■ 複雑化の教育論 内田 樹
底知れない無責任を乗り越えて、いかにして日本という国は " 平衡感覚 " を取り戻し(たとえ、それがかって一度も現在になったことのない過去への憧憬だとしても)、次の30年50年に向き合えるのか。
教育によって国は立つ、経済によっては立たない。
人格が多層化し複雑化することが成熟であり、それを支援するのが教育であり学校。ところが学校教育が格付け機関(単純に入口と出口で評価される・・・つまり志願者の質と数と卒業生の売れ行き)のループに取り込まれ、更に管理コストの最小化(費用対効果)対象だということになってしまった。
「教育が失敗した」ということは、未来のある時点において、集団を担ってくれる成熟した市民の頭数が「足りない」という事態で可視化する。それは、民主制を機能させる成熟した市民が一定数いるかどうかに直結する。
そういう認識のもと、教育にかかわる「一定数のまともな大人」の頭数を一人でも増やしたい・・・そういう動機で内田氏と東洋館出版社が呼びかけ企画した凱風館での三回の講演。
話は " 武道論 " であったり " 日本習合論 " や " コモンの再生 " の領域まで踏み込んで、当然のように受講者の質疑応答も交えて進められていく。
内田氏は熱い。
※ 質疑応答・・・●コロナを契機に学校はどう変わるべきか●教職を目指す若者を増やすには●「いじめ」について●不登校の生徒とどう接する●子どもに一言で「道徳」を説明するとしたら●学校が強いる無意味なタスクとは●対面や接触が減少することと教育効果の関係について●教師には語りの能力が必要だと思うが効用は etc
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複雑化の教育論 (越境する教育) 単行本 – 2022/1/28
内田 樹
(著)
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思想家・内田 樹氏の教育論・成熟論!
教員志望者の減少、不登校問題、問題視される教師の働き方、いじめ問題、見直される部活動、オンライン授業……
教育に複雑に絡み合う事象を、複雑なままときほぐす
〇学校に隠されている数々の「贈り物」と「呼びかけ」
〇成熟すると、「一筋縄では捉えられない人間」になる
〇キャラ設定が複雑化を阻害する
〇知性は葛藤のうちで開発される
〇教師の「ブルシット・ジョブ」をあぶりだす
〇オンライン授業は「思いがけずうまくいった」
〇社会にはびこる組織マネジメント原理主義・管理コスト最少化原理主義
〇合意形成は「Lose-Lose-Lose」
〇成長する社会には管理コストがかかる
〇人生は「バイ・アクシデント」の連続
〇機嫌のよい人が同期現象誘発者となる
❝学校は子どもたちの成熟を支援するためのものです。
これまで「子どもたちの成熟」という言葉を何度か使ってきました。みなさんも頷いて聴いてくれましたけれど、「成熟」という語が何を意味しているのかについては、ここまではっきりしたことを言っていません。
――僕が考える「成熟」というのは「複雑化」ということです。❞〔 本文より〕
ーーー
シリーズ・越境する教育
いくつもの問いを手に、教育に思いを巡らす。
「つなぐ、ほどく、ひらく」を合言葉に、分からなさをたのしみ、しなやかに考えるための目印となるような一冊を編んでいきます。
教員志望者の減少、不登校問題、問題視される教師の働き方、いじめ問題、見直される部活動、オンライン授業……
教育に複雑に絡み合う事象を、複雑なままときほぐす
〇学校に隠されている数々の「贈り物」と「呼びかけ」
〇成熟すると、「一筋縄では捉えられない人間」になる
〇キャラ設定が複雑化を阻害する
〇知性は葛藤のうちで開発される
〇教師の「ブルシット・ジョブ」をあぶりだす
〇オンライン授業は「思いがけずうまくいった」
〇社会にはびこる組織マネジメント原理主義・管理コスト最少化原理主義
〇合意形成は「Lose-Lose-Lose」
〇成長する社会には管理コストがかかる
〇人生は「バイ・アクシデント」の連続
〇機嫌のよい人が同期現象誘発者となる
❝学校は子どもたちの成熟を支援するためのものです。
これまで「子どもたちの成熟」という言葉を何度か使ってきました。みなさんも頷いて聴いてくれましたけれど、「成熟」という語が何を意味しているのかについては、ここまではっきりしたことを言っていません。
――僕が考える「成熟」というのは「複雑化」ということです。❞〔 本文より〕
ーーー
シリーズ・越境する教育
いくつもの問いを手に、教育に思いを巡らす。
「つなぐ、ほどく、ひらく」を合言葉に、分からなさをたのしみ、しなやかに考えるための目印となるような一冊を編んでいきます。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社東洋館出版社
- 発売日2022/1/28
- 寸法13.3 x 2 x 18.5 cm
- ISBN-104491047162
- ISBN-13978-4491047164
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商品の説明
著者について
思想家・武道家、神戸女学院大学名誉教授、凱風館館長
1950年東京生まれ。専門はフランス現代思想、教育論、武道論、映画論など。
東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学院人文科学研究科博士課程中退。
主な受賞歴として、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第6回小林秀雄賞、『日本辺境論』(新潮新書)で2010年新書大賞、第3回伊丹十三賞などがある。
教育に関する主な著書は、『街場の教育論』(ミシマ社)、『先生はえらい』(ちくまプリマ―新書)、『下流志向』(講談社)など多数。
[2021年10月現在]
1950年東京生まれ。専門はフランス現代思想、教育論、武道論、映画論など。
東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学院人文科学研究科博士課程中退。
主な受賞歴として、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第6回小林秀雄賞、『日本辺境論』(新潮新書)で2010年新書大賞、第3回伊丹十三賞などがある。
教育に関する主な著書は、『街場の教育論』(ミシマ社)、『先生はえらい』(ちくまプリマ―新書)、『下流志向』(講談社)など多数。
[2021年10月現在]
登録情報
- 出版社 : 東洋館出版社 (2022/1/28)
- 発売日 : 2022/1/28
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 4491047162
- ISBN-13 : 978-4491047164
- 寸法 : 13.3 x 2 x 18.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 86,869位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 336位教育学 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年2月1日に日本でレビュー済み
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2022年1月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この作品は、内田樹氏が道場で行った教育対象者向けの3回の講演を書籍化したものです。内田氏はこれまでも多くの教育への提言をされていますが、この作品ではコロナによるオンライン授業がふまえられるなど、視点がより現代的になりこれまで以上に読み応えのある内容になっています。
内田氏はこれまでも、教育の目的は市民的成熟を得ること、成熟とは複雑なものを複雑なまま許容できるようになることだと述べてきました。
では、上記の内容が実現するにはどのようなこと、またはどうすることが望ましいのか、ということが本書では述べられています。以下は私見によるまとめです。
①ミステリアスな学びの場(事例:神戸女学院の校舎は非常にミステリアスで、自分で歩いた人にしかたどり着けない場所が沢山ある。これは、自分で学んでみると学ぶ前には想定できなかったような出逢いがあることのメタファーになっている。↔どこからも見通しが良くて、別のフロアの様子がそこにいなくても予想が出来る校舎。)
②複雑化すること(これは①の前の説明と重なるので別方面から説明すると、複雑化に反する例として、「キャラ設定」・「一言で説明すること」が挙げられ、これは単純化であり退化だそうです。これに対し、複雑化はこれまで出会ったことのない問題に関して、これまで学んだことのない解決方法を複数考える知的な資質のことであり、未決の状態に耐える能力のことのようです。確かにキャラ設定や一言の説明は未決状態を回避し、複数の回答を考える知的資質を必要としません…)
③学校を格付け機関としないこと(これは『下流志向』等でも語られてきた、単一の度量衡による目標に合致していることを基準に格付けを始めると、人間は自分の能力向上ではなく、他の人の足を引っ張ることを始めるため、結局は集団の能力を下げる方向に働きことと繋がっていると思います。この事例として学級崩壊等があるといえそうです。)
④学校は何よりも先に子ども達に承認を与える場だと捉えること。(「ここにいてもいい」と自然と感じられることが何より優先されるべきだそうです。)
⑤内田氏が校長だった時に先生方に求めること(先生方に機嫌良く仕事してもらうために最も重要なのは、「好きにやってください、何か問題が起きたら、私が責任を取ります」ということだそうです。これが最も教員が実力以上の力を出すこと【オーバーアチーブ】につながり、知的な資質の向上や成熟に資するそうです。この反対が単一の度量衡による業績評価と資源分配だそうです。)
⑥部活動は社会的流動性を高めるためのもの(部活動が存在しないフランスでは、習いごとをするのにお金が別途かかり、それが出来ないような経済状態にある人は才能に気付きにくく、階級が固定しやすいという話があり部活動はタダである部分があるからこそ、自分でも気付かない才能に気付かせてくれる機会となり得たという話がありました。→これも視点が異なりますが、複雑化の一例なのかもしれません。ただ、部活動も単一の度量衡での業績評価の手段になると上記の意義を失い、子ども傷つけることにもつながります。)
⑦センチネル(歩哨)がいること(センチネルとは異界との境界に立ち、外から来たものを押し戻し境界を守るものだそうです。)※すべてがセンチネルである必要があるわけではなく、成熟した社会集団に今後求められる職種としてセンチネルが挙げられていました。
⑧もののはずみということ(①の内容に期せずして戻ってしまいましたが、自分が学ぼうとしたものとは全く違うものにものの弾みで出会ってしまうことがあり、それが成熟につながるそうです。「もののはずみ」を可能にするのは、機嫌の良い、呼びかけを聞き取りやすい、同期しやすい身体なのだそうです。)
上記以外にも、教師のブルシットジョブ(クソどうでもいい仕事)や学費が上がった理由についての考察など、話したいことはたくさんありますが、本一冊まるまる書写することになってしまうので、これくらいにさせていただきます。
内田氏はこれまでも、教育の目的は市民的成熟を得ること、成熟とは複雑なものを複雑なまま許容できるようになることだと述べてきました。
では、上記の内容が実現するにはどのようなこと、またはどうすることが望ましいのか、ということが本書では述べられています。以下は私見によるまとめです。
①ミステリアスな学びの場(事例:神戸女学院の校舎は非常にミステリアスで、自分で歩いた人にしかたどり着けない場所が沢山ある。これは、自分で学んでみると学ぶ前には想定できなかったような出逢いがあることのメタファーになっている。↔どこからも見通しが良くて、別のフロアの様子がそこにいなくても予想が出来る校舎。)
②複雑化すること(これは①の前の説明と重なるので別方面から説明すると、複雑化に反する例として、「キャラ設定」・「一言で説明すること」が挙げられ、これは単純化であり退化だそうです。これに対し、複雑化はこれまで出会ったことのない問題に関して、これまで学んだことのない解決方法を複数考える知的な資質のことであり、未決の状態に耐える能力のことのようです。確かにキャラ設定や一言の説明は未決状態を回避し、複数の回答を考える知的資質を必要としません…)
③学校を格付け機関としないこと(これは『下流志向』等でも語られてきた、単一の度量衡による目標に合致していることを基準に格付けを始めると、人間は自分の能力向上ではなく、他の人の足を引っ張ることを始めるため、結局は集団の能力を下げる方向に働きことと繋がっていると思います。この事例として学級崩壊等があるといえそうです。)
④学校は何よりも先に子ども達に承認を与える場だと捉えること。(「ここにいてもいい」と自然と感じられることが何より優先されるべきだそうです。)
⑤内田氏が校長だった時に先生方に求めること(先生方に機嫌良く仕事してもらうために最も重要なのは、「好きにやってください、何か問題が起きたら、私が責任を取ります」ということだそうです。これが最も教員が実力以上の力を出すこと【オーバーアチーブ】につながり、知的な資質の向上や成熟に資するそうです。この反対が単一の度量衡による業績評価と資源分配だそうです。)
⑥部活動は社会的流動性を高めるためのもの(部活動が存在しないフランスでは、習いごとをするのにお金が別途かかり、それが出来ないような経済状態にある人は才能に気付きにくく、階級が固定しやすいという話があり部活動はタダである部分があるからこそ、自分でも気付かない才能に気付かせてくれる機会となり得たという話がありました。→これも視点が異なりますが、複雑化の一例なのかもしれません。ただ、部活動も単一の度量衡での業績評価の手段になると上記の意義を失い、子ども傷つけることにもつながります。)
⑦センチネル(歩哨)がいること(センチネルとは異界との境界に立ち、外から来たものを押し戻し境界を守るものだそうです。)※すべてがセンチネルである必要があるわけではなく、成熟した社会集団に今後求められる職種としてセンチネルが挙げられていました。
⑧もののはずみということ(①の内容に期せずして戻ってしまいましたが、自分が学ぼうとしたものとは全く違うものにものの弾みで出会ってしまうことがあり、それが成熟につながるそうです。「もののはずみ」を可能にするのは、機嫌の良い、呼びかけを聞き取りやすい、同期しやすい身体なのだそうです。)
上記以外にも、教師のブルシットジョブ(クソどうでもいい仕事)や学費が上がった理由についての考察など、話したいことはたくさんありますが、本一冊まるまる書写することになってしまうので、これくらいにさせていただきます。
2023年11月19日に日本でレビュー済み
久しぶりに内田の著書を読んだ。このところ内田の著作を読まなかったのは自分自身の読書力
が衰えたからかもしれないし、電子図書に未だ慣れていないからかもしれない。
学校を卒業してから既に36年が経つ中で、久しぶりに学校生活を思い出した。特に思ったのは
高校である。
僕が通った東京都立立川高校は、とにかく受験勉強をさせてくれない学校だった。授業は
先生方の自身の好みで構成されており、受験を全く意識しないものばかりであった。一学期を
まるまる三角関数だけであったり、英語は英語で「十二人の怒れる男たち」のシナリオを読むだけ、
地理の授業は生徒の発表だけで一年が過ぎる等。しかも第二外国語まで選択できるという
カリキュラムである。 加えて学校行事が極めて重要視され、生徒たちの中には全人格を
掛けてしまう人も多かった。最後に、当たり前ながら部活動である。受験勉強など到底
入る隙間が無い。
といったハプニングだらけの高校時代の「豊かさ」にはいまでも本当に感謝している。今になって、
先生方が目指したものは真のエリート教育だったと断言できる。僕がここで意味する「エリート教育」
とは「自分で考えることを強いる教育」というようなイメージだ。僕自身も途方にくれながら
「十二人の怒れる男」を読んだものだ。おかげで今でも、その映画の大ファンでもある。
内田が展開する論と上記の僕の個人的な経緯の間には当然ながら大きな違いはある。但し、
内田が説く「教育の複雑化」に関して、なんらかシンクロするものが僕の皮膚感覚にはある。
少なくとも本作を読んで面白いと思えたのは高校時代の経験があるからだ。そう思えた事
だけで本作を読んだ収穫があったと僕は思う。
が衰えたからかもしれないし、電子図書に未だ慣れていないからかもしれない。
学校を卒業してから既に36年が経つ中で、久しぶりに学校生活を思い出した。特に思ったのは
高校である。
僕が通った東京都立立川高校は、とにかく受験勉強をさせてくれない学校だった。授業は
先生方の自身の好みで構成されており、受験を全く意識しないものばかりであった。一学期を
まるまる三角関数だけであったり、英語は英語で「十二人の怒れる男たち」のシナリオを読むだけ、
地理の授業は生徒の発表だけで一年が過ぎる等。しかも第二外国語まで選択できるという
カリキュラムである。 加えて学校行事が極めて重要視され、生徒たちの中には全人格を
掛けてしまう人も多かった。最後に、当たり前ながら部活動である。受験勉強など到底
入る隙間が無い。
といったハプニングだらけの高校時代の「豊かさ」にはいまでも本当に感謝している。今になって、
先生方が目指したものは真のエリート教育だったと断言できる。僕がここで意味する「エリート教育」
とは「自分で考えることを強いる教育」というようなイメージだ。僕自身も途方にくれながら
「十二人の怒れる男」を読んだものだ。おかげで今でも、その映画の大ファンでもある。
内田が展開する論と上記の僕の個人的な経緯の間には当然ながら大きな違いはある。但し、
内田が説く「教育の複雑化」に関して、なんらかシンクロするものが僕の皮膚感覚にはある。
少なくとも本作を読んで面白いと思えたのは高校時代の経験があるからだ。そう思えた事
だけで本作を読んだ収穫があったと僕は思う。
2022年12月11日に日本でレビュー済み
どこから紹介すればいいか正直迷ってしまうほど濃密な内容である。何事も分かりやすくすることが物事の理解の前提となっている昨今だが、その姿勢の裏にはなかなか重大な問題が潜んでいることが分かった。分かりやすく単純化して、一言で言うとどういうことか。というよくある質問には実は答えられないことばかりなのだ。複雑なものを単純にして理解するのは本来無理なことで、複雑なまま理解していく。
流れるような文体で、かつ新しい視点に溢れていて読書は止まらなくなる。複雑と単純というテーマに昨今の課題が集約されていくのは、灯台もと暗しで、複雑な説明にイライラしてしまうマインドには注意が必要だと自戒。「管理コストがかかる社会ほど成長する」という現在の逆説には驚愕した。近代、現代を見直すと確かにそういう事実があり、ある意味エビデンスを示している。
教育においてよく言われる民間企業に学べという提言は非常に危ういことがわかる。ビジネスライクに失敗したらやり直しが利くという発想は、教育では通用しないという。教育は未来において成熟した市民を育て社会を維持し、自己を社会の中でまっとうに生かせる、さらに国際社会においても国力を維持しうるというような目的があると思うが、どちらにしても遠い未来にいかに成功させるかは、短期ビジネスのようにはならない。そのため今、マネーゲームの具材として教育を利用して、未来において成熟した市民が社会を維持するのに足りないということが失敗として現れるのはあってはならない。あの時のあの教育は失敗だったんだと気がつくのは、数十年後、十数年後に訪れるかもしれず、そうなった時にはもう遅い。そしてビジネスライクの教育を行った者はすでに墓の下にいるのだから、無責任千万であり、後代に多大なつけを残す。
教育において民間企業のようにトップダウン式の命令で何でもやろうとするのは不可能だと分かる。トップダウンなら決定と実行は早いが、トップ以外は思考を失ってゆくゆくは構成員はほとんど使えない人間になるという。ラディカルな指摘だが、実はこの傾向はだいぶ浸透しているようで、脅威すら感じる。なぜ脅威か。それはナチスの組織を想起させるからで、ホロコーストに加担していようとも無思考に上を信じて目の前の仕事に没頭するような状況を許すことになる。
兎に角ビジネスであれば経営の成否はマーケットが教えてくれるが、学校教育はそうはいかない。数十年後の社会に答えが出る。
トップダウンによる仕事は無意味な仕事「ブルシットジョブ」であることが多く、そういう仕事をしていると人は生きる力を失っていくという指摘も厳しい警句である。格付けのために子どもまで無意味なタスクを与えるのは、つまり好きなことをやって自己有能感を育む機会を奪い、果ては生きる力まで奪いかねない。この指摘は切実な問題である。格付けに奔走しても人間性は育たない。『教育鼎談』(内田、寺脇、前川)ではゆとり教育の時代に学力が伸びたという結果が示され、詰め込めば学力が伸びるという単純な発想を覆す。
現在、不登校の子どもは二十万人いるという。このことについて著者は適応の問題やコミュニケーションの問題ではなく、制度設計の問題だと喝破する。個人の問題ではない。問題はわずかな社会的能力の欠如でも許さない体制にあり高い要求をして、適応不能を作り出している。学校とはもともと子どもを過酷労働から守り教育を行う場だったのに、いつの間にか競争と格付けの場と化してしまった。学力を査定して進路を決めようとするが、そんな風に道なりに人生が進むことなどあるだろうか。これはある種の高刺激な環境で、不登校の原因の一つではないかと思わせる。著者も不登校を経験していて「ここにいてはいけない」という生物的な直感により学校に行かないことを選択したという。
早い段階から進路を決めようとするのはおかしいという提言もある。学校では様々な偶然の呼び掛けがあって、他から必要とされることがあり、そこから仕事に結びつくことがある。天職がcallingと言われるのも偶然的な呼び掛けをさし、自分に合った仕事が他者からもたらされるという指摘は確かにそういう面もあると納得してしまう。早くから適正のある仕事が決められるのはそもそも、人生の楽しみを奪っているとも考えられる。人は他者の作り出した評価で分かるほど単純ではなく、複雑な存在であり、他者や周りから生じる偶然を含めれば複雑さはさらに増す。学校教育では生徒の将来への不安を思って、個々の将来像を明示しようと努めているのかもしれないが、どんな取り組みもいずれ詳細を極めてガチガチの制度に「成長」していく。善意から発したものが、いつの間にか子どもの生き方を縛るようになるのは本末転倒である。
オンライン授業が学習への向き合い方に好影響を及ぼしたという示唆もなるほどである。積極的に質問にくる学生には学習機会があったが、やる気はあれど質問に行くには引っ込み思案な学生は見逃されてきた。しかしオンラインなら全ての学生が教授に認知される。これは凄いことだ。
複雑なことを分かりやすくして子どもの理解を助けるのには益が大きいと思っていたが、実はそうではないという。学習にも効率や便利さが混入して、それは単純化として作用した。物事には核心部分以外にも、その物事の背景や関連事項が網目のように連なっているのに、その絡まりを廃して核心部分だけを理解しようとしているのだろうか。言葉をつらつらと並べて説明しても聞き入れる余裕のない世の中。しかし物事の理解は価値観の数だけ存在すると言っても、言い過ぎではない。物事の表層だけ汲み取って、人の話を定型に落とし込んでも、それは本当に理解したことにはならない。そして効率化や合理化が入り込んでいいところと、まずいところがあることを明確にするのが重要である。人が定めた道筋には限界があり、もっと世に繁茂する偶然性、複雑性に委ねて自由な生を見直す時が来ているのだと思いを新たにした。
流れるような文体で、かつ新しい視点に溢れていて読書は止まらなくなる。複雑と単純というテーマに昨今の課題が集約されていくのは、灯台もと暗しで、複雑な説明にイライラしてしまうマインドには注意が必要だと自戒。「管理コストがかかる社会ほど成長する」という現在の逆説には驚愕した。近代、現代を見直すと確かにそういう事実があり、ある意味エビデンスを示している。
教育においてよく言われる民間企業に学べという提言は非常に危ういことがわかる。ビジネスライクに失敗したらやり直しが利くという発想は、教育では通用しないという。教育は未来において成熟した市民を育て社会を維持し、自己を社会の中でまっとうに生かせる、さらに国際社会においても国力を維持しうるというような目的があると思うが、どちらにしても遠い未来にいかに成功させるかは、短期ビジネスのようにはならない。そのため今、マネーゲームの具材として教育を利用して、未来において成熟した市民が社会を維持するのに足りないということが失敗として現れるのはあってはならない。あの時のあの教育は失敗だったんだと気がつくのは、数十年後、十数年後に訪れるかもしれず、そうなった時にはもう遅い。そしてビジネスライクの教育を行った者はすでに墓の下にいるのだから、無責任千万であり、後代に多大なつけを残す。
教育において民間企業のようにトップダウン式の命令で何でもやろうとするのは不可能だと分かる。トップダウンなら決定と実行は早いが、トップ以外は思考を失ってゆくゆくは構成員はほとんど使えない人間になるという。ラディカルな指摘だが、実はこの傾向はだいぶ浸透しているようで、脅威すら感じる。なぜ脅威か。それはナチスの組織を想起させるからで、ホロコーストに加担していようとも無思考に上を信じて目の前の仕事に没頭するような状況を許すことになる。
兎に角ビジネスであれば経営の成否はマーケットが教えてくれるが、学校教育はそうはいかない。数十年後の社会に答えが出る。
トップダウンによる仕事は無意味な仕事「ブルシットジョブ」であることが多く、そういう仕事をしていると人は生きる力を失っていくという指摘も厳しい警句である。格付けのために子どもまで無意味なタスクを与えるのは、つまり好きなことをやって自己有能感を育む機会を奪い、果ては生きる力まで奪いかねない。この指摘は切実な問題である。格付けに奔走しても人間性は育たない。『教育鼎談』(内田、寺脇、前川)ではゆとり教育の時代に学力が伸びたという結果が示され、詰め込めば学力が伸びるという単純な発想を覆す。
現在、不登校の子どもは二十万人いるという。このことについて著者は適応の問題やコミュニケーションの問題ではなく、制度設計の問題だと喝破する。個人の問題ではない。問題はわずかな社会的能力の欠如でも許さない体制にあり高い要求をして、適応不能を作り出している。学校とはもともと子どもを過酷労働から守り教育を行う場だったのに、いつの間にか競争と格付けの場と化してしまった。学力を査定して進路を決めようとするが、そんな風に道なりに人生が進むことなどあるだろうか。これはある種の高刺激な環境で、不登校の原因の一つではないかと思わせる。著者も不登校を経験していて「ここにいてはいけない」という生物的な直感により学校に行かないことを選択したという。
早い段階から進路を決めようとするのはおかしいという提言もある。学校では様々な偶然の呼び掛けがあって、他から必要とされることがあり、そこから仕事に結びつくことがある。天職がcallingと言われるのも偶然的な呼び掛けをさし、自分に合った仕事が他者からもたらされるという指摘は確かにそういう面もあると納得してしまう。早くから適正のある仕事が決められるのはそもそも、人生の楽しみを奪っているとも考えられる。人は他者の作り出した評価で分かるほど単純ではなく、複雑な存在であり、他者や周りから生じる偶然を含めれば複雑さはさらに増す。学校教育では生徒の将来への不安を思って、個々の将来像を明示しようと努めているのかもしれないが、どんな取り組みもいずれ詳細を極めてガチガチの制度に「成長」していく。善意から発したものが、いつの間にか子どもの生き方を縛るようになるのは本末転倒である。
オンライン授業が学習への向き合い方に好影響を及ぼしたという示唆もなるほどである。積極的に質問にくる学生には学習機会があったが、やる気はあれど質問に行くには引っ込み思案な学生は見逃されてきた。しかしオンラインなら全ての学生が教授に認知される。これは凄いことだ。
複雑なことを分かりやすくして子どもの理解を助けるのには益が大きいと思っていたが、実はそうではないという。学習にも効率や便利さが混入して、それは単純化として作用した。物事には核心部分以外にも、その物事の背景や関連事項が網目のように連なっているのに、その絡まりを廃して核心部分だけを理解しようとしているのだろうか。言葉をつらつらと並べて説明しても聞き入れる余裕のない世の中。しかし物事の理解は価値観の数だけ存在すると言っても、言い過ぎではない。物事の表層だけ汲み取って、人の話を定型に落とし込んでも、それは本当に理解したことにはならない。そして効率化や合理化が入り込んでいいところと、まずいところがあることを明確にするのが重要である。人が定めた道筋には限界があり、もっと世に繁茂する偶然性、複雑性に委ねて自由な生を見直す時が来ているのだと思いを新たにした。