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土星の環:イギリス行脚[新装版] 単行本 – 2020/7/16
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何世紀もの破壊の爪痕をめぐる
イギリス南東のサフォーク州の海岸線や内陸にひっそりとある町々をめぐる徒歩の旅。荒涼とした風景に思索がよびさまされ、過去の事跡からつぎつぎに連想の糸がたぐられていく。アフリカから戻ったコンラッドが寄港した保養地、中国皇帝が乗るはずだった列車が走行していた鉄橋……そして本書の同伴者となる17世紀の医師、トマス・ブラウンをはじめとした、魂の近親者である古今の人々との出会い。
〈私〉という旅人は、どこか別世界からやってきた人のように、破片を拾い上げ、想起によって忘れ去られた廃墟の姿を甦らせる。人間の営みを、人間によって引き起こされる破壊と惨禍を、その存在の移ろいやすさとともに見つめようとする眼。歴史を見つめるその眼差しは、そこに巻き込まれた個々の人間の生、その苦痛に注がれている。
「作中入れ替わり立ち替わり現われる奇妙なエピソードは、それぞれ独自の奇怪さを有していて、印象としては、すべてが次第にひとつに収斂していくのではなく、何もかもがいつまでも横滑りしていく感がある。」柴田元幸氏による解説「この世にとうとう慣れることができなかった人たちのための」より引用。
イギリス南東のサフォーク州の海岸線や内陸にひっそりとある町々をめぐる徒歩の旅。荒涼とした風景に思索がよびさまされ、過去の事跡からつぎつぎに連想の糸がたぐられていく。アフリカから戻ったコンラッドが寄港した保養地、中国皇帝が乗るはずだった列車が走行していた鉄橋……そして本書の同伴者となる17世紀の医師、トマス・ブラウンをはじめとした、魂の近親者である古今の人々との出会い。
〈私〉という旅人は、どこか別世界からやってきた人のように、破片を拾い上げ、想起によって忘れ去られた廃墟の姿を甦らせる。人間の営みを、人間によって引き起こされる破壊と惨禍を、その存在の移ろいやすさとともに見つめようとする眼。歴史を見つめるその眼差しは、そこに巻き込まれた個々の人間の生、その苦痛に注がれている。
「作中入れ替わり立ち替わり現われる奇妙なエピソードは、それぞれ独自の奇怪さを有していて、印象としては、すべてが次第にひとつに収斂していくのではなく、何もかもがいつまでも横滑りしていく感がある。」柴田元幸氏による解説「この世にとうとう慣れることができなかった人たちのための」より引用。
- 本の長さ290ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2020/7/16
- 寸法13.9 x 2.5 x 19.4 cm
- ISBN-10456009778X
- ISBN-13978-4560097786
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![土星の環:イギリス行脚[新装版]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/61QK0GfkriL._AC_UL116_SR116,116_.jpg)
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商品の説明
著者について
1944年、ドイツ・アルゴイ地方ヴェルタッハ生まれ。フライブルク大学、スイスのフリブール大学でドイツ文学を修めた後、マンチェスター大学に講師として赴任。イギリスを定住の地とし、イースト・アングリア大学のヨーロッパ文学の教授となった。散文作品『目眩まし』『移民たち 四つの長い物語』『土星の環 イギリス行脚』を発表し、ベルリン文学賞、J・ブライトバッハ賞など数多くの賞に輝いた。遺作となった散文作品『アウステルリッツ』も、全米批評家協会賞、ハイネ賞、ブレーメン文学賞を受賞し、将来のノーベル文学賞候補と目された。エッセイ・評論作品『空襲と文学』『カンポ・サント』『鄙の宿』も邦訳刊行されている。2001年、住まいのあるイギリス・ノリッジで自動車事故に遭い、他界した。
登録情報
- 出版社 : 白水社 (2020/7/16)
- 発売日 : 2020/7/16
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 290ページ
- ISBN-10 : 456009778X
- ISBN-13 : 978-4560097786
- 寸法 : 13.9 x 2.5 x 19.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 409,567位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 435位ドイツ文学 (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年6月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
世界一素敵な作家の一人でもったいなくて時間のある時ゆっくり精読している。復刻に本当に感謝。この手の本は絶版になると転売の標的になって一時期一万円以上を越える値がつけられたこともあります。図書館から借りて読むのが正解ですが手元に置いておきたいものもありますからねぇ。
2013年2月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本を読む楽しみの一つが、「心地よい文体」との出会いだ。
「こんな風に自分も書きたい」と思わせる筆の運び。思うに「文体」とは、書き手の思考と感性の流れを指先に転移したものだろう。だから、「どう書くか」は、「何を書こうとするのか」で決まる。思考や感覚が多様であるのなら、文体も多様であるはずなのだが、逆に、文体を課すことによって、思考や感性の流れが制御されることもある。
「文体を課す」と言えば、優れた翻訳作品には、訳者が創り出した日本語の新しい文体がある。その新鮮さと、伝統的な日本語にはない「美しさ」、「心地よさ」、あるいは「巧みさ」に驚く。外国語というフィルターを通して洗練された言葉の流れ。
このゼーバルトの作品も、原文の持つ芸術性が、穏やかで、心地よい日本語文体として再現され、印象が深い。造詣された新しい日本語の創出と思う。
「1992年8月、シリウスの日々(夏の盛り)が終わりに近づこうというころ、私は大きな仕事をひとつやり終えた後に身内にひろがってくる空虚をなんとか逃れられはしまいかという思いから、イースト・アングリアのサフォーク州を徒歩でいく旅に出た。この望みはたしかにあるところまではかなえられた。海辺から内陸にひろがる、ときには人家のほとんどない地域を何時間、何日と逍遥したその当時ほど、束縛から解き放たれた感覚を味わったことは稀だったからである」(p7)
この小説は、著者である「私」が、イギリス南東の海岸部を徒歩で旅行した紀行文として書かれている。特段、何かの出来事がエスカレーションに描かれているわけではない。ドラマチックな物語の展開はない。ただ、歩くように自然と言葉が流れ、その流れの快感に読者は酔う。
音楽に楽章があるように、この紀行文は、旅の訪問先で遭遇する自然や人々とのエピソードと、「私」に沈殿する断片的な記憶から成っている。旅とは、空間的な異次元との出会いでありながら、同時に時間を遡行する歩みでもあるのだろう。そしてこれらを呼び起こし、統合したこの紀行文は、人の人生を描き出す鏡でもある。
「記憶は幾歳月もわたしたちの身内にあって眠り、ひそかに増殖を続け、いつかほんの些細なきっかけで呼び覚まされて、奇妙な方法でわたしたちを生に対する盲(めしい)にするのだ」「かくも不意を打って押し寄せる追憶にむきあうには、ただ書くことによるしかない」(p241)
「こんな風に自分も書きたい」と思わせる筆の運び。思うに「文体」とは、書き手の思考と感性の流れを指先に転移したものだろう。だから、「どう書くか」は、「何を書こうとするのか」で決まる。思考や感覚が多様であるのなら、文体も多様であるはずなのだが、逆に、文体を課すことによって、思考や感性の流れが制御されることもある。
「文体を課す」と言えば、優れた翻訳作品には、訳者が創り出した日本語の新しい文体がある。その新鮮さと、伝統的な日本語にはない「美しさ」、「心地よさ」、あるいは「巧みさ」に驚く。外国語というフィルターを通して洗練された言葉の流れ。
このゼーバルトの作品も、原文の持つ芸術性が、穏やかで、心地よい日本語文体として再現され、印象が深い。造詣された新しい日本語の創出と思う。
「1992年8月、シリウスの日々(夏の盛り)が終わりに近づこうというころ、私は大きな仕事をひとつやり終えた後に身内にひろがってくる空虚をなんとか逃れられはしまいかという思いから、イースト・アングリアのサフォーク州を徒歩でいく旅に出た。この望みはたしかにあるところまではかなえられた。海辺から内陸にひろがる、ときには人家のほとんどない地域を何時間、何日と逍遥したその当時ほど、束縛から解き放たれた感覚を味わったことは稀だったからである」(p7)
この小説は、著者である「私」が、イギリス南東の海岸部を徒歩で旅行した紀行文として書かれている。特段、何かの出来事がエスカレーションに描かれているわけではない。ドラマチックな物語の展開はない。ただ、歩くように自然と言葉が流れ、その流れの快感に読者は酔う。
音楽に楽章があるように、この紀行文は、旅の訪問先で遭遇する自然や人々とのエピソードと、「私」に沈殿する断片的な記憶から成っている。旅とは、空間的な異次元との出会いでありながら、同時に時間を遡行する歩みでもあるのだろう。そしてこれらを呼び起こし、統合したこの紀行文は、人の人生を描き出す鏡でもある。
「記憶は幾歳月もわたしたちの身内にあって眠り、ひそかに増殖を続け、いつかほんの些細なきっかけで呼び覚まされて、奇妙な方法でわたしたちを生に対する盲(めしい)にするのだ」「かくも不意を打って押し寄せる追憶にむきあうには、ただ書くことによるしかない」(p241)
2007年9月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これまでの、他のゼーバルト氏の著作を読み続けて来て、著者独特の重苦しい、何とも薄暗い、然し惹かれてやまない雰囲気に魅せられてきましたが、「土星の環」も、その例に漏れず、時に何とも息の詰まりそうな薄暗い雰囲気がありました。著者とおぼしき”私”が、イギリスの海沿いを歩いて!旅しながら、しばしば思索やエピソードがとめどなく広がっていって、果たしてイギリスの海沿いを旅しているのか、歴史、と言うより時間の蓄積?の中を旅しているのかが、判らなくなってきます。
それら数々のエピソードや思索の中で、自身が特に印象深く感じることの一つに、時間に対する思索。例えば147ページの”仮に時間というものがあるならば、どれだけの時間が残されているのかを知らない。”・・・仮に時間というものがあるならば・・・とは一体何と言う表現でしょうか?!このような思索が、著者の遺作「アウステルリッツ」の”死者は時の外にいます。”というような言葉へと繋がっていくように感じられます。
今一つゼーバルト氏の著作によく出てくる”蛾”あるいは”蚕蛾(かいこが)”にまつわる様々な思索やエピソードに、私はとても惹かれてきました。その様々なエピソードの間に”蛾”の写真や、百科事典から抜き出した詳細な図が載っている所を眺めていると、何とも不思議な気分になります。私自身、最近よく、壁や窓などにじっとへばりついている(というよりも、佇んでいる、と表現したくなります。)蛾を見かけると、彼(=蛾)は、一体そこで何を考えているのだろうか、この世界をどんなふうに感じているのでしょうか、と想ってしまいます。
この延々と連なる散文の中にひたっていると、何か、世界の黄昏に居合わせているかのような、それでいて、胸騒ぎが静まるような、そんな印象を持ちます。
それら数々のエピソードや思索の中で、自身が特に印象深く感じることの一つに、時間に対する思索。例えば147ページの”仮に時間というものがあるならば、どれだけの時間が残されているのかを知らない。”・・・仮に時間というものがあるならば・・・とは一体何と言う表現でしょうか?!このような思索が、著者の遺作「アウステルリッツ」の”死者は時の外にいます。”というような言葉へと繋がっていくように感じられます。
今一つゼーバルト氏の著作によく出てくる”蛾”あるいは”蚕蛾(かいこが)”にまつわる様々な思索やエピソードに、私はとても惹かれてきました。その様々なエピソードの間に”蛾”の写真や、百科事典から抜き出した詳細な図が載っている所を眺めていると、何とも不思議な気分になります。私自身、最近よく、壁や窓などにじっとへばりついている(というよりも、佇んでいる、と表現したくなります。)蛾を見かけると、彼(=蛾)は、一体そこで何を考えているのだろうか、この世界をどんなふうに感じているのでしょうか、と想ってしまいます。
この延々と連なる散文の中にひたっていると、何か、世界の黄昏に居合わせているかのような、それでいて、胸騒ぎが静まるような、そんな印象を持ちます。
2007年9月21日に日本でレビュー済み
生の平衡感覚は、過去と未来に伸びてゆきます。
小さな点と点の間を埋めるための時間が、
西から東へ、過去から未来へと流れてゆき、
行き着く果てを捜し求めているのだろうか。
栄華と荒廃の描写は、田舎出身の僕にひどく心を打ちつけます。
小さな点と点の間を埋めるための時間が、
西から東へ、過去から未来へと流れてゆき、
行き着く果てを捜し求めているのだろうか。
栄華と荒廃の描写は、田舎出身の僕にひどく心を打ちつけます。
2007年10月15日に日本でレビュー済み
題名からするとSF小説のようだが、副題のとおり、語り手の「私」がイギリス南部のサフォーク州を徒歩で旅する、いわば「旅行記」である。しかし綴られているのは、ゆっくりと朽ち果てつつあるかような地で「私」が何を見て何をしたかではなく、そこから何を思い何を連想したか、である。ホテルで見たTV番組から、ジョウゼフ・コンラッドに話が飛び、中国皇帝が乗るはずだった列車が走っていた鉄橋を見て、中国清朝の最期に想いを馳せる、といった具合だ。滅びゆくものに対する眼差しは、静かで共感に満ちている。
土星の環の正体は、惑星に近づきすぎて潮汐力によって破壊された衛星の欠片であるらしい。それが遠目には環の形に見えるのだということだ。同様に、次から次へと紡ぎ出される断片的なエピソードは、一見つながりがないようだが、しかし微かに絡みあっていて、全体として見ればある一つのテーマに沿って展開しているかのようだ。それがこの『土星の環』である。
土星の環の正体は、惑星に近づきすぎて潮汐力によって破壊された衛星の欠片であるらしい。それが遠目には環の形に見えるのだということだ。同様に、次から次へと紡ぎ出される断片的なエピソードは、一見つながりがないようだが、しかし微かに絡みあっていて、全体として見ればある一つのテーマに沿って展開しているかのようだ。それがこの『土星の環』である。
2022年2月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、人生に失敗した人たちの残したもの(失敗遺跡)を調査し記録した本です。
脱線、逸脱がそのまま満載されています。
ネガティヴな視点で人生を見ているところが教訓に満ちています。
「ときどき思うのですよ、この世にとうとう慣れることができなかったと、そして人生は大きな、切りのない、わけのわからない失敗でしかない、と
(イトシームズトウミー・サムタイムズ・ザットウイネヴァアーゴツトユーストトウ・ビーイングオンズイスアース・アンドライフイズ・ジャストワングレイト、オンゴーイング、インコンプレヘンシブルブランダー)」(207頁)
グレイト・ブランダー。大失敗。グレイト、グレイト。グレイト過ぎて笑えない。
本書は、暗く、泥沼に足を取られて沈んでいくような、笑えない内容の本です。
落ち込みます。
一般に、他人のしくじり、とか、失敗って、けっこう笑ってしまいますよね。くくく、って。
この本は、一体、どんなジャンルに入る本なのでしょう? 旅行記の一種?
アマゾンでは、ドイツ文学、英米文学研究の分野に分類されています。
原書のタイトルは、DIE RINGE DES SATURN
ドイツ語のタイトルということは、原書の本文もドイツ語らしい。
日本語訳書である本書においても、
本文中の日本語に、カタカナで英語など多国語のルビが付いているところが
たくさんあります。
原書の出版社は、フランクフルトにある会社「Eichborn AG」
本書の本文には、見出しがありません。章に相当する数字が、1から10まであるだけ。
長文と大きな段落が延々と続きます。
それなのに、夢中で最後まで読んでしまいました。
途中で息継ぎが困難になり、苦しくなり、何度か息抜きをしました。
戦争についての記述を読んでいるときなどは、胸がつぶれてほとんど窒息しそうに。
本書には、表紙を始めとして、白黒の写真や図版が多く挿入されています。
この点は、読みやすいといえば読みやすい。
しかし、それらの写真や図版は皆、昔の古い写真のようにぼやけていて不鮮明で、
ピントが甘い、解像度が悪い。昔の本みたい。
ですが、出版は1995年。結構新しい本です。
巻頭のエピグラフにあるように、
土星の潮汐による破壊力って、とてつなく大きいみたい。
地球の海の潮汐による破壊力も大きいけど。表紙カバーの写真参照。
この本に集中し、根を詰めて読んだ結果、
心が粉々に破壊されてしまいそうに感じ、こわくなりました。
副題に「イギリス行脚」とあります。
ドイツ人によるイギリス行脚の記録という体裁です。
舞台は、イギリス南東の一角サフォーク州。
「イースト・アングリアのサフォーク州」(7頁)
「冷戦時代に国防省がサフォーク州の沿岸に<秘密兵器研究所(シークレット・ウエポンズ・リサーチ・エスタブリシュメンツ)>なるものを置いており、そこで行われていたことに箝口令が敷かれていた」(219頁)
ノリッジ、ロウストフト、サマレイトン、サウスウォルド、ダニッチ、ミドルトン、
ウッドブリッジ、オーフォード、ハールストン、ディチンガム、ヘデナム、・・・
というサフォーク州の村や町。
語り手は、「私」、著者のゼーバルト。
ドイツ生まれなのに、イギリスに定住したゼーバルト。
「イースト・アングリア大学のヨーロッパ文学の教授となった」(裏表紙カバーのそで)
勤務地サフォーク州の近くの遺跡を訪ねて徒歩で行く旅、行脚の記録。
ドイツを空爆しに行く爆撃機が空を埋め尽くした記憶を話すイギリス人の庭師。
それに耳を傾けるゼーバルトの顔つきを想像しました。
「1940年以降、イースト・アングリアに造られた六十七の飛行場から、ドイツめがけて爆撃機が飛び立った。その途方もない規模は、とヘイゼルは語った、いまでは想像もつかない。第8航空隊だけでも、作戦のあった千と九日のうちに十億ガロンのガソリンを費やし、七十三万二千トンの爆弾を投下し、九千の飛行機と五万人の兵を犠牲にした」(42頁)
この本を執筆した「時」は、「1992年8月」(7頁)から、「1995年4月」(274頁)まで。
しかし、著者の連想は、遠く十七世紀のトマス・ブラウンから更に十三世紀、
果ては中世にまでと、記述は遠い過去へ向かって広がっています。
この本は、人類の未来についての夢物語のような小説です。
夢ですから支離滅裂で、関連がすぐには理解できません。
突飛な連想も多くあります。
夢物語に、起承転結はありえません。
「脱線や逸脱こそが本筋になっている」(282頁)ような本です。
人類の未来の廃墟を幻視しました。
潮の満ち干のように、人間の歴史も繰り返す。
平和を祈るばかり。
《備考》
<正誤表>
箇所: 149頁、279頁
誤: 一九八〇年ごろまでは、いわゆるエクルズの教会塔がまだダニッチの海端に立っていた。
正: 一八八〇年ごろまでは、いわゆるエクルズの教会塔がまだダニッチの海端に立っていた。
理由:
・1895年までは、海水が教会塔中に侵入していたものの、首だけは海上に突き出した形で、
なんとか立っていたそうです。
・1895年1月25日、波の力に力尽きて、教会塔はとうとう倒壊し、海中に水没。
・表紙カバーと149頁の「写真」は、砂浜にあった頃の「エクルズの教会塔」。
まさしく、砂上の楼閣。消え去る運命。
・最初は陸地の上に心と祈りを込めて建てられた教会だったのに。
・月日と共に、陸地がだんだん浸食されて、海辺の砂浜が忍び寄る。
・いつか来た道。
脱線、逸脱がそのまま満載されています。
ネガティヴな視点で人生を見ているところが教訓に満ちています。
「ときどき思うのですよ、この世にとうとう慣れることができなかったと、そして人生は大きな、切りのない、わけのわからない失敗でしかない、と
(イトシームズトウミー・サムタイムズ・ザットウイネヴァアーゴツトユーストトウ・ビーイングオンズイスアース・アンドライフイズ・ジャストワングレイト、オンゴーイング、インコンプレヘンシブルブランダー)」(207頁)
グレイト・ブランダー。大失敗。グレイト、グレイト。グレイト過ぎて笑えない。
本書は、暗く、泥沼に足を取られて沈んでいくような、笑えない内容の本です。
落ち込みます。
一般に、他人のしくじり、とか、失敗って、けっこう笑ってしまいますよね。くくく、って。
この本は、一体、どんなジャンルに入る本なのでしょう? 旅行記の一種?
アマゾンでは、ドイツ文学、英米文学研究の分野に分類されています。
原書のタイトルは、DIE RINGE DES SATURN
ドイツ語のタイトルということは、原書の本文もドイツ語らしい。
日本語訳書である本書においても、
本文中の日本語に、カタカナで英語など多国語のルビが付いているところが
たくさんあります。
原書の出版社は、フランクフルトにある会社「Eichborn AG」
本書の本文には、見出しがありません。章に相当する数字が、1から10まであるだけ。
長文と大きな段落が延々と続きます。
それなのに、夢中で最後まで読んでしまいました。
途中で息継ぎが困難になり、苦しくなり、何度か息抜きをしました。
戦争についての記述を読んでいるときなどは、胸がつぶれてほとんど窒息しそうに。
本書には、表紙を始めとして、白黒の写真や図版が多く挿入されています。
この点は、読みやすいといえば読みやすい。
しかし、それらの写真や図版は皆、昔の古い写真のようにぼやけていて不鮮明で、
ピントが甘い、解像度が悪い。昔の本みたい。
ですが、出版は1995年。結構新しい本です。
巻頭のエピグラフにあるように、
土星の潮汐による破壊力って、とてつなく大きいみたい。
地球の海の潮汐による破壊力も大きいけど。表紙カバーの写真参照。
この本に集中し、根を詰めて読んだ結果、
心が粉々に破壊されてしまいそうに感じ、こわくなりました。
副題に「イギリス行脚」とあります。
ドイツ人によるイギリス行脚の記録という体裁です。
舞台は、イギリス南東の一角サフォーク州。
「イースト・アングリアのサフォーク州」(7頁)
「冷戦時代に国防省がサフォーク州の沿岸に<秘密兵器研究所(シークレット・ウエポンズ・リサーチ・エスタブリシュメンツ)>なるものを置いており、そこで行われていたことに箝口令が敷かれていた」(219頁)
ノリッジ、ロウストフト、サマレイトン、サウスウォルド、ダニッチ、ミドルトン、
ウッドブリッジ、オーフォード、ハールストン、ディチンガム、ヘデナム、・・・
というサフォーク州の村や町。
語り手は、「私」、著者のゼーバルト。
ドイツ生まれなのに、イギリスに定住したゼーバルト。
「イースト・アングリア大学のヨーロッパ文学の教授となった」(裏表紙カバーのそで)
勤務地サフォーク州の近くの遺跡を訪ねて徒歩で行く旅、行脚の記録。
ドイツを空爆しに行く爆撃機が空を埋め尽くした記憶を話すイギリス人の庭師。
それに耳を傾けるゼーバルトの顔つきを想像しました。
「1940年以降、イースト・アングリアに造られた六十七の飛行場から、ドイツめがけて爆撃機が飛び立った。その途方もない規模は、とヘイゼルは語った、いまでは想像もつかない。第8航空隊だけでも、作戦のあった千と九日のうちに十億ガロンのガソリンを費やし、七十三万二千トンの爆弾を投下し、九千の飛行機と五万人の兵を犠牲にした」(42頁)
この本を執筆した「時」は、「1992年8月」(7頁)から、「1995年4月」(274頁)まで。
しかし、著者の連想は、遠く十七世紀のトマス・ブラウンから更に十三世紀、
果ては中世にまでと、記述は遠い過去へ向かって広がっています。
この本は、人類の未来についての夢物語のような小説です。
夢ですから支離滅裂で、関連がすぐには理解できません。
突飛な連想も多くあります。
夢物語に、起承転結はありえません。
「脱線や逸脱こそが本筋になっている」(282頁)ような本です。
人類の未来の廃墟を幻視しました。
潮の満ち干のように、人間の歴史も繰り返す。
平和を祈るばかり。
《備考》
<正誤表>
箇所: 149頁、279頁
誤: 一九八〇年ごろまでは、いわゆるエクルズの教会塔がまだダニッチの海端に立っていた。
正: 一八八〇年ごろまでは、いわゆるエクルズの教会塔がまだダニッチの海端に立っていた。
理由:
・1895年までは、海水が教会塔中に侵入していたものの、首だけは海上に突き出した形で、
なんとか立っていたそうです。
・1895年1月25日、波の力に力尽きて、教会塔はとうとう倒壊し、海中に水没。
・表紙カバーと149頁の「写真」は、砂浜にあった頃の「エクルズの教会塔」。
まさしく、砂上の楼閣。消え去る運命。
・最初は陸地の上に心と祈りを込めて建てられた教会だったのに。
・月日と共に、陸地がだんだん浸食されて、海辺の砂浜が忍び寄る。
・いつか来た道。