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カラヴァッジョ: ほんとうはどんな画家だったのか 単行本 – 2022/8/29

5.0 5つ星のうち5.0 5個の評価

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「光と闇」の真実――。カラヴァッジョ評伝の決定版

バロック美術の礎を築いた革新者でありながら殺人を犯したならず者……。
巷に流布する「カラヴァッジョ神話」から、作風や生き様をわかりやすく光と闇にたとえ、評するのは容易だが、それはほんとうに正しいのか?
生涯をかけ作品に触れてきた西洋美術史の第一人者が、過去の伝記から最新研究まで丹念にひも解き、その時代の社会的背景に基づく現実的な解釈を加えながら実像に迫っていく。

カラヴァッジョは「魔性の画家」だといったが、実際、彼は美術史家たちを悩ませてきた。
カラヴァッジョをめぐる問題は、ある美術史家がいったように、しばしば「頭がおかしくなるほど」判断に迷うのだ。
カラヴァッジョという画家とその作品は、正反対の解釈や評価さえ平然として飲み込んでしまうようなところがあり、文字通り一筋縄ではいかないのである。
(本書「あとがき」より)

【目次】
序章 カラヴァッジョの真実 二つの壁
第一章 ロンバルディア 領民と徒弟
第二章 ローマ 美術市場とパトロン
第三章 ローマ 革新と名声
第四章 ローマ 剣と絵筆
第五章 南イタリアとマルタ島 放浪と死
終章 カラヴァッジョの真実 一つの答え

参考文献
付録資料1 ガスパレ・チェーリオの「カラヴァッジョ伝」
付録資料2 カラヴァッジョの家財目録
あとがき
カラヴァッジョ作品一覧
人名索引


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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 平凡社 (2022/8/29)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2022/8/29
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 590ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4582652115
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4582652116
  • 寸法 ‏ : ‎ 15.7 x 4 x 21.7 cm
  • カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本

2022年10月8日に日本でレビュー済み
カラヴァッジョの伝記であり、従来の人物像を一新させます。絵の解釈などは既存の紹介にとどまります。技巧についての最近の発見は専門的なので体系的には論じなかったとのことですが、590ページもある労作で読み手も相当な覚悟が必要です。「試し読み」を読むだけでも大変なので、一読してからの判断をおすめします。

ただし『聖マタイの召命』の解釈は従来のものを含め、全て誤りです。この絵は『マタイによる福音書』9:9を描いたものです。同じ場面はマルコ2:14やルカ5:27-28にもあります。英語版ウィキペディアに縦横1万ピクセルの高品質画像があります。

9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
10 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
11 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
13 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(新共同訳)

まず、右奥手のイエスとされるイケメンの頭の輪っかには陰になっている部分がありますが、「光輪」は自発光するためそのような部分はできず、これはハリガネ細工か何かです。つぎに、「ヒゲ男の右手」の親指の爪が「上」を向いていますが、自分も手首を曲げて同じポーズ取れば、どうやっても「横」にしか向かないことがわかります。これは実は「メガネ男の左手」なのです。小指が妙に太いですが、若者の小指も同じように太いことが見て取れます。そうするとメガネ男の左手に見えるものはヒゲ男の右手になります。これも小指は太いです。

『聖マタイの召命』は見かけは注文通りですが、念入りな「だまし絵」です。イエスは右手前の小汚いおっさん、マタイは彼の話に興味を示している右端の若者です。信仰者にはこれで全てであり、残りの人物はどうでもいいことです(間違いなくギャグを盛っているはずですが)。美術史における解釈は光輪とハリガネ細工の区別もつかない不信心者によるものです。

💛

10 καὶ ἐγένετο αὐτοῦ ἀνακειμένου ἐν τῇ οἰκίᾳ, καὶ ἰδοὺ πολλοὶ τελῶναι καὶ ἁμαρτωλοὶ ἐλθόντες συνανέκειντο τῷ Ἰησοῦ καὶ τοῖς μαθηταῖς αὐτοῦ.

マタイ9:10の「徴税人τελῶναι」の原形はτελώνηςですが、wiktionaryで調べると語源は

> From τέλος (télos, “tax”) +‎ ὠνέομαι (ōnéomai).

です。τέλοςは非常に重要な単語です。

Noun
τέλος • (télos) n (genitive τέλους or τέλεος); third declension
completion, maturity, accomplishment, fulfillment, perfection, consummation
result, product
end
end of life: death
boundary, border, extremity
supreme power
the highest government office: magistrate
that which is ordered to be done: task, duty
money paid to the government: tax, toll
a person's property, according to which he was classed
thus, generally: rank, class
unit of soldiers: legion, company
initiation (especially into mystery religions)
mystery religion
any religious ceremony

taskやdutyという意味がありますが、現代からは最も失われたものです。

> テロス(ギリシア語: Τέλος / Telos)とは、哲学用語の一つ。これはギリシア哲学で用いられた言葉であり、完成や目的、終わりといった語源に相当する。肉体の死に向き合った哲学者たちは、善き人生を全うする道を模索し、そのような事柄をテロスと表現した。(ウィキペディア「テロス」)

1 ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγος, καὶ ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόν, καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος.
1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(ヨハネ1:1)

「アルケー(初め)ἀρχῇ」と対応します。ὠνέομαιは英語のbuyです。τελώνηςには「徴税人」という意味もありますが、宗教的な文脈からは「真理を金で買う者」という罰当たりな不信心者のほうがふさわしいでしょう。「収税所τελώνιον」もτέλος +νιον場所であり、「イニシエーションの場所」という意味がかけられています。

「罪人ἁμαρτωλοὶ 」の原形はἁμαρτωλόςで

Adjective
ἁμαρτωλός • (hamartōlós) m or f (neuter ἁμαρτωλόν); second declension
erroneous

Noun
ἁμαρτωλός • (hamartōlós) m (genitive ἁμαρτωλοῦ); second declension
sinner

古代ギリシャ語では形容詞をそのまま名詞のように使うことがあり、罪人とは「(道を)間違えた者」のことだとわかります。「真理を金で買う者」や「間違えた者」つまり光輪とハリガネ細工の区別もつかない注文主や美術史家みたいな人たちをイエスは救うのです。これはカラヴァッジョの愛なのです。善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや、アーメン(まことにそうです)。

💛

9 Καὶ παράγων ὁ Ἰησοῦς ἐκεῖθεν εἶδεν ἄνθρωπον καθήμενον ἐπὶ τὸ τελώνιον, Μαθθαῖον λεγόμενον, καὶ λέγει αὐτῷ, Ἀκολούθει μοι. καὶ ἀναστὰς ἠκολούθησεν αὐτῷ.

マタイ9:9の「(マタイと)いうλεγόμενον」と「(「わたしに従いなさい」と)言われたλέγει 」はどちらも原形は

Verb
λέγω • (légō)
I put in order, arrange, gather
I choose, count, reckon
I say, speak
I call, name (usually in the passive voice)

です。これはヨハネ1:1の「言Λόγος」と同じ語源です。

Noun
λόγος • (lógos) m (genitive λόγου); second declension
That which is said: word, sentence, speech, story, debate, utterance.
That which is thought: reason, consideration, computation, reckoning.
An account, explanation, or narrative.
Subject matter.
(Christianity) The word or wisdom of God, identified with Jesus in the New Testament, by whom the world was created; God the Son.

「マタイ」は人が呼ぶ仮の名だが、イエスは真の名=ロゴスでマタイを呼び、マタイは自分のテロス=信仰に目覚めたのです。これは意志とは無関係なところで「運命が変わった」ということだから、断じて絵面には表れないのです。

「わたしに従いなさい」と言われた。
καὶ  λέγει αὐτῷ   Ἀκολούθει μοι
And  He says  to him    Follow      Me
Conj  V-PIA-3S PPro-DM3S V-PMA-2S    PPro-D1S

彼は立ち上がってイエスに従った。
καὶ ἀναστὰς ἠκολούθησεν αὐτῷ
And  having arisen he followed     Him
Conj V-APA-NMS  V-AIA-3S      PPro-DM3S

λέγει(He says)はここではVerb-Present-Indicative-Active-3rd Person-Singularとなっていますが

Verb
λέγει • (légei)
inflection of λέγω (légō):
third-person singular present active indicative
second-person singular present mediopassive indicative

Verb-Present-Indicative-Middle or Passive-2nd Person-Singularの活用でもあります。つづくαὐτῷ(to him)はPPro-DM3Sと男性になっていますが、中性も同じ形です。

Pronoun
αὐτός • (autós) (feminine αὐτή, neuter αὐτό); first/second declension
(without article) self
(in nominative, emphasizing the subject)
(reflexive pronoun, in oblique cases) himself, herself, itself, themselves
(in philosophy, of an abstract idea) by or in itself
(without article, in oblique cases, 3rd person personal pronoun) he, she, it, they
(with definite article) same

なので英語にしづらいですが、you are said by itselfとも解釈できます。自分の内なる声が中動態で自分に言ったのです。これは古代ギリシャのダイモーンのことなのです。

> ホメロスの著作では θεοί(テオイ=神々)と δαίμονες(ダイモネス=神的なるものたち)とは実質的に同義語であったが、後のプラトンらはこの2つを区別して扱うようになった[10]。プラトンの『クラテュロス』(398 b) では、δαίμονες (ダイモネス) の語源を δαήμονες(ダエーモネス、「物識り」または「賢い」)としているが、実際にはこの言葉の語根は δαίω(ダイオー=配分する)である可能性が高い[11]。ダイモーンは個人の運命を握っているとされ、いわば運命の配分者であった。
>プラトンの『饗宴』では、巫女のディオティーマがソクラテスに対して、愛(エロース)は神ではなくむしろ「偉大なダイモーン」であると説く (202d)。彼女はさらに「全てのダイモニオン(ダイモーン的なもの)は神と死すべき人間の中間にあるのです」(202d-e) と語り、ダイモーンは「人間に属する事柄を神々に、神々に属する事柄を人間に、解釈し伝達するのです。たとえば、人間から神へは嘆願と生贄を、神から人間へは法令と報酬を、ということです」(202e) と説明する。 (ウィキペディア「ダイモーン」)

ἠκολούθησεν(he followed)はVerb-Aorist-Indicative-Active-3rd Person-Singularですが、αὐτῷ(Him)は与格なので、「イエス『に』従った」という意味合いです。しかしἀναστὰς(having arisen)も三人称なのでイエスが動作主でもありえ、「彼『を』追いかけた」と解釈することもできます。まとめると

> そしてあなたは内なる声に言われる、わたしに従いなさい。そしてイエスが立ち去ろうとすると、彼は自ら追いかけた。

となります。イエスは立ち去る身振りをし、マタイは「内なる声に従い」「彼を追いかけた」のです。「わたしに従いなさい」がロゴスであるなら、断じて声に出すことはできないのです。映画やアニメではイエスの代わりに握手などさまざまな表象がありますが、この絵と同様に不信心者には見えないようになっています。

💛

13 πορευθέντες δὲ μάθετε τί ἐστιν, ἔλεος θέλω καὶ οὐ θυσίαν· οὐ γὰρ ἦλθον καλέσαι δικαίους ἀλλὰ ἁμαρτωλούς.

マタイ9:13の「(罪人を)招くκαλέσαι 」の原形はκαλέωで

Verb
κᾰλέω • (kaléō)
I call, summon
I invite
I invoke
(law) I summon, sue
I demand, require
I call by name
(passive) I am called, my name

こちらにも「名前で呼ぶ」という意味がありますが、巫女の言うとおりテオス(神)と人間の中間にダイモーンがあり、罪人のダイモーンをsummonしてテロスをinvokeするのがロゴスなのです。

> ヘレニズム期のギリシア人はダイモーンを良いものと悪いものとに分類し、それぞれエウダイモーン(またはカロダイモーン)、カコダイモーンと呼んだ。エウダイモーンは、ユダヤ・キリスト教的概念である守護天使や心理学でいう上位自我に似ている。それは死すべき人間を見守り、かれらが災難に遭わぬようにしている。このため、幸運はダイモーンのはたらきの賜物であるという考えから、字義的にはエウダイモーンを有している状を意味するエウダイモニアという言葉は、「幸福」を意味するようになった。これに類比しうるローマ人のゲニウスは、個人につきまとう守護神であったり、場所に取り憑いてそこを守るもの(ゲニウス・ロキ=土地の守護神)であった。(ウィキペディア「ダイモーン」)

ダイモーンに従うと人は自由で幸福になりますが、聞こえない人は欲に従うので、不自由で「生きづらく」なります。むしろダイモーンに従って初めて人間はテロスを知るもの=死すべきものとなり、それまではゾンビなのです。「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」アーメン。

> (Christianity) The word or wisdom of God, identified with Jesus in the New Testament, by whom the world was created; God the Son.

人間においては「多義性」を持つロゴスがダイモーンを召喚し、マタイ9:9ならἈκολούθει μοι(follow Me)、『聖マタイの召命』ならハリガネ細工なのです。カラヴァッジョは絵面にも言葉にもできないものを描くために「だまし」を使いました。こういった技法は西洋ではプラトンが起源ですが、新約聖書のラテン語訳ではかなり抜け落ちています。ギリシャ語で読んだのでしょう。こういったものは自分で気づく必要がありますが、知識として知っているかどうかは無関係なので、気が向いたときに見ると恩寵があるでしょう。
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2023年5月9日に日本でレビュー済み
口絵の8ページのみ15作品はカラーですが、残りの作品群は全てモノクロです。参考文献を見ても洋書が中心ですし、物凄く膨大な知識の蓄積が本書を生んだことは間違いありません。流石に、美術史家の専門書をアマチュアの美術好きがレビューをするのもおこがましいですが、とても参考になったこともあり、少しばかり内容の紹介と感想を書き上げます。

カラヴァッジョの生涯を描きながら、代表作のほとんどを丁寧に一つずつ論評していました。従来、数冊のカラヴァッジオについて書かれて啓蒙書や美術書を読んで知った気になっていましたが、学問の奥深さの前にはただただ教えられることばかりでした。

本書でも随所に触れられていますが、多々の暴力での警察沙汰や有名なラヌッチョ・トマッソーニ殺害事件(393p)も含めて、凄まじい生涯を送ったカラヴァッジョの人生の波乱万丈ぶりは作品の素晴らしさとの対比の意味でとても興味深いものがありました。

日本の美術館での巡回展を通して、カラヴァッジョが描く美術作品のリアリズムに驚いてきました。それゆえその作品群は世界的に人気を博してきました。題材も構図もまさしくバロック時代の幕開けとでもいうべき見事な作風が多くの人を魅了していることでしょう。
この異端ともいえる作品を残した画家の名作のポイントや詳細な解説に出会えるので関心のある向きは是非手に取って読んでみてください。当方のような活字中毒マニアはいざ知らず、活字が多いため、読み通すのは大変でしょう。

カラヴァッジョの代表作は網羅されてあり、収録された作品の質の高さもさることながら、分かりやすく内容を盛り込んだ解説が光ります。作品と作家への深い学識に裏付けられた説明がより一層本書の価値を高めていると考えます。
他の画家からは得られない強烈な印象をもたらしており、それが作品に結実しているのを改めて感じました。

昔は美術愛好家以外には、ほとんど知られていない画家だったかも知れませんが、2001年の彼の展覧会以降、日本の多くの人に認知され、以前ボルゲーゼ美術館所蔵の「洗礼者ヨハネ(516p 最晩年の作品)」が日本に来たこともあり、ますます人気が高まっています。
112ページにはセザンヌが大絶賛したと言われる「キリストの埋葬(244p)」が掲載してありました。後のフランスの画家たちに大きな影響を与えた作品で、光も影も構図も表情も全て見事な調和の中に、ダイナミックな動きが感じられる名作です。
カポディモンテ美術館蔵の「キリストのむち打ち(441p、口絵)」のリアリズムは新しい時代の絵画の姿をナポリの人に知らしめる作品です。

有名な「聖マタイの召命(181p)」では、描かれている人物の中で誰がマタイなのかの「マタイ論争(188p)」がつぶさに紹介されていました。高名な美術史家の宮下規久朗さんの見解とは異なる筆者の丁寧な反証に引き付けられました。そして宮下説を「根拠といえるような根拠は認められない。単なる思い付きによる、あるいは個人的な思い入れによる誤った解釈だ(197p)」と断じていました。とてもスリリングな論評でした。
勿論、宮下さんの功績についても正しく評価しており、「展覧会によって、日本でもカラヴァッジョの人と作品に関心が持たれるようになったが、その普及に宮下が果たした役割は大きい。(574p)」と位置付けていました。

カラヴァッジョは酒を飲んでは喧嘩に明け暮れ、狼藉を働き投獄されるという生き方でした。乱闘の後に殺人を犯して死刑宣告を受けた画家というのも珍しいでしょう。また逃亡の4年間、描いては逃げるという生活の中で残した作品群の素晴らしさと凄み、怖さは比類のないものです。38歳の時、ポルト・エルコレ近くで熱病に倒れて亡くなるまで、光と闇の中に浮かび上がる宗教画に表れる人間の業は彼自身の懺悔の記録のようでもありました。

美術史家の洞察力と考察、格調高い文章にただただ感心するのみでした。この素晴らしい労作に心より感謝の気持ちを込めて。
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2022年9月3日に日本でレビュー済み
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画家の両親の家系から、その死までを詳細に跡付けていく労作。真筆と著者が認める作品全てについて図版とともに言及する。ただし、著者は真筆を絞る考えであり、巻末のリストは消失や盗難を含めた73作が真筆とされている。彼の起こした暴力事件は一つや二つでは無いが、彼とともに暴力の当事者になった人たちも無頼の徒ではなく、文化的な職業を持つ人たちであった。1600年前後のローマは、カトー=カンブレジの和約で戦争が終わって、帰還兵がローマに集まり、街の治安が悪化し暴力がはびこっていた。だから、彼が起こした暴力事件は、名誉を保つある種の行動で社会的にはそれほど当時は問題視はされていなかっのだ。

また、もうひとつの神話とは、ローマ追放後は殺人に対する良心の呵責と追っ手に捕まり死刑になる恐怖から、彼は深い悲哀と宗教観を抱くに至り、南イタリアでの諸作にはそれが反映して傑作が産み出されたのだという言説。著者が依拠する史料によれば、彼の受けた追放令とは、上記のようなものではなく、教皇領に無断で侵入すれば殺されても文句は言えない、というもので、裏を返せば、教皇領以外では自由であって隠れたり逃亡したりする必要はない、実際彼はナポリでヴァレッタで自由に絵を描いていたし、注文も受けていたのだから。それゆえに、南イタリア逃亡時代の諸作をあまりに持ち上げる一部の風潮に苦言を呈してもいるし、画家の頂点は、やはり聖マタイの召命をはじめとした傑作群を量産した1600年からの数年のローマ時代であると断じている。ただし、著者はヴァレッタの洗礼者ヨハネの斬首を最高傑作と呼んでいる。なお、南イタリアでの晩年作、羊飼いの礼拝での一人の片肌脱ぎの人物の顔の位置があまりに不自然で、完成作であるとは評者には思えないのだが、これは言ってはいけないのだろうか。この時代の描写は全体にあっさりしているし、手抜き感もある(本書では絵の具不足や様式の変化と言っているが)。

もう一つ世間に流布している同性愛説について、著者は多くを語らないが、やや否定的である。しかし、著者も否定できないように、ベルリンのアモルや裸体の少年(時には全裸)として描かれたヨハネを見れば、彼が少年の肉体に美的以上の興味を持っていた事は疑えないし、それらの諸作が怪しい感じを放つのは事実だろう。実際、彼は女性の裸体は描いていない。また、彼が娼婦と付き合いがあったと言っても、それが彼女たちと愛人関係にあったとは限らないだろうと評者は思う。実際、画家がナポリで暴漢に襲われた時にいたのは、男性が春をひさぐ街だった。最後の作品である、ゴリアテ(画家本人の容貌)の首を持つダビデのモデルは、彼の愛弟子だったという有力説があることを考えると、単なる師弟愛とは思えない。

宮下規久郎のいう、マタイは髭の老人ではなく、実はうつむいている若者である説には、著者は苦言を呈しつつ、ありえないし、全くのこじつけ説であると数ページにわたり書いた上で、あとがきでも、彼の2001年の著作は優れた書物であると認めるが、その後は原著論文を読んでいないし、最新の研究や史料に当たっていないと批判している。

彼の作品には、生まれ故郷のロンバルディアの画家たちの影響が色濃くあるとの指摘は新鮮だった。古くからの指摘だが、本書のように多数の画像で説明されると説得的である。また、著者も、彼の作品には動きがないという批判に対してはそれを認めつつ、逆に映画のスチル写真のようで魅力的なのだと言っていて、評者も常々そう感じていたので、やはり専門家から見てもそうなんだと安心した。
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2022年10月31日に日本でレビュー済み
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カラヴァッジョという画家の深淵をのぞき込み、作品の神性の意味を考えさてくれる著作です。
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