本書は、先進国が伝統的な金融政策に頼るものの、十分な効果を上げられない状況を分析し、その背景と対策を詳述する。
本書の中心となるバランスシート不況論は、民間部門が債務の最小化を最優先する局面に注目している。特に、バブル崩壊後の日本の例を挙げ、低金利環境下でも民間部門が借金をすることなく、バランスシートの修復に専念することが経済停滞の主要因であると論じる。
本書では、先進国が抱えるバランスシート不況の原因として、経営ミスやバブル崩壊後の損失修復、そして国内投資機会の欠如を挙げる。これらの要因は、金融政策の効果を低下させる。
経済発展の段階別に、それぞれの国が直面する課題と必要な政策を整理し、最初の工業化段階から、経済の成熟期、そして先進国が追いかけられる段階への移行を分析する。特に、被追国では、インフレの脅威が低下し、金融政策よりも財政政策の有効性が高まると指摘する。
米国の経験を基に、被追国が取り組むべき政策として、サプライサイド改革、減税、規制緩和、そしてイノベーション促進の重要性を強調する。同時に、経済政策の限界とインフレリスクの管理についても言及し、中央銀行が直面する課題を考察する。
さらに、欧州での極右勢力の台頭や保護主義の理由を探り、1930年代のドイツの例を引き合いに出して、財政政策の重要性を訴える。また、自由貿易と自由な資本移動の衝突についても分析し、貿易不均衡を是正するための政策的介入の必要性を主張する。本書は、従来のマクロ経済学が見落としてきた点に光を当て、現代の経済問題への新たな解釈と対策を提示している。
私見であるが、1970年代にルイスの転換点を脱した日本は、その後高度経済成長期を経て、1990年以降のバブル崩壊によるバランスシート不況を経験した。そして、その後おおよそ30年という超長期間を債務返済に費やすことになった。30年間というと一世代を示すが、日本経済はこの30年で債務返済を必死に進めてきたとも言える。
こう考えると、バランスシート不況を脱するのに一世代という非常に長い時間を要したが、これは決して「失われた30年」ではなく、経済の土壌改革のための30年だったとも言えるのではないか。もちろん、日本経済は人口減少に伴う経済規模の縮小、社会保障費の増大を主因とする財政の構造的問題など、多くの課題はある。しかし、企業のガバナンス改革は着実に進み、多くの上場企業では内部留保も進んだ。2023年以降、この内部留保が将来への投資に向かう兆候が出てきている。日本経済は決して楽観できないが、悲観だけでもないということを本書を通じて考えるきっかけとなった。
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「追われる国」の経済学: ポスト・グローバリズムの処方箋 単行本 – 2019/4/26
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なぜ長期停滞を余儀なくされるのか。なぜ経済学の理論が通用しないのか。
縮小する日本、停滞する世界を救う全く新しい経済理論。
バーナンキやサマーズらが激賞、世界的エコノミストによる緊急提言書。
【絶賛の声、続々!】
「リチャード・クー氏は過去20年間の景気循環に対して最もすぐれたアイデアを持っている。本書はその視点を様々な経済分野の長期的な課題へ応用したものだ。先進国がこれからも持続的な力強い経済成長を達成できるかどうか不安に感じる人々にとって、大いに参考になる」
――ローレンス・サマーズ(元米財務長官)
「リチャード・クー氏は、グローバル経済の危機を正確に解明する画期的な枠組みを発見したという点で、現代の最も注目されるエコノミストである。彼の発見が革命的であるのは、これまでの経済理論を根底から覆しただけでなく、それを完成させたからである。政策立案者がこの傑出した本のエッセンスを理解し、直ちに行動に移るならば、私たちの生活は直ちに安定し安心できるものになるだろう」
――リチャード・ダンカン(『ドルの危機』の著者)
「本書は、今世紀に入ってから現在までの経済学の優れた書籍として、ピケティの『21世紀の資本』と並び称される存在になるだろう」
――エドワード・フルブルック(世界経済学会の創設者)
「グローバル化に強い興味を持つ人なら誰でも一読して欲しい本だ。洞察力、分析力、独創性、政策論争の醍醐味、それに著者の人間的魅力を同時に味わうことができる」
――ジェフリー・ガーテン(イェール大学経営大学院学部長兼名誉教授)
縮小する日本、停滞する世界を救う全く新しい経済理論。
バーナンキやサマーズらが激賞、世界的エコノミストによる緊急提言書。
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「リチャード・クー氏は過去20年間の景気循環に対して最もすぐれたアイデアを持っている。本書はその視点を様々な経済分野の長期的な課題へ応用したものだ。先進国がこれからも持続的な力強い経済成長を達成できるかどうか不安に感じる人々にとって、大いに参考になる」
――ローレンス・サマーズ(元米財務長官)
「リチャード・クー氏は、グローバル経済の危機を正確に解明する画期的な枠組みを発見したという点で、現代の最も注目されるエコノミストである。彼の発見が革命的であるのは、これまでの経済理論を根底から覆しただけでなく、それを完成させたからである。政策立案者がこの傑出した本のエッセンスを理解し、直ちに行動に移るならば、私たちの生活は直ちに安定し安心できるものになるだろう」
――リチャード・ダンカン(『ドルの危機』の著者)
「本書は、今世紀に入ってから現在までの経済学の優れた書籍として、ピケティの『21世紀の資本』と並び称される存在になるだろう」
――エドワード・フルブルック(世界経済学会の創設者)
「グローバル化に強い興味を持つ人なら誰でも一読して欲しい本だ。洞察力、分析力、独創性、政策論争の醍醐味、それに著者の人間的魅力を同時に味わうことができる」
――ジェフリー・ガーテン(イェール大学経営大学院学部長兼名誉教授)
- 本の長さ656ページ
- 言語日本語
- 出版社東洋経済新報社
- 発売日2019/4/26
- ISBN-104492444513
- ISBN-13978-4492444511
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縮小する日本、停滞する世界を救う全く新しい経済理論
時代は変わった。現実を理解するためには、経済学者を含むすべての人々が胸襟を開き視野を広く持たなければならない。時代の変化に対しては、正しい反応もあるし、間違った反応もある。過去には大きな効果を発揮した政策が、現在はどうして効かなくなったのか。なぜ“古き良き時代”のノスタルジアが、未来の処方箋にならないのか。本書がこうした疑問の解消に役立つことが、筆者の願望である。変化を突き動かす要因が特定され、その理解が進めば、国民や政策担当者は、もはや意味をなさなくなった処方箋に惑わされることなく、今日の新たな現実に正しく向かい合うことができるからだ。 (「まえがき」より)
商品の説明
著者について
リチャード・クー
野村総合研究所 主席研究員、チーフエコノミスト
1954年、神戸市生まれ。76年カリフォルニア大学バークレー校卒業。ピアノ・メーカーに勤務した後、ジョンズ・ホプキンス大学大学院で経済学を専攻し、FRBのドクター・フェローを経て、博士課程修了。81年、米国の中央銀行であるニューヨーク連邦準備銀行に入行。国際調査部、外国局などでエコノミストとして活躍し、84年、野村総合研究所に入社。現在、同研究所研究創発センター主席研究員。
野村総合研究所 主席研究員、チーフエコノミスト
1954年、神戸市生まれ。76年カリフォルニア大学バークレー校卒業。ピアノ・メーカーに勤務した後、ジョンズ・ホプキンス大学大学院で経済学を専攻し、FRBのドクター・フェローを経て、博士課程修了。81年、米国の中央銀行であるニューヨーク連邦準備銀行に入行。国際調査部、外国局などでエコノミストとして活躍し、84年、野村総合研究所に入社。現在、同研究所研究創発センター主席研究員。
登録情報
- 出版社 : 東洋経済新報社 (2019/4/26)
- 発売日 : 2019/4/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 656ページ
- ISBN-10 : 4492444513
- ISBN-13 : 978-4492444511
- Amazon 売れ筋ランキング: - 72,410位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 25位国際経済と日本
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5 星
久々の新作
今回も20年来全くブレることのない「バランスシート不況」のアップデートバージョン。当初、批判的だったバーナンキやサマーズが、リーマンショックで自国が同じ問題に直面したことで手のひら返しで絶賛してるところが面白い。従来の経済学は、何か腑に落ちないところが常にあったが、クーさんの主張はとにかく明快。近い将来、マクロ経済学の教科書のスタンダードになって、ノーベル経済学賞を取るのではないかと思う。
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2023年12月30日に日本でレビュー済み
2020年5月25日に日本でレビュー済み
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とてもわかりやすい
かつ革新的な内容で個人的に感動しました
ここまで深い内容の著書は初めてです
かつ革新的な内容で個人的に感動しました
ここまで深い内容の著書は初めてです
2020年5月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一昨年に刊行された本書についてどのような反響があるのかと思っていたが、今や世界はコロナ恐慌へと突き進んでしまっている。世界経済の息の根を一瞬にして止めているパンデミックではあるが、これも本書の視点を際立たせ、マクロ経済学のあり方を探る最良の時を与えてくれたとも言えるのではないだろうか。米中貿易戦争もグローバル化も、自国優先主義も、際限ない中央銀行の資金供給も全て基本的には著者の指摘するところの構造は今も同じであり、更にそれが未曾有の規模でデフォルメされていると言って良いだろう。
リチャード・クー氏と言えば、この20年間一貫して「バランスシート不況」の概念を駆使して、日本経済のマクロ分析引いてはリーマンショック後の先進資本主義の陥った不況の正体を解明して一定の評価を世界から受けてきた論客である。
そのクー氏が今回、世界の経済状況を俯瞰し大きな危機感を持って指摘したことは大きく言って五つある。
その第一はバランスシート不況が一応終焉したにもかかわらず一向に回復しない日本経済に代表される先進資本主義の大問題「国内における資本収益率の低下それに伴う国内投資の低迷」とそれと同時進行する「海外への生産拠点の移転ならびに高い資本収益率に誘引された海外投資の伸長」である。
第二は「金融を緩和すれば資金需要が生まれ国内投資が行われて景気は回復する」と言う経済政策は、超金融緩和によって大量の資金を供給しようとするがこれらの資金は国内設備投資に向かうことなく、様々な金融手法を駆使しながら株式や不動産などの資産=モノの取引による市場に流れ込み、価値を生み出さない見せかけの経済成長を導き出す。クー氏は言う「現在の米国の住宅価格は2006年のバブルのピークに戻っており、サンフランシスコでは過去のピークを 2割以上も上回っている 。また 、同国の商業用不動産価格は全国ベースで既に過去のピークを 2 6 %も上回っており 、6大都市ベースでは過去のピークを 4 0 %も上回っている 。これはまさに 、被追国の経済がバブルとバランスシート不況の間を行ったり来たりしているということだが 、この過程の中で 、一般の人々の生活はけっしてよくはならない 。これは 、経済の振れが資産価格の振れから発生しており 、その背景にある取引は既存資産の所有権の移転に関するものであり、GDPを押し上げるものではないからだ」。
第三に、追われる国の経済政策は大幅な税収減に伴う財政政策への制限により金融政策に偏重し、実体経済の成長を生まないばかりか実質賃金の低下を伴い貧富の格差を増大させる。
ここに至って、インフレターゲットなどの金融偏重の経済政策の失敗はその失敗がもたらす既存政治への失望を生み出し、理性的であるより失望感や感情に訴える極右的政治勢力の台頭、社会的分断と言う政治的危機を招来する。
第四に財政赤字への反省から、民間の資金需要が無い時の最後の資金需要としての公共投資の政策的正当性が忌避されることにより、資本主義の新しい段階としての被追国の経済にふさわしい未来へのエンジンとしての財政政策の新たなそして適正な手法の開発が見失われる。
第五にグローバル化した資本市場の構造的欠陥として、資本移動の自由化は為替市場から国家間貿易のショックアブソーバーとしての機能を奪い去る。今や為替市場は金融商品としての取引に支配され、貿易決済による為替変動は限定的になってしまった。即ち為替市場が従来果たして来た貿易戦争抑止力は喪失し、米中貿易戦争に代表される剥き出しの反自由貿易の時代が到来する。
そしてこれらを包括する歴史概念としてクー氏は国民経済の発展段階として被追国の概念を提唱するわけである。
これらを今の日本について当てはめてみるなら、すでに日本の経常収支は2007年に過去最高の30兆円の黒字を記録した時でさえその半分15兆円は資本収支の黒字であり、2017年に至っては25兆円の経常収支黒字の90%、20兆円が証券投資ならび対外直接投資によるものとなっている。日本はもはや貿易収支即ち製品を海外に輸出して外貨を稼ぐ国では無いのである。
しかし、失われた20年と言われる長期不況に対する処方箋は小泉政権時から変わらず、構造改革という新自由主義政策と際限ない日本銀行による超金融緩和の螺旋的拡大のみであり、実質所得は低下を続け、貧富の格差は拡大している。毎年のように税収の倍の予算を組みながら国民皆保険制度は破綻の際にある一方で防衛費だけが突出していくというまるで自分の首を絞めながら拳銃を握りしめるかの如くである。そしてこれに対する失望は経済政策の大転換に向かうことなく、内向きになった世情の日本讃美の声の大合唱と相まっていつの間にか書店の棚には自分の外に敵を作り敵を求める憎悪を売り物にした書籍が山積みになり、売れることが全ての排外主義にあふれた愛国雑誌が幅を効かせる事態となった。今や何がきっかけで極右勢力の台頭といった政治的破滅への道に向かってもおかしくない。
日本を例にとって述べてみたがこれは先進資本主義諸国全体に蔓延している状況であり、その意味でクー氏の指摘「被追国の経済」という類型は現代資本主義が陥っている逃れ難い罠を的確に抉り出している。もう一度端的に言えば各国は中央銀行による超金融緩和によって資本収益率の低下した国内投資を回復することはできず、逆に世界的規模で瞬時に動き回る金融資本の猛威が資産バブルの崩壊による更なる景気後退を呼ぶ負のスパイラルに陥っているわけである。
しかし、本書でクー氏が目指したのは単に鋭い外科医の腕前ばかりでは無い。マクロ経済学の本領としてのこの資本主義の病に対する政策的処方箋もまた彼が求めたものであった。
「経済学界はごく最近になるまで、民間のバランスシートが毀損した事のマクロ経済的な意味を理解していなかっただけでなく、海外の資本収益率が国内のそれよりも顕著に高くなったことのマクロ経済的意味も考慮してこなかった」その結果、各国政府のみならずIMFや世界銀行といった国際的経済機関もまた間違ったシグナルを出し続けて来た。これはクー氏言うところの先進資本主義国が黄金期を過ぎ被追国という発展段階に入った世界経済の巨視的変化をマクロ経済学が認識せず旧来の政策に固執したため各国の経済制度の枠組みや貿易為替制度が機能しなくなっており、新しい経済制度、新しい国際的枠組みが必要なことは火を見るより明らかだと主張しているわけである。
それでは被追国における経済政策の在り方とは何か、クー氏はまず金融政策一辺倒の経済政策から財政中心の経済政策への転換を説く「しかし経済が追われる立場になると、賃金の伸びは停滞し、消費者は商品選びに慎重になる一方で、輸入品が世の中に溢れ、企業は国内投資の削減を迫られるので、経済は基本的にデフレ体質である。もし企業の資金需要が超低金利下でも家計の貯蓄を下回るようであれば、政府は景気の落ち込みを避けるために財政政策を発動して、最後の借り手としての役割を果たさなければならない。」「(このような段階)にある経済を支えられるのは、財政政策だけである。しかも財政政策は、民間部門が再び借り入れができるようになるまで継続しなければならない。先進国の大半で公的債務が大きく積み上がっているが、民間が債務の最小化に向かう(中略)経済では、政府が残された唯一の借り手になり、債券利回りは極端な水準まで低下する。こうした低利回りは市場が政府に対して「国の将来に必要な公共事業プロジェクトがあれば、今こそ実施の好機だ」と告げているメッセージである。しかも、国債利回りの急低下によって、自己ファイナンスが可能な(=社会的な収益率が超低水準の国債利回りを上回る)公共事業プロジェクトは確実に増える」。クー氏はこのように述べて新たな公共事業プロジェクトを策定する独立諮問機関の設立も提唱している。
「国内の投資機会が枯渇する中で、後続の激しい追い上げをかわすためには、新たな製品やサービスの開発を加速しなければならないが、それにはこれまでとは違う税制や諸規制が必要になる。」「また、被追国の教育制度は早い段階から学生に批判的、自律的に物事を考える習慣をつけさせておかなければならない。権威主義がはびこり、現状にチャレンジすることが難しい環境では、新しいアイデアやサービスは生まれてこないからだ。ということは、政府は今の教育制度がそうした時代の要請に十分応えているか、再評価する必要がある。」これらの論点はクー氏一流の社会改革の処方箋のようである。
またクー氏は被追国の未来について黄金期に戻ることはないとして次のように述べている「画期的な技術革新が出現することを前提にすると、将来において黄金期に似た世界が復活する可能性を排除することはできない。しかし、追われる段階にある経済が〝真の〟黄金期へ復帰する可能性はそれほど高くないと思われる。ここで〝真の〟という言葉を使ったのは、社会のメンバー全員が経済成長の恩恵に与れるという意味である。黄金期に高賃金の雇用を増やしたのは製造業であり、それを受けたサービス部門も賃金を製造業並みに引き上げて、自らの雇用を確保せざるを得なくなった。製造業の仕事はそれほど高い教育水準を必要としないために、製造業主導の経済成長は国民全員がその恩恵に与ることができた。製造業は経済の底上げにおおいに貢献したのである。将来、新たな技術革新が起きても、高等教育を受けていない人々にも再び高賃金の職場が数多く創出される事態を想定するのは難しい。今起きている技術革新の大半は自動化やロボット、人工知能の活用によって労働者の数を減らす方向に向いているからだ。言い換えると、技術革新は投資機会を復活させても、社会の底辺から雇用を増やすとは限らないということである」
予言が当たるのかどうかは判らない。しかし、少なくとも現代の先進資本主義各国の政府にとって破局的な未来を回避するためには、クー氏の指摘した現代資本主義の病状に対する新たな処方箋を書く必要があるのは確かなようである。
リチャード・クー氏と言えば、この20年間一貫して「バランスシート不況」の概念を駆使して、日本経済のマクロ分析引いてはリーマンショック後の先進資本主義の陥った不況の正体を解明して一定の評価を世界から受けてきた論客である。
そのクー氏が今回、世界の経済状況を俯瞰し大きな危機感を持って指摘したことは大きく言って五つある。
その第一はバランスシート不況が一応終焉したにもかかわらず一向に回復しない日本経済に代表される先進資本主義の大問題「国内における資本収益率の低下それに伴う国内投資の低迷」とそれと同時進行する「海外への生産拠点の移転ならびに高い資本収益率に誘引された海外投資の伸長」である。
第二は「金融を緩和すれば資金需要が生まれ国内投資が行われて景気は回復する」と言う経済政策は、超金融緩和によって大量の資金を供給しようとするがこれらの資金は国内設備投資に向かうことなく、様々な金融手法を駆使しながら株式や不動産などの資産=モノの取引による市場に流れ込み、価値を生み出さない見せかけの経済成長を導き出す。クー氏は言う「現在の米国の住宅価格は2006年のバブルのピークに戻っており、サンフランシスコでは過去のピークを 2割以上も上回っている 。また 、同国の商業用不動産価格は全国ベースで既に過去のピークを 2 6 %も上回っており 、6大都市ベースでは過去のピークを 4 0 %も上回っている 。これはまさに 、被追国の経済がバブルとバランスシート不況の間を行ったり来たりしているということだが 、この過程の中で 、一般の人々の生活はけっしてよくはならない 。これは 、経済の振れが資産価格の振れから発生しており 、その背景にある取引は既存資産の所有権の移転に関するものであり、GDPを押し上げるものではないからだ」。
第三に、追われる国の経済政策は大幅な税収減に伴う財政政策への制限により金融政策に偏重し、実体経済の成長を生まないばかりか実質賃金の低下を伴い貧富の格差を増大させる。
ここに至って、インフレターゲットなどの金融偏重の経済政策の失敗はその失敗がもたらす既存政治への失望を生み出し、理性的であるより失望感や感情に訴える極右的政治勢力の台頭、社会的分断と言う政治的危機を招来する。
第四に財政赤字への反省から、民間の資金需要が無い時の最後の資金需要としての公共投資の政策的正当性が忌避されることにより、資本主義の新しい段階としての被追国の経済にふさわしい未来へのエンジンとしての財政政策の新たなそして適正な手法の開発が見失われる。
第五にグローバル化した資本市場の構造的欠陥として、資本移動の自由化は為替市場から国家間貿易のショックアブソーバーとしての機能を奪い去る。今や為替市場は金融商品としての取引に支配され、貿易決済による為替変動は限定的になってしまった。即ち為替市場が従来果たして来た貿易戦争抑止力は喪失し、米中貿易戦争に代表される剥き出しの反自由貿易の時代が到来する。
そしてこれらを包括する歴史概念としてクー氏は国民経済の発展段階として被追国の概念を提唱するわけである。
これらを今の日本について当てはめてみるなら、すでに日本の経常収支は2007年に過去最高の30兆円の黒字を記録した時でさえその半分15兆円は資本収支の黒字であり、2017年に至っては25兆円の経常収支黒字の90%、20兆円が証券投資ならび対外直接投資によるものとなっている。日本はもはや貿易収支即ち製品を海外に輸出して外貨を稼ぐ国では無いのである。
しかし、失われた20年と言われる長期不況に対する処方箋は小泉政権時から変わらず、構造改革という新自由主義政策と際限ない日本銀行による超金融緩和の螺旋的拡大のみであり、実質所得は低下を続け、貧富の格差は拡大している。毎年のように税収の倍の予算を組みながら国民皆保険制度は破綻の際にある一方で防衛費だけが突出していくというまるで自分の首を絞めながら拳銃を握りしめるかの如くである。そしてこれに対する失望は経済政策の大転換に向かうことなく、内向きになった世情の日本讃美の声の大合唱と相まっていつの間にか書店の棚には自分の外に敵を作り敵を求める憎悪を売り物にした書籍が山積みになり、売れることが全ての排外主義にあふれた愛国雑誌が幅を効かせる事態となった。今や何がきっかけで極右勢力の台頭といった政治的破滅への道に向かってもおかしくない。
日本を例にとって述べてみたがこれは先進資本主義諸国全体に蔓延している状況であり、その意味でクー氏の指摘「被追国の経済」という類型は現代資本主義が陥っている逃れ難い罠を的確に抉り出している。もう一度端的に言えば各国は中央銀行による超金融緩和によって資本収益率の低下した国内投資を回復することはできず、逆に世界的規模で瞬時に動き回る金融資本の猛威が資産バブルの崩壊による更なる景気後退を呼ぶ負のスパイラルに陥っているわけである。
しかし、本書でクー氏が目指したのは単に鋭い外科医の腕前ばかりでは無い。マクロ経済学の本領としてのこの資本主義の病に対する政策的処方箋もまた彼が求めたものであった。
「経済学界はごく最近になるまで、民間のバランスシートが毀損した事のマクロ経済的な意味を理解していなかっただけでなく、海外の資本収益率が国内のそれよりも顕著に高くなったことのマクロ経済的意味も考慮してこなかった」その結果、各国政府のみならずIMFや世界銀行といった国際的経済機関もまた間違ったシグナルを出し続けて来た。これはクー氏言うところの先進資本主義国が黄金期を過ぎ被追国という発展段階に入った世界経済の巨視的変化をマクロ経済学が認識せず旧来の政策に固執したため各国の経済制度の枠組みや貿易為替制度が機能しなくなっており、新しい経済制度、新しい国際的枠組みが必要なことは火を見るより明らかだと主張しているわけである。
それでは被追国における経済政策の在り方とは何か、クー氏はまず金融政策一辺倒の経済政策から財政中心の経済政策への転換を説く「しかし経済が追われる立場になると、賃金の伸びは停滞し、消費者は商品選びに慎重になる一方で、輸入品が世の中に溢れ、企業は国内投資の削減を迫られるので、経済は基本的にデフレ体質である。もし企業の資金需要が超低金利下でも家計の貯蓄を下回るようであれば、政府は景気の落ち込みを避けるために財政政策を発動して、最後の借り手としての役割を果たさなければならない。」「(このような段階)にある経済を支えられるのは、財政政策だけである。しかも財政政策は、民間部門が再び借り入れができるようになるまで継続しなければならない。先進国の大半で公的債務が大きく積み上がっているが、民間が債務の最小化に向かう(中略)経済では、政府が残された唯一の借り手になり、債券利回りは極端な水準まで低下する。こうした低利回りは市場が政府に対して「国の将来に必要な公共事業プロジェクトがあれば、今こそ実施の好機だ」と告げているメッセージである。しかも、国債利回りの急低下によって、自己ファイナンスが可能な(=社会的な収益率が超低水準の国債利回りを上回る)公共事業プロジェクトは確実に増える」。クー氏はこのように述べて新たな公共事業プロジェクトを策定する独立諮問機関の設立も提唱している。
「国内の投資機会が枯渇する中で、後続の激しい追い上げをかわすためには、新たな製品やサービスの開発を加速しなければならないが、それにはこれまでとは違う税制や諸規制が必要になる。」「また、被追国の教育制度は早い段階から学生に批判的、自律的に物事を考える習慣をつけさせておかなければならない。権威主義がはびこり、現状にチャレンジすることが難しい環境では、新しいアイデアやサービスは生まれてこないからだ。ということは、政府は今の教育制度がそうした時代の要請に十分応えているか、再評価する必要がある。」これらの論点はクー氏一流の社会改革の処方箋のようである。
またクー氏は被追国の未来について黄金期に戻ることはないとして次のように述べている「画期的な技術革新が出現することを前提にすると、将来において黄金期に似た世界が復活する可能性を排除することはできない。しかし、追われる段階にある経済が〝真の〟黄金期へ復帰する可能性はそれほど高くないと思われる。ここで〝真の〟という言葉を使ったのは、社会のメンバー全員が経済成長の恩恵に与れるという意味である。黄金期に高賃金の雇用を増やしたのは製造業であり、それを受けたサービス部門も賃金を製造業並みに引き上げて、自らの雇用を確保せざるを得なくなった。製造業の仕事はそれほど高い教育水準を必要としないために、製造業主導の経済成長は国民全員がその恩恵に与ることができた。製造業は経済の底上げにおおいに貢献したのである。将来、新たな技術革新が起きても、高等教育を受けていない人々にも再び高賃金の職場が数多く創出される事態を想定するのは難しい。今起きている技術革新の大半は自動化やロボット、人工知能の活用によって労働者の数を減らす方向に向いているからだ。言い換えると、技術革新は投資機会を復活させても、社会の底辺から雇用を増やすとは限らないということである」
予言が当たるのかどうかは判らない。しかし、少なくとも現代の先進資本主義各国の政府にとって破局的な未来を回避するためには、クー氏の指摘した現代資本主義の病状に対する新たな処方箋を書く必要があるのは確かなようである。
2019年5月11日に日本でレビュー済み
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私は、リチャード・クー氏に対して、世の中財政再建一色の中で、ひとり積極的財政政策を唱えている人と、永年思っていて、その主張を把握していなかった。
時はながれ、米国ではリーマンショック以後、超金融緩和策を実施し、日本も続いた。しかし、待てとも待てとも本当の夜明けは訪れず、低インフレの中にいる。私は量的金融政策は失敗だと思っている。今後の経済は暗くなるのかと自問する中、リチャード・クー氏の本書が脚光を浴びていると知り興味をもった。
当然ながら、夢ではないから魔法を唱えれば、あっという間に好況という話ではない。中銀や政府に任しておけば済むわけがなく、自分を含む民間がこの問題に取り組まなければ苦境を抜け出せない。
リチャード・クー氏は、本書の中で新しいアイデアや製品を生み出せるイノベーターを発掘し奨励するのが課題としている。
そうだとすれば、新たな経済学の切り口を見出し、解決策を提案しているリチャード・クー氏はまさにイノベーターであり、同氏を奨励することを必要とすると考えた。
追われる国の前途は多難だが、「国破れて山河あり」云々と諦める前に、今やれなければなるぬ対応策はある。それには多くの人の支援を必要とする。
貴方も本書を読んで、「明るい未来を展望する方法」を検討し、自分の生活に潤いを与えてはいかがでしょうか。
時はながれ、米国ではリーマンショック以後、超金融緩和策を実施し、日本も続いた。しかし、待てとも待てとも本当の夜明けは訪れず、低インフレの中にいる。私は量的金融政策は失敗だと思っている。今後の経済は暗くなるのかと自問する中、リチャード・クー氏の本書が脚光を浴びていると知り興味をもった。
当然ながら、夢ではないから魔法を唱えれば、あっという間に好況という話ではない。中銀や政府に任しておけば済むわけがなく、自分を含む民間がこの問題に取り組まなければ苦境を抜け出せない。
リチャード・クー氏は、本書の中で新しいアイデアや製品を生み出せるイノベーターを発掘し奨励するのが課題としている。
そうだとすれば、新たな経済学の切り口を見出し、解決策を提案しているリチャード・クー氏はまさにイノベーターであり、同氏を奨励することを必要とすると考えた。
追われる国の前途は多難だが、「国破れて山河あり」云々と諦める前に、今やれなければなるぬ対応策はある。それには多くの人の支援を必要とする。
貴方も本書を読んで、「明るい未来を展望する方法」を検討し、自分の生活に潤いを与えてはいかがでしょうか。
2019年6月15日に日本でレビュー済み
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本書の英文の書名が「The Other Half of Macroeconomics」であるように、「正統派マクロ経済学」が見落としてきた著者の持論の「バランスシート不況論」について、懇切丁寧に解説した書であり、その点に関しては良書であることには異論はない。特に経済の局面を、資金の「借り手と貸し手が共に不足している(ケース1)」「借り手はいるが貸し手が不足(ケース2)」「貸し手は居ても借り手が居ない(ケース3)」「借り手も貸し手も居ない(ケース4)」の4局面に分類したうえで、バランスシート不況とは、経済がケース3又は4の状態にある局面だという説明は、分かりやすく且つ説得力がある。そのうえで、バランスシート不況を抜け出すには、金融緩和は効き目が無く、財政政策をやらなくては駄目だと説く。
ここまでは、全くその通りだと思うが、そういう一方で、日銀が保有している多額の国債を、ゼロクーポンの永久債に置き換えてしまうという「ヘリコプターマネー論」を否定していることには合点がいかない。
著者は、バランスシート不況脱出の為には、資金調達意欲を失った民間に換わって、政府が資金調達して投資を行う財政政策発動が必要だと言いながら、それでは政府はどうやって誰からその資金を借りればいいのかを、きちんと説明しようとしない。
経済が、資金の借り手も貸し手も居なくなってしまった「ケース4」の状態にある場合に、政府が民間に換わって財政投資をするためには、借り手と貸し手の両方の役目を演じなければならない筈だ。それは要するに、日銀が国債を買い入れるという行為、究極的には財政ファイナンスということだ。日銀が直接国債を引き受ける財政ファイナンスは、財政法で禁じられているから、その代わりになる行為として、日銀に滞留している国債を永久債に置き換えることは、当然考慮に値する事ではないか。
著者は、「(永久債の発行が)正しいのは最初の時だけである(p332)」と言っているが、ヘリマネ論者だって、ヘリマネを何度も繰り返してはいけないことは百も承知のうえで、「現在の状態を脱出するためにだけ」、著者の表現で言えば「ケース3.4を脱出して、ケース1,2になるまでの緊急臨時措置」として永久債発行を提唱しているのだろう。
他のところでは,ひどく歯切れ良くくどいほどに自説を詳説する著者が、このヘリマネ論のところでは、論旨が乱れてしまっているのは、どいうわけなのかと思う。
ここまでは、全くその通りだと思うが、そういう一方で、日銀が保有している多額の国債を、ゼロクーポンの永久債に置き換えてしまうという「ヘリコプターマネー論」を否定していることには合点がいかない。
著者は、バランスシート不況脱出の為には、資金調達意欲を失った民間に換わって、政府が資金調達して投資を行う財政政策発動が必要だと言いながら、それでは政府はどうやって誰からその資金を借りればいいのかを、きちんと説明しようとしない。
経済が、資金の借り手も貸し手も居なくなってしまった「ケース4」の状態にある場合に、政府が民間に換わって財政投資をするためには、借り手と貸し手の両方の役目を演じなければならない筈だ。それは要するに、日銀が国債を買い入れるという行為、究極的には財政ファイナンスということだ。日銀が直接国債を引き受ける財政ファイナンスは、財政法で禁じられているから、その代わりになる行為として、日銀に滞留している国債を永久債に置き換えることは、当然考慮に値する事ではないか。
著者は、「(永久債の発行が)正しいのは最初の時だけである(p332)」と言っているが、ヘリマネ論者だって、ヘリマネを何度も繰り返してはいけないことは百も承知のうえで、「現在の状態を脱出するためにだけ」、著者の表現で言えば「ケース3.4を脱出して、ケース1,2になるまでの緊急臨時措置」として永久債発行を提唱しているのだろう。
他のところでは,ひどく歯切れ良くくどいほどに自説を詳説する著者が、このヘリマネ論のところでは、論旨が乱れてしまっているのは、どいうわけなのかと思う。
2019年5月25日に日本でレビュー済み
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私も財政支出反対派ですが、少し考えが変わりました。日本の政府にはできそうもない良いアイデアが多く書かれていて、政権と官僚の世代交代して欲しいと思いました。
借り手不在の世の中は、ビジネスの変化のせいも大きいと思います、過去の巨大資本の製造業は低利益率のまま、テクノロジーを中心とした新しい世代のビジネスは従来の巨大な投資が不要ですので。実際にシリコンバレーはM&Aと巨大な本社に投資をしています。
是非、多くの日本人に読んでもらいたいと思います。
借り手不在の世の中は、ビジネスの変化のせいも大きいと思います、過去の巨大資本の製造業は低利益率のまま、テクノロジーを中心とした新しい世代のビジネスは従来の巨大な投資が不要ですので。実際にシリコンバレーはM&Aと巨大な本社に投資をしています。
是非、多くの日本人に読んでもらいたいと思います。