これほどの日本現代史の良書が多くの人の目に触れていないのは我が国にとって大きな損失です。先の大戦の敗戦時日本がGHQや共産党によっていかに危機的な状態に陥れられたか、ぞっとするような思いがしました。しかし、それに立ち向かい日本の独立と復興に尽力した昭和天皇をはじめ、重光葵などの傑出した人がいたことがどれほど幸いなことであったか、この本は克明に記しています。また、戦場で死力を尽くして戦った日本の将軍や兵隊や民間の人たちの犠牲がわれわれの日本国を守っていることが分かってきます。
敗戦ということがこれほどみじめで大変なことだったのか改めて教えられました。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥1,540¥1,540 税込
ポイント: 232pt
(15%)
無料お届け日:
3月31日 日曜日
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
新品:
¥1,540¥1,540 税込
ポイント: 232pt
(15%)
無料お届け日:
3月31日 日曜日
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
中古品: ¥142
中古品:
¥142

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
日本占領と「敗戦革命」の危機 (PHP新書) 新書 – 2018/8/16
江崎 道朗
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,540","priceAmount":1540.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,540","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"s0lo4JgXz%2FP6F2TJGfEHH6JEwXGoF8f0mtPNiWg6DB8uAmD99ObMpWughAJS41B3pv%2FDcLQwsbuv5FfbG1vhpZGdZk1p3Sk%2F%2BG9RqZIEsvxeGVMrPc8Iwi2CUdFFxsH%2B3m2xghwN9DE%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥142","priceAmount":142.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"142","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"s0lo4JgXz%2FP6F2TJGfEHH6JEwXGoF8f0vqFynCG%2BF3yNHfyWHU%2BJxH0wz2ETOCZs7vz6MMxC5mWn6BM%2BkryYCIrC%2BiNdL9CUeqSdw4RiXG0EAscGvPE%2BU7%2BjWvcKS1alS5gvUwT82%2BVWATMhAPetHhYeAhgxRfKNtixRyDaz8MYpJSralhIiBw%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
★累計2万部突破!
北朝鮮や中国の悲劇は、日本で起きたかも知れなかった――。
日本の史上最大の危機は、昭和20年(1945)8月15日の敗戦直後に始まった。実は、敗戦で日本に平和が訪れたと考えるのは、大きな誤りなのである。そのとき日本は、周到に仕組まれた「敗戦革命」の危機に直面していたのだ。
ルーズヴェルト政権の占領政策策定にコミンテルンのスパイが多数関与し、恐るべきプランを仕組んでいた。さらに戦時下の中国・延安では、日本共産党の野坂参三らが、日本兵捕虜を「革命工作員」にすべく、洗脳工作を行なっていた。アメリカと中国の双方で、日本を「共産化」するための工作が着々と進められていたのである。
そして日本の敗戦と同時に、“彼ら"が日本にやってくる。“彼ら"はかねての計画通り、日本を解体するかのごとき占領政策を矢継ぎ早に実施し、巧みな言論統制とプロパガンダを行なっていく。さらに、日本共産党の活動を陰に日向に支援し、加えて、あえて日本を食糧危機・経済的窮乏に叩き込むような手立てを打ち続けた。つくられた窮乏と混乱のなかで、日本国民の不満が高まり、革命気運がどんどん醸成されていく。
これまで占領政策について、アメリカを批判する日本人は多かった。しかし、そのような占領政策に、敗戦革命を狙うソ連および共産主義者たちの思惑と工作が色濃く反映されていたことを、どれほどの日本人が知っているだろうか。
昭和天皇はじめ、当時、この危機に気づいていた保守自由主義者たちは、必死に反撃する。しかし占領下というあまりに制約が多い状況のなか、ついに時局は2・1ゼネストへ動き出す……。
現代日本人が知らない「日本崩壊のギリギリの危機」を描き切る圧倒的力作!
序 章 「敗戦で平和になった」という誤解
第一章 ルーズヴェルト民主党政権下での対日「敗戦革命」計画
第二章 中国共産党による対日心理戦争
第三章 戦時下での米中結託と野坂参三
第四章 近衛上奏文と徹底抗戦の謎
第五章 停戦交渉から逃げ回ったエリートと重光葵の奮戦
第六章 占領政策という名の日本解体工作
第七章 GHQと日本共産党の蜜月
第八章 昭和天皇の反撃
第九章 仕組まれた経済的窮乏
第十章 敗戦革命を阻止した保守自由主義者たち
北朝鮮や中国の悲劇は、日本で起きたかも知れなかった――。
日本の史上最大の危機は、昭和20年(1945)8月15日の敗戦直後に始まった。実は、敗戦で日本に平和が訪れたと考えるのは、大きな誤りなのである。そのとき日本は、周到に仕組まれた「敗戦革命」の危機に直面していたのだ。
ルーズヴェルト政権の占領政策策定にコミンテルンのスパイが多数関与し、恐るべきプランを仕組んでいた。さらに戦時下の中国・延安では、日本共産党の野坂参三らが、日本兵捕虜を「革命工作員」にすべく、洗脳工作を行なっていた。アメリカと中国の双方で、日本を「共産化」するための工作が着々と進められていたのである。
そして日本の敗戦と同時に、“彼ら"が日本にやってくる。“彼ら"はかねての計画通り、日本を解体するかのごとき占領政策を矢継ぎ早に実施し、巧みな言論統制とプロパガンダを行なっていく。さらに、日本共産党の活動を陰に日向に支援し、加えて、あえて日本を食糧危機・経済的窮乏に叩き込むような手立てを打ち続けた。つくられた窮乏と混乱のなかで、日本国民の不満が高まり、革命気運がどんどん醸成されていく。
これまで占領政策について、アメリカを批判する日本人は多かった。しかし、そのような占領政策に、敗戦革命を狙うソ連および共産主義者たちの思惑と工作が色濃く反映されていたことを、どれほどの日本人が知っているだろうか。
昭和天皇はじめ、当時、この危機に気づいていた保守自由主義者たちは、必死に反撃する。しかし占領下というあまりに制約が多い状況のなか、ついに時局は2・1ゼネストへ動き出す……。
現代日本人が知らない「日本崩壊のギリギリの危機」を描き切る圧倒的力作!
序 章 「敗戦で平和になった」という誤解
第一章 ルーズヴェルト民主党政権下での対日「敗戦革命」計画
第二章 中国共産党による対日心理戦争
第三章 戦時下での米中結託と野坂参三
第四章 近衛上奏文と徹底抗戦の謎
第五章 停戦交渉から逃げ回ったエリートと重光葵の奮戦
第六章 占領政策という名の日本解体工作
第七章 GHQと日本共産党の蜜月
第八章 昭和天皇の反撃
第九章 仕組まれた経済的窮乏
第十章 敗戦革命を阻止した保守自由主義者たち
- 本の長さ416ページ
- 言語日本語
- 出版社PHP研究所
- 発売日2018/8/16
- 寸法10.6 x 2.1 x 17.3 cm
- ISBN-104569841295
- ISBN-13978-4569841298
よく一緒に購入されている商品

対象商品: 日本占領と「敗戦革命」の危機 (PHP新書)
¥1,540¥1,540
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
在庫あり。
¥1,320¥1,320
最短で4月5日 金曜日のお届け予定です
在庫あり。
¥1,210¥1,210
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
残り10点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
出版社からのコメント
はじめに--敗戦後の日本を襲った「敗戦革命」という危機
序章 「敗戦で平和になった」という誤解
日本の敗戦後に訪れた「最大の危機」
ソ連の戦略どおりに世界各地を襲った「敗戦革命」
最初は猫なで声で「統一戦線」を呼びかける
第一章 ルーズヴェルト民主党政権下での対日「敗戦革命」計画
ルーズヴェルト政権内部の「工作員」たち
コミンテルンの工作員はいかにアメリカ国内に浸透したか
大きな影響力を誇ったシンクタンク・太平洋問題調査会(IPR)
第二章 中国共産党による対日心理戦争
相手国を支配し、操る「影響力工作」
戦前の日本で結成された「中国共産党日本特別支部」
日本留学経験者を活用した「敵軍工作部」
第三章 戦時下での米中結託と野坂参三
野坂参三はコミンテルンによって延安に派遣された
より多くの日本兵捕虜を敗戦革命のために訓練せよ
「厚遇」と「二分法」のセットが洗脳の強力なツール
第四章 近衛上奏文と徹底抗戦の謎
「無条件降伏」を主張する「ウィーク・ジャパン派」の優勢
貴重な情報を握りつぶしてソ連仲介和平案に賭けた愚
共産党との連立政権を容認していた木戸内大臣
第五章 停戦交渉から逃げ回ったエリートと重光葵の奪戦
戦後処理を一歩間違うと苦難の道に叩き込まれる
「停戦」交渉から逃げ回るエリートたち
東久邇宮内閣、三つの課題
第六章 占領政策という名の日本解体工作
日本敗戦後、再びウィーク・ジャパン派が台頭
「天皇制」解体を暗に奨励する対日指令
日本民主化という名の「日本解体」指令
第七章 GHQと日本共産党の蜜月
中国共産党、GHQ、日本共産党--「敗戦革命派」の連携
GHQ内部に潜んでいた「革命の同志」たち
「生産管理闘争」をけしかけるGHQ
第八章 昭和天皇の反撃
昭和天皇が「新日本建設に関する詔書」に込められた真意
皇室と国民の絆は変わらず
「もう一つの玉音放送」と食糧メーデー
第九章 仕込まれた経済的窮乏
革命は少数のエリートによって起こる
ウィロビーに「ゾルゲ諜報団」の危険性を伝えた日本人
GHQに入り込んだ「ソ連の協力者」たち
第十章 敗戦革命を阻止した保守自由主義者たち
労働争議参加人数の急増と高まるゼネストへの動き
GHQの窮乏化政策に対抗した石橋湛山蔵相
民間企業への増税を阻止せよ
おわりに--米軍元将校の警告
序章 「敗戦で平和になった」という誤解
日本の敗戦後に訪れた「最大の危機」
ソ連の戦略どおりに世界各地を襲った「敗戦革命」
最初は猫なで声で「統一戦線」を呼びかける
第一章 ルーズヴェルト民主党政権下での対日「敗戦革命」計画
ルーズヴェルト政権内部の「工作員」たち
コミンテルンの工作員はいかにアメリカ国内に浸透したか
大きな影響力を誇ったシンクタンク・太平洋問題調査会(IPR)
第二章 中国共産党による対日心理戦争
相手国を支配し、操る「影響力工作」
戦前の日本で結成された「中国共産党日本特別支部」
日本留学経験者を活用した「敵軍工作部」
第三章 戦時下での米中結託と野坂参三
野坂参三はコミンテルンによって延安に派遣された
より多くの日本兵捕虜を敗戦革命のために訓練せよ
「厚遇」と「二分法」のセットが洗脳の強力なツール
第四章 近衛上奏文と徹底抗戦の謎
「無条件降伏」を主張する「ウィーク・ジャパン派」の優勢
貴重な情報を握りつぶしてソ連仲介和平案に賭けた愚
共産党との連立政権を容認していた木戸内大臣
第五章 停戦交渉から逃げ回ったエリートと重光葵の奪戦
戦後処理を一歩間違うと苦難の道に叩き込まれる
「停戦」交渉から逃げ回るエリートたち
東久邇宮内閣、三つの課題
第六章 占領政策という名の日本解体工作
日本敗戦後、再びウィーク・ジャパン派が台頭
「天皇制」解体を暗に奨励する対日指令
日本民主化という名の「日本解体」指令
第七章 GHQと日本共産党の蜜月
中国共産党、GHQ、日本共産党--「敗戦革命派」の連携
GHQ内部に潜んでいた「革命の同志」たち
「生産管理闘争」をけしかけるGHQ
第八章 昭和天皇の反撃
昭和天皇が「新日本建設に関する詔書」に込められた真意
皇室と国民の絆は変わらず
「もう一つの玉音放送」と食糧メーデー
第九章 仕込まれた経済的窮乏
革命は少数のエリートによって起こる
ウィロビーに「ゾルゲ諜報団」の危険性を伝えた日本人
GHQに入り込んだ「ソ連の協力者」たち
第十章 敗戦革命を阻止した保守自由主義者たち
労働争議参加人数の急増と高まるゼネストへの動き
GHQの窮乏化政策に対抗した石橋湛山蔵相
民間企業への増税を阻止せよ
おわりに--米軍元将校の警告
著者について
評論家
江崎道朗[えざき・みちお]
1962年生まれ。九州大学卒業後、月刊誌編集、団体職員、国会議員政策スタッフを務め、安全保障、インテリジェンス、近現代史研究に従事。2016年夏から本格的に評論活動を開始。
江崎道朗[えざき・みちお]
1962年生まれ。九州大学卒業後、月刊誌編集、団体職員、国会議員政策スタッフを務め、安全保障、インテリジェンス、近現代史研究に従事。2016年夏から本格的に評論活動を開始。
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

江崎道朗(えざき みちお)
1962年、東京都生まれ。九州大学卒業後、月刊誌編集、団体職員、国会議員政策スタッフを務め、安全保障、インテリジェンス、近現代史研究に従事。現在、評論家。
2014年5月号から『正論』に「SEIRON時評」を連載中。
著書に『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』(祥伝社新書)、『マスコミが報じないトランプ台頭の秘密』(青林堂)ほか多数。
公式サイト ezakimichio.info
チャンネルくらら で動画を配信中
https://www.youtube.com/channel/UCDrXxofz1CIOo9vqwHqfIyg
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2023年12月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2023年12月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
60代にもなって初めて知る事ばかりで、大変恥ずかしい思いを持ちつつも、とても勉強になりました。
昭和天皇の素晴らしさ、自由保守政治家の果敢な活動によって、とんでもない危機を乗り越えた事実をもっと多くの日本人に知ってもらいたい。
昭和天皇の素晴らしさ、自由保守政治家の果敢な活動によって、とんでもない危機を乗り越えた事実をもっと多くの日本人に知ってもらいたい。
2020年8月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
どうして経済規模のかけ離れて大きなアメリカと戦うことになったのか、その理由は共産圏からのスパイの働きが大きかったという説明は納得のいくものであった。というのも、敗戦後の日本を共産国化するチャンスが出来るからである。しかし、ドイツのような分断国家にしないで済んだ一つの理由が占守島でのソ連軍との攻防を担当した樋口季一郎中将であったことは初めて知った。また、戦後、食糧事情が悪かった時に天皇陛下が、占領軍に対して、皇室の宝物殿のリストを作成し、それを持って進駐軍に食料の買取を依頼したときの話は感動的であった。大陸で、中国共産党の捕虜になった人たちは、良い待遇を受けていたということは戦後の残留孤児の帰還問題とも関連して納得できた。
2018年9月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『日本占領と「敗戦革命」の危機』
もっとも印象に残った箇所
昭和天皇の「ご聖断」の折のお言葉には、あらゆる存在を包み込もうとする意志がある。
昭和天皇はそれ(近衛上奏文は、明らかに一部の軍人や官僚を「疑い」「敵視」するものであった。)とはまったく違う次元でご覧になっていた。軍人や右翼も全て一視同仁(差別せず、皆を同じように大切に思うこと)、同じ日本国民であると見ていらっしゃったのである。日本国民を「敵」「味方」で分断するのではなく、全て包み込む気高い精神をお示しになった。
現在の S N Sなどを見ていると 、特定の政治家やマスコミを揶揄することが日本を守ることだと誤解しているように思われる人を見受けるが 、自分と異なる政治的立場の人々の考え方を小ばかにし 、揶揄するだけで 、自らと異なる考え方を理解することを怠れば 、相手を侮るようになり 、考える力は衰弱する 。それは 、思想力の低下という形で 、日本を亡国に追いやる恐れがあることを私たちは肝に銘じるべきなのである 。
1947年2月のストライキは連合国最高司令官が命令を発した結果、中止された。
しかし今回、占領軍当局はその時よりも賢明な間接戦術を用いたのであった。
すなわち、大量の食糧を放出したばかりでなく、日本の労働者に民主的労組の正しい実践というものを集中的に教育する計画を設けたのである。
印象に残った箇所
序章 「敗戦で平和になった」という誤解
日本でも 、ブラック企業が問題になっているが 、北朝鮮は 、そんな生易しいものではない 。一党独裁の朝鮮労働党の幹部たちだけが豪華な暮らしをする一方で 、一般の家庭の多くは未だに水道もなく 、電気も通っていない 。当然 、ク ーラ ーなどもない 。満足に食糧もなく 、百万人以上が餓死したが 、こうした状況を批判すれば 、強制収容所に送られ 、拷問 ・レイプのうえ 、殺されるのだ 。
共産主義体制とは一部の特権階級のもとで 、多くの庶民が弾圧され 、いくら働いても満足な食事もできず 、風呂にも入れず 、不満をいえば殺される政治制度なのだ 。その恐ろしい体制が日本のすぐ隣に存在している 。
では 、なぜ北朝鮮は 、こうした残酷な共産主義体制になってしまったのか 。北朝鮮の悲劇は 、ソ連 ・コミンテルンの工作と 、先の大戦および日本の敗戦の結果 、生まれたのだ 。
日本が第二次世界大戦で敗北した結果 、アジアに平和が訪れたであろうか 。答えは 、もちろん 「否 」である 。
少なくとも第二次世界大戦後 、アジアでは 、三つの独立国家が滅ぼされている 。チベット 、満洲国 、そして東トルキスタン (ウイグル )である 。いずれもソ連および中国共産党政府によって第二次世界大戦後 、滅ぼされた 。
「日本が負けて平和になった 」どころか 、アジアのあちこちで内乱と革命の暴力が吹き荒れていたのである 。要するに第二次世界大戦で日本が敗北した結果 、アジアに平和が訪れたというのは噓なのだ 。
第二次世界大戦後 、アジア諸国は戦争と内戦に苦しんできたという認識が 、日本人にはすっぽり欠落している 。そのため 、日本さえ戦争をしなければアジアの平和は維持できるかのような 「勘違い 」をする人も多くなってしまった 。
実際には 、 「日本は敗戦によって平和になった 」というのは 、とんでもない間違いなのだ 。日本はむしろ 、戦争に敗北してから 「最大の危機 」に直面することになる 。その危機とは 、日本で共産革命が起こり 、ソ連 ・中国共産党の影響下に入るということである 。
第一章 ルーズヴェルト民主党政権下での対日「敗戦革命」計画
日本の政治運動でもそうだが、政策の違いに着目して排除するやり方をしている限り、政治勢力は大きくなっていかない(例えば「共産主義に賛同しない限り、味方ではない」)
平和運動や貧民救済活動を偽装した団体を作ったり、あるいはそういう活動をしている団体に入り込んだりすることで、アメリカ共産党は勢力を伸ばした。
芸能、スポーツ、キリスト教団体など、様々なところへ工作員たちが浸透するようになると、そのような団体を通じて大衆を動員できるようになる。こうした工作を「内部浸透工作」と呼ぶ。
政府に入り込めるということは、政府の予算を使ってエリートを味方につけ、影響力を行使し、操ることができるということだ。
革命を志向する人々はとにかくこのロボトミー手術的なソーシャル・エンジニアリングに憧れがちである。人智をもってすれば、何事でも成し遂げられるという「人間の傲慢」がその発展のベースになっている。
アメリカでは日米開戦とももに、政府だけでなく、民間シンクタンクなどにおいても、敗北に追い込んだ日本をどのように改造し、弱体化していくのかという観点から、徹底した議論と政策立案が行われた。
そもそも外交とは、相手を自国の国益に都合が良いように分断し操ることである。
アメリカの戦略は、その見地からすれば、ごく当たり前のものとさえ言える。
私が「アメリカは一枚岩ではない」と強調するのは、アメリカ共和党系と民主党系、保守系とリベラル系とに分けて理解することで、いわば分断工作を仕掛け、日本に少しでも有利な対米交渉を実現したいと考えているからである。
第二章 中国共産党による対日心理戦争
日本人を軍国主義者とその被害者に分ける「二分法」が中国共産党からアメリカのルーズベルト政権に伝わり、その後、いわゆる東京裁判史観の基本的な視点となってゆくのである。
「二分法」の下では、革命の敵、人民の敵として認定された集団は、個々人がどんなに善人であっても歴史的な役割としては悪と断定される。だから、粛清があまりに残酷だといって反対したり、粛清される人に同情したりすることですら、革命を妨げる「悪」とされる。
この「二分法」ゆえに、共産党体制においては、いつまで経っても粛清や弾圧が終わらない。敵と味方に分けて考えるのが習い性になると、いつまでも敵と味方に二分し続けなければならなくなるからである。
共産革命をめざす人々は、そのような共産党の悪しき面など「敵の悪質なプロパガンダ」に過ぎないと信じて、真正面から見ようとせず、純粋かつ理想主義的な気持ちで工作に取り組んでいくのである。まったき善意で行われる彼らの「解放」工作の恐ろしさを、私たちはよく知っておかなければならない。
占領中、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)や東京裁判を実行したのはアメリカ人だが、元になるアイデア(二分法と温情による洗脳法)は延安から来たわけである。
第四章 近衛上奏文と徹底抗戦の謎
木戸内大臣らの発言を見ていると、結局、戦前の日本は、共産党員を弾圧し、共産主義研究を禁じるだけで、実は共産主義や敗戦革命がいかなるものなるのか、ろくに理解していなかったのではないかと思わざるを得ない。敵を小ばかにし、敵を侮るものは、結局、敵に騙されるのだ。
こうした戦前の日本の失態をいまの日本が批判できるだろうか。
昭和天皇が立脚されていたのは、聖徳太子の十七条憲法、さらに明治天皇の五箇条の御誓文に象徴される、保守自由主義的な日本の姿であった。
昭和天皇が、優れたインテリジェンス能力によって、
(昭和天皇は 「アメリカは一枚岩ではない 」ことを理解されていたのだ 。しかも 、日本の一部エリ ートたちとは異なり 、グル ーらが主張する 「民主主義 」が 、日本の 「国体 」と対立するものだとは思っていらっしゃらなかった 。)
ポツダム宣言というぎりぎりのチャンスをつかみ、御聖断を下されたことによって、日本は辛うじて潰滅と分断化の危機を免れたのである。
第六章 占領政策という名の日本解体工作
戦前の法体系は、帝国憲法、皇室典範、軍法の三つの領域から成り立っていた。
戦後、占領政策によって皇室典範は国会で自由に改変できる普通の法律になり、軍法は廃止された。日本は法体系の三つのうち、二つを失ってしまったのである。
余談になるが 、このなかの要塞地帯法について説明しておきたい 。要塞地帯法は海からの不法侵入を阻止するために沿岸地域を軍が管理することを定めた法律であった 。沿岸地域というのは 、北朝鮮による拉致問題で工作員が海岸から入ってきていたことでもわかるように 、国防上最も重要な地域である 。この法律が廃止され 、講和独立後に改めて立法措置をとらなかったため 、北朝鮮の工作員が海岸から易々と不法入国し 、横田めぐみさんたちを拉致することができたともいえる 。
が置かれ 、外国人の所有を制限している国が少なからず存在する 。だが日本では 、占領中に G H Qによって要塞地帯法が廃止された結果 、沿岸地域を警察 、海上保安庁 、自衛隊のうち 、どこが守るのかという責任の所在が曖昧なまま 、現在に至っている 。いま 、中国人や韓国人など外国の人々が 、日本の安全保障上 、重要な土地を次々に購入していることが問題となりつつあるが 、その問題の淵源も軍事関連法が廃止されたことにあるのである 。
第九章 仕組まれた経済的窮乏
元財務官僚で嘉悦大学教授の高橋洋一氏は、日本の敗戦直後の経済苦境をもたらした最大の原因は、実は原材料の輸入を厳しく制限したことにあったと指摘している。
終戦後の日本には、実は空襲を免れた工場施設がかなり残っていたのだが、足りなかったのは、工場を動かす燃料と原材料、それに資金だったというのである。原材料なしでは生産回復が不可能なことは、考えてみれば当然だろう。
つまり、空襲による戦災と敗戦によって生活が苦しくなったのではなく、アメリカが原材料の輸入を厳しく制限したから、生活が苦しくなったのだ。
第十章 敗戦革命を阻止した保守自由主義者たち
吉田自身は後年 、こう述懐しているが 、不用意であったことは確かだ 。
《この言葉で 、私が指したのは 、国民全体の苦悩の時に乗じて 、労働不安を煽動する 、いわゆる職業的アジテ ータ ー達であったのだが 、彼等の仲間ならまだしも 、一般の新聞やラジオ放送までが 、私が勤労者全体に対して 、不逞呼ばわりをしたかの如く評するものが少くなかった 。それほど当時の新聞や放送の関係者の間にも理性を失ったものが多かったのである。
共産党のフラクションとは、労組や市民団体に入り込んだ党員の組織を意味し、その団体で指導的な役職に就き、その団体を共産党の方針に沿うよう活動させる任務を持つ。
その時は圧倒的な少数派であったとしても、インテリジェンスを重視し、敵の意図を正確に把握しようと努め、なによりも国民の安全と生活を重視を重視した指導者たちが日本を終戦から占領期の亡国の危機を救ってきたのだ。
その危機とは、本書で縷々説明したように日本を敗戦から共産革命へと追い込む「敗戦革命」であり、昭和天皇をはじめ、重光葵、吉田茂、石橋湛山ら保守自由主義者が完全と立ち向かわなかったら、戦後の日本は、いまの北朝鮮のようになっていたかも知れないのだ。
同様にトルーマン政権をして「対日無条件降伏」を断念させた硫黄島、沖縄の奮戦、さらに、スターリンによる北海道侵攻を食い止めた占守島での奮戦がなければ、日本はどうなっていたことか。先人たちに、心より敬意を表したい。
先の戦争は、英米を始めとする連合国との「軍事の戦い」であるだけでなく、連合国内部に入り込んだソ連・コミンテルンの協力者たちによる「敗戦革命との戦い」でもあった。
おわりに 米軍元将校の警告
アメリカのウィーク・ジャパン派のなかには、中国共産党政府と連携して日本を経済的属国にして徹底的に搾取しようとする動きがある。
日本もまた、アメリカのストロング・ジャパン派と積極的に連携を深め、米中結託によるコンドミニアム(共同搾取)を阻止すべきであろう。
同盟国アメリカに対する働きかけを怠ることは、結果的に米中結託によるコンドミニアム(共同搾取)を容認することになりかねない。
この構図が 、 「国体護持 」の名のもと反米を叫び 、ソ連との和平交渉だけが正しいと主張して対米交渉を怠り 、ソ連による日本占領の危機を招いた軍部の姿と重なって見えるのは果たして偶然だろうか 。
本来ならば 、外国から様々な対日工作が仕掛けられていることを前提に 、そうした工作について調査し 、対抗するのが対外インテリジェンス機関の役割だ 。戦前の日本は 、そうした対外インテリジェンス機関が存在したが 、その貴重な情報を活用できる政治家や軍幹部が少なかった 。
マスコミで報じられないだけで現在も 、外国によって危険な政治工作が日本に仕掛けられていると考えるべきである 。そう考えて 、インテリジェンスの戦いを繰り広げることが日本の自由と平和を守ることなのだ 。
敗戦革命工作と戦った先人たちの奮戦を描いた本書をお読みいただくことで 、保守自由主義 、適切な経済政策 、そしてインテリジェンスの重要性を理解する人が増えることを 、心より願っている 。
もっとも印象に残った箇所
昭和天皇の「ご聖断」の折のお言葉には、あらゆる存在を包み込もうとする意志がある。
昭和天皇はそれ(近衛上奏文は、明らかに一部の軍人や官僚を「疑い」「敵視」するものであった。)とはまったく違う次元でご覧になっていた。軍人や右翼も全て一視同仁(差別せず、皆を同じように大切に思うこと)、同じ日本国民であると見ていらっしゃったのである。日本国民を「敵」「味方」で分断するのではなく、全て包み込む気高い精神をお示しになった。
現在の S N Sなどを見ていると 、特定の政治家やマスコミを揶揄することが日本を守ることだと誤解しているように思われる人を見受けるが 、自分と異なる政治的立場の人々の考え方を小ばかにし 、揶揄するだけで 、自らと異なる考え方を理解することを怠れば 、相手を侮るようになり 、考える力は衰弱する 。それは 、思想力の低下という形で 、日本を亡国に追いやる恐れがあることを私たちは肝に銘じるべきなのである 。
1947年2月のストライキは連合国最高司令官が命令を発した結果、中止された。
しかし今回、占領軍当局はその時よりも賢明な間接戦術を用いたのであった。
すなわち、大量の食糧を放出したばかりでなく、日本の労働者に民主的労組の正しい実践というものを集中的に教育する計画を設けたのである。
印象に残った箇所
序章 「敗戦で平和になった」という誤解
日本でも 、ブラック企業が問題になっているが 、北朝鮮は 、そんな生易しいものではない 。一党独裁の朝鮮労働党の幹部たちだけが豪華な暮らしをする一方で 、一般の家庭の多くは未だに水道もなく 、電気も通っていない 。当然 、ク ーラ ーなどもない 。満足に食糧もなく 、百万人以上が餓死したが 、こうした状況を批判すれば 、強制収容所に送られ 、拷問 ・レイプのうえ 、殺されるのだ 。
共産主義体制とは一部の特権階級のもとで 、多くの庶民が弾圧され 、いくら働いても満足な食事もできず 、風呂にも入れず 、不満をいえば殺される政治制度なのだ 。その恐ろしい体制が日本のすぐ隣に存在している 。
では 、なぜ北朝鮮は 、こうした残酷な共産主義体制になってしまったのか 。北朝鮮の悲劇は 、ソ連 ・コミンテルンの工作と 、先の大戦および日本の敗戦の結果 、生まれたのだ 。
日本が第二次世界大戦で敗北した結果 、アジアに平和が訪れたであろうか 。答えは 、もちろん 「否 」である 。
少なくとも第二次世界大戦後 、アジアでは 、三つの独立国家が滅ぼされている 。チベット 、満洲国 、そして東トルキスタン (ウイグル )である 。いずれもソ連および中国共産党政府によって第二次世界大戦後 、滅ぼされた 。
「日本が負けて平和になった 」どころか 、アジアのあちこちで内乱と革命の暴力が吹き荒れていたのである 。要するに第二次世界大戦で日本が敗北した結果 、アジアに平和が訪れたというのは噓なのだ 。
第二次世界大戦後 、アジア諸国は戦争と内戦に苦しんできたという認識が 、日本人にはすっぽり欠落している 。そのため 、日本さえ戦争をしなければアジアの平和は維持できるかのような 「勘違い 」をする人も多くなってしまった 。
実際には 、 「日本は敗戦によって平和になった 」というのは 、とんでもない間違いなのだ 。日本はむしろ 、戦争に敗北してから 「最大の危機 」に直面することになる 。その危機とは 、日本で共産革命が起こり 、ソ連 ・中国共産党の影響下に入るということである 。
第一章 ルーズヴェルト民主党政権下での対日「敗戦革命」計画
日本の政治運動でもそうだが、政策の違いに着目して排除するやり方をしている限り、政治勢力は大きくなっていかない(例えば「共産主義に賛同しない限り、味方ではない」)
平和運動や貧民救済活動を偽装した団体を作ったり、あるいはそういう活動をしている団体に入り込んだりすることで、アメリカ共産党は勢力を伸ばした。
芸能、スポーツ、キリスト教団体など、様々なところへ工作員たちが浸透するようになると、そのような団体を通じて大衆を動員できるようになる。こうした工作を「内部浸透工作」と呼ぶ。
政府に入り込めるということは、政府の予算を使ってエリートを味方につけ、影響力を行使し、操ることができるということだ。
革命を志向する人々はとにかくこのロボトミー手術的なソーシャル・エンジニアリングに憧れがちである。人智をもってすれば、何事でも成し遂げられるという「人間の傲慢」がその発展のベースになっている。
アメリカでは日米開戦とももに、政府だけでなく、民間シンクタンクなどにおいても、敗北に追い込んだ日本をどのように改造し、弱体化していくのかという観点から、徹底した議論と政策立案が行われた。
そもそも外交とは、相手を自国の国益に都合が良いように分断し操ることである。
アメリカの戦略は、その見地からすれば、ごく当たり前のものとさえ言える。
私が「アメリカは一枚岩ではない」と強調するのは、アメリカ共和党系と民主党系、保守系とリベラル系とに分けて理解することで、いわば分断工作を仕掛け、日本に少しでも有利な対米交渉を実現したいと考えているからである。
第二章 中国共産党による対日心理戦争
日本人を軍国主義者とその被害者に分ける「二分法」が中国共産党からアメリカのルーズベルト政権に伝わり、その後、いわゆる東京裁判史観の基本的な視点となってゆくのである。
「二分法」の下では、革命の敵、人民の敵として認定された集団は、個々人がどんなに善人であっても歴史的な役割としては悪と断定される。だから、粛清があまりに残酷だといって反対したり、粛清される人に同情したりすることですら、革命を妨げる「悪」とされる。
この「二分法」ゆえに、共産党体制においては、いつまで経っても粛清や弾圧が終わらない。敵と味方に分けて考えるのが習い性になると、いつまでも敵と味方に二分し続けなければならなくなるからである。
共産革命をめざす人々は、そのような共産党の悪しき面など「敵の悪質なプロパガンダ」に過ぎないと信じて、真正面から見ようとせず、純粋かつ理想主義的な気持ちで工作に取り組んでいくのである。まったき善意で行われる彼らの「解放」工作の恐ろしさを、私たちはよく知っておかなければならない。
占領中、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)や東京裁判を実行したのはアメリカ人だが、元になるアイデア(二分法と温情による洗脳法)は延安から来たわけである。
第四章 近衛上奏文と徹底抗戦の謎
木戸内大臣らの発言を見ていると、結局、戦前の日本は、共産党員を弾圧し、共産主義研究を禁じるだけで、実は共産主義や敗戦革命がいかなるものなるのか、ろくに理解していなかったのではないかと思わざるを得ない。敵を小ばかにし、敵を侮るものは、結局、敵に騙されるのだ。
こうした戦前の日本の失態をいまの日本が批判できるだろうか。
昭和天皇が立脚されていたのは、聖徳太子の十七条憲法、さらに明治天皇の五箇条の御誓文に象徴される、保守自由主義的な日本の姿であった。
昭和天皇が、優れたインテリジェンス能力によって、
(昭和天皇は 「アメリカは一枚岩ではない 」ことを理解されていたのだ 。しかも 、日本の一部エリ ートたちとは異なり 、グル ーらが主張する 「民主主義 」が 、日本の 「国体 」と対立するものだとは思っていらっしゃらなかった 。)
ポツダム宣言というぎりぎりのチャンスをつかみ、御聖断を下されたことによって、日本は辛うじて潰滅と分断化の危機を免れたのである。
第六章 占領政策という名の日本解体工作
戦前の法体系は、帝国憲法、皇室典範、軍法の三つの領域から成り立っていた。
戦後、占領政策によって皇室典範は国会で自由に改変できる普通の法律になり、軍法は廃止された。日本は法体系の三つのうち、二つを失ってしまったのである。
余談になるが 、このなかの要塞地帯法について説明しておきたい 。要塞地帯法は海からの不法侵入を阻止するために沿岸地域を軍が管理することを定めた法律であった 。沿岸地域というのは 、北朝鮮による拉致問題で工作員が海岸から入ってきていたことでもわかるように 、国防上最も重要な地域である 。この法律が廃止され 、講和独立後に改めて立法措置をとらなかったため 、北朝鮮の工作員が海岸から易々と不法入国し 、横田めぐみさんたちを拉致することができたともいえる 。
が置かれ 、外国人の所有を制限している国が少なからず存在する 。だが日本では 、占領中に G H Qによって要塞地帯法が廃止された結果 、沿岸地域を警察 、海上保安庁 、自衛隊のうち 、どこが守るのかという責任の所在が曖昧なまま 、現在に至っている 。いま 、中国人や韓国人など外国の人々が 、日本の安全保障上 、重要な土地を次々に購入していることが問題となりつつあるが 、その問題の淵源も軍事関連法が廃止されたことにあるのである 。
第九章 仕組まれた経済的窮乏
元財務官僚で嘉悦大学教授の高橋洋一氏は、日本の敗戦直後の経済苦境をもたらした最大の原因は、実は原材料の輸入を厳しく制限したことにあったと指摘している。
終戦後の日本には、実は空襲を免れた工場施設がかなり残っていたのだが、足りなかったのは、工場を動かす燃料と原材料、それに資金だったというのである。原材料なしでは生産回復が不可能なことは、考えてみれば当然だろう。
つまり、空襲による戦災と敗戦によって生活が苦しくなったのではなく、アメリカが原材料の輸入を厳しく制限したから、生活が苦しくなったのだ。
第十章 敗戦革命を阻止した保守自由主義者たち
吉田自身は後年 、こう述懐しているが 、不用意であったことは確かだ 。
《この言葉で 、私が指したのは 、国民全体の苦悩の時に乗じて 、労働不安を煽動する 、いわゆる職業的アジテ ータ ー達であったのだが 、彼等の仲間ならまだしも 、一般の新聞やラジオ放送までが 、私が勤労者全体に対して 、不逞呼ばわりをしたかの如く評するものが少くなかった 。それほど当時の新聞や放送の関係者の間にも理性を失ったものが多かったのである。
共産党のフラクションとは、労組や市民団体に入り込んだ党員の組織を意味し、その団体で指導的な役職に就き、その団体を共産党の方針に沿うよう活動させる任務を持つ。
その時は圧倒的な少数派であったとしても、インテリジェンスを重視し、敵の意図を正確に把握しようと努め、なによりも国民の安全と生活を重視を重視した指導者たちが日本を終戦から占領期の亡国の危機を救ってきたのだ。
その危機とは、本書で縷々説明したように日本を敗戦から共産革命へと追い込む「敗戦革命」であり、昭和天皇をはじめ、重光葵、吉田茂、石橋湛山ら保守自由主義者が完全と立ち向かわなかったら、戦後の日本は、いまの北朝鮮のようになっていたかも知れないのだ。
同様にトルーマン政権をして「対日無条件降伏」を断念させた硫黄島、沖縄の奮戦、さらに、スターリンによる北海道侵攻を食い止めた占守島での奮戦がなければ、日本はどうなっていたことか。先人たちに、心より敬意を表したい。
先の戦争は、英米を始めとする連合国との「軍事の戦い」であるだけでなく、連合国内部に入り込んだソ連・コミンテルンの協力者たちによる「敗戦革命との戦い」でもあった。
おわりに 米軍元将校の警告
アメリカのウィーク・ジャパン派のなかには、中国共産党政府と連携して日本を経済的属国にして徹底的に搾取しようとする動きがある。
日本もまた、アメリカのストロング・ジャパン派と積極的に連携を深め、米中結託によるコンドミニアム(共同搾取)を阻止すべきであろう。
同盟国アメリカに対する働きかけを怠ることは、結果的に米中結託によるコンドミニアム(共同搾取)を容認することになりかねない。
この構図が 、 「国体護持 」の名のもと反米を叫び 、ソ連との和平交渉だけが正しいと主張して対米交渉を怠り 、ソ連による日本占領の危機を招いた軍部の姿と重なって見えるのは果たして偶然だろうか 。
本来ならば 、外国から様々な対日工作が仕掛けられていることを前提に 、そうした工作について調査し 、対抗するのが対外インテリジェンス機関の役割だ 。戦前の日本は 、そうした対外インテリジェンス機関が存在したが 、その貴重な情報を活用できる政治家や軍幹部が少なかった 。
マスコミで報じられないだけで現在も 、外国によって危険な政治工作が日本に仕掛けられていると考えるべきである 。そう考えて 、インテリジェンスの戦いを繰り広げることが日本の自由と平和を守ることなのだ 。
敗戦革命工作と戦った先人たちの奮戦を描いた本書をお読みいただくことで 、保守自由主義 、適切な経済政策 、そしてインテリジェンスの重要性を理解する人が増えることを 、心より願っている 。
2022年12月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
歴史についてそれぞれ学校で習ったり、本を読んだりして自分なりの歴史観を形成していくものだと思うんですが、私にとって江崎さんの著書は、その歴史観を大幅に変えた一人です。
この本の前に『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』という本を出しているのですが、出来ればそちらから読んだ方が歴史の流れとしてはいいかなという程度で、どちらから読んでもいいと思います。
内容を簡潔ち言うと、敗戦後の日本を統治したアメリカ政府の主要機関に、如何にしてソ連のスパイが入り込み日本を共産化しようとしたか、その共産化の危機に対して日本政府ないし昭和天皇はどのように対応したかというものになっております。
この本の前に『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』という本を出しているのですが、出来ればそちらから読んだ方が歴史の流れとしてはいいかなという程度で、どちらから読んでもいいと思います。
内容を簡潔ち言うと、敗戦後の日本を統治したアメリカ政府の主要機関に、如何にしてソ連のスパイが入り込み日本を共産化しようとしたか、その共産化の危機に対して日本政府ないし昭和天皇はどのように対応したかというものになっております。
2022年3月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大東亜戦争に敗れ、GHQ占領下の日本は共産化を目指す「敗戦革命」の危機に立たされていた。1947年2月1日のゼネスト(GHQから禁止された)は、日本が共産化するクライマックスであった。それに抗したのは、保守自由主義者(吉田茂、石橋湛山、昭和天皇、GHQのウィロビーなど)であった。その分岐路前後が、ここに詳述されている。日本民族が1945-1947年に飢餓の危機にあったのは、①生産力低下だけでなく、②GHQ内の左派分子によって、意図的に、政策的(輸入禁止など)に日本の混乱が画策されていたことも明らかにしている。また、③進駐軍費用は全て日本国から出費されており、それは当時の日本の国家予算の1/3を占めたことは極めて重要な新事実である。何と我々が知らなかったことが多いことか!歴史を知って初めて、現在の日本の有り様を考えることができる。日本人にはそれがあまりにも希薄ではなかろうか。上梓されたばかりの新書であるが、日本人必読の書と思う。
2021年3月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「敗戦後、日本国内は混乱に陥っていた」と言葉で知っていても、
その混乱が何を差し、どのように国内が変貌していきそう(していっていたのか)を
学ぶことができた。
日本で敗戦革命を起こすべく奔走していたコミンテルンの存在そのものや、
具体的な活動、今までの知識で耳にしていた組織団体へも多く浸透されていた事実に、
衝撃を受ける一方で、
そうした陣営を相手に、日本を守るために奔走した保守自由主義の先人たちの凄まじさに、
正直言葉が出なかった。
自由主義的精神には、聖徳太子の十七条憲法にある「共に是れ凡夫のみ」
人間は不完全だからこそ、互いに支えあい、話し合ってよりよい知恵を生み出すことが必要という考え方に象徴されている、
といった表現が作中にあるが、
そうした先人の方々の日本の伝統的な価値観があったことが行動の源になっているように想えた。
戦後・近現代史を学び始めると、皇室や天皇陛下の存在があったことで、危機的状況を乗り越えることが出来た、
と端的に考えてしまいがちだけど、決してそれだけではない。
日本がその危機を乗り越えることができたのは、皇室・天皇陛下の存在はもちろんのことだけど、
国民側も、自分自身が不完全であることを前提に立って、他の言葉に耳を傾けることの出来る能力のあった人たちが存在していたからこそ、
乗り越えることができたのだと思った。
その意味で、現在を生きる私たちも、学び続けること、そうした精神を持ち合わせる日本人でありたいとも思った。
また、国際社会で生き抜いていく上では、情報がどれほど重要であるかということにも、改めて気づかされた。
その混乱が何を差し、どのように国内が変貌していきそう(していっていたのか)を
学ぶことができた。
日本で敗戦革命を起こすべく奔走していたコミンテルンの存在そのものや、
具体的な活動、今までの知識で耳にしていた組織団体へも多く浸透されていた事実に、
衝撃を受ける一方で、
そうした陣営を相手に、日本を守るために奔走した保守自由主義の先人たちの凄まじさに、
正直言葉が出なかった。
自由主義的精神には、聖徳太子の十七条憲法にある「共に是れ凡夫のみ」
人間は不完全だからこそ、互いに支えあい、話し合ってよりよい知恵を生み出すことが必要という考え方に象徴されている、
といった表現が作中にあるが、
そうした先人の方々の日本の伝統的な価値観があったことが行動の源になっているように想えた。
戦後・近現代史を学び始めると、皇室や天皇陛下の存在があったことで、危機的状況を乗り越えることが出来た、
と端的に考えてしまいがちだけど、決してそれだけではない。
日本がその危機を乗り越えることができたのは、皇室・天皇陛下の存在はもちろんのことだけど、
国民側も、自分自身が不完全であることを前提に立って、他の言葉に耳を傾けることの出来る能力のあった人たちが存在していたからこそ、
乗り越えることができたのだと思った。
その意味で、現在を生きる私たちも、学び続けること、そうした精神を持ち合わせる日本人でありたいとも思った。
また、国際社会で生き抜いていく上では、情報がどれほど重要であるかということにも、改めて気づかされた。