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MMT現代貨幣理論入門 単行本 – 2019/8/30
購入オプションとあわせ買い
アメリカで大論争、国会でも議論白熱。
いち早く日本に紹介した中野剛志氏と、「反緊縮の旗手」松尾匡氏によるダブル解説。
貨幣観を一新!
MMTは、イデオロギーでもなく、願望でもなく、現実なのである。
【MMT(現代貨幣理論)の特徴】
●日本や米国のように「通貨主権」を有する政府は、自国通貨建てで支出する能力に制約はなく、デフォルトを強いられるリスクもない。財政赤字や国債残高を気にするのは無意味である。
●政府にとって、税金は財源ではなく、国債は資金調達手段ではない。政府が先に通貨を支出しない限り、民間部門は税金を納めることも、国債を購入することも論理的に不可能である。税金は所得、国債は金利にはたらきかけ、経済を適正水準に調整するための政策手段である。
●政府は「最後の雇い手」として、希望する人々全員に、一定以上の賃金水準で就業する機会を約束することができる。この「就業保証プログラム」は、「完全雇用と物価安定」という公共目的に資する、強力な経済安定装置である。
【内容紹介】
「財政は赤字が正常で黒字のほうが異常、むしろ、どんどん財政拡大すべき」という、これまでの常識を覆すような「現代貨幣理論」(MMT)。MMTでは「就業保証プログラム」により、完全雇用も可能とされている。
アメリカでは、本書著者のL・ランダル・レイをはじめ、次の次の大統領とも言われるオカシオコルテス下院議員やサンダース大統領候補のブレーンを務めたステファニー・ケルトン教授たち「MMT賛成派」と、ノーベル経済学賞受賞の経済学者クルーグマン、元財務長官のサマーズ、FRBのパウエル議長、著名投資家のバフェットたち「MMT批判派」との間で大論争が起こっている。日本でもNHKや新聞などマスコミ報道も増えるなか、日銀の黒田総裁も否定的なコメントを出し、国会では議論が白熱している。
はたして、この理論はいったいどういうものなのか。
MMT研究の第一人者、L・ランダル・レイによる「バイブル」、待望の邦訳。
巻頭と巻末では著書『富国と強兵 地政経済学序説』でMMTをいち早く日本に紹介した中野剛志氏と、「反緊縮」の旗手で「日本のバルファキス」とも言われる松尾匡氏が、理論のポイントやMMTを取り巻く現状や経緯ととともに解説する。
- 本の長さ536ページ
- 言語日本語
- 出版社東洋経済新報社
- 発売日2019/8/30
- 寸法14.1 x 3.9 x 19.6 cm
- ISBN-104492654887
- ISBN-13978-4492654880
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出版社より

MMTによる経済学の「科学革命」
MMTの登場は、やはり、革命的で、スキャンダラスな事件だと言わざるを得ない。
それは、世界中の経済学者や政策担当者が大きな間違いを犯していることを、MMTが暴いてしまったからである。
しかも、単なる間違いではない。貨幣の理解からして間違っているというのである。
経済学とは、貨幣を使った活動についての理論だと考えられている。しかし、その「貨幣」について、主流派経済学は正しく理解していなかったというのだ。もし、そうだとしたら、主流派経済学の理論はその基盤から崩れ去り、その権威は地に堕ちるだろう。これ以上スキャンダラスなこともないではないか。
(中野剛志氏による巻頭解説より)

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MMT現代貨幣理論入門 | 富国と強兵 | 岩井克人「欲望の貨幣論」を語る | ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀: 公正な社会への資本主義と民主主義改革 | 無形資産が経済を支配する | |
カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.2
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価格 | ¥3,740¥3,740 | ¥3,960¥3,960 | ¥1,650¥1,650 | ¥3,520¥3,520 | ¥3,080¥3,080 |
内容紹介 | 第一人者による「バイブル」、待望の邦訳! アメリカで大論争、国会でも議論白熱。 いち早く日本に紹介した中野剛志氏と、「反緊縮の旗手」松尾匡氏によるダブル解説。 | 『TPP亡国論』で日米関係のゆがみを鋭い洞察力でえぐり出した著者が、資本主義終焉論と地政学が復活する今と未来を読み解く渾身の書き下ろし大著。 ポスト・グローバル化へ向かう政治、経済、軍事を縦横無尽に読み解く気宇壮大な21世紀の社会科学がここにある! | 大反響の異色経済ドキュメント4作目。 同番組シリーズがテーマとする「欲望が欲望を生みだす資本主義の先に何があるのか」。 今回は、仮想通貨が生まれ、キャッシュレス化が進む現象を捉え、資本主義の基本を成す貨幣に着目。 | 既得権をなくす! 独占を壊す! 自由な社会をどうつくるか? 若き天才経済学者が描く、資本主義と民主主義の未来! | これまで計測できなかった無形資産の全貌を、初めて包括的に分析した画期的名著 『フィナンシャル・タイムズ』ベスト経済書 |
発売日 | 2019/8/30 | 2016/12/9 | 2020/2/21 | 2019/12/20 | 2020/2/21 |
商品の説明
著者について
経済学者、ニューヨークのバード大学教授兼レヴィ経済研究所上級研究員。セントルイスのワシントン大学在籍中はハイマン・P・ミンスキーに師事。専門は、貨幣理論と金融政策、マクロ経済学、金融不安定性、雇用政策。ポスト・ケインジアンの代表的研究者・論客の一人。パシフィック大学で学士号、セントルイスのワシントン大学で修士号および博士号を取得。ローマ大学、パリ大学、ベルガモ大学、ボローニャ大学、メキシコ国立自治大学の客員教授や、ミズーリ大学カンザスシティ校の教授等を歴任し、現在に至る。著書に、Understanding Modern Money:The Key to Full Employment and Price Stability(現代貨幣を理解する─完全雇用と物価安定の鍵、1998年)、Money and Credit in Capitalist Economies(資本主義経済における貨幣と信用、1990年)、Why Minsky Matters(ミンスキーはなぜ重要なのか、2015年)がある。
中野 剛志(ナカノ タケシ) 【解説】
評論家。1971年、神奈川県生まれ。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。 2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism"(Nations and Nationalism) でNations and Nationalism Prizeを受賞。著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(ともに集英社新書)、『国力論』(以文社)、『真説・企業論』(講談社現代新書)、『日本の没落』(幻冬舎新書)、『富国と強兵─地政経済学序説』(東洋経済新報社)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(ともにベストセラーズ)などがある。
松尾 匡(マツオ タダス) 【解説】
立命館大学経済学部教授。1964年、石川県生まれ。専門は理論経済学。著書に河上肇賞奨励賞を受賞した『商人道ノスヽメ』(藤原書店)、『不況は人災です! 』(筑摩書房)、『「はだかの王様」の経済学』(東洋経済新報社)、『この経済政策が民主主義を救う』(大月書店)など。共著に『これからのマルクス経済学入門』(筑摩書房)、『マルクスの使いみち』(太田出版)、『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう─レフト3.0の政治経済学』『「反緊縮!」宣言』(ともに亜紀書房)などがある。
島倉 原(シマクラ ハジメ) 【監訳】
株式会社クレディセゾン主任研究員。1974年、愛知県生まれ。1997年、東京大学法学部卒業。株式会社アトリウム担当部長、セゾン投信株式会社取締役などを歴任。経済理論学会および景気循環学会会員。会社勤務の傍ら、積極財政の重要性を訴える経済評論活動を行っている。著書に『積極財政宣言─なぜ、アベノミクスでは豊かになれないのか』(新評論)がある。
鈴木 正徳(スズキ マサノリ) 【訳】
1964年生まれ。都立西高校、早稲田大学法学部卒業。1987年、第一勧業銀行入行。2002年よりローンスター・ファンド等、複数の投資ファンド系資産運用会社に勤務。現在はフリーランス。
登録情報
- 出版社 : 東洋経済新報社 (2019/8/30)
- 発売日 : 2019/8/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 536ページ
- ISBN-10 : 4492654887
- ISBN-13 : 978-4492654880
- 寸法 : 14.1 x 3.9 x 19.6 cm
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- - 11位税金一般関連書籍
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- - 39位経済思想・経済学説 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
1974年、愛知県生まれ。1997年、東京大学法学部卒業。株式会社アトリウム担当部長、セゾン投信株式会社取締役などを歴任。経済理論学会及び景気循環学会会員。現在は株式会社クレディセゾン主席研究員を務めながら、経済評論活動を行っている。
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1974年、愛知県生まれ。1997年、東京大学法学部卒業。株式会社アトリウム担当部長、セゾン投信株式会社取締役などを歴任。経済理論学会及び景気循環学会会員。現在は株式会社クレディセゾン主任研究員を務めながら、経済評論活動を行っている。
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L・ランダル・レイ 他4名
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第2版序文
主権を有する政府は、家計や企業とはまるで別物である。政府は通貨の発行者であり、通貨の利用者ではない。もし政府が家計のように予算を均衡させようと振る舞えば、経済は悪化するであろう。
序論 現代貨幣理論の基礎
政府が支出や貸出を行うことで通貨を創造するならば、政府が支出するために租税収入を必要としないのは明らかである。
更に言えば、納税者が通貨を使って租税を支払うのであれば、彼らが租税を支払えるようにするためには、まず政府が支出をしなければならない。このことは、200年前なら明白だった。国王が支出のために文字通り硬貨を打ち抜き、その後、租税の支払いを自らの硬貨で受け取っていた。
もう1つのショッキングな認識は、政府は支出をするために自らの通貨を、「借りる」必要がないことである。そもそも、まだ支出していない通貨を借りることなどできはしない。
このため、政府による国債の売却は借入れとは全く異なるものであると、MMTは位置付けている。
(国債とは)国庫による借入れと理解するよりも、あなたがより多くの利息を得るために自分の預金を当座預金口座から貯蓄預金口座に移すのに似ている。
国債とは実は、準備預金(銀行で言うところの「当座預金口座」)よりも多くの利息を支払ってくれる、中央銀行における貯蓄預金口座に他ならない。
MMTは、主権を有する政府による国債の売却を、金融政策オペレーションと機能上同等のものだと認識している。
国債売却の目的は、中央銀行が翌日物金利の誘導目標を達成するのを助けることにある。
中央銀行による国債の買入れは、銀行システムにおける準備預金を増やし、翌日物金利の上昇を防ぐ。
そのため、国債の売却・買入れは時代遅れとなっている。つまり、政府支出を「ファイナンスする」のにも、中央銀行の金利誘導目標
の達成を助けるのにも、国債は必要なくなっている。
政府は、銀行、企業、家計、外国人が利息を得るための手段として、利息のつく国債を提供している。これは政策上の選択肢であって、必要不可欠なものではない。
政府は、支出すること(財政政策)、もしくは貸すこと(金融政策)のいずれかによって、現金通貨と準備預金を提供しているのである。
MMTは、租税制度の主な目的は通貨を「動かす」ことであると主張。
租税の本当の目的は、政府自身の通貨に対する需要を生み出すことで、政府がそれに支出手段として(あるいは貸出手段として)使えるようにすること。
銀行預金も同じように機能する。我々が銀行預金を受け取る理由の一つは、我々の多くが住宅ローン、クレジットカード債務、自動車ローンを抱えているから。
銀行が融資をするだけで、預金は創造されるのか?政府が支出する(貸す)だけで、現金通貨や中央銀行の準備預金は創造されるのか?「無」から貨幣を創造するとでも言うのか?
答えは、もちろん「イエス」である。
第1章 マクロ会計の基礎
個々のレベルでも全体のレベルでも、実物資産の価値が純資産をもたらすことを頭の隅に留めておこう。総資産(実物資産および金融資産)から総金融負債を引くと、非金融(実物)資産、すなわち純資産が残る。
民間部門での活動は片方の「ポケット」から、もう片方の「ポケット」へと純金融資産を移すことができるだけ。
結論 1つの部門の赤字は、べつの部門の黒字に等しい
国内民間収支+国内政府収支+海外収支=0
どんなに必至にやってみたところで、すべての部門を同時に黒字にすることはできない。
赤字から貯蓄へ、そして債務から資産へ
社会は所得を増やすことを決定できないが、支出を増やすことはできる。さらに、すべての支出は、誰かにどこかで、所得として受け取られなければならない。
支出と所得の因果関係は逆にしなければならない。つまり、個々のレベルでは所得が支出をもたらすが、マクロレベルでは支出が所得をもたらす。
政府の財政赤字の大部分は非裁量的である
ほとんどの国で赤字が増加した最大の要因は財政の自動安定装置によるものであり、裁量的な支出によるものではなかった。
経済が1930年代の大恐慌の時のようにどん底に陥らずに済んだ主因は、救済措置や景気刺激策ではなく、自動安定装置である。経済が減速するにつれ財政は自動的に赤字となり、総需要を底支えしたのである。
政府はいつでも、支出を増やすことも税率を引き上げることも決定できる(ただし、どちらも政治的な制約がある)が、税収をいくらにするかを決定することはできない。
税収は、政府のコントロールの及ばない、所得、売上、資産のような変数に税率を適用して決まるからである。これは、財政収支が(黒字・均衡・赤字のいずれであれ)実際には裁量的ではないことを意味する。
裁量的とはどういうことか?国内(家計、企業、政府)の支出は非常に裁量的である。そして、支出が主に所得を決定する。しかし、部門間支は、ほとんどが非裁量的だとみなされるべきである。なぜならば、部門収支は、裁量的な変数と、非裁量的な変数、およびマクロ恒等式によって課された制約によって、非常に複雑な形で左右されるからである。部門収支の結果にこだわることなく、国内の資源をその能力いっぱいまで利用するような支出を促すことが、最も理にかなっている。
最善の国内政策とは、完全雇用と物価安定を追求することである。ー結局は大部分が非裁量的な政府赤字や政府債務に対して、根拠なき上限を課することではない。
第2章 自国通貨の発行者による支出
政府が租税を必要とするのは、歳入を生み出すためではない。通貨の利用者たる国民が、通貨を手に入れようと、労働力、資源、生産物を政府に売却するよう仕向けるためなのだ。
政府は、支出の「財源」が足りなくなることはない。しかし、通貨を手に入れるために、労働力、資源、生産物を政府にもっと売ろうという人々の意欲が足りなくなることは(少なくとも固定価格では)あり得る。
問題は、政府の「支出能力」ではない。租税を課して徴収する能力が、望ましい結果を達成するには十分ではないために、政府が資源を動員する能力が限定されてしまうことが問題なのだ。
最後に、実物資産と金融資産は明確に区別されなければならない。今でも、あらゆる社会において、最も関心を引く活動の多くは貨幣の領域の外側で行われる。それは重要な活動であり、こういう貨幣を伴わない活動がなければ、貨幣の領域も長くは続かないだろう。
第4章 自国通貨を発行する国におけるオペレーション
財政財政赤字と貯蓄
ここでは、「政府部門の赤字支が非政府部門の黒字(すなわち貯蓄)を生み出す」という命題になる。
非政府部門の自国通貨での貯蓄は、政府の財政赤字より先には存在し得ない。
貯蓄が赤字を「ファイナンス」するのではなく、赤字がそれと同額の貯蓄を創造するのである。
経常収支赤字は、その国に対する債権の形で純貯蓄を蓄積したいという海外部門の欲望から生じると考えることもできる。
経常収支赤字は、資産に対する海外部門の欲望(それが資本収支黒字を生む)と「均衡」しているのだから、経常収支赤字を解消する自動的な市場の力など存在しない。
第5章 主権国家の租税政策
租税が貨幣を動かす。つまり、主権を有する政府が租税を必要とするのは、歳入のためではなく、貨幣に対する需要を創造するためである。
MMTは、貨幣が租税などの強制的な義務を履行するのに必要とされる限り、そうした義務が貨幣に対する需要を創造すると主張する。
つまり、納税者が貨幣を必要とするので、政府は貨幣を発行してモノを買うことができる。
他人が貨幣を受け取るのは、ビリー・スーをだませると思うからではなく、世の中には租税債務を負っている大勢のビフィー・ボブがいるからである。
政府の支出を「賄う」ために租税は必要か?必要ではない。租税は貨幣に対する需要を創造するために必要なのだ。
MMTは、租税のもう1つの存在理由を、総需要を減らすことだと認識している。
理想を言えば、租税収入は景気循環的に動くー景気拡大時に増加し、景気交代時に縮小するーのが最も良い。
MMTは、不平等を減らすために、高所得者や多大な資産に対する課税を利用することに反対ではない。しかし、「事前分配」政策を利用することもまた有意義な方法である。
低所得の人々に対しては、雇用を創出し賃金を引き上げる政策が必要である。分配の最上位層では、法外な報酬を生み出す慣行をなくすような政策が実施されなければならない。
このような政策の例として考えられるのは、国債(これは、不労所得生活者に利子所得を与える)を廃止すること、中央政府の支援を受けている年金ファンドによる株式と先物商品の保有を禁じること、許可事業である銀行業の活動を抑制し限定するための規制を強化することである。
企業の役員報酬パッケージに制限を加えることも可能である。
再分配ではなく、事前分配を
歴史的に見れば、再分配にはメリットばかりではなく、少なくとも3つのネガティブな面があることが分かる。
第1に、再分配の仕組み滅多に持続しない。累進税率、社会保障、セーフティネット、最低賃金、福祉国家などのあらゆる再分配の仕組みは、一旦確立された後に徐々に弱体化する可能性があり、たいていは実際に弱体化する。
第2に、再分配は社会的な軋轢を生み、それはしばしば非常に激しいなる。租税が提供される政府サービスの対価を支払うのみならず、所得再配分役割を果たすとしたら、たいてい反対の声が大きくなる。
自分は他人よりも租税を多く支払っているのに、他人よりも公共サービスを受けていないのではないかと疑う納税者も出てくる。
一方、再分配の支持者は、倫理に訴え、脅迫する。
第3に、再分配にはコストがかかる。課税、支出、管理には、租税収入により賄われる大きな政府の官僚組織が必要である。
貨幣は、社会的に生み出された資源に対する支配権を政府に与えるために作り出された。
これが、貨幣が主権ー資源を支配する権力ーと結びつく理由である。
租税の目的は、歳入を増やすことではなく、悪行を減らすことである。
租税の目的が政府部門に資源を動かすことだとすれば、幅広く課税することが道理にかなう。
「悪」に課税せよ、「善」ではなく
「エーカー」や「インチ」や「ポンド」を使い果たすことがないように、主権国家が「計算貨幣」を使い果たすことはあり得ない。
土地が足りなくなることはあるが、エーカーが足りなくなることはあり得ない。
ドルは貨幣に関する記録に用いる計測単位である。枯渇することはあり得ない。
ロボットが課税を免れる一方で、人間の労働だけが課税されるので、賃金税は特に有害である。賃金税は人間の労働よりもロボットの労働に有利に働く。
第6章 現代貨幣理論と為替相場制度の選択
変動相場制における為替レートの決定は極めて複雑である。ドルの国際的な価値は、米国資産に対する需要、米国の貿易収支、米国と海外の金利差、米国のインフレ率、米国と海外との経済成長率の差のような要因に影響を受けるかもしれない。非常に多くの要因が関係しているため、為替レートの動きを確実に予測できるモデルは未だに開発されていない。
第7章 主権通貨の金融政策と財政政策
事実、このような結果に到達するのはし高度に定型化され単純化された経済を前提とした一定の条件の下のことであって、そうした条件が現実に存在するとは考えられないことを、経済学者たちは1950年までに厳密に立証している。つまり、「自由市場」が最善であるという主張に科学的な根拠はない。
1940年代、アバ・ラーナーは、彼が「政策に対する機能的財政アプローチ」と呼ぶものを考案した。そこで彼は2つの原則を提示した。
第1原則:国内の所得が低すぎる場合、政府は支出を(租税との比較において)増やす必要がある。失業はこの状態の十分な証拠であるから、失業が存在するならば、それは政府支出が少なすぎる(あるいは租税が高すぎる)ことを意味する。
第2原則:国内金利が高すぎる場合、それは、金利を下げるために、政府が銀行の準備預金という形で「貨幣」の供給を増やす必要があることを意味する。
彼には、景気循環の間も毎年(あるいは恒常的に)、政府が財政を均衡させようとすることの合理性が見出せなかった。ラーナーにとって「健全」財政(均衡予算)は機能的ではない。健全財政は公共目的(例えば完全雇用)を達成するのには役立たない。予算が時折均衡するのであれば、それはそれでよい。
均衡しなくとも、一向にかまわない。彼はまた、政府の財政赤字の対GDP比を特定の水準に保とうとするあらゆる試みを否定した。
「正しい」赤字とは、完全雇用を達成する赤字のことである。
従って、政府の国債売却は本当は、政府の赤字支出に必要な「借入」オペレーションではないということになる。もっと正確に言えば、国債売却は、中央銀行が金利誘導目標を達成するのを手助けするように設計された金融政策の一部である。
ミルトン ・フリ ードマンは 、 1 9 4 8年の論文 " A M o n e t a r y a n d F i s c a l F r a m e w o r k f o r E c o n o m i c S t a b i l i t y (経済安定のための貨幣と財政の枠組み ) "において 、政府が完全雇用の場合のみ均衡財政となり 、景気後退期には赤字に 、景気過熱期には黒字になるような提案を行った 。戦後初期において 、大半の経済学者がこのフリ ードマンの考え方を共有していたことは 、ほぼ疑いの余地がない。
すなわち、すべての政府支出は政府の貨幣の発行によって支払われ、租税が支払われるとこの貨幣は「破壊」される。
従って、財政赤字は貨幣の純増、財政黒字は貨幣の純減をもたらす。
要するにフリードマンは、金融政策と財政政策を結合させて、反景気循環的な方法で貨幣の放出をコントロールするために予算を利用することを提案した。
これは、金融政策と財政政策を「二分する」、後の一般的な考え方(教科書で習うIS-LMモデルと関連するような考え方)とはまったく対照的なものである。
なぜ我々は完全雇用を達成できないのだろうか?問題は、自動安定装置が民間需要の変動を完全に相殺するほど強力ではないことである。だからこそフリードマンは、経済が完全雇用に達していない限りは財政赤字を、ひいては正味の貨幣放出を認めていたのだろう。
(これは)戦後初期の経済学者の一般的な考え方であった。しかし、今日では、それを支持するまともな学者や政治家はほとんどいない。ー ほとんどの人々が、それはインフレを招き、かつ/また財政政策を破綻させると信じている。これが今日の経済学教育の惨状である。
つまり、景気後退期には赤字が膨らみ、景気拡大期には赤字が縮小する。景気が力強く拡大していれば、黒字にさえなる(米国では、クリントン政権期にこれが起きた)しかし、たいていの場合は、経済を完全雇用状態に保つための、この赤字方向への振れが十分でない。
財政が常に均衡しなければならないという宗教・神話〔が必要だという考え方〕には、一片の真理が含まれていると思います。
それが迷信だとバレてしまうと、すべての社会が制御不能な支出に対して備えていなければならない防波堤の1つを取り除いてしまいます。資源の配分には規律が必要であり、さもなければ無政府主義的な混乱と非効率に陥ってしまうでしょう。
この神話を信じてなければ、有権者は議員たちに過大な支出を要求して、インフレを引き起こすかもしれない。
私たちは銀行システムの中で準備預金を創造します。準備預金は中央銀行の中でのみ存在し、市中には出回りません。
財務省が直接受取り手の預金口座にキ ーストロ ークで記帳する方法もあるが 、それには財務省が銀行のバランスシ ートに準備預金をキ ーストロ ークで記帳できることも必要になる 。しかし実際には 、財務省と F R Bの間で業務が分割されている。
ラーナーは、政府の役割を車のハンドルにたとえた。政府は、経済が進路を外れるおそれがある時は、制御のため政策のハンドルを操作しなくてはならない。
経済の問題を認識してそれに反応するには時間がかかるため、自動安定装置を備えておくことが望ましい。
政府は相対的に大きくなければならない。ハイマン・ミンスキーは「政府は投資支出全体と同じくらい大きくなければならない。あるいは、政府財政の変動幅は投資の変動幅と同じくらい大きく、かつ反対の方向へ動かなければならない」と主張していた。
ミンスキーによれば、1930年代の政府はあまりに小さすぎて経済を安定させることができなかった。1929年の連邦政府の支出規模はGDPの約3%であり、ニューディールのピーク時でさえ、GDPのたった10%だった。今日では、OECD主要国の政府はすべておそらく自国経済を安定させるのに十分な大きさ(GDPの20%〜50%)である。
経常収支がゼロの国は政府の財政均衡を達成する可能性があるが、それは国内民間部門の黒字(貯蓄)がゼロであることを意味する。
従って、経常収支黒字の国を除いて、通常は完全雇用であっても政府は財政赤字になると考えるべきである。
さらに、(クリントン政権時代のような)財政黒字は偉業として称賛されるようなことではないと認識すべきであるー政府の財政黒字とは恒等式の産物であって、その意味するところは民間部門の赤字である。
米国民間経済による10年間(1996年から2006年まで)の赤字支出は、返済不能な債務の山を築いた。これが米国で始まった世界金融危機の説明の一部である。
我々の通貨主権に対する理解から導き出される結論は、政府部門の赤字は民間部門の赤字よりも持続可能なものだということである。
長期的な成長を促進するには、政府財政は持続的に赤字に偏らなければならない。これは「正常」なことである。
中国の純輸出に対する欲求を無視して 、米国に対する中国の 「貸出 」を考えても無意味である 。それどころか 、以下のものすべてが (おそらく複雑な形で )つながっているのだ ─ ─すなわち 、輸出向けの生産を行うという中国人の意欲 、米ドル建て資産を蓄積しようとする中国の意欲 、中国の貿易黒字の維持を可能にする中国の国内需要不足 、海外製品に対する米国人の購入意欲 、貿易赤字をもたらす (比較的 )高水準の米国の総需要 、米国政府の財政赤字をもたらす諸要因 、である。
ラーナーが指摘したように、失業は、自国通貨に対する満たされていない(そして、政府支出によって満たすことができる)需要が存在する証拠である。
国全体で見れば、実物的観点では、輸出は費用であり、輸入は便益である。
(労働力を含む)資源が輸出向けの生産活動に使われる場合、国民はその生産物を消費し、あるいは(投資財の場合)さらなる生産のために利用することができない。その国は生産費用を負担するが、便益を得ることはない。
輸入国は生産物を手に入れるが、それを生産する必要はない。従って、実物的観点では、純輸出は、純費用を意味し、純輸入は純便益を意味する。
すべての輸出には輸入がなければならず、すべての貿易黒字には貿易赤字がなればならない。すべての国が同時にこの方法で成長するのは不可能だ。これは基本的に「近隣窮乏化」戦略である。
輸出品を生産するために遊休資源を稼働させただけだとしたら、正味の便益は発生しない。国民は「より勤勉に」働いているのにも関わらず、全体としては消費を増やしていない。
なぜならば、国民にとって利用可能な「パイ」が増えていないからである。
国がー外国人による消費のためではなくー国内消費向け生産のための雇用を創出するならば、その国は一層豊かになる。
以上の議論は、その国にそもそも余剰供給能力があることを前提としていることに注意しなければならない。
「機能的」アプロ ーチを国際貿易にも取り入れるべきだ 、というのが我々の結論である 。変動為替レ ートの自国通貨を発行する (主権を有する )政府が貿易黒字を追求することは 、その政府が財政黒字を追求するのと同じように意味がない 。経常収支黒字を最大化しようとすれば 、正味の実物費用を負担することになる (前述の注意点はあるが ) 。それよりもむしろ 、自国の完全雇用を追求し 、その結果として経常収支と財政収支が調整されるようにするのが最もよい 。これは 、完全雇用を達成するために貿易黒字を追求する通常の戦略よりもはるかによい 。
第8章 「完全雇用と物価安定」のための政策
ケインズ学派的な「呼び水」需要刺激策は一時的には完全雇用を達成するかもしれないが、それを持続させることはできない。なぜならばそれは経済を不安定にし、インフレ圧力と持続不可能なバブルを生んでしまうからである。
就業保証プログラムは国内外における通貨価値に土台を提供する。
最初に設定される水準次第で一時的な賃金と物価の上昇をもたらす可能性があるものの、国内のインフレは引き起こさない。
就業保証プログラムは、かつてのオーストラリアの羊毛価格安定プログラムとほぼ同じように機能する「緩衝在庫プログラム」であると分析できる。
政府は市場価格が支持水準を下回った場合は買い取り、市場価格が支持水準を上回った場合には売却する。
就業保証プログラムでは 、政府が労働力の下限価格を提示し 、プログラムに参加する労働者にその賃金を支払う 。政府は 、就業保証プログラムの賃金を上回るのであれば 、どんな価格であれ企業 (と就業保証プログラム以外の政府事業 )に労働力を売却する。
社会的に有益な生産物を生産する有益な仕事を提供するという点で 、うまくいかないプロジェクトもあるだろう 。しかし 、常に忘れてはならないのは 、それに代わるもの ─ ─失業 ─ ─の方が社会的な損失が大きいということである 。
就業保証プログラムは 、雇用創出へのアプロ ーチとしてはより典型的なトリクルダウン 」アプロ ーチに代わり得る 、 「ボトムアップ 」アプロ ーチである。
実のところ 、経済学者と政策担当者は楽観的な連中だと結論づけざるを得ない 。はるかケネディの時代まで遡れば 、経済を成長させられれば 、誰もが勝ち組になるというのが社会通念であった 。実際には 、その考えはあまりにも幼稚で事実に反するものである 。権力者は 、好況時には利益をむしり取る 。不況時には政府に救済してもらう 。景気動向に関係なく幸福を守り増進させられないなら 、誰も金持ちになり権力を握りたいなどとは思わないだろう 。
なぜエリ ートたちはいつでもどこでも経済成長を叫ぶのか ?彼らが提唱するすべての政策は 、それが経済を成長させるという主張によって正当化されているように思われる。
表が出れば金持ちの勝ち 、裏が出ても金持ちの勝ちだ 。
過去に失敗した政策を続けたがる人々もいる 。彼らは 、試みたものの失敗に終わった二大戦略 ─ ─経済成長と 、現代の衣装をまとった福祉 、すなわちベ ーシックインカム ─ ─を利用したがる 。ミンスキ ーが主張したように 、確かに我々には福祉が必要である 。寛大さは人間性の物差しである 。しかし 、福祉を増進しても 、失業と貧困の問題は決して解決しない。
ミンスキ ーは 、 「どうすれば所得の分配を改善できるか ? 」と問い 、 「まずは完全雇用によってである 」と答えた 。これは 、彼が定義した 「目一杯の完全雇用 」を達成して持続する必要があることを意味する 。すなわち 、目一杯の完全雇用とは 、 「様々な職業 、産業 、地域にわたる雇用主が 、現行の賃金 ・給与水準で 、現状よりも労働者の雇用を増やすことを選好する [状況であり 、 ] … …目一杯の完全雇用の達成と持続によって 、貧困を撲滅するという任務はほぼ全うできる。
ケインズは 、 1 9 6 0年代 「ケインズ学派 」によって支持された 「呼び水 」政策よりも 、直接労働者を雇う政策を支持していた。
失業者本人が苦しむだけではない 。失業は 、 2つの側面 ─ ─生産の縮小 、失業の影響に対処するための社会的コスト ─ ─において社会に莫大なコストを強いる 。
問題は 、支出能力に関するものではないし 、そんなものはそもそもあり得ない 。問題は資源に関するものである 。
実際には 、就業保証プログラムは働きたい人々のためだけの 、完全に任意のプログラムである 。働くつもりのない人は参加できない。
リバタリアンとオ ーストリア学派はこれが大好きなはずだ 。就業保証プログラムはビッグ ・ブラザ ーではない 。大きな政府ですらない 。仕事が政府によって提供される必要はまったくない 。誰も職に就かなくても 、別に構わない 。就業保証プログラムは 、自由を愛するリバタリアンとオ ーストリア学派の最も大切な規範に合致している 。
2 .就業保証 /最後の雇い手というアイディアもまた 、いかなる大きさの政府にも合致する 。大きな民間部門と小さな政府部門を望むならば 、租税と政府支出を少なく保てばよい 。それが 、大きな民間部門が利用すべき資源を解放する 。しかし 、民間部門が雇用しきれない労働資源を吸収するために 、やはり就業保証プログラムが必要であろう 。民間市場の有効性に関してオ ーストリア学派が正しいのであれば 、就業保証プログラムは常に小さいだろう。
(租税を支払うために貨幣を探し求める人々 )を生み出すことである 。これを現代のほぼ完全な貨幣経済 (単に食べたり 、テレビを見たり 、携帯電話をいじったりするために貨幣を必要とする経済 )に拡大適用すれば 、 (租税を支払うためだけに限らず )誰もが貨幣を探し求めるということになる 。そうだとすれば 、政府の租税によって生み出された失業問題を民間部門に解決させることはまったく愚かな行為である 。民間部門が単独で 、継続的に完全雇用を供給することは決してない (実際に供給してこなかった ) 。就業保証プログラムは 、民間部門を支援するために論理的に不可欠なものであり 、歴史的にも必要とされてきた 。それは 、民間部門の雇用を補完するものであって 、代替するものではない 。
怠けて福祉を受けるのではなく 、全員が (能力を最大限発揮して )働き 、社会に貢献すべきであるという考えを 、どうして社会主義と呼ぶことができようか ?
第9章 インフレと主権通貨
固定相場制を採用し 、あるいは (外貨建て債務のような )外貨や金を引き渡す約束をしている国だけがハイパ ーインフレになり 、通貨危機に陥るようである 。そして 、それは常に 、これらの国が外貨や金を引き渡す能力に比べて 、債務証書の発行を無分別に膨らませたことに行き着くようなのだ。
共通の問題がある 。つまり 、社会的 ・政治的大混乱 、内戦 、生産能力の崩壊 (戦争が原因となり得る ) 、弱い政府 、外貨や金で表示される対外債務である 。財政赤字が増加し 、 (恒等式によって )政府の債務残高が増加することは間違いない 。しかし 、 (政府と競って物価を押し上げる )民間支出をファイナンスするために 、銀行が貨幣創造していることも忘れてはならない。
銀行の利益は 1 0 0あるいは 2 0 0ベ ーシスポイント減ることになる 。これが景気を刺激するだろうか ?インフレ心配症の人は 、イライラが収まるだろう 。 Q Eがインフレを引き起こす可能性はないのだから 。どれだけ準備預金が生み出されても 、それは中央銀行のバランスシ ートに確実に閉じ込められたままである 。そこから脱出してインフレを引き起こす可能性はない 。
過去 2 0年間にわたってゼロ金利政策を経験した日本のケ ースから学んだように 、極端な低金利は 、与える以上に多くの需要を経済から奪ってしまう。
F R Bはブレ ーキとアクセルを踏み間違えてきたのだ 。 Q Eは経済に急ブレ ーキをかけるが 、 F R Bは 、 Q Eが経済へガソリンを送り込んでいると考えている 。それは 、 Q Eが間違った政策であることを意味するわけではない ─ ─多くの M M T派は常にゼロ金利政策を支持している ─ ─が 、 Q Eは景気を刺激しないことを理解しなければならない
我々はさらに 、主権通貨には 「土台 」が必要であり 、就業保証プログラムにおける基準賃金の設定によって 、プログラム自体がその土台となると考えている。
就業保証プログラムは 、通貨を 「裏づける 」 1オンスの金よりもずっと有効な土台であると我々は考えている 。労働力はあらゆる財 ・サ ービスの生産に投入されるので 、労働力の緩衝在庫は金の緩衝在庫よりも経済を安定させるのに有効である。
さらに 、労働者の所得は 、最終消費財に対する需要の最も重要な源泉である 。従って 、完全雇用状態で 、そして緩衝在庫就業プログムラムの比較的安定した賃金を利用して経済を運営することが 、消費支出と家計所得の安定のみならず 、賃金 、それゆえ物価を安定させるのにも有効である 。
「政府は 、インフレを引き起こすことなく完全雇用を追求すべきだ 」というのが M M Tの政策規範であり 、そうするのに就業保証プログラムほど良いプログラムは見つかっていない 、というのがケルトンの主張である 。従って 、我々は M M Tの説明からこの政策提案を切り離すことができない 。それどころか 、 M M Tは規範も説明もはるかに超えたものである。
M M Tは 、経済を全体として理解するための首尾一貫したアプロ ーチを与え 、貨幣の 「本質 」の理解から始まる 「世界観 」を提示する。
M M Tの教義の大部分は誰でも取り入れることができる 。その政策規範に同意することなく 、単に M M Tの説明的な部分を利用したいならば 、それも可能である 。 M M Tの説明は政策立案のための枠組みを提供するが 、政府が何をすべきかに関しては意見を異にする余地がある。
主権通貨を発行する政府にとって支出能力は問題とならないことをひとたび理解したならば 、今度は 、政府は何をすべきかという問題が最も重要になる 。我々は 、それについて意見を異にすることも可能である 。
第10章 結論ー主権通貨のための現代貨幣理論
1.政府は、支出する前に、租税収入を受領する必要があるのか?
2.中央銀行は、貸出を行う前に、準備預金を受領する必要があるのか?
3.民間銀行は、貸出を行う前に、要求払預金を受領する必要があるのか?
答えが全て「ノー!」なのは明らかである。
罪にせよ負債にせよ、創造されていなければ贖罪あるいは償還することは不可能である。
人々は「償還」と「創造」を取り違えている。
租税の受領、準備預金の受領、要求払預金の受領は、すべて「償還行為」である。
「創造」は「償還」より先でなければならない。
負債はそれが償還される前に創造されなければならないのだから。
現代資本主義における停滞傾向の最も有効な説明は、
オレゴンの2人の経済学者、ハロルド店ヴァッターとジョン・ウォーカーの生涯をかけた研究成果である。
簡単に言えば、問題は、資本の生産性が高すぎることにある。
投資が生産性を向上させる性質は、総需要に対する投資の乗数効果を上回る。この問題は徐々に大きくなり、労働者(消費に使われる賃金を稼ぐ)を機械(賃金を稼がない)に置き換える傾向によって更に悪化する。
これが進むと、やがて、しかし確実に、機械を作り出す機械にたどり着く。
企業は売れると思うものを生産する。
従って、長期にわたって将来の売上が伸びると思わなければ、生産能力増強のための投資を行わない。
減税は、それが長期にわたって将来の売上を増やすと信じさせる魔法の粉がない限り、企業の投資を増やさないだろう。
金利と税率の引き下げだけで、企業をだまして投資させるためには、妖精の粉を大量に撒く必要がある。
投資を増やすことは需要不足の解決策にはなり得ない。つまり、投資を増やすと、総需要が増える以上に総供給(能力)が増える。
過去40年にわたって、「雇用なき成長」が経済の常態になっている。雇用が回復するずっと前に、公式には不況は終わったことになっているのだ。
繁栄を取り戻すレシピは、消費者向け売上が伸びるように、底辺の人々の雇用を創出し、賃金を引き上げることである。
民間部門主導の景気拡大は例外なく失速し、たいていの場合、債務の増加による金融危機で幕を閉じる。
この循環を断ち切るには、政府が果たす役割を大きくする必要がある。政府主導の成長が、実は民間部門の財政力を強化する。また、それは直接的に雇用、所得、売上を増やすので、「確信の妖精」に頼る必要がない。
MMTの原則は、すべての主権国家にあてはまる。もちろん、主権国家は完全雇用を達成できる。たしかに、完全雇用は貿易赤字をもたらすかもしれない。貿易赤字は(もしかしたら)通貨安を引き起こすかもしれない。通貨安はインフレ・パススルーをもたらすかもしれない。しかし、そのような結果を望まないならば、主権国家には利用可能な政策上の選択肢が数多くある。輸入規制や資本規制がその例である。雇用割当て、投資割当て、対象を絞り込んだ技術開発もまた、政策上の選択肢である。
社会保障税は逆進的であり、神話を維持しようとすれば税率を更に引き上げなければならないため、将来はさらに逆進的なものになる。
自称進歩主義者は、「私は払い込んだ、ゆえに給付を受ける資格がある」という道徳的な神話を捨てるよりも、その制度自体を破壊することを好む。
政府支出は、我々が資産として蓄積する通貨や国債を供給する。政府の通貨や国債を所有することで、我々はこの偉大な国の出資者となる。社会保障などの所得補助プログラムから受取る給付金は、我々に自国の生産品へのアクセスを与えてくれる。我々はこのアクセスを手に入れる資格があるが、それは租税を支払うからではなく、我々全員がこの社会に参加しているからである。
我々は皆自立して生きている。政府は社会的支出ー老後のため、医療のため、食料配給券のため、貧困家庭支援のための支出ーによって我々の自立を支援する。
我々は自立しているのだ。政府は資金不足になり得ない。政府は常に、我々が自立した国家運営を行うのに必要な財政的能力がある。技術的に可能なことはすべて、財政的に可能である。あとは、技術、資源、政治的意思の問題である。
技術と資源はすでに手にしている。我々に必要なのは、政治と連携し、我々の意思を強固なものにするのにふさわしい文化的遺伝子である。
私にはどうしても引っかかった箇所がいくつかあった。
365頁には
MMTはそれ自体左でも右でもなく、ある意味1つの説明である。とはいえ、よりリベラルな公共目的のビジョンにMMTを加えたり、あるいは公共目的に「完全雇用と物価安定」または単に「経済の安定」を加えたりした場合の方が、「政府にはこのような政策を実行する『支出能力』がない」という考え方を即座に斥けてくれるMMTは、公共目的を達成する方法を見つける上でより有益な理論となる。
とMMTは政治的に右でも左でもないという説明がある。しかし、どうしてもインフレの影響で資産が目減りする資産家の立場からすれば、MMTが多くの人々に普及してしまうのは都合が悪いと感じられるであろう。だからリベラル層よりも資産家が多い保守層の中にはMMTは受け入れがたいと感じる人は多いであろう。
そしてクルーグマンについても触れておくと、クルーグマンは著作を公刊した初期の頃からリベラル層に支持されるような書き方をしていた。しかし、それと同時にクルーグマンは、はじめから一貫してニュー・ケインジアンの枠組で記述していた。インフレを引き起こす政策が望ましいとする立場と、ニュー・ケインジアンの立場は実は矛盾をきたす立場なのである。ニュー・ケインジアンの立場に留まる限りリベラル層向けの発信力は本質的に不安定になってしまう。
クルーグマンの『The Age of Diminished Expectations』の32頁には、インフレを加速させない失業率NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment)の説明がある。
The NAIRU is not an immutable, unchanging feature of the economy. chenges in long-term government policies and in the economy’s structure can raise or lower it.
クルーグマンの説明通りNAIRUは絶対的な概念ではないが、しかしMMTの出現によってNAIRUの概念についても再考が必要になってしまったといえるだろう。
MMTはケインズの正統な後継思想である。MMTとは直接の関連はないが日本にはかつてケインズとも交流があったケインジアン経済学者の柴田敬(1902-86)がいた。柴田敬は『経済の法則を求めて』でケインズの後に出現したケインズを超えたという経済学はケインズ以前のワルラスの一般均衡への先祖返りと解釈していた。MMTはケインズ以前の一般均衡に先祖返りしていた経済学を見直しケインズ経済学を復活させた理論だと解釈できる。その意味においてはMMTは難しい理論ではない。
私は『MMT現代貨幣理論入門』のなかの輸出入についての説明には引っかかってしまった。現代社会の人間の経済活動は原油をはじめとするエネルギーの消費なしには成り立ちえない。戦後の日本がニクソンの時代まで1ドル360円の固定レートだった時代の日本の高度成長はドル高円安による原油安の状況下、水よりも安い原油を大量に消費できたおかげで成立したのである。ドルを高くすれば原油が安くなり、ドルを安くすれば原油が高くなる。レーガノミクスの前半の81年から85年9月のプラザ合意までの時代はドル高によって原油が安くなり産油国のソ連の経済崩壊のきっかけを作り出した。つまり輸出入を観察する際には産油国にとってはドル安こそが経済成長の原動力であるはずという観察が、『MMT現代貨幣理論入門』でされていないのが私にとって最も引っかかった点である。
米国が長期間ドル安に誘導し、原油を長期間暴騰させれば多数の国々が原発開発を推進し、世界各国のGDP成長は加速するだろう。しかし、この考え方は受け入れがたいと感じる人が多いのだろう。
MMTの立場からはベーシック・インカム的な個人への現金給付よりも、政府による就業保障の方が望ましいとしている。なぜそう言えるのかの部分も詳しく説明してある。
原文はあまりにも高価なので残念ながら読めていないのだが、それでも標準的な経済学とその経済学者を貶めたいという個人的感情が透けて見える。例えば冒頭の訳者解説では明らかに史実と異なる経済史を「標準的な経済学の主張」として紹介しているし、本文については細かい言葉遣いに悪意が込められている。
こんな方法でMMTを語るからいつまで経っても支持者が増えない。