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知価革命―工業社会が終わる知価社会が始まる 単行本 – 1985/12/1

4.4 5つ星のうち4.4 46個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ PHP研究所 (1985/12/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1985/12/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 308ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4569516025
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4569516028
  • カスタマーレビュー:
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著者について

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堺屋 太一
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作家、元経済企画庁長官。1935年大阪府生まれ。60年東京大学経済学部卒業後、通商産業省(現・経済産業省)入省。62年の通商白書で「水平分業論」 を展開して注目され、70年には日本万国博覧会を手がけた。78年同省を退官し、作家としての執筆活動を開始。98年7月から2000年12月まで、小渕 恵三内閣、森喜朗内閣で経済企画庁長官を務めた(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『東大講義録 文明を解く』(ISBN-10:4532195632)が刊行された当時に掲載されていたものです)

カスタマーレビュー

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文明の転換点に焦点を当てる堺屋史観
5 星
文明の転換点に焦点を当てる堺屋史観
一つの時代が終わりを告げてしまった今の日本において、新たな時代を指し示す道標が求められている。この本の初版は、1985年だが、2019年の現在においても古くなるどころか、その思想の新しさと先見性は際立っている。というより、日本社会が変わらなさすぎたというべきかもしれない。バブル経済崩壊以降、様々な問題を先送りし、目をつぶってきたツケが今の日本の状況を引きよせたともいえる。本書の眼目は、古代、中世、近世という歴史の転換の原因を、土地やエネルギー源といった資源の増減サイクルに影響される人間の精神的変化にあると喝破した点にある。それは、今の時代にも当てはまり、現代文明の支えであった石油などの鉱物資源の減少により工業生産が停滞し、やがて人間はモノより精神性を重んずる知価社会を迎えると論証していく。時代的制約により知価の意味がブランド商品に矮小化されているため、その点で説得力に欠ける点がある。しかし、2019年を生きる我々は知価の意味を普通の生活の中で実感できる。このアマゾンの書評も知価なのである。誰もが情報を発信する手段を持ち、情報を通じた交流のなかで新しい知識を創造する、その終わりのない無尽蔵な運動そのもが知価社会の在りようだと、解釈できる。またインターネットという情報交流手段が、全体と部分を有機的につなげることを可能にした。そのことが宗教という精神の殻に閉じこもり、地域ごとに分散孤立し停滞していた中世とは違う形の知価社会を作ることを予想させる。それは、王様や司祭、教祖、書記長、議長という中世的役割をまとう自称真理の独占者や冨の独占者による囲い込み無しに、民衆同士が直接交流することでまとまる事が出来る、自由と民主主義の調和した社会だ。日本社会は工業に固執し、知価を経済の主流にすることなく、工業製品の付属物か子供のおもちゃの地位しか与えなかった。そのため、欧米に情報産業で大幅に遅れを取り、中国に工業生産で追い抜かれた。そして、工業社会の結晶であり、絶対事故を起こさないとされていた日本の原発は3機同時にメルトダウンしたのである。我々は今、工業社会の限界と、鉱物資源が有限な事を身に染みて思い知らされている。工業社会の延長=原発再稼働による問題解決では、この危機を突破できないどころか、更に傷口を広げていくだろう。脱原発を突破口にした、知価社会への移行に希望の芽があるのは明らかだ。巨大な文明の転換点に立ち会う我々にとってこの本は、脱原発の実現が歴史からの要請であることを認識させる。ただ堺屋氏の晩年は万博成功幻想に呪縛され、堺屋氏本人が堺屋史観の進展を妨げたように思う。堺屋太一死すとも、彼の書いた「知価革命」は永く読み継がれる。
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上位レビュー、対象国: 日本

2024年1月14日に日本でレビュー済み
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「知価革命」と「組織の盛衰」を読んで、いまさら堺屋太一を発見しました。
この2冊は最近読んだビジネス書でも珠玉の作品でした。
ビジネス書といえば主に海外の著者の人気作を読むことが多かったのですが、いまさら感服です。
改めて、知価革命により「優しい情知」がどんな動きを加速させるか、年の初めにしっかり考えます。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年2月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1985年当時、ベストセラーになった本です。

「知価社会」「やさしい情知」という概念がとてもおもしろかったです。

「知価」とは知恵と価値を合わせた造語で、知恵に値段が付き、それが消費されていく社会を「知価社会」と言っています。

例えば、工業化社会での鉄の価値は、需要と供給のバランスによりその値段は上がったり下がったりするけど、決して価値が「0(ゼロ)」にはなりません。

一方、知恵や知識自体に価値がある場合は、それが消費され陳腐化すると価値が「0(ゼロ)」になります。

例えばネクタイなど、流行のデザインが販売当時に1万円の価値があったとして、流行が去った後、それが2千円まで価値が下がったとします。

だからといって、「もともとの価値が1万円だから、いずれ価値は上がっていく」とは考えられません。

このように社会の主観性が物の価値を左右する世の中にシフトしていくのではないか?と予測しているのが「知価社会」であると言っています。

そして、「やさしい情知」とは、
「どんな時代でも人間は、豊かなものをたくさん使うことは格好よく、不足しているものを大切にすることは美しい、と感じる。」

この情知が社会全体の根底にあり、人類の歴史は外部環境の影響にリンクするようにこの「やさしい情知」に則した形で国の文化や社会が変化していきます。

では、知価革命の行き着く先は?

僕の主観としては「大好きな事をすればするほど、その人が他人とシェアしたものに価値が生まれる」社会になっていくのかな、と思っています。

初版から28年を経た現在(2013年)僕たちの環境はインターネットの発展で大きく様変わりしたのかな、と思います。

特に「情報」の量が莫大になり、「豊かな物をたくさん使う」世の中になってきています。

新製品や新しいものや価値のある情報が絶えず消費される世の中で、次々と作られては消えていく知識や知恵は、あっという間に価値が「0(ゼロ)」まで下がっていきます。

そんな社会では、「消費されない」「価値が下がって行かない」知価をどのように作れるかが鍵になるんじゃないかと思います。

では、普通の人がどうすればそんな「価値ある物」が作れるのか?

それには「自分が大好きなことをする」がポイントになるんじゃないかと思います

知価を創造する職種にかかわる人たちは、自分の知識や専門性に縛られ、仕事に縛られつづける人生になっていくのかなと思います。

では、その「知価創造」を自分の大好きなことで発揮することが出来たら?

それこそが、次世代のベーシックな生き方になるのかな?と思いました。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年3月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
無事に届きました。ありがとう。
2004年10月9日に日本でレビュー済み
よく書けてます。
2019年2月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一つの時代が終わりを告げてしまった今の日本において、新たな時代を指し示す道標が求められている。この本の初版は、1985年だが、2019年の現在においても古くなるどころか、その思想の新しさと先見性は際立っている。というより、日本社会が変わらなさすぎたというべきかもしれない。バブル経済崩壊以降、様々な問題を先送りし、目をつぶってきたツケが今の日本の状況を引きよせたともいえる。

本書の眼目は、古代、中世、近世という歴史の転換の原因を、土地やエネルギー源といった資源の増減サイクルに影響される人間の精神的変化にあると喝破した点にある。それは、今の時代にも当てはまり、現代文明の支えであった石油などの鉱物資源の減少により工業生産が停滞し、やがて人間はモノより精神性を重んずる知価社会を迎えると論証していく。時代的制約により知価の意味がブランド商品に矮小化されているため、その点で説得力に欠ける点がある。

しかし、2019年を生きる我々は知価の意味を普通の生活の中で実感できる。このアマゾンの書評も知価なのである。誰もが情報を発信する手段を持ち、情報を通じた交流のなかで新しい知識を創造する、その終わりのない無尽蔵な運動そのもが知価社会の在りようだと、解釈できる。またインターネットという情報交流手段が、全体と部分を有機的につなげることを可能にした。そのことが宗教という精神の殻に閉じこもり、地域ごとに分散孤立し停滞していた中世とは違う形の知価社会を作ることを予想させる。それは、王様や司祭、教祖、書記長、議長という中世的役割をまとう自称真理の独占者や冨の独占者による囲い込み無しに、民衆同士が直接交流することでまとまる事が出来る、自由と民主主義の調和した社会だ。

日本社会は工業に固執し、知価を経済の主流にすることなく、工業製品の付属物か子供のおもちゃの地位しか与えなかった。そのため、欧米に情報産業で大幅に遅れを取り、中国に工業生産で追い抜かれた。そして、工業社会の結晶であり、絶対事故を起こさないとされていた日本の原発は3機同時にメルトダウンしたのである。我々は今、工業社会の限界と、鉱物資源が有限な事を身に染みて思い知らされている。工業社会の延長=原発再稼働による問題解決では、この危機を突破できないどころか、更に傷口を広げていくだろう。脱原発を突破口にした、知価社会への移行に希望の芽があるのは明らかだ。巨大な文明の転換点に立ち会う我々にとってこの本は、脱原発の実現が歴史からの要請であることを認識させる。

ただ堺屋氏の晩年は万博成功幻想に呪縛され、堺屋氏本人が堺屋史観の進展を妨げたように思う。堺屋太一死すとも、彼の書いた「知価革命」は永く読み継がれる。
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5つ星のうち5.0 文明の転換点に焦点を当てる堺屋史観
2019年2月10日に日本でレビュー済み
一つの時代が終わりを告げてしまった今の日本において、新たな時代を指し示す道標が求められている。この本の初版は、1985年だが、2019年の現在においても古くなるどころか、その思想の新しさと先見性は際立っている。というより、日本社会が変わらなさすぎたというべきかもしれない。バブル経済崩壊以降、様々な問題を先送りし、目をつぶってきたツケが今の日本の状況を引きよせたともいえる。

本書の眼目は、古代、中世、近世という歴史の転換の原因を、土地やエネルギー源といった資源の増減サイクルに影響される人間の精神的変化にあると喝破した点にある。それは、今の時代にも当てはまり、現代文明の支えであった石油などの鉱物資源の減少により工業生産が停滞し、やがて人間はモノより精神性を重んずる知価社会を迎えると論証していく。時代的制約により知価の意味がブランド商品に矮小化されているため、その点で説得力に欠ける点がある。

しかし、2019年を生きる我々は知価の意味を普通の生活の中で実感できる。このアマゾンの書評も知価なのである。誰もが情報を発信する手段を持ち、情報を通じた交流のなかで新しい知識を創造する、その終わりのない無尽蔵な運動そのもが知価社会の在りようだと、解釈できる。またインターネットという情報交流手段が、全体と部分を有機的につなげることを可能にした。そのことが宗教という精神の殻に閉じこもり、地域ごとに分散孤立し停滞していた中世とは違う形の知価社会を作ることを予想させる。それは、王様や司祭、教祖、書記長、議長という中世的役割をまとう自称真理の独占者や冨の独占者による囲い込み無しに、民衆同士が直接交流することでまとまる事が出来る、自由と民主主義の調和した社会だ。

日本社会は工業に固執し、知価を経済の主流にすることなく、工業製品の付属物か子供のおもちゃの地位しか与えなかった。そのため、欧米に情報産業で大幅に遅れを取り、中国に工業生産で追い抜かれた。そして、工業社会の結晶であり、絶対事故を起こさないとされていた日本の原発は3機同時にメルトダウンしたのである。我々は今、工業社会の限界と、鉱物資源が有限な事を身に染みて思い知らされている。工業社会の延長=原発再稼働による問題解決では、この危機を突破できないどころか、更に傷口を広げていくだろう。脱原発を突破口にした、知価社会への移行に希望の芽があるのは明らかだ。巨大な文明の転換点に立ち会う我々にとってこの本は、脱原発の実現が歴史からの要請であることを認識させる。

ただ堺屋氏の晩年は万博成功幻想に呪縛され、堺屋氏本人が堺屋史観の進展を妨げたように思う。堺屋太一死すとも、彼の書いた「知価革命」は永く読み継がれる。
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2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2019年2月11日に日本でレビュー済み
 本書はずっと以前、多分出版されたころに読んだ。価値があることが決まっているものを安く多量に作り出すことが有利になる工業社会が終わり、デザインや人の工夫などがはいったものの値打ちが高く上がるという「知価」が重要になるということは、他の人も言っていたのかもしれない。納得はしたものの、特別の意見とは思わなかった。
 もっとすごいと思ったのは、そうなる理由として人間社会に対するより深い理解/認識が示されていることだ。人間には、「豊富なものを沢山使うことを格好よいと感じる美意識と不足なものを節約するのは正しいことだと信じる倫理観」があるという。これは最近の行動経済学的な、つまりコンピュータによる人を使った実験、特に他人を評価する実験の結果(2010年代中頃)をみると、まさにその通りの心情を人間がもっていることを感じ、堺屋太一さんの先見の明(1980年代初頭)に感心している。
 またアメリカにいって、大学の来客用アパートのエアコンの暖房が暑すぎるが調整できないといったら、窓を開けておいてくださいという答えだったので、エネルギーの無駄遣いと感じた。しかし、窓の外から見える海には海底から石油を汲み出すポンプが見えたので、アメリカ社会は石油が有り余る状況で作られてきたのだと感じ、この本のことを思い出した。
 日本の江戸時代は人手があまっていて、多数の人を雇用して家の色々な仕事をしてもらうことが、かっこよく、雇用人数を減らすと「けちくさい」と思われたというのも納得ができた。
 これからの日本では、若い人たちの数が減り、働きたい高齢者がふえるので、若者を無駄に使うことは批判され、高齢者を多数雇って色々な仕事をしてもらうことを素晴らしいと感じることになるのかもしれない。もちろんできる限りAIをもちいて自動化することがかっこよくなることは当然だ。
 注意しないといけないのは、この傾向は経済的な有利さを超えてもっと強く美的意識として出てくることだ。
 本書では、この傾向を「やさしい情知」という言葉で呼んでいるが、私はもっとインパクトのある言葉をつくりだすべきだと思う。「世の中に有り余ったものを多量に使用し、世の中に不足するものを使わないということ自体に、美的意識を感じる」こと、それが「かっこいい」と感じることには、人間社会を理解する上にあまりにも重要なので、別の名前をつけるべきだろう。Abundant Resource Premiumというのはどうだろうか。
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2013年1月8日に日本でレビュー済み
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20年程前の著書ですが、納得性が高いです。
今後の日本は脱工業社会化が進むのでしょうか…?
いずれにしてもロングタームの話ではありますが。
2012年10月10日に日本でレビュー済み
著者は工業化社会は終わりをつげ、新たな社会が
始まると予言している。これからの社会は高度な
工業社会などの現在の延長線上にある社会ではなく、
全く新しい社会であるというのである。その意味では、
ダニエル・ベルの「脱工業化社会の到来」やアルビン・
トフラーの「第三の波」とその主張の方向性は同じである。

工業社会の延長線上にある社会ではない新しい社会
では知恵の値打ちが生みだす価値が大きな意味を
もつという。従来の経済学でいう原価に付加価値を
付け加えた意味での価格は形を変え、知恵の価値の
部分に付加価値を加えた価格が物の値段を決める。

分かりやすい例としてブランド商品が上げられる。
ブランドは原価に利益を乗せただけの価格では売られて
いない。デザインの良さなどに付加価値があり、
原価が例え千円であっても四万円で売られている
ものもある。これなどはデザイナーの生みだす
知恵の価値にお金を払っていることになる。

このように知恵の値打ちで物の価値が決まるのである。
この知価による革命が今現在進んでいると著者は主張
している。そして、このような社会を知価社会と呼ぶ。
この知価社会では工業製品などが姿を消す訳ではないが
知価産業が富を生み出す主因となるというのである。

ダニエル・ベルは工業化社会が終焉することを予言した
に過ぎず、トフラーも必ずしも明確な未来社会の姿を描き出す
ことは出来ていない。その意味で著者の主張はダニエル・ベルの
脱工業化社会やトフラーの第三の波よりも具体的に次なる
社会の姿を言い表している点で優れた著作であると言える
と思うのである。
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