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おわらない音楽 単行本 – 2014/7/1
小澤 征爾
(著)
第58回グラミー賞 最優秀オペラ録音部門受賞! !
世界のオザワが、未完の指揮者人生を爽やかに振り返る、待望の自伝的エッセイ!
――中国に生まれ、日本に育った僕が、どこまで西洋音楽を理解できるか。一生かけて実験を続けるつもりだ。
年頭の日本経済新聞の紙面を飾り、読者の大きな反響を呼んだ、小澤征爾氏の「私の履歴書」が加筆のうえ早くも単行本になりました。
今年はサイトウ・キネン・オーケストラ30周年の記念すべき年。世界の音楽ファンを惹きつける毎夏恒例のサイトウ・キネン・フェスティバル松本も、来年からは「セイジ・オザワ松本フェスティバル」と改称されることが発表されたばかりです。この機会にひとりでも多くの、これまでクラシック音楽には縁遠かったという方々にも、ぜひとも読んでいただきたい好著です。
まもなく79歳を迎える現在も世界を飛び回る小澤氏ですが、自伝的エッセイとしては時代を越えて読み継がれる青春冒険物語とも言える『ボクの音楽武者修行』以来、実に半世紀ぶり。斎藤秀雄、バーンスタイン、カラヤンなど生涯の師をはじめ転機に出会った様々な人たちとの思い出を縦糸に、かけがえのない家族への想いを横糸に紡がれる物語ですが、通奏低音として流れているのは音楽に対する飽くなき探究心。世界のオザワの個人的な体験は、普遍的な物語として、必ずや読者に勇気を与えてくれるはずです。
目次より
満州生まれ/敗戦の日/リヤカーで運んだピアノ/ラグビー少年/桐朋学園音楽科/外国で勉強したい/パリへ/ブザンソン国際指揮者コンクール/ミュンシュと出会う/タングルウッド/井上靖さんの言葉/レニーとニューヨーク・フィル/N響のボイコット/ラヴィニア音楽祭/トロント響/『ノヴェンバー・ステップス』世界初演/妻・ヴェラ/日フィル分裂/斎藤先生逝く/サイトウ・キネン・オーケストラ/コンサート・キャラバン/スラヴァの説得/ボストン響/ウィーン国立歌劇場……など
世界のオザワが、未完の指揮者人生を爽やかに振り返る、待望の自伝的エッセイ!
――中国に生まれ、日本に育った僕が、どこまで西洋音楽を理解できるか。一生かけて実験を続けるつもりだ。
年頭の日本経済新聞の紙面を飾り、読者の大きな反響を呼んだ、小澤征爾氏の「私の履歴書」が加筆のうえ早くも単行本になりました。
今年はサイトウ・キネン・オーケストラ30周年の記念すべき年。世界の音楽ファンを惹きつける毎夏恒例のサイトウ・キネン・フェスティバル松本も、来年からは「セイジ・オザワ松本フェスティバル」と改称されることが発表されたばかりです。この機会にひとりでも多くの、これまでクラシック音楽には縁遠かったという方々にも、ぜひとも読んでいただきたい好著です。
まもなく79歳を迎える現在も世界を飛び回る小澤氏ですが、自伝的エッセイとしては時代を越えて読み継がれる青春冒険物語とも言える『ボクの音楽武者修行』以来、実に半世紀ぶり。斎藤秀雄、バーンスタイン、カラヤンなど生涯の師をはじめ転機に出会った様々な人たちとの思い出を縦糸に、かけがえのない家族への想いを横糸に紡がれる物語ですが、通奏低音として流れているのは音楽に対する飽くなき探究心。世界のオザワの個人的な体験は、普遍的な物語として、必ずや読者に勇気を与えてくれるはずです。
目次より
満州生まれ/敗戦の日/リヤカーで運んだピアノ/ラグビー少年/桐朋学園音楽科/外国で勉強したい/パリへ/ブザンソン国際指揮者コンクール/ミュンシュと出会う/タングルウッド/井上靖さんの言葉/レニーとニューヨーク・フィル/N響のボイコット/ラヴィニア音楽祭/トロント響/『ノヴェンバー・ステップス』世界初演/妻・ヴェラ/日フィル分裂/斎藤先生逝く/サイトウ・キネン・オーケストラ/コンサート・キャラバン/スラヴァの説得/ボストン響/ウィーン国立歌劇場……など
- 本の長さ177ページ
- 言語日本語
- 出版社日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
- 発売日2014/7/1
- 寸法14.1 x 1.8 x 18.6 cm
- ISBN-10453216933X
- ISBN-13978-4532169336
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登録情報
- 出版社 : 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版; New版 (2014/7/1)
- 発売日 : 2014/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 177ページ
- ISBN-10 : 453216933X
- ISBN-13 : 978-4532169336
- 寸法 : 14.1 x 1.8 x 18.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 250,518位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 217位クラシック音楽
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2023年3月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
欲しかった本が手に入ってよかった。
2020年12月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小澤に関してはいろんな本や音楽雑誌が書いているが、
やはり本人の手になるものを読みたくて購入した。
小澤が26歳のときに書いた『ボクの音楽武者修行』と
年代的に内容が重複する部分が本書の半分くらいあるが、
日経新聞の「私の履歴書」の連載の都合上、仕方ない
のであろう。その続きから書き始めてもらっても良かった
のだが。この点で、星1つ減らさせてもらった。
N響事件やウィーン国立歌劇音楽監督の就を決意する際の
エピソードなど、初めて知るものであり、興味深く読んだ。
もっと詳しく(上記の武者修行の本のように)書いてあったら、
もっとよかったのに。
いろんなチャンスや指導、応援してくれる多くの人たちに
恵まれていたことは羨ましく思えた。
小澤の生の演奏に触れたのはまだ一度しかないが、是非また
聴きに行きたいと思った。書名のように、小澤の音楽がおわら
ないで欲しい。
やはり本人の手になるものを読みたくて購入した。
小澤が26歳のときに書いた『ボクの音楽武者修行』と
年代的に内容が重複する部分が本書の半分くらいあるが、
日経新聞の「私の履歴書」の連載の都合上、仕方ない
のであろう。その続きから書き始めてもらっても良かった
のだが。この点で、星1つ減らさせてもらった。
N響事件やウィーン国立歌劇音楽監督の就を決意する際の
エピソードなど、初めて知るものであり、興味深く読んだ。
もっと詳しく(上記の武者修行の本のように)書いてあったら、
もっとよかったのに。
いろんなチャンスや指導、応援してくれる多くの人たちに
恵まれていたことは羨ましく思えた。
小澤の生の演奏に触れたのはまだ一度しかないが、是非また
聴きに行きたいと思った。書名のように、小澤の音楽がおわら
ないで欲しい。
2014年8月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、日経新聞の名物連載、私の履歴書(2014年1/1~1/31連載分)を単行本化したものです。
私は、この連載を切りぬいていて、本書と参照しましたが、連載の最後の部分(ウィーン国立歌劇場、これから)を除いて、
ほとんど変更は加えられていないようです。
小澤さんは、1935年9/1満州奉天生まれの、私が言うまでもありませんが、世界的名指揮者です。
桐朋時代は、斉藤秀雄先生に鍛えrられ、渡仏し、1959年ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝します。
1962年のいわゆるN響事件以降は、主な活動拠点を海外に移します。本書にもそのあたりの経緯は、当然記述されています。
詳しいことは、レコ芸 2014年7月号(小澤征爾特集)に私がレヴューしていますから、そちらを参照してください。
私の履歴書は、著名人が出生から今日に至るまでを語る自叙伝ですから、本書も当然その形式をたどっています。
もっと詳しい履歴が知りたい人は、ボクの音楽武者修行、レコ芸、その他の音楽雑誌のバック・ナンバーをあたる必要がありますが、
一般的には、本書で充分だと思います。しかも、連載時にはなかった、かなり詳しい、年譜もついています。
少し残念なのは、2013年の大西順子さんとラプソディー・イン・ブルーでの共演の経緯が抜けていることです。
この話について詳しい話を知りたい方は、小澤征爾さんと、音楽について話をする(新潮文庫)をどうぞ!感動すること請け合いです!
小澤さんに関しては、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー 等のドイツ系のものがダメ、オペラがダメ・・・いろんな批判があります。
また、演奏会で聴くと凄い演奏ですが、CDで聴くともう一つ(録音が悪いのかな?)ということもしばしばあります。
しかし、日本人として、世界のクラシック音楽界に与えた影響を考えると、もっともっと素直に評価していいのではないかなと思います!!
私は、この連載を切りぬいていて、本書と参照しましたが、連載の最後の部分(ウィーン国立歌劇場、これから)を除いて、
ほとんど変更は加えられていないようです。
小澤さんは、1935年9/1満州奉天生まれの、私が言うまでもありませんが、世界的名指揮者です。
桐朋時代は、斉藤秀雄先生に鍛えrられ、渡仏し、1959年ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝します。
1962年のいわゆるN響事件以降は、主な活動拠点を海外に移します。本書にもそのあたりの経緯は、当然記述されています。
詳しいことは、レコ芸 2014年7月号(小澤征爾特集)に私がレヴューしていますから、そちらを参照してください。
私の履歴書は、著名人が出生から今日に至るまでを語る自叙伝ですから、本書も当然その形式をたどっています。
もっと詳しい履歴が知りたい人は、ボクの音楽武者修行、レコ芸、その他の音楽雑誌のバック・ナンバーをあたる必要がありますが、
一般的には、本書で充分だと思います。しかも、連載時にはなかった、かなり詳しい、年譜もついています。
少し残念なのは、2013年の大西順子さんとラプソディー・イン・ブルーでの共演の経緯が抜けていることです。
この話について詳しい話を知りたい方は、小澤征爾さんと、音楽について話をする(新潮文庫)をどうぞ!感動すること請け合いです!
小澤さんに関しては、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー 等のドイツ系のものがダメ、オペラがダメ・・・いろんな批判があります。
また、演奏会で聴くと凄い演奏ですが、CDで聴くともう一つ(録音が悪いのかな?)ということもしばしばあります。
しかし、日本人として、世界のクラシック音楽界に与えた影響を考えると、もっともっと素直に評価していいのではないかなと思います!!
2014年11月30日に日本でレビュー済み
世界中の音楽ファンから愛されているマエストロ、大病を乗り切
って健在だ。小澤征爾にまつわる数多くのドキュメンタリー番組を
見てきたが、自叙伝を読むのはこれが始めてだ。満州生まれで、関
東軍参謀の板垣征四郎と石原莞爾の名前から二文字を取って命名さ
れたことも有名だが、本書ではそこでの生活がありのままに描かれ
、プライベート・ピクチャーも添付されている。戦中、戦後あまり
恵まれない経済状況の中で、苦労して小学校のピアノを借りながら
練習した子供時代。ラグビーの怪我でピアニストの道を諦め、指揮
者への道へ転向、しかしその才能を見込んで指導に当たった斎藤秀
雄先生。桐朋学園高校は留年するは、同級生はどんどん海外で活躍
するはで、このヤンチャ坊主は焦りまくる。
どうしても海外で修行しなくてはの思いで、スポンサーの協力を
得て資金とスクーターを調達し、貨物船でフランスに渡ったのは23
歳の年だった。ブザンソンの指揮者国際コンクールで優勝したもの
の、指揮者で生活して行くだけの仕事もない。やっと指揮者として
定職を得たのは25歳でニューヨーク・フィルでのレナード・バーン
スタインの副指揮者、週給100ドルだった。27歳で一時帰国して半年
間の契約でN協を指揮することになる。自分でも未熟者だと自覚はし
ていたが、あの有名な小澤ボイコット騒動、会場に駆けつけた小澤
を待っていたのは報道陣のみで、楽団員も観客もゼロ。これには小
澤も頭に来てアメリカにトンボ帰りだ。紆余曲折の末、30歳の年に
カナダのトロント交響楽団の音楽監督として招聘される。オーケス
トラとしては少し格落ちだが、この歳で楽団の総合マネジメントを
任されたのだから、業界ではそれなりの評価を得ていたのだろう。
実績を見込まれて35歳でサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就
任したが、任期を3年残した38歳の時に、ボストン交響楽団から引き
抜きのオファーがかかる。このオーケストラの育成を目指していた
小澤は、3年間の掛け持ちを条件に二つの交響楽団の音楽監督に就任
する。そして41歳から実に26年間にわたって、ボストンの監督に専
念する。この間カラヤン先生に師事し、オペラの重要性とその指揮
法について指導を受ける。
N協事件以来、日本に足を向けなかった小澤も以前お世話になった
日本フィルの解体の危機にあたって、山本直純らと共に新日本フィル
の立ち上げに協力した。そして日本テレビマンユニオンの企画で11
年間続いた番組「オーケストラがやってくる」の成功に貢献した。
また52歳の時に日本のオーケストラを世界に、という目的で「サイ
トウキネンオーケストラ」を結成し、3年間にわたりヨーロッパ公演
を行った。これが後に57歳の時に設立する「サイトウキネンフェステ
ィバル松本」の礎となる。
ボストンの任期を終えた67歳で今度はウィーン国立歌劇場の音楽監
督の就任依頼が飛び込む。自分のキャリアからして場違いだと、固辞
するが周囲の薦めも強く就任してしまう。結局74歳で喉頭がんが発見
され、治療の末完治はするが77歳からは音楽活動を中止し、後進の教
育・指導にあたっている。小澤は天性の音楽的素質もさることながら、
リーダーとしての資質「自分は何を期待されているのかを素早く理解
し」そして「それを粘り強く実現する」ことができたから、かくも長
い間、音楽監督という仕事を全うできたのだろう。まさにこの本のタ
イトル「おわらない音楽」だ。いつか家内が小田急成城学園駅の階段
でバッタリ会って気さくに挨拶を交わしたオジイサンだが。世界のマ
エストロいつまでもお元気で。
最後にこの本で感心するのは、たった150ページほどの中身ながら実
に章立てがうまく出来ていて、各章ごとwho,when,whatが簡潔に記述
され、あたかも小澤征爾一代交響曲を演奏するような感じに出来あが
っているので、ぜひご一読を。
って健在だ。小澤征爾にまつわる数多くのドキュメンタリー番組を
見てきたが、自叙伝を読むのはこれが始めてだ。満州生まれで、関
東軍参謀の板垣征四郎と石原莞爾の名前から二文字を取って命名さ
れたことも有名だが、本書ではそこでの生活がありのままに描かれ
、プライベート・ピクチャーも添付されている。戦中、戦後あまり
恵まれない経済状況の中で、苦労して小学校のピアノを借りながら
練習した子供時代。ラグビーの怪我でピアニストの道を諦め、指揮
者への道へ転向、しかしその才能を見込んで指導に当たった斎藤秀
雄先生。桐朋学園高校は留年するは、同級生はどんどん海外で活躍
するはで、このヤンチャ坊主は焦りまくる。
どうしても海外で修行しなくてはの思いで、スポンサーの協力を
得て資金とスクーターを調達し、貨物船でフランスに渡ったのは23
歳の年だった。ブザンソンの指揮者国際コンクールで優勝したもの
の、指揮者で生活して行くだけの仕事もない。やっと指揮者として
定職を得たのは25歳でニューヨーク・フィルでのレナード・バーン
スタインの副指揮者、週給100ドルだった。27歳で一時帰国して半年
間の契約でN協を指揮することになる。自分でも未熟者だと自覚はし
ていたが、あの有名な小澤ボイコット騒動、会場に駆けつけた小澤
を待っていたのは報道陣のみで、楽団員も観客もゼロ。これには小
澤も頭に来てアメリカにトンボ帰りだ。紆余曲折の末、30歳の年に
カナダのトロント交響楽団の音楽監督として招聘される。オーケス
トラとしては少し格落ちだが、この歳で楽団の総合マネジメントを
任されたのだから、業界ではそれなりの評価を得ていたのだろう。
実績を見込まれて35歳でサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就
任したが、任期を3年残した38歳の時に、ボストン交響楽団から引き
抜きのオファーがかかる。このオーケストラの育成を目指していた
小澤は、3年間の掛け持ちを条件に二つの交響楽団の音楽監督に就任
する。そして41歳から実に26年間にわたって、ボストンの監督に専
念する。この間カラヤン先生に師事し、オペラの重要性とその指揮
法について指導を受ける。
N協事件以来、日本に足を向けなかった小澤も以前お世話になった
日本フィルの解体の危機にあたって、山本直純らと共に新日本フィル
の立ち上げに協力した。そして日本テレビマンユニオンの企画で11
年間続いた番組「オーケストラがやってくる」の成功に貢献した。
また52歳の時に日本のオーケストラを世界に、という目的で「サイ
トウキネンオーケストラ」を結成し、3年間にわたりヨーロッパ公演
を行った。これが後に57歳の時に設立する「サイトウキネンフェステ
ィバル松本」の礎となる。
ボストンの任期を終えた67歳で今度はウィーン国立歌劇場の音楽監
督の就任依頼が飛び込む。自分のキャリアからして場違いだと、固辞
するが周囲の薦めも強く就任してしまう。結局74歳で喉頭がんが発見
され、治療の末完治はするが77歳からは音楽活動を中止し、後進の教
育・指導にあたっている。小澤は天性の音楽的素質もさることながら、
リーダーとしての資質「自分は何を期待されているのかを素早く理解
し」そして「それを粘り強く実現する」ことができたから、かくも長
い間、音楽監督という仕事を全うできたのだろう。まさにこの本のタ
イトル「おわらない音楽」だ。いつか家内が小田急成城学園駅の階段
でバッタリ会って気さくに挨拶を交わしたオジイサンだが。世界のマ
エストロいつまでもお元気で。
最後にこの本で感心するのは、たった150ページほどの中身ながら実
に章立てがうまく出来ていて、各章ごとwho,when,whatが簡潔に記述
され、あたかも小澤征爾一代交響曲を演奏するような感じに出来あが
っているので、ぜひご一読を。
2014年8月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
過去の本との重複もありますが、現在の小澤征爾を表現していますね。若い真剣に音楽と格闘している青年に読んで欲しいです。クラシックだろうが、ロックだろうが、ジャズだろうが、ブルースだろうが演歌だろうが、戦っている人は戦っています。師匠への愛。音楽への愛。家族への愛。何より日本と中国への愛を感じるはずです。斉藤門下生の亡くなった潮さんに捧げたい本です。
2014年9月11日に日本でレビュー済み
『日経新聞』「私の履歴書」に連載された自叙伝を書籍化したもの。
はじめの方に「ずいぶん多くの人に助けられてきた(p.10)」「どんな人たちに支えられてきたか。その恩人たちを紹介するのが僕の『履歴書』なのかもしれない(p.11)」とある。
たしかに、(ブザンソン指揮者コンクールで優勝することになる)渡欧に至る経緯を書いた「外国で勉強したい」の章など読むと、実に多くの人が著者を無償で支援したことが分かる。それも、著者の音楽的才能と人間的魅力あってのことだろうけれど。
「中国に生まれ、日本に育った僕がどこまで西洋音楽を理解できるか(p.156)」というのが、著者の音楽生活の「通奏低音」になっているのだなと思う。もっとも、音楽そのものについてはほとんど触れられていないので、村上春樹との共著『小澤征爾さんと、音楽について話をする 』と合わせて読むとよさそうだ。
はじめの方に「ずいぶん多くの人に助けられてきた(p.10)」「どんな人たちに支えられてきたか。その恩人たちを紹介するのが僕の『履歴書』なのかもしれない(p.11)」とある。
たしかに、(ブザンソン指揮者コンクールで優勝することになる)渡欧に至る経緯を書いた「外国で勉強したい」の章など読むと、実に多くの人が著者を無償で支援したことが分かる。それも、著者の音楽的才能と人間的魅力あってのことだろうけれど。
「中国に生まれ、日本に育った僕がどこまで西洋音楽を理解できるか(p.156)」というのが、著者の音楽生活の「通奏低音」になっているのだなと思う。もっとも、音楽そのものについてはほとんど触れられていないので、村上春樹との共著『小澤征爾さんと、音楽について話をする 』と合わせて読むとよさそうだ。