最近ようやく「失踪者」(元は「アメリカ」と呼ばれていた)を読み、へえ、カフカって人もまともな小説を書こうとしたことがあったのだな、と一瞬思った。
主人公はカール・ロマンスという十七歳のドイツ人。女性から「可愛いわね」と何度か言われるところからすると、美少年らしい。おかげで、三十代の女中に誘惑されて、孕ませてしまい、両親に家を追い出されて、アメリカへ赴く。カフカ自身はこの新大陸へ行ったことは一度もなく、従ってこの地の描写は読んだり聞いたりしたことから作者がこしらえたものだが、かなりのリアイティを感じさせるのはやはり才能と言うべきだろうか。
ここで主人公はしょっちゅういさかいばかり起す。招待されて行った銀行家の邸宅では、そこの令嬢と取っ組み合いの喧嘩さえして、しかも負けている(もっとも、勝っていたら、若い女性に暴力を揮ったということで、もっとやっかいなことになっていたろう)。
そんなこんなで、彼はやっと落ち着いたかな、と思えた場所から必ず追い出される。最後に調理長(女性)の好意で就けたホテルのエレベーター・ボーイの職も逐われる。この部分の筋立ては、濡れ衣を着せられる話で、その経緯はちゃんとわかるように描かれている。
だから主人公に感情移入しやすいのだが、この作品中の男性たちは、非人間的なまでに厳しく、自分のルールを一方的にカール君に押しつけてきて、しまいには彼を捨ててしまうので、どうも幸福な結末は見えてこない。
カフカは、チャールズ・ディケンズ「ディビッド・コパフィールド」のような小説が書きたい、と友人のマックス・ブロートに言っていたらしい。これに限らず「オリヴァー・ツイスト」や「大いなる遺産」など、ディケンズの青少年主人公の周りには、悪人も出てくるが、それ以上に親切な人々がいて、主人公を助けるので、彼らは最後には幸せになる。
どうも都合がよすぎる、いわゆるご都合主義だ、なんて言うのは野暮というもの、それはそういうフィクション(作り事)として楽しむしかない。
カフカは、読むときはそれでいいとして、自分では書けなかった。才能より、世界観の問題として。だからカール君は、しまいには広大なアメリカ大陸の中で、失踪してしまう、つまり、一定の結末にたどりつく前に消えてしまう。
さらに言うと、近代の長編小説は、ハッピー・エンドではなくても、首尾一貫した世界を、言葉で構築するものだ。なになにという男/女がいて、かれこれやって、これこれの結末に至る、と。小説だけではなく、一般人でも、自分の体験を人に説明するように求められた時には、嘘をつくつもりはなくても、できごとを取捨選択して、整理して言うので、「事実」とは微妙に違った何かになってしまう。そこまで踏み込むと収拾がつかなくなるので、やめよう。
とりあえず、バルザックを初めとするリアリズムの大作家たちは、自分から見た世界とは例えばこういうものだ、という雛形を示して見せた。それがどの程度に「事実」に基づくか、作家の頭の中でこしらえたものかは、二次的以下の問題でしかない。ただ、物語全体が、必然性、と感じられるものに貫かれていないと、文字通り話にならない。
言い換えると、小説とは、普段は現実世界に埋没している一般人に、ある「見通し」を与えるものだと言えるだろう。この場合、作者はいわば神の視点に立つわけで、それ自体が欺瞞と言えば欺瞞だ。なんて言うと前と同じ野暮になる。イヤなら読まなければいいだけの話なんだし。
でも、自分ではそんな見通しは持てない、と思いつつ、読むだけに止まらず、物語めいたものを書こうとするとどうなるか。
その一つの実践例が、カフカの三つの長編小説(これを「孤独の三部作」と命名したのは例によってブロート)で、すべて未完になるしかなかった。
カフカは、この世は不当で不条理な権力構造に支配されているけれど、正当な秩序を与え、善と悪の根拠を、罪と罰の真の照応を、さらには救済をもたらす何か(やっぱりベースはユダヤ教かなあ)はあると信じた、あるいは信じたがっていた。「失踪者」含めて、彼の長編の試みは、すべてこの信念の表白なのである
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失踪者 (白水Uブックス 153 カフカ・コレクション) 新書 – 2006/4/1
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- ISBN-104560071535
- ISBN-13978-4560071533
- 出版社白水社
- 発売日2006/4/1
- 言語日本語
- 本の長さ361ページ
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出版社からのコメント
『審判』『城』とともに「孤独の三部作」と呼ばれる連作の第1巻。カフカの友人であるマックス・ブロートが編纂した従来の全集では『アメリカ』という表題で知られていた作品だが、カフカの手稿そのものをテキストとした本コレクションでは、カフカ自身の命名によるタイトルに戻されている。
主人公カール・ロスマンは、これまでは16歳だったが、新テキストでは17歳。カフカは主人公を少年としてではなく、青年として考えていた。事実ロスマンは年上の女中に誘惑されたあげく、両親によってアメリカの伯父のもとに送られている。17歳は大人の世界に踏みこんだ最初の年齢。そんな�い気並�が、アメリカの地を放浪したあげくに、大陸の一点で失踪する。
主人公カール・ロスマンは、これまでは16歳だったが、新テキストでは17歳。カフカは主人公を少年としてではなく、青年として考えていた。事実ロスマンは年上の女中に誘惑されたあげく、両親によってアメリカの伯父のもとに送られている。17歳は大人の世界に踏みこんだ最初の年齢。そんな�い気並�が、アメリカの地を放浪したあげくに、大陸の一点で失踪する。
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年1月4日に日本でレビュー済み
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ロードノベルのような体裁のおかげでカフカの長編作品の中でも
読みやすくとても楽しく読める作品です。
移動が多いのでわくわくする展開が非常に多いです。
一章の火夫からカフカ特有のすばらしくうまい孤独の描写が始まり、
アメリカに到着して客が下りたあとの船内の空気がすっと変わる瞬間は圧巻です。
どこにいても主人公には不安と孤独が付きまとい、
シュールな笑いとグロテスクな人びとや不穏な気配の描写があります。
他の小説にも出てくるようなコミカルな登場人物も顕在で
この失踪者にもやはり二人組が出てきます。
失踪者も例にもれずカフカでは当然のような未完の作品ですが、
そんなものまったく気にならず最後まで楽しく読めてしまいます。
カフカの作品はオチなどより、読んでいる瞬間がとても楽しいです。
まだ読みたい、まだ読んでいたいと思っているうちにいつの間にか最後のページになり、
読後も物語はいつまでも続いているような不思議に高揚する気持ちにさせてくれます。
とても好きな作品です。
読みやすくとても楽しく読める作品です。
移動が多いのでわくわくする展開が非常に多いです。
一章の火夫からカフカ特有のすばらしくうまい孤独の描写が始まり、
アメリカに到着して客が下りたあとの船内の空気がすっと変わる瞬間は圧巻です。
どこにいても主人公には不安と孤独が付きまとい、
シュールな笑いとグロテスクな人びとや不穏な気配の描写があります。
他の小説にも出てくるようなコミカルな登場人物も顕在で
この失踪者にもやはり二人組が出てきます。
失踪者も例にもれずカフカでは当然のような未完の作品ですが、
そんなものまったく気にならず最後まで楽しく読めてしまいます。
カフカの作品はオチなどより、読んでいる瞬間がとても楽しいです。
まだ読みたい、まだ読んでいたいと思っているうちにいつの間にか最後のページになり、
読後も物語はいつまでも続いているような不思議に高揚する気持ちにさせてくれます。
とても好きな作品です。
2019年10月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「変身」、「審判」、「短編集」などにいつもある、カフカ独特の「ゾクッとさせられる感性」をこの小説でも堪能できました。
2008年1月29日に日本でレビュー済み
以前、角川文庫などで『アメリカ』として知られたものの作者手稿による新訳。面白い。
いきなり「女中に誘惑され」、その女中に子供が出来たために、アメリカに旅立って自由の女神像を拝む冒頭から、下船する間際に上院議員の伯父に出会い、上流生活からアメリカ生活をスタート。しかし、急転直下、その伯父の気分を損ね風来坊に落魄れ、エレベーター・ボーイの職を得る展開が、お話としても面白く、そのくせ淡々としたカウリスマキの映画を観ているようだ。しかも、カフカには珍しくニューヨークやその郊外の匂いまで漂ってくる。
死後の焼却を願っていた作者にしてみれば、全ての長編が習作だったのだから、本作品などは習作も習作、ひょっとするとカフカのものとわからなければ、今日の出版すら覚束ないものかもしれない。しかし、不条理などといった手垢にまみれた言葉ではなく、まさにリアルな手触り、「他者」の気配がムンムンする。原田義人訳の『アメリカ』よりも、池内訳は全体的に緩い。それが、独特な雰囲気を醸し出していると、ドイツ語を解さない評者は勝手な感想を抱いた。
池内紀訳では、カネッティの『眩暈』が秀逸であった。勿論、これは原作の素晴らしさだろう。私見では『眩暈』はカフカの『城』を超える世界文学である。
いきなり「女中に誘惑され」、その女中に子供が出来たために、アメリカに旅立って自由の女神像を拝む冒頭から、下船する間際に上院議員の伯父に出会い、上流生活からアメリカ生活をスタート。しかし、急転直下、その伯父の気分を損ね風来坊に落魄れ、エレベーター・ボーイの職を得る展開が、お話としても面白く、そのくせ淡々としたカウリスマキの映画を観ているようだ。しかも、カフカには珍しくニューヨークやその郊外の匂いまで漂ってくる。
死後の焼却を願っていた作者にしてみれば、全ての長編が習作だったのだから、本作品などは習作も習作、ひょっとするとカフカのものとわからなければ、今日の出版すら覚束ないものかもしれない。しかし、不条理などといった手垢にまみれた言葉ではなく、まさにリアルな手触り、「他者」の気配がムンムンする。原田義人訳の『アメリカ』よりも、池内訳は全体的に緩い。それが、独特な雰囲気を醸し出していると、ドイツ語を解さない評者は勝手な感想を抱いた。
池内紀訳では、カネッティの『眩暈』が秀逸であった。勿論、これは原作の素晴らしさだろう。私見では『眩暈』はカフカの『城』を超える世界文学である。
2014年2月25日に日本でレビュー済み
20世紀文学を代表するプラハ出身のユダヤ人作家フランツ・カフカ(1883-1924)の長編小説、1912-1914年執筆。カフカの死後、友人の作家でありシオニストだったマックス・ブロートが遺稿を編纂し出版する際に『アメリカ』というタイトルが付けられ――そこにはシオニストとしての思想的政治的傾向が本作品の解釈に及ぼした影響があるのだろう――、それ以来長らくその題名で通っていたが、カフカ自身が生前に『失踪者』というタイトルを予定していたことが彼の日記などから明らかとなり、現在ではこの名で呼ばれている。
故郷を追放された17歳のドイツ青年カール・ロスマンが遍歴する異国アメリカ。そのアメリカを、カフカ自身は生涯訪れることはなかったようだ。ここでアメリカとは、高度に発達した資本主義とそれを実体化して駆動させているヴェーバー的な意味での巨大で無機質で目的合理的なだけの官僚機構の網の目が行き渡った、及びそうした資本主義を可能にする即物的匿名的な殆ど暴力と云ってよい感性が充満し切った、20世紀初頭の近代化した「大都市」の隠喩であろう。そこでは、人間の人間性は、肉体も思考も労働力として商品化され消費され廃棄されるだけである。『失踪者』には、そんな「大都市」の様相がそこここに描写されている。
それらは、ヴァルター・ベンヤミンがゲルハルト・ショーレム宛の『カフカについての手紙』の中で次のように記しているのと符合する「ぼくにいわせれば、この現実はすでに、<個人>にとって経験可能な限界を、ほとんど越えてしまっている」。
本作品は未完であるとされている。しかし、如何なる結末で以てこの青年の遍歴にピリオドを打つことができるのだろうか。破滅によって? それはただの現実そのものであって小説とするに値しない。救済によって? それは繕う気の無い出来の悪いハリボテの如き欺瞞だ。結末など無いのだ、結末など不可能なのだ。「オクラホマ劇場」が登場する最後の30ページほどの断片部分は、確かにそれまでの水銀のような空気の鈍重さを感じさせることはない。それまでとは明らかに物語の雰囲気を異にしている。そこにはどこか「天使」に手をとられて導かれた理想世界を思わせるところがある。しかしこの「オクラホマ劇場」というものが何物であるのか、どこかチグハグで――資本主義社会機構の戯画を思わせる採用窓口――、どこまでも漠然としていて――「世界で一番大きな劇場よ」――、そしてついぞ明確に語られることはない。語ることができないのだ、語ることができてしまってはいけないのだ、語られた途端それは語ろうとしていた当の何かと決定的に断絶してしまうのだ。
なぜなら、20世紀という時代精神にあっては、希望は、それに対する諦めが倦怠へと擦り切れてしまったような遣り切れなさの不安を予感させることによってしか、その「冷気」を暗示することによってしか、語ることができなくなってしまったのだから。帰るべき「故郷」など、既に失ってしまっているのだ、予め存在しないのだ。
よって本作品は、未完であるよりほかに在りようが無かった。
故郷を追放された17歳のドイツ青年カール・ロスマンが遍歴する異国アメリカ。そのアメリカを、カフカ自身は生涯訪れることはなかったようだ。ここでアメリカとは、高度に発達した資本主義とそれを実体化して駆動させているヴェーバー的な意味での巨大で無機質で目的合理的なだけの官僚機構の網の目が行き渡った、及びそうした資本主義を可能にする即物的匿名的な殆ど暴力と云ってよい感性が充満し切った、20世紀初頭の近代化した「大都市」の隠喩であろう。そこでは、人間の人間性は、肉体も思考も労働力として商品化され消費され廃棄されるだけである。『失踪者』には、そんな「大都市」の様相がそこここに描写されている。
それらは、ヴァルター・ベンヤミンがゲルハルト・ショーレム宛の『カフカについての手紙』の中で次のように記しているのと符合する「ぼくにいわせれば、この現実はすでに、<個人>にとって経験可能な限界を、ほとんど越えてしまっている」。
本作品は未完であるとされている。しかし、如何なる結末で以てこの青年の遍歴にピリオドを打つことができるのだろうか。破滅によって? それはただの現実そのものであって小説とするに値しない。救済によって? それは繕う気の無い出来の悪いハリボテの如き欺瞞だ。結末など無いのだ、結末など不可能なのだ。「オクラホマ劇場」が登場する最後の30ページほどの断片部分は、確かにそれまでの水銀のような空気の鈍重さを感じさせることはない。それまでとは明らかに物語の雰囲気を異にしている。そこにはどこか「天使」に手をとられて導かれた理想世界を思わせるところがある。しかしこの「オクラホマ劇場」というものが何物であるのか、どこかチグハグで――資本主義社会機構の戯画を思わせる採用窓口――、どこまでも漠然としていて――「世界で一番大きな劇場よ」――、そしてついぞ明確に語られることはない。語ることができないのだ、語ることができてしまってはいけないのだ、語られた途端それは語ろうとしていた当の何かと決定的に断絶してしまうのだ。
なぜなら、20世紀という時代精神にあっては、希望は、それに対する諦めが倦怠へと擦り切れてしまったような遣り切れなさの不安を予感させることによってしか、その「冷気」を暗示することによってしか、語ることができなくなってしまったのだから。帰るべき「故郷」など、既に失ってしまっているのだ、予め存在しないのだ。
よって本作品は、未完であるよりほかに在りようが無かった。
2019年1月19日に日本でレビュー済み
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章ごとに強弱があって読みやすい、難しく読む必要はない 長編三部作の中では一番読みやすくライトだと思う ハードな読書家には軽すぎるような気もする 後半に気がつくと妙に湿った世界に巻き込まれる、それはやはり幻想的で変わっている世界