動画配信サイトで「1万人の第九」を検索すると、本書の著者が、1万人の市民合唱団を前に渾身の力を振り絞って指揮する姿がたくさん映し出される。なかでも万感の想い極まれるのは、2011年12月に催された第29回大会。東日本震災の犠牲者への鎮魂の祈りを込めた合唱で、動画の再生回数も200万回に及んでいる。
本書は、バーンスタインの最後の弟子として世界で活躍する著者が、「指揮者とはなにか?」「音楽とはなにか?」という問いを自身に投げかけながら、その答えを、さまざまなエピソードを通じて語り綴ってゆくもの。そんな佐渡に一つの大きな答えを与えてくれたのが、ベートーベンの「第九」であり、またそれを1万人という空前絶後の規模で繰り広げる「1万人の第九」の体験だった。
▶「第九」には最低限の音しか使われていない。シンプルな石のかけらを緻密に計算しながら、たくさん積み上げて音の大聖堂をつくっている。
▶僕が気を発すれば発するほど、その気が1万人に吸い取られていく。でも新しい気がどんどん湧いてくる。そしてまた僕が気を投げかけると、1万人からグワッと気が返ってくる。それを受け止めるのがまた大変だ。…お祭り騒ぎだと思っていたイベントが、扉を開けるとまったく違っていた。
▶1万人の人がただ一括りになって一緒に歌っているのではなく、1年分のドラマを抱えた1万人の主人公たちの存在を感じて、一人ひとりの表情が見えるような「第九」をつくりたいと思うようになった。一人ひとりに力が集まって、まさにこの「第九」はつくられている。だらか合唱には気取ったオペラ歌手のような声はいらない。人間一人ひとりの意志をもった肉声が必要になる。一人ひとりの生命力溢れる声を導き出す必要がある。
音楽とはなにか? この問いに対する佐渡の答えは、さまざまな成功や失敗を通じて次第に焦点を定め、次のような確信へと結び着いてゆく。
▶生まれも環境も考え方もまったく違う人間がいることを認め合い、それぞれの個性を生かしながら、互いに鳴らす音に耳を傾けて一つの音楽を奏でる。互いの音と思いが重なったとき、心が震え合い、ほかのどこにもない音色が生まれる。
▶人によって価値観は違い、生き方も異なるが、一緒に生きること、それをよろこびとすることが人間の誇りだと思う。音楽はそのことを体感によって教えてくれるし、それが音楽をする本来の意味だと思う。
「オーケストラは集団で響きをつくる。そのためには互いの音を聴き合わなければならない。音楽が一つの世界をつくるためには、みんなの心が一つの方向に向かう必要がある」。この原理は、オーケストラに限らず、すべての組織に通ずるもの。稀代のマエストロが辿り着き、本書を通じて語り明かしてくれるその境地は、私たちに多くのことを示唆してくれる。「指揮者とはなにか?」「音楽とはなにか?」の極意は、また同時に「リーダーとはなにか?」「人間とはなにか?」の極意とも言えるからだ。
▶指揮者は指揮することで、その場の“気の塊”を動かしている。究極の指揮法というのは、気のコントロールだ。音とは単に空気の振動だ。その音が人の思いで鳴っているとき、それは音楽になる。指揮者とオーケストラの気が完全に一体化しているとき、指揮者は腕を動かす必要はなくなる。
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棒を振る人生 指揮者は時間を彫刻する (PHP文庫) 文庫 – 2017/9/1
佐渡 裕
(著)
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2015年からウィーンへ渡り、指揮者として活躍する佐渡裕。楽譜について、指揮者が考えていること、音楽と仕事を振りかえる。
- 本の長さ263ページ
- 言語日本語
- 出版社PHP研究所
- 発売日2017/9/1
- 寸法10.6 x 1.2 x 15 cm
- ISBN-104569767591
- ISBN-13978-4569767598
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出版社より



商品の説明
出版社からのコメント
はじめに
第1章 楽譜という宇宙
指揮者は何のためにいるのか
楽譜は建築でいえば“設計図"
オペラの音のつくり方に潜むメッセージ
第2章 指揮者の時間
その音がほしければ、指揮台の上で何をしてもいい
独学で身につけた指揮法
音に酔ってしまうといい音はつくれない
第3章 オーケストラの輝き
ヨーロッパと日本のオーケストラの音の違い
音から色彩感や空間意識を受け取る感性
「大きくなったらベルリン・フィルの指揮者になる」
第4章 「第九」の風景
音楽は何のためにあるのか
世界遺産のような存在の「第九」
ベートーヴェンの自筆譜から読み取れること
第5章 音楽という贈り物
バーンスタインから受け継いだもの
大人が一生懸命やっていることを見せる
子どもたちは何に心を躍らせるのかを考える
終章 新たな挑戦
世界一音響のすばらしいホール
客演とはオーディションを受けているようなもの
州の支援を受けるトーンキュンストラー管弦楽団
現在のウィーンでの活躍について―林田直樹
文庫化解説―姜尚中
第1章 楽譜という宇宙
指揮者は何のためにいるのか
楽譜は建築でいえば“設計図"
オペラの音のつくり方に潜むメッセージ
第2章 指揮者の時間
その音がほしければ、指揮台の上で何をしてもいい
独学で身につけた指揮法
音に酔ってしまうといい音はつくれない
第3章 オーケストラの輝き
ヨーロッパと日本のオーケストラの音の違い
音から色彩感や空間意識を受け取る感性
「大きくなったらベルリン・フィルの指揮者になる」
第4章 「第九」の風景
音楽は何のためにあるのか
世界遺産のような存在の「第九」
ベートーヴェンの自筆譜から読み取れること
第5章 音楽という贈り物
バーンスタインから受け継いだもの
大人が一生懸命やっていることを見せる
子どもたちは何に心を躍らせるのかを考える
終章 新たな挑戦
世界一音響のすばらしいホール
客演とはオーディションを受けているようなもの
州の支援を受けるトーンキュンストラー管弦楽団
現在のウィーンでの活躍について―林田直樹
文庫化解説―姜尚中
著者について
指揮者、トーンキュンストラー管弦楽団音楽監督
登録情報
- 出版社 : PHP研究所 (2017/9/1)
- 発売日 : 2017/9/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 263ページ
- ISBN-10 : 4569767591
- ISBN-13 : 978-4569767598
- 寸法 : 10.6 x 1.2 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 115,616位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 6位18世紀・古典派以前のクラシック音楽
- - 10位19世紀以後のクラシック音楽
- - 15位演奏家・指揮者・楽器の本
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年3月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2014年11月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読んでいるだけで、音楽が持つパワーがひしひしと伝わってくる本。
舞台上でただひとり音を鳴らさない音楽家、それが棒を振る人=指揮者である。
例えば、同じオーケストラに対して、世界的に有名な指揮者が指揮するのと音楽的にまったくの素人である自分が指揮するのでは、出来上がる音楽は違うのだろうか?なんて疑問に思っていたが、いやいや恥ずかしい。
指揮者の能力によって音楽は姿を変えるのだ。
クラシックなんぞロクに聴いたこともない自分が、「嗚呼、今度オーケストラが近くのホールに来たら足を運んでみよう」と思わされだけでも大したもの。(なぜ上から目線なのか)
書中にある一節、
<たとえ夢とは異なる仕事に就いていたとしても、子どものときの自分にとって、今の自分が誇らしく見えているかどうか>
子どもの時描いていた職業に就ける人はひと握り。
自分もそれに漏れた1人だが、子どもの頃の自分に胸張って今の自分の姿を見せられるように日々精進しなければならないと思った。
舞台上でただひとり音を鳴らさない音楽家、それが棒を振る人=指揮者である。
例えば、同じオーケストラに対して、世界的に有名な指揮者が指揮するのと音楽的にまったくの素人である自分が指揮するのでは、出来上がる音楽は違うのだろうか?なんて疑問に思っていたが、いやいや恥ずかしい。
指揮者の能力によって音楽は姿を変えるのだ。
クラシックなんぞロクに聴いたこともない自分が、「嗚呼、今度オーケストラが近くのホールに来たら足を運んでみよう」と思わされだけでも大したもの。(なぜ上から目線なのか)
書中にある一節、
<たとえ夢とは異なる仕事に就いていたとしても、子どものときの自分にとって、今の自分が誇らしく見えているかどうか>
子どもの時描いていた職業に就ける人はひと握り。
自分もそれに漏れた1人だが、子どもの頃の自分に胸張って今の自分の姿を見せられるように日々精進しなければならないと思った。
2019年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
心を撃ち抜かれてしまった。佐渡さんの音楽にかける熱意と情熱と念いが深く深く込められた名著。紹介された曲を聴きながら、再読して味わいたいと本当に思った。
2018年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
佐渡裕という人間像が本人の言葉によって如実に、赤裸々に語られることによって、クラシックに対する興味そのものとは無関係なまでに、その生き方や苦悩と苦悩の向こう側にある栄光を勝ち得るまでの本物のサクセスストーリーが垣間見える。素晴らしい能力は周知の事だが、その人間性に触れて感じる機会を貰えた一冊であると感じた
2017年9月25日に日本でレビュー済み
元々指揮者が捉える演奏の棒を振るってことはなんだってところに興味があって買ったが
そこんところは、結構指揮者って雑用が多いとかありきたり。
でもまあクラシック音楽に取り組む誠実な姿勢、情熱、なんかはよく伝わってきます。
ヨーロッパを中心に活動して勢いのある姿も文章からよく伝わってきます。
音楽の深淵な部分の考察なんかも期待したがそういうのはなし。
結局、佐渡裕の音楽が好きだとか興味のある人向け。
当たり前といえば当たり前の話で。
機会があればCD買ってみようくらいも思いました。
そこんところは、結構指揮者って雑用が多いとかありきたり。
でもまあクラシック音楽に取り組む誠実な姿勢、情熱、なんかはよく伝わってきます。
ヨーロッパを中心に活動して勢いのある姿も文章からよく伝わってきます。
音楽の深淵な部分の考察なんかも期待したがそういうのはなし。
結局、佐渡裕の音楽が好きだとか興味のある人向け。
当たり前といえば当たり前の話で。
機会があればCD買ってみようくらいも思いました。
2017年8月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
筆者が如何に音楽を愛しているかがひしひしと伝わる良い本です。特に一万人の第九の下り、泣けます。
2015年1月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
音楽、とりわけクラシックについてはほとんど素人で、「のだめ」を見た程度です。
指揮者という仕事がどういうものなのか、関心があって本書を読んでみました。
いつもCDとして出来上がったものを聴き、インスタントな音楽との付き合いをしていますが、その音を作るプロセスにどう向き合っているのか、音楽やオーケストラをプロデュースするということが、どんなに人間臭くて、また感動的なのか、よく伝わってきました。特に震災被災地・子供たちとの交流の姿は印象的です。
楽器もできない自分が音楽作りに参加したと言えるのは、中学時代の合唱くらいですが、何故か懐かしく思い出しました。
また、無性にベートーベンの第9を聴きたくなり、i-Tuneで早速購入してしまいました。
本書に書かれていたようなベートーベンの生きた時代を想いながら聞くと、なかなかいいものですね。
レコード時代はスピーカーの前に立って聞いていた音楽も、ちゃんと向き合うことがなくなりました。心が乏しいのでしょうか。
地元の芸術文化センターでたまにクラシックもやっているようなので、ちょっと行ってみたいな…と思わせてくれました。
指揮者という仕事がどういうものなのか、関心があって本書を読んでみました。
いつもCDとして出来上がったものを聴き、インスタントな音楽との付き合いをしていますが、その音を作るプロセスにどう向き合っているのか、音楽やオーケストラをプロデュースするということが、どんなに人間臭くて、また感動的なのか、よく伝わってきました。特に震災被災地・子供たちとの交流の姿は印象的です。
楽器もできない自分が音楽作りに参加したと言えるのは、中学時代の合唱くらいですが、何故か懐かしく思い出しました。
また、無性にベートーベンの第9を聴きたくなり、i-Tuneで早速購入してしまいました。
本書に書かれていたようなベートーベンの生きた時代を想いながら聞くと、なかなかいいものですね。
レコード時代はスピーカーの前に立って聞いていた音楽も、ちゃんと向き合うことがなくなりました。心が乏しいのでしょうか。
地元の芸術文化センターでたまにクラシックもやっているようなので、ちょっと行ってみたいな…と思わせてくれました。
2014年11月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
佐渡裕は、大野和士とともに、今、海外で最も成功している若手指揮者だ(ともに50代前半だが、指揮者の世界ではまだ若手といっていいだろう)。そんな佐渡裕の本が出たということで、一体、何を語っているのだろうかと興味を引かれ、本書を読んでみる気になったのだが、佐渡裕が今語りたいと思っている思いの丈が、全て語り尽くされていた。
私たち聴衆が演奏会の場で見聴きできるのは、舞台の上で手や体を動かしたり、表情や目配せで演奏者をリードする指揮者の姿と、それとどれだけ関連付けられているのかは実際のところはよく分からない演奏者から発せられる音楽だけだ。
佐渡裕は、指揮者の仕事のほとんどは指揮台に立つ以前にあり、指揮者の役割とは、まず、譜面と向き合って、そこに作曲家が残した「暗号」を読み解いて、作曲家が意図した音のイメージに近づくことであり、次に、自分が譜面から汲み取った曲のイメージを、どうオーケストラのメンバーや合唱団員に伝えるかであるといっており、その様々な具体例を挙げてみせてくれている。
「大きくなったらベルリン・フィルの指揮者になる」という子どものころからの夢が実現したベルリン・フィルとその定期演奏会デビュー時の様子にも、当然のことながら、相当数のページが割かれている。特に私の興味を引いたのが、デビュー前にも、ピンチヒッターで定期演奏会の指揮台に立ってほしいという打診が三度ほどあったが、結局、都合がつかずに実現することがなかったという告白と、最後に、「これからまた、ベルリン・フィルの指揮台に上がることになるだろう」といっていることだった。率直にいって、あれからすでに3年半経っても再招聘のオファーのニュースが全く聞こえてこない現状に、もう二度目はないのかもと思っていたのだが、本人が著書という公の場でこれだけのことをいえるということは、もうそれだけの裏付けがあるのだと思う。期待したい。
終章では、2015年9月に音楽監督就任が決定しているトーンキュンストラー管弦楽団についても語っているのだが、ウィーン・フィルでの指揮を視野に入れているという佐渡裕にとって、決して一流とはいい難いこの楽団の音楽監督への就任の損得を慎重に見極めた趣旨の率直な述懐をしている。もうプログラムも決まっていて、ウィーンゆかりの古典派・ロマン派のドイツ・オーストリア音楽を取り上げるのだそうだ。正直いって、ウィーンの聴衆や評論家を相手にこのプログラム構成は非常に厳しい冒険であり、大丈夫かなと思ってしまうが、そんな心配が杞憂に終わるよう、ぜひ、頑張ってほしいと思う。
私たち聴衆が演奏会の場で見聴きできるのは、舞台の上で手や体を動かしたり、表情や目配せで演奏者をリードする指揮者の姿と、それとどれだけ関連付けられているのかは実際のところはよく分からない演奏者から発せられる音楽だけだ。
佐渡裕は、指揮者の仕事のほとんどは指揮台に立つ以前にあり、指揮者の役割とは、まず、譜面と向き合って、そこに作曲家が残した「暗号」を読み解いて、作曲家が意図した音のイメージに近づくことであり、次に、自分が譜面から汲み取った曲のイメージを、どうオーケストラのメンバーや合唱団員に伝えるかであるといっており、その様々な具体例を挙げてみせてくれている。
「大きくなったらベルリン・フィルの指揮者になる」という子どものころからの夢が実現したベルリン・フィルとその定期演奏会デビュー時の様子にも、当然のことながら、相当数のページが割かれている。特に私の興味を引いたのが、デビュー前にも、ピンチヒッターで定期演奏会の指揮台に立ってほしいという打診が三度ほどあったが、結局、都合がつかずに実現することがなかったという告白と、最後に、「これからまた、ベルリン・フィルの指揮台に上がることになるだろう」といっていることだった。率直にいって、あれからすでに3年半経っても再招聘のオファーのニュースが全く聞こえてこない現状に、もう二度目はないのかもと思っていたのだが、本人が著書という公の場でこれだけのことをいえるということは、もうそれだけの裏付けがあるのだと思う。期待したい。
終章では、2015年9月に音楽監督就任が決定しているトーンキュンストラー管弦楽団についても語っているのだが、ウィーン・フィルでの指揮を視野に入れているという佐渡裕にとって、決して一流とはいい難いこの楽団の音楽監督への就任の損得を慎重に見極めた趣旨の率直な述懐をしている。もうプログラムも決まっていて、ウィーンゆかりの古典派・ロマン派のドイツ・オーストリア音楽を取り上げるのだそうだ。正直いって、ウィーンの聴衆や評論家を相手にこのプログラム構成は非常に厳しい冒険であり、大丈夫かなと思ってしまうが、そんな心配が杞憂に終わるよう、ぜひ、頑張ってほしいと思う。