この本が伝えようとしていることは明確です。
「いいとも最終回に象徴されたテレビにおけるひとつの時代の終焉、
その基礎は1989年に完成されていた」
これが、著者てれびのスキマさんの論です。
BIG3が20年以上変わっていないことについて、
なんとなく肌感覚で理解している方は多いかとは思いますが、
「1989年」にフィーチャーはした方は初めてなのでは。
これがこの本の肝であり、成功のポイントだと感じました。
テレビのお笑い界全体にフォーカスを当てています。
その演者たちをプロレスのように、ときに少年マンガの登場人物のように、
強さや序列、その行間を味わう見方をしてきた自分にとって、
(たとえば「食わず嫌い」にもしダウンタウンが出演したら、と本気で妄想して台本を練る遊びをするような。)
いまの形がつくり上げられるまでのプロセスを
丁寧になぞっている本書はたいへん興味深いものでした。
演者、制作者にとって1989年が客観的、多角的にみてどんな年であったか、
それぞれの視点から、膨大の資料、そして溢れるテレビ愛で描かれています。
おそらく、全8章の構成で扱う演者については
ギリギリのバランスで書かれたのだろうなあと。
たとえばこれ以上、明石家さんまパートの分量が増えていたら
読後感は変わっていたかもしれません。
まず、そこのバランス感覚がすごいなあと思いました。
どのパートにも愛を感じます。
1989年に達するまでの
さまざまな演者の上京物語、サクセスストーリーを通じて思うことは、
当たり前ですがどんなスターにも「売れる」前があるということ。
各章でそれぞれの青春物語は線となり、ときに交差し、
だんだん立体化してゆきます。
演者、制作者、観客、視聴者、スポンサー、時代ー。
すべてが奇跡のようにも、宿命のようにも読みとれる。
もう一度、あの時代の空気をつくることはできないのだろうか。
1989年に終了した「ひょうきん族」。
その年にいまの基礎がつくられ、テレビバラエティは青春時代を迎えた。
2014年に終了した「いいとも」。
では、いまのテレビを20年後にふりかえったとき
どんな時代であったと論じられるのだろう。
テレビ局に身を置く自分にはビリビリとしびれるものがありました。
これからを担うテレビ局の若手のつくり手、
放送作家や芸人さん、芸能プロダクションの方がたも
読むとプラスになるのではないかなあ、と思える1冊です。
博多大吉『年齢学序説』とあわせて読むと
年代と、芸人の年齢のアプローチで多層的に楽しめるかもしれません。
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¥2,335¥2,335 税込
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3月31日 - 4月1日
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1989年のテレビっ子 -たけし、さんま、タモリ、加トケン、紳助、とんねるず、ウンナン、ダウンタウン、その他多くの芸人とテレビマン、そして11歳の僕の青春記 単行本(ソフトカバー) – 2016/2/17
戸部田 誠(てれびのスキマ)
(著)
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購入オプションとあわせ買い
それは『オレたちひょうきん族』が終わり、『ガキの使いやあらへんで!!』が始まった年。
それは『ザ・ベストテン』が、裏番組の『みなさんのおかげです』に追い落とされた年。
ダウンタウンがウッチャンナンチャンが『笑っていいとも! 』のレギュラーになった年。
テレビが変わった年「1989年」を機軸に、BIG3やお笑い第三世代ほか、多くの芸人とテレビマン、
そして、いわき市の「僕」のそれぞれの青春時代を活写した群像劇にして、圧倒的なテレビ賛歌。
それは『ザ・ベストテン』が、裏番組の『みなさんのおかげです』に追い落とされた年。
ダウンタウンがウッチャンナンチャンが『笑っていいとも! 』のレギュラーになった年。
テレビが変わった年「1989年」を機軸に、BIG3やお笑い第三世代ほか、多くの芸人とテレビマン、
そして、いわき市の「僕」のそれぞれの青春時代を活写した群像劇にして、圧倒的なテレビ賛歌。
- 本の長さ416ページ
- 言語日本語
- 出版社双葉社
- 発売日2016/2/17
- 寸法18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- ISBN-104575311057
- ISBN-13978-4575311051
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登録情報
- 出版社 : 双葉社 (2016/2/17)
- 発売日 : 2016/2/17
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 416ページ
- ISBN-10 : 4575311057
- ISBN-13 : 978-4575311051
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 400,353位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 826位サブカルチャー一般の本
- カスタマーレビュー:
著者について
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ライター。テレビっ子。1978年福岡県生まれ、静岡県出身。「てれびのスキマ」名義でも執筆。
「読売新聞」、「福島民友」、「日刊ゲンダイ」、『週刊文春』、『週刊SPA!』、『月刊テレビジョン』、『TVナビ』など連載多数。2018年7月度~2022年6月度までギャラクシー賞・テレビ部門選考委員。
著書に『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス/文庫ぎんが堂)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子 -たけし、さんま、タモリ、加トケン、紳助、とんねるず、ウンナン、ダウンタウン、その他多くの芸人とテレビマン、そして11歳の僕の青春記』(双葉社/双葉文庫)、『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』(文春文庫)、『笑福亭鶴瓶論』 (新潮新書)、『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』(文藝春秋)、『売れるには理由がある』(太田出版)、『芸能界誕生』(新潮新書)、『史上最大の木曜日』(双葉社)。共著に『大人のSMAP論』 (宝島新書)。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年12月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
当方、お笑いの事は割と詳しい方なんで過去にテレビ、ラジオ、書籍、インターネットなどで仕入れた情報が
そのままこの本に載っているという印象でした。お笑いの歴史にそこまで詳しくない人なら新鮮に読めると思います
そのままこの本に載っているという印象でした。お笑いの歴史にそこまで詳しくない人なら新鮮に読めると思います
2016年2月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いわゆるバブルの渦中にある頃。テレビ番組の映し出すものが結構変質してきた頃である。
その頃、テレビにはまだ多くの世代が世帯みんなで見るのが徐々に減ってきているが、メディアとしての影響力が今より大きかった時代でもある。
そんな頃テレビっ子だった人が、素直にその頃接していた番組について述べているのがこの本である。実際、似たような感覚で見ていた若い世代が多かったような気がするし、自分もその一人だったと思う。
そして、この頃以降、テレビは番組として変質していく。この書で振り返ってみると、確かにターニングポイントだったと、感じさせるものだったと思われる。
そう思わなかった人にとっても、そのことを共有し、今のテレビの状況をあらためて考えるものになると思う。
その頃、テレビにはまだ多くの世代が世帯みんなで見るのが徐々に減ってきているが、メディアとしての影響力が今より大きかった時代でもある。
そんな頃テレビっ子だった人が、素直にその頃接していた番組について述べているのがこの本である。実際、似たような感覚で見ていた若い世代が多かったような気がするし、自分もその一人だったと思う。
そして、この頃以降、テレビは番組として変質していく。この書で振り返ってみると、確かにターニングポイントだったと、感じさせるものだったと思われる。
そう思わなかった人にとっても、そのことを共有し、今のテレビの状況をあらためて考えるものになると思う。
2016年5月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1989年生まれの私にとっては懐かしさというよりは、戦国武将の武勇伝を読んでいるようなワクワク感がありました。
2016年11月4日に日本でレビュー済み
1989年、僕は高校2年生で青春ど真ん中だった。
今から振り返れば、世の中はバブルど真ん中で、超好景気。
携帯もネットもなかったけど楽しかった時代だったなあと思う。
テレビバラエティの世界だけでなく、あらゆるジャンルで新しい動きが出てきた年だったと思う。
プロレス界ではアントニオ猪木がこの年に導入された消費税に延髄斬りをかますと言って国会議員になって一線を退いた。
代わりに橋本真也、蝶野正洋、武藤敬司のいわゆる闘魂三銃士が台頭してきた年。
さらに前田日明のUWFが社会現象ともいえるブームを巻き起こし、後の格闘技ブーム元年ともいえる年。
プロ野球では巨人が日本一となったが、江川、西本といった投手の代わりに、後に3本柱と呼ばれる斎藤、槙原、桑田が揃って活躍した最初の年。
大相撲では千代の富士が国民栄誉賞を受け全盛時だった一方で、後の大横綱貴乃花こと貴花田が史上最年少の関取となった年。
ボクシングでは世界王者不在の暗黒の時代だったが、天才・辰吉丈一郎が衝撃的なデビューを果たした年。
音楽の世界ではバンドブームが起こり、後にカリスマ的な存在となるⅩ-JAPANがメジャーデビューした年。
また、昭和の大物、美空ひばり、手塚治虫、松下幸之助といった神様的存在が相次いで亡くなった年でもある。
昭和から平成へと元号も変わり、世の中が大きく変わり、新しい力が台頭してくるワクワクするような感じがあったように思う。
本書では現在のテレビバラエティの世界での基礎はこの年にできあがったと主張している。
確かに、この年に活躍していたお笑いタレントは、現在でも一線で活躍している。
タモリ、たけし、さんま、ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャン、志村けん etc
島田紳助が引退した以外は、現在の一線のメンバーと大差ない。
つまり、後に登場したお笑いタレント達は、この人達を超えれてないのだ。
本書では、この人達の若いころからのストーリーを描いているが、現在のテレビ界と違ってバチバチの真剣勝負。
特に土曜8時の「ドリフ」vs「ひょうきん族」の戦いは熱い。
今と違って、テレビが娯楽の王様だったというのもあって、「テレビで天下をとってやる」という気持ちが今とは全然違う。
青春群像としても面白かった。
テレビが本当に面白かった時代を思い出させてくれて懐かしかった。
今から振り返れば、世の中はバブルど真ん中で、超好景気。
携帯もネットもなかったけど楽しかった時代だったなあと思う。
テレビバラエティの世界だけでなく、あらゆるジャンルで新しい動きが出てきた年だったと思う。
プロレス界ではアントニオ猪木がこの年に導入された消費税に延髄斬りをかますと言って国会議員になって一線を退いた。
代わりに橋本真也、蝶野正洋、武藤敬司のいわゆる闘魂三銃士が台頭してきた年。
さらに前田日明のUWFが社会現象ともいえるブームを巻き起こし、後の格闘技ブーム元年ともいえる年。
プロ野球では巨人が日本一となったが、江川、西本といった投手の代わりに、後に3本柱と呼ばれる斎藤、槙原、桑田が揃って活躍した最初の年。
大相撲では千代の富士が国民栄誉賞を受け全盛時だった一方で、後の大横綱貴乃花こと貴花田が史上最年少の関取となった年。
ボクシングでは世界王者不在の暗黒の時代だったが、天才・辰吉丈一郎が衝撃的なデビューを果たした年。
音楽の世界ではバンドブームが起こり、後にカリスマ的な存在となるⅩ-JAPANがメジャーデビューした年。
また、昭和の大物、美空ひばり、手塚治虫、松下幸之助といった神様的存在が相次いで亡くなった年でもある。
昭和から平成へと元号も変わり、世の中が大きく変わり、新しい力が台頭してくるワクワクするような感じがあったように思う。
本書では現在のテレビバラエティの世界での基礎はこの年にできあがったと主張している。
確かに、この年に活躍していたお笑いタレントは、現在でも一線で活躍している。
タモリ、たけし、さんま、ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャン、志村けん etc
島田紳助が引退した以外は、現在の一線のメンバーと大差ない。
つまり、後に登場したお笑いタレント達は、この人達を超えれてないのだ。
本書では、この人達の若いころからのストーリーを描いているが、現在のテレビ界と違ってバチバチの真剣勝負。
特に土曜8時の「ドリフ」vs「ひょうきん族」の戦いは熱い。
今と違って、テレビが娯楽の王様だったというのもあって、「テレビで天下をとってやる」という気持ちが今とは全然違う。
青春群像としても面白かった。
テレビが本当に面白かった時代を思い出させてくれて懐かしかった。
2016年2月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
記録としての読み物として読むのであれば面白かった。著者がテレビを、テレビ制作者を、芸人をとても愛しているのはよく伝わった。
しかしその内容は、テレビ関係者がかつて出版した出版物やウェブサイトで後日談として語ったような内容の文章を、
ほとんど引用してつないで構成されており、それにウィキペディアを見れば分かるような情報を加え、
若干の脚色をしただけで、独自取材の形跡があまり見られない。
本としてまとめるのであれば、話として取り上げられたテレビ関係者や芸能人などに聞き取り調査をするなど、
著者の独自取材をして、裏話や新事実などの情報を存分に入れるべきだったのでは。
しかしその内容は、テレビ関係者がかつて出版した出版物やウェブサイトで後日談として語ったような内容の文章を、
ほとんど引用してつないで構成されており、それにウィキペディアを見れば分かるような情報を加え、
若干の脚色をしただけで、独自取材の形跡があまり見られない。
本としてまとめるのであれば、話として取り上げられたテレビ関係者や芸能人などに聞き取り調査をするなど、
著者の独自取材をして、裏話や新事実などの情報を存分に入れるべきだったのでは。
2016年4月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この時代を小さい頃、見ていたのでたまりませんでした。知り合いに貸して喜ばれています
2016年2月17日に日本でレビュー済み
『19××年の~~』という本がたくさん出版されている。
どれも名著だ。年号が入っていると、自分がその時、何をして、
どんな風にその対象と触れていたのかが、すぐに思い出され、
その時の空気と共に没入ができる。
93年、中学生の自分は週プロを読んで、横アリに行かなかったことを後悔した。
98年、大学入学当初で宇多田登場のインパクト。ナンバガもくるりもその年に見た。
76年は生まれていない。
古舘が「我々は、思えば全共闘もビートルズもお兄さんのお下がりでした。
安田講堂もよど号も浅間山荘も三島由紀夫の割腹もよくわからなかった。
<中略>、ただ猪木の雄姿はよくわかりました」といってたけど、猪木の全盛期を知らない。
当たり前だけど、これらの本に、僕は出てきていない。当たり前!
でも、この「1989年のテレビっ子」には、確かに当時の「僕」がいる。
この本が、タイトルを真似ただけでなく、本歌取りとして成功しているのはその点だ。
上記の本とは、そもそもテーマ性も対象への角度も違う。
だって、この本には、筆者も当然、存在しているし、読者もここにいるのだ。
みんな「テレビっ子」だったから。
cakesで公開されていたプロローグを読んで購入したが、
あの当時、テレビを舞台に青春を燃やしていたテレビの制作者と演者のみならず、
テレビの前で青春を不完全燃焼させていた「僕ら」を含めた青春群像劇でもある。
憧れた、本当に憧れた「おもしろいことをする人たち」の姿と、
「おもしろくあろうとする自分」が最終的にクロスする最終章を読んで、
正直、泣けて仕方なかった。
1989年のテレビは面白かった。
少年野球をやめて、塾にいかされて、中学校でも友達できなかったけど、
ダウンタウンもウンナンも笑撃的電影箱も面白かった。だから大丈夫だった。
1989年のテレビで起きていた面白さは、2016年の今でも絶対に起こせる。
それはやっぱりブラウン管の中でかもしれないし、
果たして「自分のまわり」でかもしれない。
どれも名著だ。年号が入っていると、自分がその時、何をして、
どんな風にその対象と触れていたのかが、すぐに思い出され、
その時の空気と共に没入ができる。
93年、中学生の自分は週プロを読んで、横アリに行かなかったことを後悔した。
98年、大学入学当初で宇多田登場のインパクト。ナンバガもくるりもその年に見た。
76年は生まれていない。
古舘が「我々は、思えば全共闘もビートルズもお兄さんのお下がりでした。
安田講堂もよど号も浅間山荘も三島由紀夫の割腹もよくわからなかった。
<中略>、ただ猪木の雄姿はよくわかりました」といってたけど、猪木の全盛期を知らない。
当たり前だけど、これらの本に、僕は出てきていない。当たり前!
でも、この「1989年のテレビっ子」には、確かに当時の「僕」がいる。
この本が、タイトルを真似ただけでなく、本歌取りとして成功しているのはその点だ。
上記の本とは、そもそもテーマ性も対象への角度も違う。
だって、この本には、筆者も当然、存在しているし、読者もここにいるのだ。
みんな「テレビっ子」だったから。
cakesで公開されていたプロローグを読んで購入したが、
あの当時、テレビを舞台に青春を燃やしていたテレビの制作者と演者のみならず、
テレビの前で青春を不完全燃焼させていた「僕ら」を含めた青春群像劇でもある。
憧れた、本当に憧れた「おもしろいことをする人たち」の姿と、
「おもしろくあろうとする自分」が最終的にクロスする最終章を読んで、
正直、泣けて仕方なかった。
1989年のテレビは面白かった。
少年野球をやめて、塾にいかされて、中学校でも友達できなかったけど、
ダウンタウンもウンナンも笑撃的電影箱も面白かった。だから大丈夫だった。
1989年のテレビで起きていた面白さは、2016年の今でも絶対に起こせる。
それはやっぱりブラウン管の中でかもしれないし、
果たして「自分のまわり」でかもしれない。