「J・フランクリン・ペインの小さな王国」は、実在の漫画家、ウィンザー・マッケイに似た、すべてを手描きすることへのこだわりを持ったアニメーション作家の、創作と恋のお話。本書のなかで、もっともミルハウザーらしい、ちょっと寂しいけれどユーモラスで感動的なストーリー。
本業の新聞漫画そっちのけ、趣味で始めたアニメーション制作にのめりこんでいくフランクリン。美術を好む妻は漫画には興味がなく、フランクリンの才能を認めつつ、より大きな作品を効率よく分業にて作るべきだ、と主張する親友・マックスとも価値観が合わない。マックスのいうとおり、セルを使った背景を使う方が効率的、だがフランクリンは背景まで一コマ一コマ描き込み、「背景全体がつねに微妙に揺れ動いていなければならない」と感じるため、自らの健康を損ねても、絵を描くことをやめられない。唯一、一人娘だけは彼の味方だが、だんだんと、社会からも家族からも、なんとなく孤立するフランクリン。こうして彼がこだわりぬいて仕上げた作品は・・・
「王妃、小人、土牢」は、中世の御伽噺を思わせる、塔と土牢のある城、城を眺める町の物語を、「土牢」「城」「町」「鼠」などの断片を積み重ねることによって淡々と表現した、印象的なお話。
雪花石膏(アラバスター)より白い肌・金箔より明るい金髪をもつ美しい王妃と、やはり美男の王。
そして盾に「Inferix(不幸なるもの)」と刻んだ、悲しい過去をもつ、屈強な、旅の辺境伯。
「アーサー王」や「トリスタンとイズー」を彷彿させる、王と王妃と辺境伯の三角関係、さらに彼らの中に入り込む賢しい小人。
それぞれの本心が生々しく艶かしく、どこか本質的なので、幼少期のエロティシズム、といった感じ。
王は、王妃を心から愛し信頼するが故、親友である辺境伯の寝室へ行くよう王妃に命じてしまう。王妃は王を愛するが故、その命令に逆らえない。辺境伯は王を愛し、王妃を崇めるが故、どちらにも失礼でないよう、誠実な対応を心掛け、だからこそ王は、辺境伯を疑わずにはいられず、秘かに王妃を想う小人を密偵にしたて、さらに関係をこじらせてしまい、ついに・・・
「展覧会のカタログ」は、26点の不穏でほのぐらい絵を、あたかも美術館を巡るように眺めることで、妖しい才能に恵まれた画家ムーラッシュと、彼の妹、ムーラッシュの友人と、その妹の四角関係を描く、という趣向。
絵画という題材のせいで、動きが少なく、架空の原典からの引用文などが挟まれている文章は少々読みにくい。
ただし、ラストは3つの中篇小説のうち、もっとも衝撃的。
翻訳の柴田元幸氏があとがきで述べているように、3つの物語はすべて、三角ないし四角関係の恋愛について、また「アニメーション」「城」「絵画」という閉じた世界が共通項。長篇『エドウィン・マルハウス』『マーティン・ドレスラーの夢』と比べて、若干ダークな色合いで、翻訳されているミルハウザー小説の中では、どちらかというと異色。
しかし、起きているまま夢をみているかのような、独特の心地良さは、すべての著作に共通。
個人的には、初めて読んだミルハウザーが本書だったのもあって、中篇小説のなかで、もっともお気に入りの一冊。

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三つの小さな王国 (白水Uブックス 137 海外小説の誘惑) 新書 – 2001/7/1
絵の細部に異常なこだわりを見せる漫画家、中世の城に展開する王と王妃の確執、呪われた画家の運命。俗世を離れてさまよう魂の美しくも戦慄的な高揚を描くピュリッツァー賞作家の中篇小説集。
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2001/7/1
- ISBN-104560071373
- ISBN-13978-4560071373
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
絵の細部に異常なこだわりを見せる漫画家、中世の城に展開する王と王妃の確執、呪われた画家の運命。俗世を離れてさまよう魂の美しくも戦慄的な高揚を描く珠玉の中篇小説集。1998年刊の再刊。
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上位レビュー、対象国: 日本
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2012年11月4日に日本でレビュー済み
個人的には好みのタイプの小説ではないので、読むのは結構苦痛だった。
にもかかわらず、心の底に深くイメージが刻まれる。
これは間違いなく名作。
例えば、夜中の屋根の散歩。
たったそれだけのエピソードなのに、ここには神が創ったこの世とは異なる、
ミルハウザーの創った世が存在する。
幻想文学とは、エルフや魔法使いが出てくることではない。
この世とは違う世界が文字のなかに生み出されていることだ。
にもかかわらず、心の底に深くイメージが刻まれる。
これは間違いなく名作。
例えば、夜中の屋根の散歩。
たったそれだけのエピソードなのに、ここには神が創ったこの世とは異なる、
ミルハウザーの創った世が存在する。
幻想文学とは、エルフや魔法使いが出てくることではない。
この世とは違う世界が文字のなかに生み出されていることだ。
2007年10月9日に日本でレビュー済み
現実と幻想の中間色は愛だ。
幻想へ導かれる3つの世界。人は幻想を憧れ、悔い、恐れ、追い求める。
その終着点を見るものは、単なる評価を下せばいいのだろうか。
僕と、幻想の距離は表裏一体で、
あらゆる感情、(多分〜かつ〜と称されるもの)が行き来する世界は
混乱を呈しながらもひとつの目的へ向かっている。
ミルハウザーは、どうしてそのベクトルを描けるのだろうか、と僕はいつも思ってしまう。
幻想へ導かれる3つの世界。人は幻想を憧れ、悔い、恐れ、追い求める。
その終着点を見るものは、単なる評価を下せばいいのだろうか。
僕と、幻想の距離は表裏一体で、
あらゆる感情、(多分〜かつ〜と称されるもの)が行き来する世界は
混乱を呈しながらもひとつの目的へ向かっている。
ミルハウザーは、どうしてそのベクトルを描けるのだろうか、と僕はいつも思ってしまう。
2006年12月13日に日本でレビュー済み
当然柴田元幸が訳しているから読んだのだけれど、すごすぎるじゃないかミルハウザー。
最初の話はアニメーション職人の話。一枚一枚書いてがんばってるんだけれど、そこに加わる幻想性と熱がたまらない。特にラストシーンは美しすぎてしゃれにならない。幻想小説といったら二番目の話。王妃、小人、王、辺境伯の四角関係を書いたものだが、中世っぽい物語と、作者の物語観が語られることといい、まさに幻想小説!という一品。もちろん最後の三番目の話も、ラストのわけのわからんカタルシスがたまらない。
ハリポタとか読んでいる人に是非読んでほしいですよ。これが本場の幻想小説なんだよ、と強く言いたい。
最初の話はアニメーション職人の話。一枚一枚書いてがんばってるんだけれど、そこに加わる幻想性と熱がたまらない。特にラストシーンは美しすぎてしゃれにならない。幻想小説といったら二番目の話。王妃、小人、王、辺境伯の四角関係を書いたものだが、中世っぽい物語と、作者の物語観が語られることといい、まさに幻想小説!という一品。もちろん最後の三番目の話も、ラストのわけのわからんカタルシスがたまらない。
ハリポタとか読んでいる人に是非読んでほしいですよ。これが本場の幻想小説なんだよ、と強く言いたい。
2002年11月18日に日本でレビュー済み
最初に読んだときは間延びした印象を受けて途中で諦めてしまったが
読まなくなってから2ヵ月ぐらい経ったころに
物語のイメージが自分の中から全く出て行かないどころか
むしろ定着してしまっていたのに驚いた。
なんでか離れられない本。
精細に描かれたストーリーが頭の中で世界を作る。
読まなくなってから2ヵ月ぐらい経ったころに
物語のイメージが自分の中から全く出て行かないどころか
むしろ定着してしまっていたのに驚いた。
なんでか離れられない本。
精細に描かれたストーリーが頭の中で世界を作る。
2008年3月18日に日本でレビュー済み
三つの中篇小説から成っている。中世ヨーロッパを思わせる城の中で繰り広げられる「王妃、小人、土牢」は奇怪なロマンス。そびえる塔には王妃、地中深くには土牢、往還するのは小人。城の高みから地底の闇までを、思いが上下する。48の章すべてに表題が冠せられており、さながら城を構成している岩塊である。話が刻み込まれた岩は積み上げられ、ゆっくりと物語が育ってゆく。そして城の地下深き土牢からは、岩塊を避けながら抜け道が掘られ続けている。
「展覧会のカタログ―エドマンド・ムーラッシュの芸術」で展開するのは、19世紀前半のアメリカの画家が生涯の時どきに描いた、26枚の絵画である。さまよう日々の思いの結節となるべく描いたものの、それが明るい道へ導くことはなかった。塗り込められた情念は硬く重い岩のように道をふさぎ、ついには画家を戻ることのできない闇へと誘い込んでしまう。絵画は画家を物語に閉じ込めてしまったのであった。
劈頭に置かれた一篇は、1920年代にニューヨークの新聞漫画家が、昔風の描き方でアニメーション漫画を制作する「J・フランクリン・ペインの小さな王国」である。抑揚がない同質の文の洪水で、ひたすら文が押し寄せてくる。アニメーションを構成する膨大な数のドローイング、それを文に置き換えているのかもしれない。郊外の古い自宅の書斎は塔の中だ。下方に苦難が生息していても、思いは窓から高きへと飛翔する。塔にこもればよいのだ。パラパラ漫画と同様に、パラパラ文が動き出す。一つの文は一枚のドローイングに相当し、文章がアニメーションを模倣しているのだ。全5場のアニメーションの始まりである。
三つの小説が並ぶと効果は抜群。瑣末なものに生命が刻印され、物語として動き始める。小さなかけらを並べたり積み上げたりすると王国が形を表すのだ。
「展覧会のカタログ―エドマンド・ムーラッシュの芸術」で展開するのは、19世紀前半のアメリカの画家が生涯の時どきに描いた、26枚の絵画である。さまよう日々の思いの結節となるべく描いたものの、それが明るい道へ導くことはなかった。塗り込められた情念は硬く重い岩のように道をふさぎ、ついには画家を戻ることのできない闇へと誘い込んでしまう。絵画は画家を物語に閉じ込めてしまったのであった。
劈頭に置かれた一篇は、1920年代にニューヨークの新聞漫画家が、昔風の描き方でアニメーション漫画を制作する「J・フランクリン・ペインの小さな王国」である。抑揚がない同質の文の洪水で、ひたすら文が押し寄せてくる。アニメーションを構成する膨大な数のドローイング、それを文に置き換えているのかもしれない。郊外の古い自宅の書斎は塔の中だ。下方に苦難が生息していても、思いは窓から高きへと飛翔する。塔にこもればよいのだ。パラパラ漫画と同様に、パラパラ文が動き出す。一つの文は一枚のドローイングに相当し、文章がアニメーションを模倣しているのだ。全5場のアニメーションの始まりである。
三つの小説が並ぶと効果は抜群。瑣末なものに生命が刻印され、物語として動き始める。小さなかけらを並べたり積み上げたりすると王国が形を表すのだ。
2003年1月31日に日本でレビュー済み
全く舞台を異にしながらも、奇妙な四角関係を描いているという点、一つの物語の中で異なる二つの物語が交錯するという点では共通な三つの短篇が収められた本です。『J・フランクリン・ペインの小さな王国』は小説形式ですが、『王妃・小人・土牢』『展覧会のカタログ ― エドマンド・ムーラッシュ(1810-46)の芸術』は、連続した文章という形をとらず、エピソードを時系列に並べただけという構成です。ミルハウザーは、幕間を多く取ることによって、読者に想像をめぐらす時間を与えたかったのでしょう。作家の期待にこたえるべく、努力しないと真実が見えてこない作品だと思います。