐待――男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(ともに作品社、共訳、2005)他がある。
みやじ・なおこ
一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻・教授。精神科医師。医学博士。1986年京都府立医科大学卒業。1993年同大学院修了。1989年から1992年、ハーバード大学医学部社会医学教室および法学部人権講座に客員研究員として留学。1993年より近畿大学医学部衛生学教室勤務を経て、2001年より現職。専門は文化精神医学、医療人類学、ジェンダーとセクシュアリティ。
著書に『異文化を生きる』(星和書店、2002)『トラウマの医療人類学』(みすず書房、2005)、編著に『トラウマとジェンダー――臨床からの声』(金剛出版、2004)、共著に『文化精神医学序説』 (金剛出版、2001)など。訳書にはコーエン『多重人格者の心の内側の世界』(監訳、2003)、ガートナー『少年への性的虐待――男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(ともに作品社、共訳、2005)他がある。
登録情報
- 出版社 : みすず書房; 新装版 (2018/7/14)
- 発売日 : 2018/7/14
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 240ページ
- ISBN-10 : 4622087383
- ISBN-13 : 978-4622087380
- 寸法 : 12.8 x 1.7 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 271,178位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 9,287位心理学 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2020年4月26日に日本でレビュー済み
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自分が被災者なのか支援者なのか、どの位置にいるのかが明快になり、腑に落ちる
2021年1月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の環状島モデルについては、『震災トラウマと復興ストレス (岩波ブックレット)』も出版されていて、こちらの方がコンパクトにまとめられていますので、「まずはどのようなモデルなのか大まかに知りたい」という方や「支援者としてのありようについて考える参考にしたい」という方はこちらを読まれるとよいと思います。
しかし、個人的には本書の方が本モデルを用いて考えるとトラウマに関する様々な事象がどのように捉えられるのかということについて、具体的な例がいくつか掲載されていて、モデルの意味が分かりやすいように感じました(特にセクシャルハラスメント裁判に関する分析は秀逸だと思います)。
トラウマの治療法について論じられた本ではありませんが、何からのトラウマを抱えた人にとって、「トラウマを抱えるとはどういうことなのか」ということを客観的に(距離を置いて)理解するのに役だつ本だと思いますし、トラウマを抱えた人を援助する人にとっては自分の立ち位置を確認するために読んでおくべき本だと思います。
さらに、当事者・援助者だけではなく、こうした事象に果たす研究者の役割(そして、研究者が陥りやすい罠)についても、丁寧に考察されており、私自身、当事者としての自分、援助者としての自分、そして、研究者としての自分の立ち位置を確認し、今後の進むべき道を考え直すにあたってとても有益だったと思います。
しかし、個人的には本書の方が本モデルを用いて考えるとトラウマに関する様々な事象がどのように捉えられるのかということについて、具体的な例がいくつか掲載されていて、モデルの意味が分かりやすいように感じました(特にセクシャルハラスメント裁判に関する分析は秀逸だと思います)。
トラウマの治療法について論じられた本ではありませんが、何からのトラウマを抱えた人にとって、「トラウマを抱えるとはどういうことなのか」ということを客観的に(距離を置いて)理解するのに役だつ本だと思いますし、トラウマを抱えた人を援助する人にとっては自分の立ち位置を確認するために読んでおくべき本だと思います。
さらに、当事者・援助者だけではなく、こうした事象に果たす研究者の役割(そして、研究者が陥りやすい罠)についても、丁寧に考察されており、私自身、当事者としての自分、援助者としての自分、そして、研究者としての自分の立ち位置を確認し、今後の進むべき道を考え直すにあたってとても有益だったと思います。
2018年7月25日に日本でレビュー済み
まず、私にとっては、ここでしょうね。
「戦争帰還兵のPTSDがときどき話題になるが、PTSDを発症する(発症できる)のは、人間を
人間として認める力が残っていたからかもしれない。しかし、その代償は重い。そしてPTSDが
「病気」であるかぎり、発症しやすい人は個人的に脆弱性を抱えるとみなされる。ここに加害と
トラウマの最大の皮肉がある」(P167)
最近の風潮として、"レジリエンス"が強調されるのですが、こうしたことがいかがなものかと
首をかしげるのは、私だけではないと思います。人間として普通に受けとめて、ふつうに感じる
ことができれば、落ち込むときはしっかり落ち込んだ方が、よほど人間的なのではないでしょう
か。その感情を抑えこんで、何もなかったように振る舞うことの方が、よほど受けとめること
(直面すること)を避けているという意味で、脆弱なのではないかと思うのです。
「当事者が自分でも認めていたり、進んで語っていることだとしても、それを他人から言われ
るということはまったく違う感情をもたらす」「...むしろ悲しさや反発を感じるし、言われ方や
言われる文脈によっては、激しい怒りを感じることもある。知らないことを指摘される痛みとい
うものもあるが、知っていることを指摘される痛みというものもある」
...と語りながら、
「もちろん、当事者でないからこそできる支援者としての役割として、まさにそういった網羅
的な知、見通しをたてる知をもちこんでくることの重要性はあるものはずである」(P146)
...ここにつなげてくれます。
ここで、環状島の内側斜面と外側斜面がつながるのではないでしょうか。
「戦争帰還兵のPTSDがときどき話題になるが、PTSDを発症する(発症できる)のは、人間を
人間として認める力が残っていたからかもしれない。しかし、その代償は重い。そしてPTSDが
「病気」であるかぎり、発症しやすい人は個人的に脆弱性を抱えるとみなされる。ここに加害と
トラウマの最大の皮肉がある」(P167)
最近の風潮として、"レジリエンス"が強調されるのですが、こうしたことがいかがなものかと
首をかしげるのは、私だけではないと思います。人間として普通に受けとめて、ふつうに感じる
ことができれば、落ち込むときはしっかり落ち込んだ方が、よほど人間的なのではないでしょう
か。その感情を抑えこんで、何もなかったように振る舞うことの方が、よほど受けとめること
(直面すること)を避けているという意味で、脆弱なのではないかと思うのです。
「当事者が自分でも認めていたり、進んで語っていることだとしても、それを他人から言われ
るということはまったく違う感情をもたらす」「...むしろ悲しさや反発を感じるし、言われ方や
言われる文脈によっては、激しい怒りを感じることもある。知らないことを指摘される痛みとい
うものもあるが、知っていることを指摘される痛みというものもある」
...と語りながら、
「もちろん、当事者でないからこそできる支援者としての役割として、まさにそういった網羅
的な知、見通しをたてる知をもちこんでくることの重要性はあるものはずである」(P146)
...ここにつなげてくれます。
ここで、環状島の内側斜面と外側斜面がつながるのではないでしょうか。
2008年6月2日に日本でレビュー済み
「支配としてのDVー個的領域のありか」(『現代思想』vol.33-10、2005年)以来、注目していた宮路尚子が2007年に上梓した著作。
ともすれば、”経験と発話”一般の関係というのは、「当事者しか語る資格が無い」「当事者性の中心に近づけば近づくほど発言する資格が与えられる」という、「当事者>>>非当事者」=「発話力大>>>発話力小」という比例関係と捉えられがちだ。
それに対し、宮地は、DVといったトラウマを生じさせる体験について、「爆心地=ゼロ地点に近づくほど”語れなく”なる」=中央に深く沈んだ内海があり、環状に顕在化した(=語れる)回復者・軽度被害者・支援者等が存在し、その外海には非当事者が居るという「環状島モデル」を示す。
この環状島モデルによって、「語れない当事者」の姿はもちろん、「”語れる”自分は、本当は”被害者”としては軽い存在なのではないか? ”ほんとうの被害者”に対して加害者的になってしまっているのでは? と自らを貶めてしまう当事者」といった姿も描写が可能になっている。
同モデルを敷衍することで、アイデンティティポリティクス&本質主義が陥った過ちをどう解決するか?まで述べている章もある。
もちろん、この環状島モデルにしても、「まったき被害者・当事者としてのゼロ地点」という”環の中心”には被害者性しか捕らえられておらず、被害者がまとう加害者性というものは「外部との関係によって生じる」地位としてしか捉えられていない可能性もある。それでは、「特定の関係性へアディクトしてしまうことで、加害性/被害性をアマルガム的に醸成させてしまった結果としてのDVあるいは支配関係」が捉えられそこなうおそれはありはしないか? そこをどうクリアするのか? も含めてじっくりと読み進めていこうと思う。
ともすれば、”経験と発話”一般の関係というのは、「当事者しか語る資格が無い」「当事者性の中心に近づけば近づくほど発言する資格が与えられる」という、「当事者>>>非当事者」=「発話力大>>>発話力小」という比例関係と捉えられがちだ。
それに対し、宮地は、DVといったトラウマを生じさせる体験について、「爆心地=ゼロ地点に近づくほど”語れなく”なる」=中央に深く沈んだ内海があり、環状に顕在化した(=語れる)回復者・軽度被害者・支援者等が存在し、その外海には非当事者が居るという「環状島モデル」を示す。
この環状島モデルによって、「語れない当事者」の姿はもちろん、「”語れる”自分は、本当は”被害者”としては軽い存在なのではないか? ”ほんとうの被害者”に対して加害者的になってしまっているのでは? と自らを貶めてしまう当事者」といった姿も描写が可能になっている。
同モデルを敷衍することで、アイデンティティポリティクス&本質主義が陥った過ちをどう解決するか?まで述べている章もある。
もちろん、この環状島モデルにしても、「まったき被害者・当事者としてのゼロ地点」という”環の中心”には被害者性しか捕らえられておらず、被害者がまとう加害者性というものは「外部との関係によって生じる」地位としてしか捉えられていない可能性もある。それでは、「特定の関係性へアディクトしてしまうことで、加害性/被害性をアマルガム的に醸成させてしまった結果としてのDVあるいは支配関係」が捉えられそこなうおそれはありはしないか? そこをどうクリアするのか? も含めてじっくりと読み進めていこうと思う。
2008年5月7日に日本でレビュー済み
研究者や支援者向けに書かれているようですが、被害者にとってもトラウマを理解するのに役立ちます。タイトルからはどんな分野の本なのか分かりにくいですが、PTSD、トラウマ研究の書籍です。広範囲にわたるトラウマについて扱っていますが、他に類書が少ないDV被害や性暴力被害のトラウマについても書かれているので、自分の読みたい部分だけでも読むことをおすすめします。
当事者ですら形が見えないトラウマが、地形に例えて解説されていて分かりやすかったです。
著者は臨床経験を積んでおられる方で、研究者として冷静な分析を行いながらも、上からの目線ではなく当事者を尊重し寄り添う姿勢に好感を持ちました。
当事者ですら形が見えないトラウマが、地形に例えて解説されていて分かりやすかったです。
著者は臨床経験を積んでおられる方で、研究者として冷静な分析を行いながらも、上からの目線ではなく当事者を尊重し寄り添う姿勢に好感を持ちました。