長く翻訳されてこなかった作品なので、デビュー作は大したことなかったのかな、新作がなかなか出ないから今頃訳してきたのかな、と思っていたけれど、これがどっこい、迫力のある小説でした。
ガリバルディ以降のイタリアの話、というととても遠い物語のようだけど、それがある家族を軸に語られるといきいきとしてくる。エピローグからはじまり、登場人物の相関関係がちょっと複雑だけど、タブッキ好きならすぐにぐいぐい引き込まれていくこと請け合いです。
主客が入れ替わるとか、幼なじみが故郷に帰ってきたと思ったらファシストの活動にのめり込んでいったりするというイタリア史のうす暗さの描写は、ベルトルッチの映画(「1900年」あたり)にも似て映像的。占い師と、占いを信じるがあまり悲劇を呼び込んでしまうという構造もドラマチックで(オペラみたい)、物語にいっそうの(怪しい)彩りを与えている。
買いです。

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
イタリア広場 単行本 – 2009/9/1
- 本の長さ228ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2009/9/1
- 寸法13.8 x 2.4 x 19.4 cm
- ISBN-104560080224
- ISBN-13978-4560080221
この著者の人気タイトル
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
出版社からのコメント
《タブッキの処女作》
トスカーナ地方の海からそう遠くない、ある小さな村が舞台。それは象徴的に、「村(ボルゴ)」とだけ呼ばれ、物語の主人公は、そこに生きる、三世代にわたる一家だ。
物語は円環構造をもっている。「エピローグ」(と呼ばれているが巻頭にある)は、第二次大戦後、この作品の最後の主人公ガリバルドの悲劇で幕を開ける(閉じる)。
それに続くのは十九世紀末、ガリバルドの祖父、プリーニオと四人の子供たちの物語。
まずしい一家は、どのような「だんな」を持つことも拒否し、男たちは頑固なまでに個性的な生き方をもとめ、三十歳で死ぬことが宿命づけられているかのように、短い生をかけぬけていく。プリーニオは、禁猟地で密猟し、国の監察官に腹をうたれて死ぬ。末っ子のガリバルドは、三十歳で民衆の暴動を指導しながら、憲兵になぐられ死ぬ。その時四歳だった彼の息子は、やがてガリバルドと名を変え、ファシズムの時代を生き延びるものの、戦後の混乱のなかで悲劇を迎えることになる。
処女作には、作家の生涯のテーマが凝縮され、鮮烈な形で萌芽していると言われる。本書には、タブッキのその後の作品で追求され、洗練されていく重要なモチーフやテーマが、原石のように隠されている。双子や同名の親子などの「二重性」、表現や物語の多義的「曖昧さ」、生者と死者の関わり、等である。この若きタブッキとの出会いは、読者に新鮮な驚きと新たな喜びをもたらしてくれるはずだ。
トスカーナ地方の海からそう遠くない、ある小さな村が舞台。それは象徴的に、「村(ボルゴ)」とだけ呼ばれ、物語の主人公は、そこに生きる、三世代にわたる一家だ。
物語は円環構造をもっている。「エピローグ」(と呼ばれているが巻頭にある)は、第二次大戦後、この作品の最後の主人公ガリバルドの悲劇で幕を開ける(閉じる)。
それに続くのは十九世紀末、ガリバルドの祖父、プリーニオと四人の子供たちの物語。
まずしい一家は、どのような「だんな」を持つことも拒否し、男たちは頑固なまでに個性的な生き方をもとめ、三十歳で死ぬことが宿命づけられているかのように、短い生をかけぬけていく。プリーニオは、禁猟地で密猟し、国の監察官に腹をうたれて死ぬ。末っ子のガリバルドは、三十歳で民衆の暴動を指導しながら、憲兵になぐられ死ぬ。その時四歳だった彼の息子は、やがてガリバルドと名を変え、ファシズムの時代を生き延びるものの、戦後の混乱のなかで悲劇を迎えることになる。
処女作には、作家の生涯のテーマが凝縮され、鮮烈な形で萌芽していると言われる。本書には、タブッキのその後の作品で追求され、洗練されていく重要なモチーフやテーマが、原石のように隠されている。双子や同名の親子などの「二重性」、表現や物語の多義的「曖昧さ」、生者と死者の関わり、等である。この若きタブッキとの出会いは、読者に新鮮な驚きと新たな喜びをもたらしてくれるはずだ。
登録情報
- 出版社 : 白水社 (2009/9/1)
- 発売日 : 2009/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 228ページ
- ISBN-10 : 4560080224
- ISBN-13 : 978-4560080221
- 寸法 : 13.8 x 2.4 x 19.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 776,596位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 267位イタリア文学 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4.5つ
5つのうち4.5つ
6グローバルレーティング
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年6月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アントニオ タブツキに興味を持ちだしたのは、何時頃だろう。珍しくポルトガル文学に興味を持つ者をこの歳に(89歳)なって、見付けた歓びに浸っております。
2014年3月2日に日本でレビュー済み
1975年に出版されたアントニオ・タブッキの「試作」とも言える作品である、長らく眠っていたが、95年に20年振りに再版された。
一読して、G・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』 (1962)を手本にした小説であると感じた。物語はイタリア中西部の寒村に住むブリニオという貧乏人一家の三代記である。描かれる年代は1860年代のイタリア統一期から1946年の共和制発足期までの約90年間で、『百年の孤独』と同様に、ジュラール・ジュネットのいう「錯時法」が適用されて、歳月が前後するだけでなく、登場人物もやたらと多い上に、ブリニオ一家も親子が同名だったりと、複雑なことこの上ない。本には「ブリニオ家」の簡単な系図があるが、それだけでは読みこなせない。私は新しい個人名が出るたびに、初出の頁と共に書き出しておいて、同じ名前が出ると頁をめくり返したが、それでも筋を追うのに苦労した。これは、時代は変わっても、時代に食い付いて行くブリオニの男たちの血は伝承している、ことを強調するための描法だと思うが、このややこしさがこの作品の一つの魅力になっていると認めざるを得ない。
確かにこの家の男たちは良く死ぬ。と言うよりはみんな殺されてしまう。好んで殺される、とさえ言っても良い。全て合理的な判断があってのことではない。決断の前に血が騒いでしまうのだ。その血とは「人の指図は受けない」とする独立自尊の心意気と読める。彼等に限らず友人たちも皆そうだから「血」より「水」を感じるべきかも知れない。「長い者に巻かれること」を自分の存在理由とする日本人の気質とは100%異なるこの地の人々の生き方に圧倒される。
同時にカトリックや「占い」に頼る庶民信仰のありかも書かれる。だがそれらの「権威」と、彼等が本能的に有しているが顕示されない「階級感・平等感」とが重なり合いぶつかり合うのも興味深い。事実彼等が躍起となるのは、抑圧に対する抵抗だから。
なかでも面白いのは、占いで恋人が30歳で死ぬと言われたアズマーラが預言を破るために30年も結婚を引き延ばしたり、聖ヒエロニムスがイナゴを食べ野の露を飲む苦行の後に「自分の真実」を発見したという、純粋で素朴な信仰を持つ村の司祭ドン・ミルヴィオが、ファシストに肩入れするローマ法皇に耐えきれずに洞窟に籠もるなど、信仰はしても盲目的に従うのではないといった「土着の知性」が面目躍如である。世俗的な法皇への反撥はタブッキの継続的なテーマなのかも知れない。例えば代表作と言われている『供述によるとペレイラは……』(1994)ども同様な叙述を見ることが出来る。
本書は後半の作品のような、小説としての洗練度は未だ高くないと言えるが、作家タブッキが小説家として訴えたいと思ってきた主張の「原型」を知る意味で、タブッキファンなら読み逃すことの出来ない一作である。
一読して、G・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』 (1962)を手本にした小説であると感じた。物語はイタリア中西部の寒村に住むブリニオという貧乏人一家の三代記である。描かれる年代は1860年代のイタリア統一期から1946年の共和制発足期までの約90年間で、『百年の孤独』と同様に、ジュラール・ジュネットのいう「錯時法」が適用されて、歳月が前後するだけでなく、登場人物もやたらと多い上に、ブリニオ一家も親子が同名だったりと、複雑なことこの上ない。本には「ブリニオ家」の簡単な系図があるが、それだけでは読みこなせない。私は新しい個人名が出るたびに、初出の頁と共に書き出しておいて、同じ名前が出ると頁をめくり返したが、それでも筋を追うのに苦労した。これは、時代は変わっても、時代に食い付いて行くブリオニの男たちの血は伝承している、ことを強調するための描法だと思うが、このややこしさがこの作品の一つの魅力になっていると認めざるを得ない。
確かにこの家の男たちは良く死ぬ。と言うよりはみんな殺されてしまう。好んで殺される、とさえ言っても良い。全て合理的な判断があってのことではない。決断の前に血が騒いでしまうのだ。その血とは「人の指図は受けない」とする独立自尊の心意気と読める。彼等に限らず友人たちも皆そうだから「血」より「水」を感じるべきかも知れない。「長い者に巻かれること」を自分の存在理由とする日本人の気質とは100%異なるこの地の人々の生き方に圧倒される。
同時にカトリックや「占い」に頼る庶民信仰のありかも書かれる。だがそれらの「権威」と、彼等が本能的に有しているが顕示されない「階級感・平等感」とが重なり合いぶつかり合うのも興味深い。事実彼等が躍起となるのは、抑圧に対する抵抗だから。
なかでも面白いのは、占いで恋人が30歳で死ぬと言われたアズマーラが預言を破るために30年も結婚を引き延ばしたり、聖ヒエロニムスがイナゴを食べ野の露を飲む苦行の後に「自分の真実」を発見したという、純粋で素朴な信仰を持つ村の司祭ドン・ミルヴィオが、ファシストに肩入れするローマ法皇に耐えきれずに洞窟に籠もるなど、信仰はしても盲目的に従うのではないといった「土着の知性」が面目躍如である。世俗的な法皇への反撥はタブッキの継続的なテーマなのかも知れない。例えば代表作と言われている『供述によるとペレイラは……』(1994)ども同様な叙述を見ることが出来る。
本書は後半の作品のような、小説としての洗練度は未だ高くないと言えるが、作家タブッキが小説家として訴えたいと思ってきた主張の「原型」を知る意味で、タブッキファンなら読み逃すことの出来ない一作である。