妻を亡くし、年老いて引退し、未来の見えない名誉教授の日常を描いた小説です。
未来が無いのではないのです。未来の岸辺が見えないのです。
『行く、行った、行ってしまった』
誰がという主語が無い、奇妙でヘンテコな書名です。
「行く」という動詞の、現在形、過去形、過去分詞形が、書名(タイトル)だなんて。
どこかの岸辺に<行くのだろう>という未来形もありません。未来像が見えません。
<行け>という命令形だけは、現実のドイツには毎日あるというのに。
未来がない、のではなく、未来は目に見えないだけかもしれません。
現在はドイツ人に無視されて見えない存在となっている、若き難民たち。
彼らの未来は、どこにあるというのでしょう?
彼らも、いつか将来、目に見える存在になる可能性がある、
とは本書のどこにも直接的には書かれていません。
しかし、そのような未来の可能性を<暗示>してくれているように感じました。
「若者の頭上の壁には、不規則動詞の活用表が貼ってある。行く(ゲーエン)、行った(ギング)、行ってしまった(ゲガンゲン)」(61頁)
本書の原書は、( )内にあるようにドイツ語です。Gehen, ging, gegangen.
本書の内容から言えば、<帯>にある言葉のほうが近い。
「どこへ行けばいいか/わからないとき、/人はどこへ行くのだろう?」
この言葉は、321頁と322頁にも登場します。
しかも、一ページの白い紙の真ん中に一行だけで、あとは余白。
まるで、
「オラニエン広場で頭からガソリンをかぶり、焼身自殺を図」(320頁)ったラシド
から立ち昇る炎と一筋の煙のような一行です。
ここから出て行け、と命令されても、行くあてのない人間は天国へ行くしかないのでしょう。
196頁の「行く(ゲーエン)、行った(ギング)、行ってしまった(ゲガンゲン)」は、
アフリカ系難民がドイツ人に会った時の一種の<あいさつ>のようです。
ぼくたちもドイツ語を話します、だからあなたたちドイツ人の仲間ですよ、
と、ドイツ人に声をかけるための<あいさつ>みたいに聞こえるんです。
268頁の「行く(ゲーエン)、行った(ギング)、行ってしまった(ゲガンゲン)」は、
「体がない(ノー・ボディ)」、死んでいなくなったも同然の難民カロンです。
誰も(ノーボディ)付き添ってくれる人がいない、身寄りのない、亡霊のようなカロン。
285頁の「行く(ゲーエン)、行った(ギング)、行ってしまった(ゲガンゲン)」は、
行け、とばかりに次々に居場所を追い立てられ、引っ越し続きで、
電話でしか連絡のつかなくなった難民オサボロです。
仕事もなくなって、目に見えない存在になってしまったオサボロ。
328頁の「行く(ゲーエン)、行った(ギング)、行ってしまった(ゲガンゲン)」は、
老人ホームに入れられた男たち。
「腐る(フェアデルベン)、腐った(フェアダルプ)、腐ってしまった(フェアドルベン)」(68頁)
のは、アポロンのような男の若者。
アフリカ難民に「ベルリン政府がなおも支払い続けるのはドイツ語講座の授業料だけだ」(328頁)
難民の「ルフが言う。僕はドイツ語の動詞を砕きたい」(329頁)
「砕く、とは、とリヒャルトは言う。とても美しい動詞だね」(329頁)
あれれ? 砕く、が美しいだって? 言葉の意味ではなく、音韻が美しい、ってこと?
フンボルト大学名誉教授リヒャルトの言語に対する美的感覚はどうなったのでしょう?
「切符が出てくる機械? ドイツは美しい(ドイチュラント・イズ・ビューティフル)!」(79頁)
とアフリカ系難民アワドが感じて言うのなら分かります。
「食器洗浄機は東ドイツにはなかった。ドイツは美しい(ドイチュラント・イズ・ビューティフル)」(109頁)と、東ドイツ人から(西)ドイツ人になった一種の「難民」であるリヒャルトが言う。
リヒャルトが食器洗浄機ごときで「ドイツは美しい」と言う、のは読者には理解できません。
「ドイツは美しい(ドイチュラント・イズ・ビューティフル)」(145頁)
ドイツ語と英語のチャンポン。カタカナの<ビューティフル・ニッポン>みたいで変。
「リヒャルト自身がもう一度、<すべてが起こる前の(傍点あり)>ドイツに、自分が生まれたときにはすでに永遠に失われていたドイツに戻りたいという渇望を覚える。ドイツは美しい(ドイチュラント・イズ・ビューティフル)」(145頁)
過去が美しく見えるのは、幻想だと思います。
リヒャルトは「フンボルト大学の教授です。専門は古典文献学」(52頁)
彼にとって「自分が生まれたときにはすでに永遠に失われていたドイツ」とは、
古典時代の文献に記述されたドイツなのでは。
それは亡霊のような、幻想に近いものでは。
「言ってみれば、目が見えない人みたいなものだな、とリヒャルトは思う」(194頁)
目が見えない人に見える、亡霊とか幻想?
「十字、円、三角形、点――それらがなにを意味するかを知っていたらどんなによかっただろう。<見る、見た、見てしまった(ゼーエン、ザー、ゲゼーエン)>」(65頁)
過去を見るのはもうじゅうぶんです。未来を夢見てみよう。
「我々は目に見える存在になる(太字)」(20頁、24頁、289頁)
「頭のよさとは関係ないよ、とリヒャルトは言う。人生は狂ってる(ライフ・イズ・クレイジー)」(194頁)
「人生は狂ってる(ライフ・イズ・クレイジー)」(119頁、122頁、241頁)
「<狂った人生(クレイジー・ライフ)>、と言ったきり、口をつぐむ」(121頁)
将来のことを聞かれて、難民の若者は沈黙する。
ドイツ語で何と言っていいのか分からないから沈黙するのか?
未来が見えないから沈黙するのか?
リヒャルトと同じく、英語で「クレイジー・ライフ」と言ったきり、沈黙。
「我々が最後に思い出すのは、敵どもの言葉ではなく、友人たちの沈黙である。
マーティン・ルーサー・キング」(エピグラフより)
「空虚な現在が、耐えがたい思い出で満たされている人生、そして未来の見えない人生は、どんなにつらいものだろう、とリヒャルトは思う。なぜなら、言ってみれば、そんな人生にはどこにも岸辺がないのだから」(333頁)
未来のどこにも岸辺がない人生なんて、狂っている(クレイジー)、と読者も思います。
岸辺とは、男にとって妻かも。
最後の一行。
「そう、考えてみれば、まさに海の上みたいなものだね」(341頁)
人生って、海の上の波のようなもの。
いつか岸辺で砕けて散る波のような人生。
ヴァージニア・ウルフの『波』(1931年)の物語を思い出しました。
本書でも、二十歳の若者たちが新年を迎えるパーティーで
ヴァージニア・ウルフのことを語り合っています(250頁)。
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行く、行った、行ってしまった (エクス・リブリス) 単行本 – 2021/7/15
ジェニー・エルペンベック
(著),
浅井 晶子
(翻訳)
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購入オプションとあわせ買い
ドイツの実力派による〈トーマス・マン〉賞受賞作
大学を定年退官した古典文献学の教授リヒャルトは、アレクサンダー広場でアフリカ難民がハンガーストライキ中とのニュースを知る。彼らが英語で書いたプラカード(「我々は目に見える存在になる」)について、リヒャルトは思いを巡らす。
その後、オラニエン広場では別の難民たちがすでに1年前からテントを張って生活していることを知る。難民たちはベルリン州政府と合意を結んで広場から立ち退くが、彼らの一部は、長らく空き家だった郊外の元高齢者施設に移ってくる。
難民たちに関心を持ったリヒャルトは、施設を飛び込みで訪ね、彼らの話を聞く。リビアでの内戦勃発後、軍に捕えられ、強制的にボートで地中海へと追いやられた男。命からがら辿り着いたイタリアでわけもわからず難民登録されたが、仕事も金もなくドイツへと流れてきた男。
リヒャルトは足繁く施設を訪ね、彼らと徐々に親しくなっていく。ドイツ語の授業の教師役も引き受け、難民たちとの交流は、次第に日常生活の一部となっていくが……東ドイツの記憶と現代の難民問題を重ね合わせ、それぞれの生を繊細に描き出す。ドイツの実力派による〈トーマス・マン賞〉受賞作。
大学を定年退官した古典文献学の教授リヒャルトは、アレクサンダー広場でアフリカ難民がハンガーストライキ中とのニュースを知る。彼らが英語で書いたプラカード(「我々は目に見える存在になる」)について、リヒャルトは思いを巡らす。
その後、オラニエン広場では別の難民たちがすでに1年前からテントを張って生活していることを知る。難民たちはベルリン州政府と合意を結んで広場から立ち退くが、彼らの一部は、長らく空き家だった郊外の元高齢者施設に移ってくる。
難民たちに関心を持ったリヒャルトは、施設を飛び込みで訪ね、彼らの話を聞く。リビアでの内戦勃発後、軍に捕えられ、強制的にボートで地中海へと追いやられた男。命からがら辿り着いたイタリアでわけもわからず難民登録されたが、仕事も金もなくドイツへと流れてきた男。
リヒャルトは足繁く施設を訪ね、彼らと徐々に親しくなっていく。ドイツ語の授業の教師役も引き受け、難民たちとの交流は、次第に日常生活の一部となっていくが……東ドイツの記憶と現代の難民問題を重ね合わせ、それぞれの生を繊細に描き出す。ドイツの実力派による〈トーマス・マン賞〉受賞作。
- 本の長さ353ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2021/7/15
- 寸法13.6 x 2.7 x 19.4 cm
- ISBN-104560090688
- ISBN-13978-4560090688
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商品の説明
著者について
ジェニー・エルペンベック(Jenny Erpenbeck)
1967年ベルリン(当時は東ベルリン)生まれ。1985年に高校を卒業後、二年間の製本職人の見習いを経て、舞台の小道具係や衣装係として働く。1988年から90年にかけて、フンボルト大学で演劇学を学ぶ。1990年からはハンス・アイスラー音楽院でオペラの演出を学び、1994年以降、舞台監督としてさまざまなオペラの演出を手がける。同時期に執筆活動を開始し、1999年、『年老いた子どもの話』(河出書房新社)で小説家としてデビュー。代表作にHeimsuchung(2008年)、Aller Tage Abend(2012年)などがある。2015年に発表した本書はベストセラーとなり、翌年トーマス・マン賞を受賞。これまでに12の言語に翻訳されている。2017年、ドイツ連邦共和国十字小勲章を受章。その他受賞歴多数。
訳者:浅井晶子(あさい・しょうこ)
1973年大阪府生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位認定退学。訳書にS・スタニシチ『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』、S・ナドルニー『緩慢の発見』(以上、白水社)、P・メルシエ『リスボンへの夜行列車』、I・トロヤノフ『世界収集家』(以上、早川書房)、T・マン『トニオ・クレーガー』(光文社古典新訳文庫)、C・エムケ『憎しみに抗って』『なぜならそれは言葉にできるから』『イエスの意味はイエス、それから…』(以上、みすず書房)、E・ベルクマン『トリック』、R・ゼーターラー『ある一生』(以上、新潮社)、J・タシュラー『国語教師』『誕生日パーティー』(以上、集英社)など多数。2003年マックス・ダウテンダイ翻訳賞を受賞。
1967年ベルリン(当時は東ベルリン)生まれ。1985年に高校を卒業後、二年間の製本職人の見習いを経て、舞台の小道具係や衣装係として働く。1988年から90年にかけて、フンボルト大学で演劇学を学ぶ。1990年からはハンス・アイスラー音楽院でオペラの演出を学び、1994年以降、舞台監督としてさまざまなオペラの演出を手がける。同時期に執筆活動を開始し、1999年、『年老いた子どもの話』(河出書房新社)で小説家としてデビュー。代表作にHeimsuchung(2008年)、Aller Tage Abend(2012年)などがある。2015年に発表した本書はベストセラーとなり、翌年トーマス・マン賞を受賞。これまでに12の言語に翻訳されている。2017年、ドイツ連邦共和国十字小勲章を受章。その他受賞歴多数。
訳者:浅井晶子(あさい・しょうこ)
1973年大阪府生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位認定退学。訳書にS・スタニシチ『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』、S・ナドルニー『緩慢の発見』(以上、白水社)、P・メルシエ『リスボンへの夜行列車』、I・トロヤノフ『世界収集家』(以上、早川書房)、T・マン『トニオ・クレーガー』(光文社古典新訳文庫)、C・エムケ『憎しみに抗って』『なぜならそれは言葉にできるから』『イエスの意味はイエス、それから…』(以上、みすず書房)、E・ベルクマン『トリック』、R・ゼーターラー『ある一生』(以上、新潮社)、J・タシュラー『国語教師』『誕生日パーティー』(以上、集英社)など多数。2003年マックス・ダウテンダイ翻訳賞を受賞。
登録情報
- 出版社 : 白水社 (2021/7/15)
- 発売日 : 2021/7/15
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 353ページ
- ISBN-10 : 4560090688
- ISBN-13 : 978-4560090688
- 寸法 : 13.6 x 2.7 x 19.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 297,857位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 306位ドイツ文学 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年9月1日に日本でレビュー済み
2021年9月29日に日本でレビュー済み
定年退職した元大学教授の男性と、アフリカ各国からベルリンに流れ着いた難民たちとの関わりが進行するストーリー。ヨーロッパで最も豊かな国になったドイツの日常とアフリカ諸国の厳しい現実が交差し、東ドイツ出身の老教授も自らの人生を振り返っていきます。変なタイトルだけど、静かな物語。私がわからないのは、老教授がなぜ難民たちの話を聞きに行こうとしたのか。そして老教授の友人たちも最終部で難民たちを助けたのか。ドイツの知識階級というのはそういうものなのだろうか。「難民のいない国」日本ではどうするだろう。いろいろなことを考えさせられた。
2021年8月8日に日本でレビュー済み
ドイツを舞台に難民の問題を扱った小説。言葉、規則、制度、人々の気持ちなどの問題が浮き彫りにされるが、もちろんその枠に留まらない。
主人公は、退官した大学教授リヒャルト。オラニエン公園でハンガーストライキをしているアフリカ難民のことを知って興味を持つ。難民は、「我々は目に見える存在になる」と書いた段ボールを掲げている。
リヒャルトは、難民たちにインタビューを試み、交流し、友達になっていく。
それぞれの人物や関係性の描かれ方が、精緻でありながら自然。凝りに凝った構成や描写もあって、(こういったテーマの小説でこういうことを書くのはちょっとなんだけど)小説としてのギミックを読む快楽もふんだんにある。
聖人君主ではないリヒャルトのゆるやかな時間と歩調をあわせるように数日かけてゆっくり読んだ。
主人公は、退官した大学教授リヒャルト。オラニエン公園でハンガーストライキをしているアフリカ難民のことを知って興味を持つ。難民は、「我々は目に見える存在になる」と書いた段ボールを掲げている。
リヒャルトは、難民たちにインタビューを試み、交流し、友達になっていく。
それぞれの人物や関係性の描かれ方が、精緻でありながら自然。凝りに凝った構成や描写もあって、(こういったテーマの小説でこういうことを書くのはちょっとなんだけど)小説としてのギミックを読む快楽もふんだんにある。
聖人君主ではないリヒャルトのゆるやかな時間と歩調をあわせるように数日かけてゆっくり読んだ。